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集団疎開、心の痛み抱えて 残る住民、わだかまりも(2/2ページ)

2011年3月27日3時11分

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写真:岩手県内陸部に集団疎開するバスに乗り込む被災者たち=26日午後、岩手県釜石市、福留庸友撮影拡大岩手県内陸部に集団疎開するバスに乗り込む被災者たち=26日午後、岩手県釜石市、福留庸友撮影

写真:岩手県内陸部に集団で避難するバスの中から手を振る被災者たち=26日午後、同県釜石市、福留庸友撮影拡大岩手県内陸部に集団で避難するバスの中から手を振る被災者たち=26日午後、同県釜石市、福留庸友撮影

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 岩手県は、疎開先として県内120施設で約9500人分の部屋を確保した。今回第1陣となった釜石市、大槌町、山田町で約1万7千人が避難所の学校などに身を寄せるが、3市町の疎開希望者は460人にとどまっている。

 県の現場担当者は「気兼ねや不安から移動を言い出せない人が多い」とみる。「避難所の中には、自治組織が『出て行ったヤツは、戻ってこないでくれ』と明確にしているところもある」という。

 県の狙いは、まずはお年寄りや妊婦、体調を崩した人たちに危険な状態から脱してもらうことにある。体調に不安のある家族が疎開すれば、残った人たちが安心して復旧作業に取り組むこともできる。

 しかし、その目的は被災者に正しく伝わっていない。

 釜石市の市民体育館では24日午後、県庁の担当者が疎開の申込書を配って、拡声機で説明。費用は県が支払う▽行き先は内陸部▽期間は仮設住宅ができるまで――といった内容だけで、約15分で終了した。被災者からはほとんど質問も出なかった。

 県の性急な説明に加え、特にお年寄りには、自分だけが恵まれた環境に移ることへの抵抗感が強い。89歳の母と妻の3人で避難所生活を送っている漁業の男性(69)は「おれだけ盛岡に行ったら、逃げたみたいな感じになる」。母と妻だけでも、疎開させようか悩んでいる。(赤井陽介、小俣勇貴、吉永岳央)

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