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彼らの恩忘れぬ 名取・閖上で消防士3人殉職
東日本大震災で多くの人が津波の犠牲になった宮城県名取市閖上地区で、市消防署閖上出張所で活動中の消防士3人も殉職した。救助された住民は「彼らのおかげで今がある」と、職務を全うして亡くなった3人に感謝している。
殉職したのは高橋淳さん(40)、荒川健一さん(36)、野地航(わたる)さん(35)の3人。 3月11日の大地震直後、閖上2丁目で車椅子生活を送っていた元警察官の赤間憲広さん(62)は自宅で身動きが取れなくなった。タンスが倒れ、玄関で車いすを昇降させる装置も停電で停止。妻や近所の人だけでは動かせず、駆け付けた3人に助け出された。その後も、1人が閖上公民館近くのグラウンドまで約100メートルの距離を車椅子を押して避難させてくれた。 「(閖上の)市場に避難を呼び掛けに行く」。その言葉が、別れ際の赤間さんの耳に残った。避難した公民館の2階から見ると、安全な場所まで高齢者を送り届け、沿岸部にとって返す3人の姿が目に入った。 現在、市内の老人ホームで避難生活を送る赤間さんは「消防も警察も自分の命を顧みずに人命救助に当たるのが仕事だが、実際に殉職者が出るのはつらい。私にとって彼らは神様」。職務に殉じた恩人を忘れない。 「(近くの)日和橋で『急いで逃げてください』と交通整理していた」「市場で車に乗っている民間人に、お年寄りの避難協力をお願いしていた」。赤間さん以外の住民にも、3人の活動は印象に残っていた。 市消防本部によると、ポンプ分隊長を務めていた高橋さんは温厚だが意志の強い消防士。努力家の野地さんは独自に着衣泳のクラブに参加し、多くの人を救うための勉強を重ねていたという。 荒川さんは市消防本部予防課の所属だったが、当日は閖上出張所に応援に入っていた。「小さい頃から親に反発せず、優しい子だった」と父の竹捷(かつ)さん(67)は思い返す。「最後まで消防士の責任を全うし、親として誇りに思う」。遺影の息子に語り掛けた。(小木曽崇)
2011年04月25日月曜日
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