<この国はどこへ行こうとしているのか>
「本当にえらいことになりましたよね」。倉本聰さんはつぶやいた。
東京・神楽坂の裏通りにひっそりとたたずむホテル。繁華街にある高層のシティーホテルを選ばないところが、倉本さんらしい気がした。
「地震・津波の災害と原発の災害、二つに分けて考えるべきだと思います」と倉本さんは言った。「大地震、大津波は、地球の歴史的にみて、いずれ起こると言われていました。大陸変動は何百年かごとに必然的に起きる。地球の問題はどうしようもない」
だが、東京電力の福島第1原発の問題は別だという。
「日本人、わけても東京電力の電力供給管内に住む関東の人々は、おごりすぎていたんじゃないでしょうか。これだけ豊かな生活を毎日享受しているんだから、事故が起きた時のことは覚悟しなくちゃいけない。それなしに遊びほうける資格はない、と僕は思うんです。日本人はそこを無視してしまった。砂上の楼閣ですよ。今回ほど『砂上の楼閣』という言葉が、言葉通りの意味で現れたことはなかったんじゃないかなあ」
--終戦記念日の8月15日深夜、東京駅に到着した幻の軍用列車。乗っていたのは、第二次世界大戦中、南の島で玉砕した英霊たち。平和を願った彼らが、平和になったはずの故国を見て何を思ったか。昨夏、放送された倉本さん脚本のドラマ「歸國(きこく)」(TBS系)には、戦時中に少年時代を過ごした自身の思いが、色濃く反映されている。
「戦後、どんどん復興していく中で、こんな豊かさを享受していていいんだろうかという後ろめたさや、こんな平和がいつまでも続くわけがないという不安感が僕の中で常にあった気がします。僕は東京での生活が嫌で北海道へ行きましたが、こんなにエネルギーを使って、電気が煌々(こうこう)と夜もついて、コンビニエンスストアは24時間営業していて、テレビも24時間放送している。ここまでやることはあったのかと思うんですよ」
震災からひと月が過ぎ、メディアの報道も被害の大きさや衝撃を伝えるものから、復興の道筋をどうつけるかに移りつつある。だが倉本さんは「復旧」という言葉が気になってしかたがないという。
「復旧って元に戻すということですよね。元に戻してはいけないと思うんです。今までのような国の在り方、人間の在り方に戻るということは、第二の原発事故を起こすことになってしまうのではないか。本来、東京が豊かさを享受するなら、東京都の中に原発を造るべきです」
穏やかな口調だが、出てくる言葉は厳しい。
「今回の事故を東電だけの責任にしてはいけない。恩恵を受けた東京人、関東人、そして日本人全体が補償しなければいけない問題です。こんなに派手に夜も電気をつけていたら、どうしたって原発が必要になる。そこを見逃してはいけない。今後、原発は要らない。だとしたら、それだけの身の丈の国にすべきじゃないでしょうか」
倉本さんは「失礼だけど……」と、本紙のある日の社説を俎上(そじょう)に載せた。
「過度の節約や萎縮に陥らず、消費することによって経済を立ち直らせ、復興を支えようと。引っかかったなあ。それじゃ、また元に戻すことになる。景気回復っていうのは、あのバブルの時代に戻せということなのか。いつも思うんです。消費を回復しなくちゃ経済が動かないというのであれば、そこから考え直さなきゃダメだって。ヨーロッパでは、エコノミー(経済)、エコロジー(環境)、カルチャー(文化)が三脚のようにバランスよく立っている状態を文明社会の定義としているそうです。日本はエコノミーだけが突出している。思想を変えてかからないと、本当の復興なんてできないですよ」
倉本さんが口にしたのは「第三の敗戦」という言葉だ。日本はこれまでに3度、負けたという。旧幕藩体制が西欧文明に塗り替えられた明治維新、連合国に降伏した第二次大戦、そして今、自然の前に敗れた東日本大震災だ。
「維新で幕末から明治の生活になった時は、思想が変わった。終戦から立ち直り、GDP(国内総生産)世界2位にまでなったのも、思想が変わったからです。ならば今度も思想を変えないといけない。日本はずっと右肩上がりの思想でやってきた。『三種の神器』という目的を果たしたら、次は『新・三種の神器』に向けて走り出す。それが達成されたら『新・新・三種の神器』。ゴールのないマラソンを走っているようなものです。いつかは心臓まひを起こしますよ。どこかでゴールを定めなければ。一番大事なことは、今までのぜいたくさ、豊かさを猛省して、これに代わる思想、気概を持つ覚悟ができるかどうかです。今こそ価値観を転換すべき時ではないでしょうか」
現在、倉本さんは富良野でNPO法人「C・C・C富良野自然塾」を主宰し、森の再生などに取り組む。地球の歴史や森の大切さを学習したり、植樹作業を行ったり、さまざまな学習プログラムの中、暗闇の中を約1時間歩く「闇の教室」がある。
「自然の中でいろいろな経験をしてきましたが、闇が一番怖い。暗闇の中にいると、人間は卑小なものだということに気づきます。闇の中に何かがいるという精神的な恐怖があるんですよ。何かとはお化け、魑魅魍魎(ちみもうりょう)に始まり、その先にはサムシンググレートがいる。人間は謙虚にならざるを得ないんです。東京には真の闇がない。もう一度、闇の怖さを知り、文明社会を見つめ直すことが大事ではないでしょうか。この夏は計画停電はしません、なんて今から言っているけど、僕はどんどんすればいいと思っている。国として、日本を変えるための計画停電を大いにすべきだと思いますよ」
今も自主的な節電の動きは変わらず、街には不夜城のきらめきはない。倉本さんのもとには、東京在住の友人や、昨年閉塾した俳優や脚本家の養成塾「富良野塾」の卒業生らから、その様子を知らせるメールが数多く届いている。
「だんだん慣れてきたと言うんですよ。生活できないことは絶対ないと。『先生が言っていた、昔に少し戻るということも、決してできないことじゃないですね』と言ってきた人もいる。僕にはその言葉は、希望でしたね」
少しずつでいい、と倉本さんは言う。「せめてバブルの兆しもなかった70年代前半ぐらいの暮らしに戻れればいい。非常に不幸な出来事だけれども、これを機に人間の生き方を考え直せばいい」
何を得て、何を捨てるか。歴史的な岐路に立たされていることを、私たちはもっと自覚すべきなのかもしれない。【小松やしほ】
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■人物略歴
1935年東京生まれ。東大卒業後、ニッポン放送を経て脚本家として独立。代表作に「北の国から」「風のガーデン」など。富良野名誉市民。
毎日新聞 2011年4月22日 東京夕刊