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【芸能・社会】

スーちゃん 肉声の遺言 「天国で被災された方のお役に」

2011年4月26日 紙面から

 21日に乳がんのため55歳で死去した元キャンディーズのメンバーで女優の田中好子さんの告別式が25日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、友人や芸能関係者ら約800人と、ファン約1400人が弔問に訪れた。喪主のあいさつでは、夫で夏目雅子ひまわり基金代表の小達一雄さんが今年3月29日に病床で収録した田中さんの最後の肉声テープを公開。死期が近いことを悟っていた田中さんは必死で声を絞り出し、志半ばで天に旅立つ無念さをにじませながら、女優としての願いを込めた“遺言”を一雄さんに託した。

 霊きゅう車が到着し、出棺を迎えようとしていたときだった。灰色の空から大粒の雨が落ちてきた。「まだ死にたくなかった…」。そんな田中さんの声が聞こえてきそうな涙雨だった。

 約15分間の通り雨が過ぎ去った後、キャンディーズのメンバーだった「ランちゃん」こと伊藤蘭(56)や「ミキちゃん」こと藤村(現・尾身)美樹さん(55)らとともに最後のお別れを済ませた夫で喪主の小達一雄さんは、位牌(いはい)を手にあいさつに立った。

 田中さんの経歴を大きな声で紹介していく小達さん。キャンディーズとしての功績はもちろん、女優業では、多かった母親役として接した22男25女の“子ども”たちに深い愛情を注いだことを誇らしげに語った。

 「(病気を克服して)復活したい」「お世話になった人たちに恩返しがしたい」。女優復帰するために病魔と闘ってきたが、死期を悟った田中さんは亡くなる約1カ月前に、その夢を小達さんに託していた。

 「残念ながら女優・田中好子としての第1章は幕を下ろしましたが、第2章、第1幕を本日よりスタートさせてあげたいと思います」。小達さんはカチンコを取り出すと高らかに叫んだ。「好子さん、いきますよ。田中好子 第2章 シーン1 テイクワン、ヨーイ!!」

 カチッという音とともに会場に流れたのは、呼吸を乱しながら声を絞り出す田中さんの肉声だった。

 「こんにちは、田中好子です。今日は3月29日。東日本大震災から2週間が経ちました。被災された皆さんのことを思うと、心が破裂するように痛みます」

 壮絶な闘病にもかかわらず被災者のことを気遣う田中さんは、さらにこう続けた。「私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもそのときは必ず天国で被災された方のお役に立ちたい。それが私の務めだと思います」

 スピーカーを通して田中さんの声を聞いていた参列者とファンから一斉にすすり泣きが漏れ、号泣する人も続出した。

 「映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった」「お礼の言葉をいつまでも伝えたいのですが、息苦しくなってきました」。志半ばで旅立つことへの悔しさがあふれ、次第に呼吸も苦しくなっていたようだ。

 約3分20秒のメッセージ。亡くなっても女優として人々の心の中で生き続けることで復活する。それが夫・一雄さんに託した田中さんの最後の夢だった。

 「いつの日か、義妹・夏目雅子のように、支えてくださった皆さまに社会に少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。かずさん、よろしくね。その日まで、さようなら」

 「カーッ(カット)、OK!!」。一雄さんは涙で顔をくしゃくしゃにしながらシーン終了のカチンコを2回鳴らし、参列者にこう約束した。

 「必ず、必ず復活させてみなさんに再び送り届けます。その日まで待っていてください」

◆スーちゃんに最後のお別れ

 25日営まれた元キャンディーズの女優田中好子さんの告別式では、キャンデーズのメンバーだった女優の伊藤蘭(56)と、芸能界を引退している藤村美樹さん(55)が弔辞を読んだ。田中さんの親族とともに最期をみとった2人。藤村さんが「また3人で歌いましょう。私たちは永遠にキャンディーズだからね!!」と悲しみをこらえながら語れば、伊藤も「ありがとう、スーさん。ずっとずっと愛してます!!」と涙声で呼び掛けて故人を悼んだ。

 弔辞は、最初に藤村さんが読んだ。藤村さんは、通夜と同様に、憔悴(しょうすい)しきった表情で遺影の前に立ち、絞り出すような声で「スーさん、なんでそんなに早く逝っちゃったの?」と語り掛けた。

 約20年間、がんと闘った田中さんは数年前に、藤村さんにがんを打ち明け、その後も藤村さんの前では笑顔を見せていたという。伊藤の夫で俳優の水谷豊(58)を交えて4人で深夜までおしゃべりした思い出を「ずっと忘れないよ」といとおしそうに語った。

 田中さんの危篤によって病室内で“悲しき再結成”となり「3人そろったあの数時間は奇跡でした。いつもなら絶対集まることは不可能なのに…」と振り返った。天に召された親友に向けて「スーさん、(天国は)どうですか?」と呼び掛け、「スーさんの分まで明るく前向きに一生懸命誠実に一日一日を生きます」と悲しみを胸に誓った。

 続いて伊藤が弔辞を読み上げた。伊藤は涙も枯れ果てたような表情で、時折遺影に目を向けて話しかけた。同じ女優として「いい仕事をして多くの人たちに感動を与えてくれました」とたたえ、がんでつらいはずの田中さんが「笑うことが一番の薬なのよ」と言う姿に、「反対に励まされた」と感謝した。

 一方で、「3人の中では一番年下で甘えん坊のスーさんが、いつの間にか強く頼もしく心豊かな女性になっていたことに驚かされました」と天を仰ぎ、涙声で「もう一度だけでいいから3人で会いたかったです。約束していたのに残念でなりません」と悔やんだ。

 田中さんとは中学生のころに出会い、キャンディーズを通じて苦楽を分かち合った。伊藤は「いつまでも特別の存在のスーさん、心から感謝してます」と語りかけ、最後に「ずっとずっと愛しています」と結んだ。

◆ファンら2200人 天に向かい青色テープ

 出棺では、キャンディーズのデビュー曲で故人も好きだったという「あなたに夢中」(1973年9月)が流れる中、ファンや関係者約2200人が田中さんと最後のお別れをした。葬儀所に集結したファンの列はおよそ100メートルにも及び、ファン団体「全国キャンディーズ連盟」のファンは赤、青、黄色の法被を着て大勢駆けつけた。

 出棺時には、ファンが田中さんのシンボルカラー、青の紙テープをそれぞれ手にして、ステージでは斜め45度に投げたのをこの日は天に向かって真っすぐ放ち、「スーちゃん、今までありがとう!!」「さようなら!!」と絶叫して別れを告げた。

 30年以上ファンという東京都の自営業の男性(47)は「心の支えであこがれの人だった。優しさをありがとう」と天を仰いだ。大阪から駆けつけた大学4年生の男性ファンは23歳で、“キャンディーズ世代”ではないが「好子」の刺しゅうが入ったハチマキを締め「すてきな笑顔で美しい人だった」と肩を落とした。

 世代を超えて愛された田中さん。東京都の会社員の男性ファン(49)は「病気はつらかったと思うが、彼女は笑顔を見せていてくれた。末っ子のイメージがいつのまにか大人になっていたよう。病状を教えてほしかった…」と無念そうだった。

 

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