求心力なし「学級崩壊」状態の復興構想会議
2011年4月21日 フォーサイト
東日本大震災に関する復興構想会議が船出早々、揺らいでいる。震災と東電福島第一原発の事故への初期対応が後手になり、批判を受ける菅政権。菅直人首相は、復旧から復興にカジを切ることで巻き返しを図ろうとしている。構想会議は、その目玉のはずだったのだが……。
会議は震災後の日本の将来像を有識者の見地からまとめ、6月に1次提言、年内に答申を出すことになっている。
防衛大学校の五百旗頭真校長を議長に、建築家の安藤忠雄氏、東大教授の御厨貴氏、脚本家の内館牧子氏、臨済宗住職で作家の玄侑宗久氏ら各界の著名人が集った。顔触れは重厚だ。この会議で夢のある提言を出して日本に元気を取り戻す。そして政権も上昇気流に乗る――。菅首相はそう目論んでいる。
だが議論は初日の4月14日から、脱線ぎみだった。五百旗頭議長は、今回の震災について「16年前(の阪神大震災)が、かわいく思えるほどだ」と発言。今回の悲惨さを強調しようとしたのだろうが、阪神大震災の被災者を逆なでする言い回しだった。五百旗頭氏は、もともと学識者の間では「言葉が軽くて話が長い」と揶揄されてきた。その懸念が冒頭から表面化してしまった。
議長職には当初、佐々木毅、小宮山宏の東大総長経験者のどちらかが就任する運びだった。だが、両氏は東芝、東電という「原発関連企業」の社外取締役、監査役を務めていたことがネックとなり、見送られたとされる。五百旗頭氏は「3番目の候補」だった。そのことは他の委員も感づいているからリスペクトが足りない。
会議は政府側と、委員が対面する形で行なわれた。委員は、意見を菅首相に向かって話す。これまでの政府の対応が十分だと思っている委員は1人もいないので、次第に菅首相をつるし上げる会のようになっていった。
「官邸の中に会議が乱立して、何だか分からない」
「福島は地震と津波と原子力と風評、この4つの大災害に見舞われている。極めてつらい」
政府の会議は、本来なら事務局がシナリオを準備し、その枠内で進む。ところが、民主党政権では今も政治主導にこだわるあまり官僚による事務局機能が機能しない。委員も事務局の言うことを素直に聴くタイプは少ない。そして、議長も全体を掌握しているとは言い難い。議論は集約せず、拡散を続ける。
菅首相は2時間半におよぶ議論の間、ノートを開き、耳の痛い発言をメモしていた。
「罵声を浴びながら眠れる」
この話には伏線がある。16年前、阪神大震災の復興委員会が設置された時、首相だった村山富市氏は、復興委の下河辺淳委員長の進言に耳を傾け熱心にメモを取った。下河辺氏は、宰相のその姿に胸を打たれ、2人の信頼関係が生まれた。今回の震災後、菅首相は官僚や有識者から報告を受ける際、いら立ったり居眠りすることが多かった。極度の疲労ゆえ、やむを得ない面もあるが、相手に与える印象が悪い。見かねた周辺が、16年前の例を引いて「メモ」を勧めたのだ。
菅首相は進言を聞き入れた。ただ、メモを取る途中、ペンが止まり、目を閉じるシーンも1度や2度ではなかった。出席者の1人は「罵声を浴びながら眠れるぐらいでないと首相は務まらないのか」とあきれたという。
委員たちの菅首相に対する忠誠心はゼロに近い。雑談の中では「1次答申を出すころ、首相は誰になっているのか」「菅さんが交代しても、この会議は続くのかな」というささやきが漏れるという。
委員間の温度差も大きい。
例えば14日の初会合で、哲学者の梅原猛氏は「この震災は文明災だ」と目に涙を浮かべながら持論を展開した。そのこと自体、委員たちに異論はないが、被災三県の知事たちは「今文明を論じ合っている時か」「その前に放射能の恐怖から解放してほしい」と思ってしまう。
本格的な日本の再創造を議論しようとすると被災地は反発する。被災地の要望ばかり聴いていると復旧の域を出ず、提言、答申は迫力も夢もないものになってしまう。「3.11後」の復興案づくりは、このジレンマを抱えながらのスタートとなった。だが指導力に大きな疑問符がつく菅首相と、「学級崩壊」の様相を呈する構想会議に、この連立方程式を解く力はあるのだろうか。
筆者/ジャーナリスト・野々山英一 Nonoyama Eiichi
Foresight(フォーサイト)|国際情報サイト
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
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