イエスという名に迫る-02
さて、イエスのヘブライ語名「イェシュア」に迫る第2弾です。
第1弾の最後に、ユダヤ人はイエスを(新約聖書に書かれている)正式名称の「イェシュア(ישוע)」と呼ばずに「イェシュ(ישו)」と呼ぶと書きました。今回はその歴史的経緯についてお話したいと思います。
・ישוע-イェシュア
・ישו-イェシュ
さて、この2つの語の違いは何でしょうか?
そう、イェシュア()の3文字目、最後の文字アイン()が消えているのです。デビット・フルッサーやシュムエル・サフライなどユダヤ人のイエス研究の第一人者たちも含む多くの学者たちによれば、イエスの住んでいたガラリヤ地方では語尾のアイン(ע)を発音しない場合が多く、1世紀に住んでいたイエスは実際に「イェシュ」と呼ばれていただろうと言われています。
ミシュナ・タルムード時代(1世紀〜6世紀)でも「イェシュ」という単語はイエス(イェシュア)だけに限らず、一般的な名前だった事が分かっています。4世紀の中ごろに書かれたタルムード・イェルシャルミ(-Jerusalem Talmud)には、イェシュというラビの名前が少なくとも2人登場します。グネザ()と言われるユダヤ人がヘブライ語を書いた入らない神を捨てる神捨て場から、この事が証明されています。
ただ時代の流れとともに、彼らの名前が忌み嫌うイエス(イェシュ)と同じなる事を嫌い、彼らイェシュと言う名のユダヤの賢人たちの名前が次々ともともとの「イェホシュア(יהושע-ヨシュア)」に改正されていき、結局「イェシュ」はイエスだけをさす言葉へと一般的な名前から変化していく事となりました。
そして「イェシュ」がイエスだけを指す、ネガティブな単語に変化した後に新しいイェシュと言う名前の解釈がユダヤ教の中で生まれました。
それはイェシュ(ישו)が、
「יימח שמו וזכרו」=彼の名と記憶が消し去られるように。
という文の頭文字だというものです。「יימשח (忘れ去られる/ように)」の「י」、「שמו(彼の名)」の「ש」、そして「ושכרו(と彼の記憶)」の「ו」。この解釈は歴史的には全く根拠がないことがグネザからの発見で証明されたのですが、未だに多くの宗教的なユダヤ人はこの解釈を信じています。
またミシュナの解釈により、イェシュアを元の名前の「イェシュア」と呼ぶ事をユダヤ人は禁じられています。なので、宗教的なユダヤ人たちはイェシュアという本当の名前を知って、あえて蔑称のような形でイェシュと呼んでいるのです。
ではイスラエルの人口の大半を占める、世俗的なユダヤ人はどうでしょうか。確かに彼らもイエスの事をイェシュアではなくイェシュと呼んでいますが、彼らはイェシュという1語にラビ・ユダヤ教が作り上げた軽蔑・嫌忌の意がある事を知らない人間が多いです。イェシュがもともとの名前だと思っている人間も意外と多いのです。
なので今は新聞や学術文書や本などではたいていはイェシュと言う言葉が使われています。多くの人にとって別に軽蔑や嫌忌を彼に対して持っている訳ではありませんが、「イェシュ」の方が一般に認知されているという事と、さすがに前の記事で紹介したようにイシュアには「救い」と言う意味があるのでさすがに彼を「イェシュア(救い)」と呼ぶのはまずいと言う思いから、イェシュと言う方をほとんどのところで目にします。
なので、イエスに対してのアレルギーはイスラエルでは取り除かれつつありますが、95%はイェシュがまだ使われているのがイスラエルの悲しい現状です。
イスラエルで1日も早くイエスが救いの「イェシュア」と呼ばれる日が1日も早く来るよう、お祈り下さい。
私たち日本人もそうですか、ユダヤ人にとってもイエスとはまだこんなイメージ、西洋のスーパースター。
中東臭さは中世の美しい絵画には微塵も描かれていません。
|
コメント(27)