アニメーション制作の転換−「ほしのこえ」という方法−

胸永 晃考

目次

1 はじめに

1.1 短編アニメ「ほしのこえ」

2002年2月、東京にある短編映画専門の映画館で一本の短編アニメーションが封切られた。50人程度しか入らない映画館で、わずか24分の作品であった。劇場用アニメーションとしてはかなり短い。しかし、その作品は大きな反響をよんでいく。作品そのものの出来映えが優れていたのは勿論であるが、それ以上に話題になったのは、この作品がほぼ一人の手によって作られたということである。それまで無名だったCGクリエイター、新海誠の個人制作であった。テレビで流れているアニメーションに優るとも劣らないクォリティの作品をほぼ一人で、それも1台のパソコンを使って独力で作ったということが、非常な衝撃を与えた。その短編アニメは「ほしのこえ」1)というタイトルであった。 それまでアニメーション制作は作業量が膨大であり、アマチュアの人間が一人で行うことは不可能とされていた。しかし、「ほしのこえ」はそのような一種の「常識」を覆す作品であった。それは「たった一人の映像革命」とまで言われ、インターネット上での口コミとDVDの大ヒットを経て一種のムーブメントを形成していったのである。

1.2 「ほしのこえ」へのアプローチ

 さて、本稿ではこの「ほしのこえ」について分析をしていく。アニメーションの作品研究といえば文学作品を読み解くような作品論的アプローチがよく行われる。ある作品が何を、どのように描いているかについて書かれた書籍、論文は多い。この「ほしのこえ」についても同様な言説は数多くでている。また現在的なアプローチとしては、アニメを商品として捉え、それをどのように売っていくかというコンテンツ・ビジネスという視点もある。 アニメに対してはこのようなアプローチが多いが、本論では制作体制に焦点をあてて分析していく。「ほしのこえ」の制作方法を週間アニメや劇場アニメの制作体制と比較しつつ、ほぼ一人でのアニメ制作が可能であった要因は何であるかを探っていく。さらに、一人でアニメが作れるということがアニメ産業にとってどのような意味合いをもつのかを考えていきたい。現在、にわかに行政や経済界から注目を浴びているアニメ産業であるが、ベルリン映画祭の授賞式での宮崎駿監督のアニメ界の「どん詰まり」2)発言にみられるように、業界全体は依然として厳しい状態におかれている。しかし、アニメ産業をはじめとするコンテンツ産業やソフト産業といわれる、物財でない何かを生産する産業は今後ますます拡大するだろう。その中でこれからのコンテンツ制作がどうなっていくかを考えるにあたって、「ほしのこえ」の方法論は非常に示唆に富んだものだろう。

2 「ほしのこえ」の経緯

 「ほしのこえ」の分析に入る前に、そのムーブメントの経緯をまとめておく。ここでは、三つの段階に分けて整理をした。実際に作品を作る制作段階、その作品を発表する発表段階、そして「ほしのこえ」がムーブメントとなっていく伝播段階の3つである。

2.1 製作段階

 「ほしのこえ」の製作開始は2001年3月である。実質の作業期間は11ヶ月であり、そのなかでも実際に映像制作に要した期間は7ヶ月である。ただし、構想は2000年の6月頃から練られていたようである。その頃から、予告編として制作途中のムービーを少しずつウェブサイトで公開し始めていた。そして、2000年12月には予告編を収録したCDの販売も行っている。そして実際の作業に専念し始めるのが2002年3月頃であった。4月には新海は所属していたゲーム会社を退社し、「ほしのこえ」制作に専念する。漫画家やデザイナーの版権管理業務を行うコミックス・ウェーブという会社との契約作家となり、独立する条件が整ったことを受けてである。8月頃には25分弱という長さがみえてきたという。そして2002年2月に「ほしのこえ」は完成する。  新海にとって「ほしのこえ」が初めての映像作品というわけではない。所属していたゲーム会社ではゲームのオープニング・ムービーを手がけていた。自主制作では1997年に「遠い世界」という1分半ほどの短いアニメーションを作ったのが最初である。その後、1999年に制作された「彼女と彼女の猫」で新海はCGクリエイターの中で注目を集めるようになっていく。これらの作品を経て、「ほしのこえ」は制作された。

2.2 発表段階

 「ほしのこえ」は2002年2月2日、東京・下北沢にある「トリウッド」という短編映画専門のミニシアターで上映された。上映は約一ヶ月間続けられた。また、同年の2月15日から17日に東京都主催で開催された第1回「新世紀東京国際アニメフェア21」に出品。公募部門・優秀作品賞を受賞した。このコンテストへの出品時に、秋葉原に店舗を構えるゲームやビデオのディーラーや漫画やビデオ、キャラクターグッズの小売会社から小売り契約の申し出もあったという。それを経て、同年4月にはDVDが発売され、1ヶ月で1万枚以上を売りあげる。地上波放送のアニメDVDは平均して3,000〜4,000枚の売上げという(大塚英志ほか 2002)から、「ほしのこえ」は大ヒットである。それもアマチュア作品、いわばインディーズ作でこれだけのヒットを飛ばしたのだから空前の事態である。

2.3 伝播段階

 この「ほしのこえ」のヒットの土壌を作ったのが口コミである。それも、ただの口コミではなく、インターネット上でハイスピードに伝播した口コミである。特に、そこにはテキスト系サイトと呼ばれる個人運営のニュース・サイトの力が大きい。そこでは、「2時間前に下北沢で起きた出来事が写真も撮ってすぐ報道されてしまう」(大塚ほか 2002: 64)のである。それが自主制作映画で3,000人集めたというような、小さな事件であっても拾い上げてネットに掲載される。アニメ雑誌などのマスコミで取り上げられるより、ずっと早くこのような個人のホームページで紹介されたのである。そして、それを見た人が、またメールや掲示板などで情報を伝えていく。その評判はたちまち、ネットを駆けめぐるのである。  また、新海が「Other voices―遠い声―」という自身の個人サイトを持っており、簡単に「ほしのこえ」の予告編映像を見ることができたという点も大きい。口コミで聞きつけてきたことを元に実際の作品を見ることが簡単にできるのである。検索サイトや個人のニュース・サイトなどからホームページへ辿り着き、そこで作品に触れることができる。実際に東京の下北沢トリウッドまで足を運ばなくても、上映が終わってしまっていても、ネット上で作品を見ることができる。インターネットによって受け手と送り手の距離は一気に近づいたのである。  このように、「ほしのこえ」がムーブメントを形成していく上で、インターネットでの個人の情報発信が重要な役割を果たしていた。

3 商業アニメと「ほしのこえ」

 本章では、アニメーションとはどのような表現方法であるのかを踏まえた上で、商業アニメと「ほしのこえ」の制作方法を比較する。商業アニメの制作体制と比較することで、1人でアニメを作るとはどのようなことであるか考えてみたい。

3.1 アニメの作り

 まず、アニメーションはどのような表現方法か詳しくみていく。

 簡単にいえば、アニメーションとは人間の目の残像現象を利用して、ものが動いているようにみせるという映像表現である。映画と同じ理屈であるが、実写ではなく絵画や静物などを操作して動いているかのように見せるのが特徴である。アニメーションの語源は「Animate」であり、命を吹き込むという意味である。それは、広義には非生物があたかも生命を持ち、動いているかのように見せる表現のことである。人形のマリオネットや、指人形、影絵などを動かすこともアニメーションに含まれる(櫛田磐・櫛田真澄 2001)。また、粘土細工を徐々に変化させて動いているように見せるクレイ・アニメも、よく見られるアニメーションの一種である。

 単に「アニメ」と言う場合は、より狭義にテレビ放映されたり、劇場で公開されているセル・アニメを指す。初期の頃は、セルロイドの透明なシートに絵を描いていたためこのように呼ばれる。セルロイドは透明度や可燃性の問題から、アセテート製の透明シートにすぐにとってかわられた。現在では、そのようなセルといわれる透明シートを使うことすらほとんどないが、セル・アニメという呼称は生き続けているのである。もちろん、原理は広義のアニメーションと同じである。少しずつ異なる絵を、短い時間で表示することによって動いているように見せるのである。このようなセル・アニメは、まず漫画的な絵であることが一つの重要な要素である。漫画的な絵を連続して見せることによって、その絵が動いているようにみせる。それによって物語を紡いでいくのが、いわゆる「アニメ」である。以下、単にアニメと表記する場合、このような狭義のアニメーションを指すこととする。

 アニメはフィルムで撮影するため、そのコマ数だけ絵をかかねばならない。具体的には映画用フィルムは秒間24コマであるから、1秒に24枚の絵が必要となる。毎週30分のテレビ・アニメの場合、単純に計算すれば24コマ×60秒×30分であるから43,200枚の絵が必要なのである。このように、フィルムの全コマに絵を描いて作られたアニメをフル・アニメという。ディズニーアニメはこのフル・アニメで制作されてきた。

 ただ、フル・アニメの作業量は膨大である。そこで、日本のアニメ制作現場ではフル・アニメはほとんど制作されない。省力化のために絵を省いて、作るのである。1枚の絵を3フレーム撮影することで、1秒に8枚の絵だけで済ませる。動きの早いところは、秒間12枚にしたりする。秒間24コマのすべてを描くのではなく、秒間8枚〜12枚で動きを見せるのである。このようにして作られたアニメを、リミテッド・アニメという。秒間8枚というのは人間の目で絵が動いて見える限界の枚数であるが、逆に動きにメリハリがつくという利点もある。この手法と演出側の工夫によって、30分アニメの作画枚数は約4,000枚(櫛田ほか 2002)に圧縮される。これは、日本のテレビ・アニメ、劇場用アニメ独特の技法である。ちなみに、現在ではフィルムに撮影することはほとんどないが、この秒間24コマを基本に制作されている。

 このような、キャラクターなどの動く部分はセルという透明なシートに描かれる。これに別に描かれた背景を重ねて撮影する。そして、編集でカットを繋ぎ、別に録音したBGMや台詞などを乗せればアニメの完成となる。

3.2 商業アニメの制作体制

 では、具体的にどのような制作体制の元で、どのようなプロセスを経てアニメは生み出されているのだろうか。

 実際のアニメ制作のプロセスは、大まかにいうとプリ・プロダクション、実際の制作、ポスト・プロダクションの三つに分かれる。プリ・プロダクションはキャラクターの設定やシナリオ、絵コンテなどの実際の映像制作以前に必要な作業である。実際の映像制作は、そのシナリオを元に書かれた絵コンテから、原画、動画を描いて撮影することである。ポスト・プロダクションはその撮影された1カット1カットを繋ぎ合わせて、特殊効果を施し、別に撮った音を載せるという作業である。

 「アニメの描き方」(代々木アニメーション学院・AIC 1996)を参考に、さらに細かくみていこう。全体のプロセスが図1のようになっている。まず始めに企画がある。テレビ局、代理店、制作会社のプロデューサーにより、どのようなアニメを作るかという企画が立てられる。場合によっては、DVDの発売元のようなパブリッシャー3)も参加する。企画が固まれば、企画書の形にしてスポンサーやテレビ局にプレゼンテーションを行う。そしてアニメ制作が決定すると、1話ごとの脚本を書いていく。テレビ・シリーズの場合、複数のライターが担当しチーフシナリオライターが統括することが多い。次に、絵コンテを切る。脚本を元に、どのような画面にするかより詳細に絵をつけたものである。キャラの演技、カメラワーク、台詞、場面構成、音楽、効果音、これらの全てを指定した、いうなればアニメの設計図である。この絵コンテも、複数の演出家が1話ずつ切ることが多い。脚本や絵コンテは監督が自ら書く場合もある。絵コンテをさらに一枚のラフ絵に起こして、背景とキャラクターの動きを示すのがレイアウトである。場合によっては絵コンテがレイアウトを兼ねることもある。さらに、動きの要点だけを原画という形で描く。つぎに、原画と原画の間の動きを繋ぐ絵を描くのが動画である。ここで作画監督が、キャラクターの同一性が保てるよう原画・動画をチェックしアニメーター毎のクセを修正する。その紙に書かれた動画を機械を使ってセルに写すのが従来のやり方であったが、現在ではスキャナーで取り込み、コンピュータ上でペイント・ソフトを使って着色するのが主流である。こうして出来た動画を背景素材と合わせるのだが、この撮影もその後の編集もコンピュータ上で行われる。現像の工程も、デジタル化によってフィルムは使わないので省略される。完成した映像に合わせて、声優が台詞を吹き込むのがアフレコである。出来上がった映像に、アフレコで撮られた音声を入れるのが、次のダビングの工程である。そして、最終的な提供フォーマットに合わせて出力することをプリントという。こうしてアニメは完成し、最終的に受け手に届けられるのである。

 これらの全ての工程は厳密に分業化されている。各パートは、それぞれについてのプロフェッショナルであり担当以外の工程に参加することはまずないのである。アニメにおいても生産性を高めるために、このような専門分化された職能集団による制作体制を敷いている。アニメのクォリティを上げ、制作スピードを上げるために必要なのである。

 例えば、動画、原画という傍目で見れば同じキャラクターを描くプロセスで分業の必要がないように見えても、分業しているのである。動画と原画では求められる能力が違うというの理由の一つである。原画は多少時間がかかっても、きちんと動きのポイントを描き出すことが求められる。一方、動画は中割りといわれる原画と原画の間の動きを補完するような絵を描くのである。動画で必要なのは描くスピードである。求められる仕事内容が異なるから、原画と動画とで分業しているのである。同じ絵を描くのでも、背景美術と動画・原画では必要なスキルはさらに大きく異なる。

 また、日本におけるアニメ制作で特徴的な点について高畠勲は一種の集中管理システムができている点を指摘する。脚本や演出などのメインスタッフが作品の質をコントロールするためのシステムである。高畠は日本的な制作システムについて、その一つにレイアウト先行制の普及を上げている。背景とキャラクターの動きを実際の作画前に示すのがレイアウトであるが、監督や演出家などのメインスタッフがレイアウトを完成させることが一般的になっているとしている。この方法により、「メインスタッフの意図と意匠を徹底する役割を果たすとともに、以降の作業がそこから外れていかない歯止めとなり、作品の統一感・一貫性に寄与する」(大塚康生 2001: 255)のである。いうなれば、アニメ制作におけるクォリティ・コントロールである。このような、集中管理システムは作画パートと演出パートの完全な分離であるともいえよう。また、ピラミッド構造的な生産システムがより一層明確になったともいえる。作画に従事する多くの人間に的確にイメージを伝えてまとめ上げるような、上意下達のシステムを固めていったのである。それは、テレビ・シリーズの制作、具体的には「アルプスの少女ハイジ」の制作にあたって「短期決戦が連続する殺人的スケジュールの中で、作画他の玉石混淆の外注スタッフの力をフル活用しつつ、出来る限り質的に高い作品に仕上げるため」(大塚 2001: 256)であった。

 つまり、アニメの制作体制は、基本的に1週間で30分という極めて短いサイクルで品質の高い作品を生み出すことを目標に組織されてきたのである。それは、アニメーターである前田真宏が指摘するような「長編作品を一定期間内に作るやり方」であり「マスプロに向いている」(大塚ほか 2002: 199)方法である。それは各パートのプロフェッショナルの分業による労働集約型の制作体制であった。現在のテレビ・アニメに関わるスタッフの数は、延べ100人以上になるという(代々木アニメーション学院・AIC 1996)。そして、より生産性を高めるために、監督や演出などのメインスタッフを頂点とし、実際に作画を行う人間が何十人といるようなピラミッド型の制作体制を敷いているのである。

3.3 「ほしのこえ」の制作スタイル

 さて、では「ほしのこえ」は商業アニメと比べてどうであろうか。先に述べたように「ほしのこえ」はほぼ1人で作られたのである。脚本、絵コンテ、作画、編集の全てを新海自らがこなした。さらに、本人が声まであてている。

 個人制作であるから、もちろん分業などない。1カット完成させてから、次のカットへ移るというように、順番に制作を進めていったのである。これは、商業アニメとは最も異なる点である。商業アニメでは、1カットの映像をきっちり完成させてから、また次のカットの制作に入るということはない。個別に、キャラクターと背景、メカの担当が分かれており、そこで描かれたものをまた別の合成担当が一つのカットにしていくのである。いわば、流れ作業的にカットが仕上がっていくのである。そこには各パートでの連繋はほとんどないのである。

 だが、「ほしのこえ」ではそれらの個別作業を1人で1カット毎に順々にこなしていったのである。だから、背景やキャラクター、メカを描くときに、その度ごとにそのパーツに最適な技法を選択することができる。それは具体的には様々なソフトを1人で使って、「2Dと3Dの使い分けについて特に意識せずに、イメージを形にするのにてっとり早い手段をその都度選択している」(新海誠 2002a)のである。それが出来るのも、1カットを完全に作家がコントロールすることができる個人制作ならではであろう。集団作業によって作家のイメージがぶれることなく、非常に純度の高いまま絵に定着できるのである。

 ただし、この手法は時間がかかる。「ほしのこえ」はプリ・プロダクションとポスト・プロダクションを除いた、実際の映像制作に7ヶ月かかっている(新海 2002c)。「ほしのこえ」の長さは24分であるが、これはテレビ・アニメとほぼ同じ長さである。長さだけみれば、テレビ・アニメの制作体制なら一週間で完成するところに7ヶ月かかってしまうのである。これが膨大な作業量を1人でこなさねばならない個人制作の限界でもある。

 さて、映像は新海1人の手によるものであるが、音楽だけは別の作家に依頼している。この音楽を制作した天門と新海の関係も、分業というよりは協働の関係という方がしっくりくる。というのも、「絵コンテを繋げたコンテムービーを最初に作って、厳密にタイミングを決めてこれに曲をつけてくださいって頼んだんです」(新海 2002b: 70)と語っているように、まず新海の作る映像ありきで音楽をつけたからである。新海という作家を音楽という面からサポートしたと言えるだろう。

 これに最も類似する制作スタイルは漫画制作において、漫画家にアシスタントがつくスタイルであろう。漫画家はネームといわれる絵コンテに相当するような設計図を描き、キャラクターなど作品の核となる作画をほぼ1人でこなす。仕上げのような単純作業や、背景のような誰が描いても大差ないような作画作業をアシスタントがこなすのである。どこまでアシスタントに任せるかは漫画家それぞれである。ただ、各パートのスペシャリストによる分業体制ではなく、あくまで漫画家という作家の才能をサポートするという形をとるのである。

 「ほしのこえ」の制作スタイルは、基本的に全工程が作家の単独作業である。他に数人が関わっているが、分業と言うよりは核となる作家とそれをサポートするアシスタントという形である。そして、時間はかかるが非常に純度の高い作品を仕上げることができる。集団作業による制約によって作家の意図が乱されることなく、それはストレートに最終的な作品に反映されるのである。

4 「ほしのこえ」を成立させたもの

 本節では個人でアニメを作ることが可能であった要因をさらに深くさぐっていきたい。もちろん、それが新海氏個人の力量に負うところは大きいだろう。だが、ただ単に優れた感性を持ち、膨大な作業量をこなせる人だったからというだけではないだろう。やはり、外部の要件が揃っていなくてはこのような形で「ほしのこえ」は生み出されなかった。それはアニメの情報財としての特性、パソコンの発展に集約される高性能のハード、ソフトの普及、そして新海自身の経歴、これら3つが主な要因だと考えた。

4.1 情報財としてのアニメ

 「ほしのこえ」というアニメが商業作品と同等、もしくはそれ以上の評価を得ることができた、その要因の一つはアニメそのもの特性ではないだろうか。特に作品を流通させる過程において、その特性が非常に強く影響していたのではないだろうか。本節では、このアニメの特性について情報財という概念をあてはめて考えていく。

 情報財は一口に言えば「商品化された情報」(福田豊ほか 1997)である。アニメのDVDを売る、買うといったとき、それはプラスチックの円盤に対してお金を支払っているのではない。DVDというディスクそのものではなく、DVDに載せられたアニメや映像に対価を支払っている。売り買いの対象となるのは、そこに載せられたものではない何かである。そのような内容はコンテンツやソフトといわれる。経済活動の対象となるものを財というが、その中でもコンテンツは情報財といわれる財である。

 情報財をあつかう際の情報について「一般用語としての情報と区別して、経済の情報化を論じるため」と限定した上ではあるが、「デジタル化されネットワーク化された情報を私は<情報>と記述する」(秋山哲 2001: 93)という定義がある。より狭義で、非常に現代的な定義である。さらに、この定義に基づいて「映像を作り、アニメを制作している人たちも、それをデジタル化し、ネットに流す瞬間に<情報>を生産したことになる」(秋山 2001: 103)とアニメについて言及している。元からパソコンによって制作された「ほしのこえ」はまさにこの定義の情報財なのである。この定義にのっとって考えると、情報財の特質がわかりやすい。

 それでは、個人でアニメを制作し公開するにあたって、それが情報財であることがどのような意味をもつだろうか。情報財は、第一に頒布するためのコストが非常に低い。情報財の特質の一つに「限界費用がゼロ」(秋山 2001: 95)というのがある。「<情報>財は、1000個生産しても、1001個生産しても、そのコストはほぼ同じである」(秋山 2001: 117)というのが「限界費用がゼロ」ということである。この特性により、情報財の生産コストは極めて小さい。正確に言えば、「情報財の生産は、(<情報>財でない場合も含めて)1回切りである。最初の情報開発作業にかかるコストが生産費用であり、後は複製の工程である」(秋山 2001: 111)ということになる。アニメでいえば、一本のマスター・テープが完成すれば、そこで生産は終わりである。後は、そのマスターを様々なメディアへコピーしていくだけである。CDやDVDを生産するというのは、コンテンツをコピーする工程なのである。物財のメディアに載せる以上、その原材料費や設備費が必要となるが、物財に比べれば非常に小さいコストで量産できる。つまり、情報財は安価に大量に複製することが可能である。

 しかも、少量の生産でも安価なのである。このような、DVDやCD、ビデオはパッケージという形態である。パッケージ型の特徴は「利用者を数千と設定しても商業的に成功するのはパッケージだけ」(浜野保樹 2003: 138)というように、極めて少量でも生産できる。法人に限らず、個人相手に1,000枚程度からDVDやCDの生産を請け負う企業もある。その一方で、パッケージ型の一つある音楽CDなどは100万枚を売上げるものもある。提供できる数量の幅が非常に広いのが特徴である。

 ただし、生産がいくら安価であっても流通にかかるコストはまた別である。複製コストは小さいが、その作ったものを流通させるにはやはり一つの壁がある。いまのDVD流通経路を使って、個人で作品を流通させることは難しい。実際、「ほしのこえ」本編のDVDもある企業が発売元となっている。CDやDVDはレコード会社や映画会社から取次店というものを経て、小売店に流される。音楽CDだとインディーズという自主制作のジャンルがあり、生産枚数が少ない作品でも流通経路はある。一方、自主制作アニメや映画にはそのような流通経路はまずなかった。アニメの発売元となるのはレコード会社系列や映像機器メーカー系列のパブリッシャーだった。そこに個人制作作品で食い込む余地はほとんどない。個人作家が作品を受け手に届けようとすれば、映像関係のコンテストやコンペ、映画祭などで作品を上映してもらうか、手売りするかぐらいしかなかったのである。自主制作作品が流通する範囲は極めて限られていた。

 かつては、不特定多数に映像を届けることは個人でできるものではなかった。放送や上映など、非パッケージ型で映像を全国に届けようとすれば、パッケージ以上の困難があった。テレビで放送するか、映画会社で配給してもらう以外に方法はない。巨大なマスコミを通す以外になかったのである。全国ネットのテレビで放送や、全国の映画館への配給には、膨大な設備と巨大なシステムが必要である。それをなしうるのは、やはり巨大資本によってインフラを整えたメディア産業だけである。個人がいくら優れた作品を持っていったところで、テレビ局の編成に割り込んで放映してくるはずがない。実際、「ほしのこえ」のDVD発売元のプロデューサーはテレビ営業もおこなっていた。その時の状況について「ほしのこえ」の販売元の川口典孝は「また、作品が出来上がったら、持ってきてよ、って言われてそこで終わり(中略)無名の人が作った24分のアニメ、かけられないですよね」(大塚ほか 2002: 45)と語っている。やはり、メディア産業の前に個人は無力であった。

 しかし、情報財の重要なもう一つの特性によって、個人が映像を届けることが可能になった。それがネットワークである。デジタル化された情報財であれば、ネットワークを通じて流通させることができる。具体的にはインターネットを通じての映像配信ということである。それは「ほしのこえ」においても重要な役割を果たしていた。確かに、本編はDVDというパッケージにされ、企業の手によって流通経路にのせられた。しかし、DVD発売以前に前評判を作ったのが、ホームページに掲載された予告編である。「Other voices-遠い声-」というタイトルで新海は個人のWebサイトを持っている。2003年11月現在で、そのWebサイトは180万件のアクセスを記録している。単純に計算すれば180万人が新海の絵やメッセージを目にしたことになる。そこでは、短いながらも予告編の映像も公開されている。かつて、個人でこれほど多くの人に映像を届けることができたであろうか。

 インターネットは、1対n型のコミュニケーション領域では格安のメディアであるとされる(カルチュラルエコロジー研究委員 2001)。それまで個人では負担できるものではなかったマス・コミュニケーションのコストが、一気に個人の手に届くレベルにまで小さくなった。ホームページを作りさえすれば、どんなものでも大ヒットするというわけではない。あくまで物理的条件が整っているだけに過ぎないが、その意味は大きい。インターネットは初めて個人が手にしたマス・コミュニケーションの手段といえるだろう。

 そして、インターネットでは情報財を直接流すことができる。「コンテントがデジタル・データで制作されるようになったため、インターネットで誰でもが配信可能になった」(浜野 2003: 148)のである。文字や画像は情報量が少ないため、早い段階からネットワークでやりとりされていた。ただ、映像は文字と比べて膨大な情報量がある。そのため、長らく通信回線の容量不足や端末側の再生能力不足などの技術的な問題があり、インターネットで映像を送ることは不可能であった。しかし、ブロードバンドや映像圧縮技術の発展とそれを利用するためのパソコンの性能向上があって、これらの問題は解消されていった。ADSLなど、映像を受けるに十分な通信速度を備えたアクセス環境が個人向けに低価格で提供されるようになってきた。そして、作った映像を置くためのインターネット上のスペースも個人向けに低価格で提供されている。たいていのプロバイダは、接続サービスと共にホームページ・スペースの提供も行っている。無料でホームページを開設できるサービスを提供する企業もあるぐらいだ。このように末端ユーザーのレベルでも、インターネットを通じて映像を送受信できる環境が整ってきたのである。インターネットによって映像作品を受け手に届ける流通経路を個人も手にしたのである。

 つまり、アニメという情報財だからこそ、個人制作でも商業作品と同じ土俵で戦えたのである。もちろん物財でも、企業の作ったモノを超えることは可能だろう。しかし、それはあくまで単品同士を比べた場合に過ぎない。需要に応えて商品を生産して最終消費者に届けるまでの過程を考えれば、個人と企業の格差は歴然としている。どれほど多くの需要があったとしても、個人で応えきれる範囲はそれ程大きくない。情報財と物財の違いは、まさにここにある。情報財は一度作れば後はコピーするだけであるから、無限の需要に応えうる。しかも、インターネットの出現により、全世界に届く流通経路さえも個人で利用できる。物財ではインターネットなどのメディアを通じても、作品そのものを数多くの受け手に届けることはできない。だが、「コンテントは財そのものをインターネットで送ることができる」(浜野 2003: 148)のだ。個人制作でも商業作品と同等に渡り合えたのは、それが情報財で流通過程の壁を破りえたからなのである。

4.2 パソコンという武器

 福田らは企業内で蓄積された情報を利用するための情報処理能力の向上に着目し、「これまで出来なかった情報処理が外部委託しなくても個人でより簡単にできるようになってきた」(福田ほか 1997: 126)としている。このような動きは企業と個人という関係でも起きてはいないだろうか。かつては企業主体で生み出していたものを個人が生み出す、その先駆けの一つが「ほしのこえ」であろう。また、コンテンツ産業において新規参入がしやすい状況にあることについて、「かつてはレコード会社や映画会社などは高価なスタジオを持ち装置産業化することで、人材を抱え込んでいた。(中略)制作技術が廉価になるに従い、誰でもが創作活動をできるようになっている」(浜野 2003: 32)という動きもある。「ほしのこえ」以前、個人ではそれほどクォリティの高いアニメは作れないとされていた。その一因が「装置」、すなわち機材だった。個人で使える機材などたかがしれていると思われていた。だが、「ほしのこえ」は個人制作でありながら、個人制作に予期されるクォリティを遙かに上回る作品であった。企業に属さなくとも創作活動を行え、そのクォリティも商業レベルに匹敵できることを立証したのである。では、具体的に「制作技術を廉価」にしたのは何だったのであろうか。

 「ほしのこえ」の制作過程をみたとき、最も注目されるのはそれが1台のパソコンで行われた点である。それは「Power Mac G4」という商品名のパソコンであるが、これは特殊な機材ではない。大都市の電気店にいけば陳列棚にディスプレイされているような、ごくごく普通のパソコンである。この極めて普通のパソコンでも、アニメは作れるのである。様々な周辺機器を追加してはいるが、その中核にあるのはパソコンである。

 情報機器の普及と発展はパソコンに集約されていると考えてもよいだろう。個人の情報処理能力を飛躍的に高めたのがパソコンである。1970年の末に世界初のパソコンが売り出され、1980年代以降コンピュータ市場で大きな位置を占めるようになってきた。パソコン登場以前、コンピュータといえば大型コンピュータが企業に1台あって、いくつか端末が繋がっているというような状況であった。1台のコンピュータを複数の利用者が時間を分け合って使っていたのである。そこではコンピュータは個人で気軽に扱えるものではなかったのである。やがて、半導体技術が発展し「コンピュータの高性能化、低価格化が進むにつれ、1人の利用者に分け与えられる資源は次第に豊になり、やがて1人1台のコンピュータを占有することが許されるようになった」(下条善史 2000: 122)のである。このようなコンピュータの個別化と分散化の流れであった。それまで企業に1台だけだったコンピュータが個人で使えるパーソナル・コンピュータ、パソコンになり、様々な場所で使われるようになった。そして、1984年に「図像、音声、映像などの表現形式を一元的に取り扱うことを前提としたパーソナル・コンピュータ、マッキントッシュが発売され」(浜野 2003: 21)、音楽や映像、イラストレーションのような芸術的分野を扱うといった、コンピュータの新たな使い方が生まれた。何らかの創作活動をしようというときに、パソコンは新たなツールとなったのである。ちなみに、この初代マッキントッシュから数世代をへた直系の後継機が「ほしのこえ」制作に使用された4)。パソコンの性能の向上につれて、今まで個人で出来なかったことが次々と可能になっていった。音楽制作にコンピュータがいち早く導入され、DTM(desktop music)が可能となり、印刷物はDTP(desktop publishing)、映像はDTV(desktop video)、放送はDTB(desktop broadcasting)といったように(浜野 2003)である。これらは、パソコンの性能向上につれて業務用の高性能コンピュータからパソコンへと広まってきた。

 特に映像については、ハリウッドの映画産業や日本のゲーム業界を頂点にした映像処理技術の発展があった。映画産業では煙や炎などの特殊効果(SFX=Special Effects)を、低価格でよりリアルに、より迫力あるものにするためコンピュータ・グラフィック(CG)の利用が進展していた。そして、徐々に映画のすべてをデジタルで、コンピュータで作るようにもなってきたのである。その代表格が1996年のディズニーアニメ「トイ・ストーリー」であった。このようなCGやSFXといったコンピュータによる映像の加工や生成は1990年頃から一般的になり始めた。コンピュータで映像を扱うための共通規格が制定され、それに合わせて映像編集ソフトも発売された。それ以前、1980年代から映像をコンピュータで扱おうという動きはあった。ただ、映像は文字と比べて情報量が格段に大きい。映像の加工、生成には高性能なコンピュータと特殊なソフトが必要である。黎明期は、映像処理専用の大型コンピュータとそのコンピュータでのみ動作する専用のソフトが必要というような、1960年代の大型汎用機のような状態であった。それは企業向け、プロ向けに作られた機材群であり、コンシューマ向けに売られることはなかったのである。映画産業用であり、一般ユーザーが手にできるほど安価なものではなかった。

 しかし、ここにも個別化と分散化の流れは確実に存在していた。パソコンの性能が向上するにつれて、その状況は変わっていった。ほんの4、5年前までパソコンでテレビ録画などは考えられなかったが、いまやさほど高性能をうたわない機種であっても録画機能を搭載している。パソコンで映像をデジタル化して取り扱うことができるのである。今日、家庭用のパソコンでも十分に映像をあつかうに耐える性能を備えている。パソコン・ショップへ行けば、映像編集ソフトや特殊効果ソフトが売られている。これらを用いれば自前で映像を編集することができる。ゲームのような3D映像を生成するためのソフトも、店頭で売られている。価格も高くて10万円前後であるから、決して手に入らないほど高価というわけではない。しかも、その中のソフトの多くはプロユースにも耐えられるソフトなのである。いまでも、リアリティを追求して高精細な映像を作ったりするなら、やはり専用の高性能コンピュータと専用ソフトが必要であるが、個人で入手できるソフトでもプロの現場で通用するものは数多くある。かつて、プロ向けに作られたソフトでも、家庭用のパソコンの性能が向上するにつれて一般ユーザー向けにも売られるようになってきたのである。実際のアニメ業界でも、アニメ制作専用ソフトでなく一般ユーザー向けにも売られているような汎用の映像編集ソフトを使用する制作スタジオもある5)ぐらいだ。それほどまでに、現在のパソコンの性能は高まっており、ソフトもよく売られている。

 さて、個人で映像を編集、加工することはできるようになってきた。しかし、乗り越えなければならない技術的な壁はもう一つあった。それが、業務用と民生用の規格の違いである。かつては、業務用に耐える映像規格をあつかうことは非常に困難であった。映画を例にとってみれば、家庭用は主に8ミリフィルムで劇場用は35ミリフィルムであった。その性能差は歴然としており、大がかりな機材を必要とする35ミリフィルムを一般家庭で使うことはまず不可能であった。テレビでも家庭用に作られたVHSを放送局での録画業務に用いることはほとんどなかっただろう。テレビで視聴者が自前のビデオカメラで撮影した映像が流されることがあるが、明らかに画質が劣っていた。テレビ放送や市販のアニメと同等の画質にしようとすれば、業務用の規格にあわせねばならない。これまで、個人制作ではこのような高規格に載せることが難しかった。これは一つの技術的制約となり、商業アニメと個人制作アニメには明確な画質の差があった。

 現在の映像規格の一つに、DVDで用いられるMPEG2という規格がある。デジタル化された映像についての世界標準規格である。商業アニメと遜色ない画質にし、主流もメディアであるDVDに載せるにはこのMPEG2規格で最終的な映像を作らねばならない。それは高画質な一方、情報量が膨大であり再生だけでも高い性能が求められる。DVDが登場したて90年代末頃はDVD再生専用機で視聴するしかなく、またパソコンでも高性能機に専用の読み取りドライブを別買する必要があった。編集や加工をすることは、やはり不可能であった。

 だが、パソコンの性能向上はそれにも追いついた。2000年には、ついにMPEG2規格の映像をあつかえる性能に達した。わかりやすくいえば、DVDを個人でも作れるようになったのである。パソコンの性能向上につれて、個人制作であっても業務用の高規格に合わせることが可能になってきた。

 つまり、業務用が絶対優位という状況は崩れつつあり、家庭用でもプロの機材に引けを取らない性能を有するようになってきた。パソコンの性能向上で、画質の壁を越えたのである。画質という、やはり個人制作アニメが商業レベルに到達するに必要な要件の一つを満たすことができたのである。

 ハリウッドなどの映像加工技術の頂点があり、それが他の民間企業へ、そして家庭へという下流への流れともいえる技術の普及がある。半導体技術の発展は、コンピュータの高性能化と低価格化をもたらした。この二つの流れは、パソコンでの映像制作となって形を結んだのである。それは個人が何かを作るにあたっての強力なツール、いわば武器をもたらした。そして、ついにはその技術の頂点にあった企業にまで迫るものを生み出すにいたったのである。

4.3 スピン・オフした作家

 ベンチャーや起業家という言葉が、経済のキーワードとなって久しい。不況脱出や産業再生の糸口としてベンチャーを育てていこうという機運も高まっている。本物のベンチャーを育てて行くには、大企業の居心地が悪くなりスピン・オフの欲求が高まることが重要だともいわれている(『NIKKEI BUSINESS 』2000.7.3: 178)。企業から独立した人の興すベンチャーが重要視されているのである。実は新海もスピン・オフした起業家とみることが出来るのではないだろうか。ゲーム会社から独立し、これまで誰も考えなかった手法でアニメを完成させて、結果的にDVDは商業ベースを遙かに上回る枚数に達した。これは、アニメ界において新たな制作モデルを成立させたのであり、一種のベンチャーとも言えるのではないだろうか。

 さて、ベンチャー企業を興す人を起業家と呼んだり、アントレプルナーと呼んだりするが、それはつまり「組織の外で事業を新しく起こす人」(田尾雅夫 2003)のことである。一人でアニメを1本完成させる。それは多くの人が不可能と思っていたことを、現実可能になるようなアイデアをもって、それを実行に移したということである。そのことは、新たな事業を立ち上げたのだと言っても差し支えないだろう。新海も企業という組織から独立してそれを成し遂げたのである。個人作家として、独自の制作スタイルと作りたい作品を作るためにそれまで勤めていたゲーム会社を辞めた。そして、個人作家として独立する道を選び「ほしのこえ」を完成させたのである。

 アニメ業界では、大きな制作会社から独立したスタッフが新たな制作会社を立ち上げるということはよくある。ただ、新海の場合はゲーム会社からの独立であり、個人作家として活動するためのスピン・オフであった点が特徴的である。いままではアニメ制作会社から独立する人々は、やはり同じ形態のアニメ制作会社を組織し、そこで作品を作っていた。あるいは、フリーランスのアニメーターや脚本家、監督として、そのパートのスペシャリストとして独立するのである。一方、新海は組織を抜け、1人でアニメを作るという個人作家の道を選んだ。アニメの全てを自分で作ろうと考えて独立したのである。その点が、これまでのアニメーターの独立とは大きく異なっている。

 個人制作という方法をとったことについて、新海は「ただ、単にそれまで自分が触れてきたデジタルのツールや手法を使えば1人でできそう。だからやってみよう、と」(新海 2002c: 13)語っている。このような考えは、ゲーム業界からアニメへという、異業種からの参入であった点が大きく影響しているのではないだろうか。通常、アニメ制作会社でアニメ制作に関わる仕事をする人は、分業化された工程の1パートしか請け負わない。ある一つの工程についてのプロフェッショナルが集団となって作業を進めていくのであって、自分の担当以外の工程に関わることはまずない。一本のアニメの全工程を1人が関わることはないのである。一方、新海はゲーム会社で映像の制作に携わり、ゲームのオープニング・ムービーなどの映像をてがけていた。それも、大規模なゲーム会社ではなく中堅ゲームメーカーであったという。その制作過程は「会社に属しているとは言っても、そもそもが個人制作に近い形だった」(新海 2002b: 67)と語っている。制作に使う機材から、新海が自らで決めて予算を請求するような状況だったという。新海の場合、このように映像の制作の全工程を経験したことが一人でアニメを作る原動力となっていったのである。

 「ほしのこえ」は、それが自主制作であったことに注目されがちである。確かに作品としては自主制作であったが、作家自身は完全なアマチュア出身で下から上がってきたというよりは、企業からのスピン・オフという側面が強い。以前から、企業から独立した作家やアニメーターは数多くいた。その中でも、新海はアニメ制作に革新的な方法を提示したという起業家としての顔も持っていたと言えよう。

5 「ほしのこえ」の意義

5.1 脱スケールメリットへ

 「ほしのこえ」はアニメ産業という産業的な枠組みにも衝撃を与えた。1.1で述べたようにアニメを作るにはアニメ制作会社で集団作業でなければならないという常識を「ほしのこえ」はくつがえしたのである。それは結局はどういうことであろうか。

 商業アニメの制作体制は、限られた制作費と時間で週間30分のアニメを作るために特化された労働集約型の制作体制であった。かつて、アニメは個人制作から始まり、集団化されていった。アニメの歴史は、個人からマスプロダクツへという集団作業の歴史であったという(大塚ほか 2002)。初期のアニメはほぼ個人制作であった。アニメ自体のスケール・アップと、テレビ・シリーズの開始という提供形態の変化とを経て、限られた時間内でアニメを量産するために労働集約型の制作体制が確立されていった。あらゆる局面で分業をとりいれ、効率的な生産を行う。高質な作品を制作するために、各分野の専門職による分業が行われてきた。このような産業の発展がアニメにもあったのである。

 この流れの中、デジタル化は経費節減と高度な映像表現を導入するために用いられてきたのである。デジタル技術は、表現の高度化と省力化という二つの側面をもっている。アニメや映画などの映像産業やゲーム業界では、もっぱら表現の高度化のためにデジタル技術を利用してきた。CG技術の発展は、さらに複雑で高度な絵を作ることを目指して発展してきたのである。そして、フルCGアニメが生み出された。1995年のディズニーの「トイ・ストーリー」を皮切りにさまざまフルCGアニメが生み出されている。これは3DCGという、今までのセル・アニメとは違うものであるが、今までと同じような見た目がセル・アニメでも、製作工程はデジタル化が進んでいる。

 そこでも、デジタル化はもっぱら表現の高度化に用いられてきた。CG技術を導入すればこれまで難しかったモノも表現することができる。手前から奥へというような3次元的なカメラワークは、これまで非常に高度な技術を要求され、熟練のアニメーターをもってしてもなかなかできるものではなかった。それが、3DCGの導入によりデータを入力して立体をコンピュータ内に構築すれば、あとのカメラワークはコンピュータがやってくれるようになった。また、メカといわれる機械モノの描画もより簡単に、リアリティを出せるようになった。

 ゲームにおけるCG技術の発展という路線の上であるが、同様にフルデジタルアニメとして作られ2002年に公開された「FINAL FANTASY」という邦画があった。同名のゲームシリーズの映画版である。「トイ・ストーリー」や「モンスターズ・インク」のような3DCGで、リアルな人間を描こうとしたものである。この今までと同じリアリティ追求路線で進んできたフルCG映画は、157億円という邦画では破格の制作費を投入したにもかかわらず興行的に失敗してしまった。また、ゲーム業界でも制作費60億円をかけたゲームソフトが、売上げが伸び悩み、結局開発資金を回収できないままに終わってしまったという事件もあった。

 このような、今もてはやされている日本のコンテンツ産業において巨額の制作費と最先端のデジタル技術を投じた作品が失敗した事例はいくつかある。これらの失敗は、かならずしも資本を集約させて先端のデジタル技術を用いれば良い作品が生まれるとは限らないことを改めて露呈したといえるだろう。商業主義や巨大制作機構の功罪として必ず取り上げられることである。人材と資金を集約させれば、確かに大きな作品が作れる。だが、関わる人間と資本が増大するがゆえに、全体をコントロールしにくくなってしまう危険性は常につきまとう。様々な思惑の中で、妥協の産物と化してしまう可能性がある。増え続ける制作費によって、スポンサーである玩具メーカーやパブリッシャーなどの意向に配慮しながらの制作を余儀なくされる。「制作費の額が増えるにつれ、関わる人々の数と利害関係が増すため、制作費は明らかに作家性と反比例する」(浜野 2003: 83)のである。現在の日本のアニメにある閉塞感もこの点が大きいと指摘する声もある。はじめにキャラクター・ビジネスありき、関連商品売上げありきでアニメの企画が始まる。そこで作家が自らの意匠だけを全面出していくのは難しい。そのようなビジネス部分の問題を越えて、自らの意匠を貫いた作品を作れるアニメ関係者はごくわずかだろう。

 その一方で、「ほしのこえ」は低廉な機材で、ほぼ1人で制作された。いままでならば、そんな作品が巨額の制作費を投じ、各パートのプロの手で制作された作品に勝てるはずがないと思われるだろう。ストーリーや演出ならばいくらでも工夫はできるが、商業制作の作品と個人制作の作品の間には、決して越えられない壁があると思われていた。

 しかし、「ほしのこえ」はその壁を越えた作品として評価された。それはテレビ・アニメにも優とも劣らぬクォリティをもっていたのである。「ほしのこえ」はデジタル化によって究極の省力化を達成し、アニメづくりには資本は必ずしも必要でないことを示したのである。いままでのアニメ制作では、ハイレベルな作品を作るために分業制をしいて、各分野のプロフェッショナルが協業してきた。あるいは、高度な技術力を持たねばハイクォリティな作品は作れないとされてきた。「ほしのこえ」の制作スタイルはその流れに逆行するものだったのである。

 その制作スタイルを支えたのはパソコンの進化であった。パソコンの性能向上につれて、産業界にあった最先端の技術が、徐々に末端の一般ユーザーのレベルにまで普及してくる。アニメを作るのに、パソコンがあればセルも大型の撮影機も、高価な編集専用機材も必要がない。装置産業というくびきから解き放たれたのである。分業制を敷き、人海戦術であった製作過程も、映像処理技術の進化により変化しつつある。アニメーターが職人芸のように描いていた動画も、一部は3DCGソフトによるCGに取って代わられつつある。「製作工程はデジタル化によってしだいにダウンサイジングされていった」(浜野 2003:21)のである。

 そして「ほしのこえ」はそれが一気に個人レベルにまで小さくなることを示した。いわば、新たな制作手法の実証モデルだったのである。デジタル技術の発展に支えられて、作家の意匠が乱されにくい小規模の制作体制がとれるようになった。表現者が理想とする制作方法をとるためには、制作費を個人であがなえるぐらいに下げるという方法をとるしかないとされる(浜野 2003: 82)が、「ほしのこえ」はまさにそのモデルだったのである。それは、従来のアニメ産業のように各パートのプロフェッショナルが分業することで高品質な作品を生み出すという方法ではない。表現者の意匠や意図が最終生産物に高純度なまま反映されることによって、結果、ハイレベルな作品が生まれるのである。それは大規模な分業体制の中での制作ではなく、個人で全てをコントロールできるような小規模な制作体制の方が有利である。これは一つのパラダイム・シフトであったといえる。

 そうなると、巨大資本のしがらみを離れた小規模メーカーや個人制作作品が、大きなシェアを占めてくるのは当然かもしれない。個人でも作れる環境が整っているとなると、巨大資本の制約から離れた作家が活気づいてくるのではないだろうか。CG業界では「プロがパーソナル化する傾向と、パーソナルがプロ化する傾向がちょうど出会う段階」(大塚ほか 2003: 77)を迎えているという。「プロで既に活動の場を持っている人たちなりスタジオなりが、個人作品的なものを劇場でかけてしまう」ということ、それともう一つが「『ほしのこえ』はいい例なんですが、個人で制作された作品が一般の鑑賞に堪えてしまうというもの」(大塚ほか 2003: 77)だという。このようなパーソナルな制作体制でプロと比べて遜色ない作品を生み出すという、中間的領域がヒット・メーカーになっていく可能性がある。そして、「ほしのこえ」はそのパイオニアなのかもしれない。

5.2 メディアの個人化が進む中で

 このような産業機構に頼らない形での制作と提供が可能になったということを、メディアの個人化という視点から考えてみよう。メディアとしてのアニメ、それはマスコミの一部であった。アニメという表現方法は、テレビ放映や映画館上映が前提となって制作されている。今まで、アニメーションもメディア産業にとりこまれてきたのである。これは水越が指摘するような、「20世紀初頭に登場した多くのメディアは産業的成功を手に入れ、制度的に確立されていった代償として、遊びの精神を失ってしまった」(水越伸 2001: 88)という流れである。かつて個人制作から始まったアニメーションはマス・メディアが提供する娯楽となり、アニメ制作会社での集団作業、プロの分業という産業の枠組みで制作されるようになった。テレビや映画館で見るというのが、アニメの楽しみ方であった。自分で作るのでなくマス・メディアを通して見ることが、アニメというメディアへの唯一の触れ方だったのである。

 水越はまた、このようなマス・メディアの受け手としてメディアに触れることが多かったことに対して、インターネットに代表されるデジタル・メディアの発展に触れて「デジタル情報化のもと、メディアリテラシーを身につけ、自らの思想や意見、感じていることを表現したり、自己実現を図ろうとする人々が、社会のあちこちから雨後の筍のように現れ始めている」(水越 2001: 132)と指摘した。「ほしのこえ」はまさに、この一例なのではないか。放送局や制作会社といったメディア産業だけが発信していたアニメというメディアを、パソコンという個人で使えるツールをもって個人の手に引き戻したのである。デジタル技術の普及によりアニメというメディアが個人にも開かれたものとなったのである。それは、インターネットという一種のマス・コミュニケーションのツールが登場したことが、まず大きな要因としてあげられるかもしれない。従来のマスコミに対抗しうるようなメディアを、個人が手にしたということである。そのインターネットについて「マス・メディアを介在させない個人の情報発信可能論」(加藤晴明 2001: 113)がよく言われる。確かにインターネットは格安のコストで1対nコミュニケーションを可能にし、個人でも不特定多数へ向けて情報を発信できる。

 ただ、何を発信するかということを考えた場合にメディア産業と個人の差は大きいのではないだろうか。そこに流すコンテンツを作るツールが整っていなければ、やはりマスコミと個人の格差は埋まらなかったのではないか。文字は情報量が少なく、文書を綴るためのソフトはあらかじめ整っていため、インターネットの初期の頃から文字ベースでの情報発信は行われていた。一方、アニメは膨大な情報量や制作機材の高価さといったハードルがあった。そのためアニメ制作会社、すなわち既存のメディア産業によって作られたアニメに個人では太刀打ち出来なかった。映像を流せるほどの通信容量がかつてのインターネットにはなかったという点も大きいが、アニメを作るためのツールが個人レベルではなかなか整わなかったことも一つの要因であろう。「ほしのこえ」のような個人制作モデルが、ここにきてようやく出てきたのは、アニメ制作のためのツールの問題が大きく横たわっていたからだったのかもしれない。

 インターネットというマス・コミュニケーションを個人レベルで可能とするツール、そこに載せるためのコンテンツを作るためのパソコンというツール。この二つが揃って初めて、アニメを個人でも発信できたのである。これらによって「ほしのこえ」は、これまでのような産業機構に頼ることのない新たなアニメの作り方と提供形態を示した。アニメを作るにはスタジオで集団作業でなければ不可能という状況に、風穴を開けたのである。個人制作でも商業レベルと同等の作品が十分に作れる。そして、それが受け手に届くような流通経路にのる。つまり、今まではメディア産業や制作会社による一種の独占状態であったアニメーションという表現方法が個人の手に届くものとなったのである。「ほしのこえ」はメディアの個人化の新たな一歩を踏み出した作品として、語り継がれるのかもしれない。

 だが、いくら個人制作がもてはやされるようになっても、週一本のテレビ・シリーズのアニメがすたれるとも思えない。実は、今のアニメという文化を支えてきたのは、週間のテレビ・アニメに課せられた凄まじいまでの制約なのである。

 日本のアニメ文化は週間で放映されるテレビ・シリーズが基礎にある。手塚治虫が虫プロという制作会社を設立し、1968年に週間で「鉄腕アトム」を放映し始めたことが、日本のテレビ・アニメの原点である。その制作状況は、当初から決して恵まれてはいなかった。テレビ放映枠を得るために、非常に低予算で受注したからである。「鉄腕アトム」によって、キャラクターグッズなどの関連商品の売上げを制作費に当てるというビジネス・モデルが成立してしまった。それでも制作費自体に十分な予算がない。しかも、週1本30分のアニメを完成させなければならないのである。まともにディズニーのように描き込んでいては絶対成立しない放映形態であった。そこで、絵を簡略化する方法をとった。これならば、低予算で時間が短くてもアニメは作れる。そこで、かぎられた絵のパターンでいかにストーリーを展開していくかということに脚本家や演出家は頭を捻ることになった。絵でみせることが出来ない分、ストーリーや演出でみせるという方向に日本のアニメは発展してきたのである。このような経緯があって、いま日本のアニメは高い評価を得ている。

 テレビ・アニメの1シリーズ26話、13話という長さの中で重厚な物語を展開しようとすれば個人では不可能である。膨大な作業量を、厳しいスケジュールの中でこなしていくことはまず不可能である。劇場用でも、スケール感のあるものを作ろうとすれば労働集約型でやるしかないだろう。やはり、個人制作にも限界はある。個人制作には個人制作の利点があり、アニメ制作会社での制作についても利点があり、どちらかが優れているというものではない。個人のような極めて小規模な制作主体と既存のアニメ産業とはかならずしも排他的関係ではなく、共存可能な存在であろう。

 「ほしのこえ」モデルが、すぐに主流になるということはないかもしれない。ただ、今のアニメ界に新風を吹き込んだのは確かである。今までとは異なる方法論で作られたアニメであり、個人制作モデルの橋頭堡を築いた。それはアニメの制作主体がメディア産業一辺倒であった状況に、多様性をもたらしたのである。個人作家という新たな制作主体が登場した。そこにはアニメのみならず、パーソナル化するメディアの新たな可能性が潜んでいる。

6 おわりに

 私は「ほしのこえ」という一人で作ったアニメがあると聞いたとき、さほど驚きはしなかった。ただ、「ついに来た」と思ったのである。いまのパソコンでもアニメを作れるのではないかということに、気づいてはいた。しかし、自分で生み出すこともなかったし、これほどの作品が作られるとは思いもよらなかった。膨大な作業量をこなして物語を語りきれる、このキャリアに裏打ちされた新海氏のアニメ作家としての力量は比類ないだろう。

 「ほしのこえ」のように、漫画同人誌やアマチュア映画など商業目的を離れたところで作品を生み出す人たちは大勢いる。その発表の場を懸命に維持し続ける人たちもいる。目立たないけれども、この領域は重要な役割を果たしているだろう。多様な制作方法があり、多様な表現の場が存在することが、より多様な作品を生み出す土壌となるのである。このような多様性が文化として重要なのではないだろうか。

 もし、本論を読まれて「ほしのこえ」に興味をもたれたのであれば、一度「ほしのこえ」を見ていただきたいと思う。作品論的評価は個々人に委ねるとして、個人制作では誰もが認める最高峰の技術レベルを実際に確かめられてはいかがだろうか。

[注]

1)「ほしのこえ」の上映方式、スタッフ、解説、あらすじについて、キネマ旬報2002年12月下旬(通巻1370)号の日本映画紹介欄に掲載された記事を抜粋する。 ほしのこえ The voices of a distant star <オリジナル版> MANGA ZOO作品/MANGA ZOO配給/02・2・2/C(βカム・ヴィデオプロジェクターによる上映)・S・DD/24分/下北沢TOLLYWOOD (筆者注: 順に、制作会社/配給会社/封切日/C=カラー S=画面の縦横比3:4のスタンダードサイズ DD=ドルビーサウンド/主な封切館、である) スタッフ■監督/制作/原案/(演出/脚本/編集/美術)=新海誠 制作プロデューサー=荻原嘉博 制作補助=相良総人/岩本ゆう 録音=西村洋二 声優監督=亀山俊樹 音響制作=岡部潔 音楽=天門 音響効果=パストラルサウンド 主題歌=Low 『THROUGH THE YEAR AND FARAWAY (HELLO'LITTLE STAR)』 キャスト(声)■長峰美加子…篠原美香 寺尾昇…新海誠 リシテア艦オペレーター…Donna Burke 解説■近未来、地球と宇宙に引き裂かれた少女と少年の切ない超遠距離恋愛を、フルCGで描く短編アニメーション。監督・脚本は「彼女と彼女の猫」の新海誠。声の出演に「彼女と彼女の猫」の篠原美香と新海監督。第1回新世紀東京国際アニメフェア一般公募部門優秀作品賞受賞作品。 略筋■2047年。異生命体のタルシアン攻撃のために組織された国連宇宙軍の選抜メンバーに選ばれ地球を離れた美加子は、密かな想いを寄せながらも告白出来ずにいた中学の同級生で高校に進学した昇と、携帯電話のメール電連絡を取り合っていた。ところが、彼女が地球から離れるにつれ、メールの電波が往復する時間がかかるようになってしまう。しかも、リシテア艦隊は地球から8.6光年離れたシリウスにワープすることになった。シリウスから昇にメールが届くには、片道約8年7カ月。その頃には、昇は24歳になっている。そんな矢先、タルシアンが総攻撃を仕掛けて来た。次々に撃沈されていく味方の艦隊。美加子は旗艦リシテアを守るべく満身創痍ながら敵艦に戦いを挑んでいった……。2056年3月、宇宙軍艦隊勤務を翌月に控えた昇の元に、8年前の美加子からメールが届く。とその時、時間や距離を越えてふたりの想いが重なり合った。(『キネマ旬報』1370: 170)

2)2002年2月に「千と千尋の神隠し」がベルリン映画祭の最優秀作品賞である金熊賞を受賞した。その直後の記者会見の席上にて、日本のアニメが世界で認められたことについてどのように思うかという記者の質問に、宮崎駿監督は「僕は、日本のアニメーションはどん詰まりまできていると思います」と答え、今のアニメ界を厳しく批判した。

3)「主にレコード会社やビデオ会社など、コンテンツを流通に流す(販売する)役目の会社」(大塚ほか 2002: 41)のこと。

4)マッキントッシュ(Macintosh)はアメリカのApple社のパソコン・シリーズであり、その通称をマック(Mac)という。かつては芸術分野に強いとの定評があり、現在でも熱心なファンは多い。印刷、出版、音楽、映像編集などの業界でもよく使われてきた。その後継機として1999年に発売されたのが「ほしのこえ」の制作に使用された「Power Mac G4」である。

5)アニメ制作会社のスタジオ4℃ではAdobe社のフォトショップ(Photoshop)というペイント・ソフトとアフターエフェツ(After Effects)という映像編集ソフトを使っている(『CG WOLD』53: 86-87)という。フォトショップもアフターエフェクツも一般のパソコン・ソフト店で扱われているソフトである。ちなみにスタジオ4℃の代表作には1999年に公開された映画「マトリックス」のアニメ展開である「アニマトリックス」内の「Beyond」などがある。

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