2011年4月23日10時14分
北朝鮮でスパイ教育を受け、44年前に密入国したとして韓国籍の男(67)が出入国管理法違反(不法在留)容疑で愛知県警に逮捕された。日本で家族を持ち、いつ強制送還されるかと苦しみ続けた日々。「捕まってほっとした。残り少ない人生だが新たなスタートを切りたい」。男は名古屋拘置所で取材に応じた。捜査当局への取材でわかった内容を踏まえ、男の半生をたどった。
「『行きたくない』と言ったが、取り囲まれて、抵抗できなかった。『必ず近いうちに日本に帰す』と言われ、仕方なく従った」
1964年、日本に渡った父母を追って貨物船で密入国し、父のいる愛知へ。67年3月、朝鮮総連関係者から「東京で働かないか」と声をかけられた。東京で会った男に「旅行に行こう」と誘われ、列車で青森県弘前市へ。タクシーで海岸に着いた。月のない夜。男はラジオのようなものに耳をあて、海原に向け懐中電灯を点滅させた。ゴムボートが海岸に近づき、「祖国へ行きます」と告げられた。
「先生役から1対1で教わった。テストの結果が良ければ、早く日本に帰れると言われた。帰りたい一心で一生懸命覚えた」
北朝鮮でのスパイ教育は約3カ月にわたった。北朝鮮がいかに優れているか、なぜ南北統一を実現するのか――。洗脳教育を受けた。工作の指令を伝える暗号を解読するための「乱数表」の使い方や拳銃や手榴(しゅりゅう)弾の訓練を受けた。
「韓国に行って仲間を集めろ。何かあれば騒ぎを起こせ」。「在韓地下党工作員」と呼ばれる任務だ。日本に再入国して警察に出頭し、韓国に強制送還される方法を取れと指示された。同6月、北朝鮮から船で北海道に上陸した。渡された乱数表はすぐに捨てた。初めから工作活動をする気はなかった。父親にも「絶対だめだ」と諭された。
東京で働き始めた。職を転々とし、73年、日本人の女性と結婚。その後、在留資格がないことは知られたが、スパイ教育を受けたとは言えなかった。
「自分が強制送還されたら妻や子はどうやって生きていくのか、と悩んだ。だが、私以上に妻が苦しんでいたと思う」
在留特別許可の手続きをしようと思っていた矢先の逮捕だった。
日本人拉致事件を知ったときは衝撃を受けた。
「家族を引き裂くことは絶対にやってはいけない。自分も経験したから」
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県警は、男は国内での工作活動に携わっていないとみている。名古屋地裁で22日開かれた初公判で、検察は男に懲役3年を求刑。男は「日本国籍を取得したい。希望と夢を与えて下さい」と訴えた。(磯部征紀)