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郷土日本の大地は「深き慈愛をもって、われわれを保育する『母なる土地』である」のと同時に「われわれのとかく遊惰に流れやすい心を引き締める『厳父』の役割をもつとめる」。
昭和初期、こう述べたのは物理学者であり文筆家でもあった寺田寅彦である。この厳父と慈母の配合を上手にできれば「人間の最高文化が発達する見込みがあるであろう」ともいう。
以来70年余り。わが国は最高文化を発達させてきただろうか。大震災の甚大な結果をみれば、決してそうではあるまい。
そして、いま――。文化が問われる場があるとしたら、菅直人首相が発足させた東日本大震災の復興構想会議に違いない。
五百旗頭(いおきべ)真議長は会議の方針として「被災地主体の復興を基本にして国としての全体計画を作る」「明日の日本の希望となる青写真づくり」を挙げた。
私たちも「復興再生ビジョン」を2日の社説で示した。今回の方針と相通じる点も多い。
ただ、提言が地元自治体、被災者にとって、よりよいものになるよう、主張しておきたいことがいくつかある。
■複数プランの提示を
まず大前提は、示される構想が多様な地域の実情と被災者の声に基づくということだ。
大震災に襲われた地域は、同じ太平洋沿岸地域とはいえ、青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉など極めて広い地域にまたがっている。地形、海とのかかわり、産業のあり方、地域の年齢構成など違いは大きい。
そうである以上、画一的な復興プランではなく、それぞれの地域に合った最適な計画を目指したい。
地域の声や要望を聞き、複数のプランを作り、それらを地域が選択できることが望ましい。
23日の会議で、宮城県の村井嘉浩知事が「交通インフラに堤防機能」を、岩手県の達増(たっそ)拓也知事が「漁業組合機能の回復や水産施設の再建」を訴えた。政府はこうした提案に十分耳を傾けてほしい。
とはいえ、従来の産業、暮らしの単純な再生はあり得ない。あまりに多くの水死者を出してしまった現実に思いをいたせば、津波被害を減殺させる街づくり、郷土構築が最重要だ。
堤防など自然と対峙(たいじ)する20世紀型の防災にとどまらず、自然の猛威をわきまえ、非常時にいざ直面しても逃げ切れる、やり過ごせる、21世紀型の減災構造をつくり上げねばなるまい。
減災と生業(なりわい)の両立という思想が貫くことが、新しい街づくり、ひいては新たな文化を創造していく手がかりになる。
その取り組みは、首都圏や東海、東南海、南海など巨大地震が想定される地域の減災社会作りへ、大きな指針、参考になるはずだ。
■経営的な視点で
復旧復興を進める上で、巨額の資金を、いかに地元に生きた形で投じるかも重要な論点だ。
立派な構造物ができても、結果的に中央のゼネコンなどが事業とお金を吸い取ってしまっては、肝心の復興後の力が被災地域に蓄積されない。極力、地域に資金が落ちるよう、仕組みを配慮し、復興後も地域の産業の展開に役立つ資金にしたい。
復興財政を国民全体で支えるような仕組みは不可欠だが、無尽蔵に資金をつぎ込めはしない。その限界を見極めつつ、不要不急の事業を廃すのは当然のことだ。
その上で、必要とみられるものでも、緊急度を見極め、優先順位をきちんと査定しなければならない。その事業の選択しかないのか、他にコストの低い代替策がないのか、資材の再利用が工夫できないかなど、経営的、企業的視点が必要だ。
■2重の救済網が必要
福島第一原発の事故は決着がついておらず、被害も現在進行形で、被害の総量を現時点でははかりかねるのが実情だ。
加害者としての東京電力、という存在もある。原発事故の被害の賠償資金は、東電の負担を軸に、一般の被災地の復興再生資金とは別の仕組みで負担されるべきものである。
こうしてみると、原発被害地の救済は、被災地一般の復興構想の枠では収まらない。
したがって、被災地としての復興再生構想があり、原発被害地にはさらにそれ固有の救済策が重ねられるという、2重の救済網が必要になる。
全体を網羅する復興構想と並行して、原発被害の救済構想を急ぎ練り上げていくべきだ。
復興の主役は国や有識者ではない。地元自治体や被災者が抱く明日への希望であり、思いである。それが寺田のいう最高文化の基礎であり、それなくしては単なるコンクリート構造物をつくるだけに終わろう。
自治体、被災者は今を生きるのに精いっぱいだ。しかし、郷土への思いは、被災地のみならず日本の未来を切り開く。積極的に議論に加わり、発言していってほしい。