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チェルノブイリからフクシマへ「同じ道たどらないで」

2011年4月25日13時16分

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 事故発生から満25年を26日に迎える旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原発。廃炉のために運転を全面停止するスイッチを操作した職員は、「チェルノブイリは長いこと忘れられていた。フクシマは絶対に同じような道をたどって欲しくない」と訴える。

 セルゲイ・バシトーボイさん(40)。現在は広報担当者として、チェルノブイリ原発でなお働く。くしくも、チェルノブイリの1号炉を始動させたのが、やはり原発職員だった父のアレクセイさん(67)だ。

 息子のバシトーボイさんは原発の町プリピャチで育った。事故当日は、インフルエンザで学校を休み、自室で寝ていて、窓越しに原発の上空に煙が上がるのを見た。父は当時、4号炉で燃料棒の交換作業などの担当だったが、この日は休み。別の同僚が被曝(ひばく)して亡くなった。

 父の影響で原発で働くことを決心したバシトーボイさんは、ロシアの大学で物理学を学んだ。ふるさとへの思いは強く、ほかの就職先を蹴ってチェルノブイリ原発を選んだ。

 2000年12月15日。事故後も唯一稼働していた3号炉の制御室で、多くの同僚職員が見守る中、バシトーボイさんが停止スイッチをひねった。同原発で「最後の火」が消えた。始動させた父と、停止させた息子。親子とも、たまたま当番が回ってきて果たした役割だった。

 現場の人間として、老朽化した原発がどれほど危険かは理解していた。でも、自分を含めた5千人以上の職員の雇用が失われていくことがつらかった。「勤務は交代制。同じ顔ぶれと長い時間働いていて、みんな家族のようだった」

 バシトーボイさんは、福島第一原発について、こう気遣う。「一番大変なのは、今、事故の拡大を食い止めようと現場でもがいている末端の作業員たち。彼らは本当に英雄だ。フクシマでは絶対に、チェルノブイリのような人命や健康、精神的な苦痛などの犠牲を出して欲しくない」(キエフ=関根和弘)

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