2008年10月
Becker-Posner Blogによれば、シカゴ大学に設立される新しい経済学の研究所をMilton Friedman Instituteと名づける案に対して、約170人のファカルティ・メンバーが反対の署名を集めて、大学当局に提出した。その理由は、なんと「最近の金融危機でフリードマンの市場経済イデオロギーは否定された」からだそうだ。発起人は宗教学者だというから、どうせ経済学も理解してない文学部が中心なのだろうが、あのシカゴ大学にさえこういう気分が蔓延しているのには驚く。
フリードマンは確かに多くの論争を巻き起こしたが、多くの論争で彼は正しかった。東海岸のリベラルを代表するハーバード大学のシュライファーも認めるように、「20世紀はフリードマンの時代だった」のである。こんな愚かな理由でシカゴ大学の生んだもっとも偉大な経済学者の名誉をたたえる機会を逃したら、ポズナーもいうように大学にとっても大きな損失になるだろう。
フリードマンは確かに多くの論争を巻き起こしたが、多くの論争で彼は正しかった。東海岸のリベラルを代表するハーバード大学のシュライファーも認めるように、「20世紀はフリードマンの時代だった」のである。こんな愚かな理由でシカゴ大学の生んだもっとも偉大な経済学者の名誉をたたえる機会を逃したら、ポズナーもいうように大学にとっても大きな損失になるだろう。
ポリーニを初めて聞いたのは、1978年のNHKホールのコンサートだったが、ブーレーズのピアノソナタ第2番という超難解な現代曲を、まるで古典派の音楽のように演奏するのに驚いた。その曲目のほとんどは、CDで聞ける。現代音楽の器楽演奏としては史上最高の作品の一つだろう。
協奏曲では、アバードと演奏したバルトークが最高傑作だと思う。彼らは2人ともイタリア共産党員で、ベトナム反戦コンサートなどをよくやっていた。年をとってからはベートーヴェンなど古典派が多くなったが、あまり好きになれない。ドビュッシーも無味乾燥で感心しない。これだけ有名なピアニストでありながら、レパートリーが非常に片寄っているのも彼の個性だろう。
株価の暴落を受けて、政府は銀行の保有株式を買い取ったり予防的に資本注入するなどの「緊急市場安定化策」の検討に入った。しかし日本株が売られている原因は輸出産業の収益悪化であって銀行の問題ではないのだから、こんな政策は見当違いだ。
いまだに政府は「失われた10年」の教訓を学んでいないようだ。中川財務相が「資本注入が大事だ」と欧米に説教して失笑を買ったが、日本が1998年に行なった横並びの資本注入は、失敗例として国際的に知られているのだ。当時の金融危機管理審査委員会の佐々波楊子委員長と仙石由人氏の国会での参考人質疑は、次のようなものだった:
日本株がOECD諸国で最大の下げ幅を記録したのは、これまで低金利=円安によって輸出産業を補助することで支えられてきた「虚妄の景気回復」のメッキがはげたからだ。株価がバブル後の最安値に近づいたのは、それを象徴している。アメリカで起きているのは金融システムの崩壊によるilliquidityだから流動性を供給する必要があるが、日本で問題なのはゾンビ企業のinsolvencyだから、救済してはならない。これを契機に、資本市場を活用してゾンビを整理・再編することが最善の経済対策だ。
追記:コメントで教えてもらったが、新銀行東京もどさくさまぎれに資本注入の対象になるようだ。歴史は繰り返す――1度目は悲劇として、2度目は茶番として。
いまだに政府は「失われた10年」の教訓を学んでいないようだ。中川財務相が「資本注入が大事だ」と欧米に説教して失笑を買ったが、日本が1998年に行なった横並びの資本注入は、失敗例として国際的に知られているのだ。当時の金融危機管理審査委員会の佐々波楊子委員長と仙石由人氏の国会での参考人質疑は、次のようなものだった:
仙谷委員:今、ラインシート[金融機関の経営内容を記載した資料]を取り寄せて吟味したとおっしゃっておりますけれども、もし本当にちゃんとラインシートを取り寄せて、こんな幽霊会社みたいなところに一千億も貸されておるのを吟味したら、こんな結果出るはずないじゃないですか。大体、わかっているんですか。この一兆五千億の長銀の関連会社に対する融資が第何分類にあって、どのぐらい引き当てをされていたのか、わかっているんですか。この発言は、大蔵省の無責任な銀行行政を象徴する言葉として歴史に刻まれた。佐々波委員会が資本注入を決めた7ヶ月後に「健全」だったはずの長銀が破綻、9ヶ月後に日債銀が破綻して、投入された約8000億円の税金はパーになった。今度またこういうナンセンスな銀行救済をやったら、株価はさらに暴落するだろう。
佐々波参考人:ただいまのラインシートにつきましては、言い直しますと、大蔵省、日銀にお願いしたということです。それから、個別行についての内容については、私自身は承知しておりません。
日本株がOECD諸国で最大の下げ幅を記録したのは、これまで低金利=円安によって輸出産業を補助することで支えられてきた「虚妄の景気回復」のメッキがはげたからだ。株価がバブル後の最安値に近づいたのは、それを象徴している。アメリカで起きているのは金融システムの崩壊によるilliquidityだから流動性を供給する必要があるが、日本で問題なのはゾンビ企業のinsolvencyだから、救済してはならない。これを契機に、資本市場を活用してゾンビを整理・再編することが最善の経済対策だ。
追記:コメントで教えてもらったが、新銀行東京もどさくさまぎれに資本注入の対象になるようだ。歴史は繰り返す――1度目は悲劇として、2度目は茶番として。
10月のセミナーで中山信弘氏が導入への強い決意を示したフェアユースは、大勢が決したようだ。知的財産戦略本部が29日の専門調査会に、「日本版フェアユース規定」の原案を提出する。権利者団体は「権利者不在」だと巻き返しをはかっているが、著作権法の目的は権利者の利益ではなく「文化の発展」(第1条)である。権利者の利益は、国民が文化を享受するための手段の一つにすぎない。政府は著作権法の手段と目的を取り違えないで、「消費者の目線」で考えてほしい。
11月の情報通信政策フォーラム(ICPF)セミナーでは、アメリカで弁護士をつとめた城所岩生氏に、アメリカの事情と対比しながら、フェアユースの必要性や問題点について講演していただく。
スピーカー:城所岩生氏(成蹊大学法学部教授・米国弁護士)
モデレーター:山田 肇(ICPF副理事長・東洋大学教授)
日時:11月17日(月)18:30~20:30
場所:東洋大学白山校舎 6号館2階6212教室
東京都文京区白山5-28-20(地図)
参加費:2000円 ※ICPF会員は無料(会場で入会できます)
申し込みはinfor@icpf.jpまで、氏名・所属を明記してe-mailをお送り下さい。
なお、前回のセミナーにおける中山信弘氏と岩倉正和氏の講演要旨をサイトに掲載した。
11月の情報通信政策フォーラム(ICPF)セミナーでは、アメリカで弁護士をつとめた城所岩生氏に、アメリカの事情と対比しながら、フェアユースの必要性や問題点について講演していただく。
スピーカー:城所岩生氏(成蹊大学法学部教授・米国弁護士)
モデレーター:山田 肇(ICPF副理事長・東洋大学教授)
日時:11月17日(月)18:30~20:30
場所:東洋大学白山校舎 6号館2階6212教室
東京都文京区白山5-28-20(地図)
参加費:2000円 ※ICPF会員は無料(会場で入会できます)
申し込みはinfor@icpf.jpまで、氏名・所属を明記してe-mailをお送り下さい。
なお、前回のセミナーにおける中山信弘氏と岩倉正和氏の講演要旨をサイトに掲載した。
世界の株式市場は、底なしの暴落が続いている。これは各国政府の対策に、市場が「それでは足りない」というメッセージを出していると解釈できる。何が足りないのか――それがわからないのがBlack Swanの特徴だが、ここでは一つの仮説を提示してみる。
私は「今回の問題の本質は、CDOやCDSに値がつかなくなったことだ」というシュワルツの意見に基本的に賛成だ。決済機能が健全なのにこんなパニックが起こるのは、派生証券市場のmicrostructureに原因があるのではないか。航空機の路線で、ハブというのがよく知られている。普通に2つの空港の最短距離を結ぶと、nヶ所の空港を結ぶにはnC2=n(n-1)/2路線が必要だから、nが大きくなると組み合わせの爆発が起こって採算がとれなくなる。これに対して図のように、たとえばデンバーをハブにすると、路線の数は最小n-1ですむ。

株式や債券に取引所があるのは、このようなハブをつくることによって社会的コストを減らすためだ。外為市場には物理的なハブはないが、全世界の為替ディーラーがロイターのモニターを見て売買するので、ほぼ一物一価になっている。ところがCDOやCDSには、こういうハブがない。AIGが事実上そういう役割を果たしていたともいわれるが、仕組債は複雑にカスタマイズされているため、契約ベースの相対取引が普通だ。
このようにtight-couplingされたスパゲティ状の決済ネットワークは危険である。ふだんはCDOなどの流動性が高いので、それを組み合わせた仕組債の価格も要素価格を集計して決まるが、モジュールの取引が一つでも止まると、仕組債全体が決済できなくなる。そして1ヶ所で決済できなくなると連鎖的に債務不履行が発生し、これによるrenegotiationの数も爆発するため、システムが破綻してしまう。だから問題は、よくいわれるように金融技術が過度に発達したことではなく、それが構造的には未発達だったことにある。
こういう問題はコンピュータ・ネットワークでもよく知られており、バラバシの本などでおなじみだ。ところが金融工学の教科書を読んでも、こうしたマイクロストラクチャについての記述がまったく出てこない。流動性は無限大と仮定する効率的市場仮説にもとづいているからだ。今ごろNY連銀がcentral counterpartyを創設しようとしているが、文字どおり泥縄である。
経済を集計量でしかとらえない伝統的なマクロ経済学は(新古典派もケインズ派も)、今のようにマイクロストラクチャが崩壊したときは役に立たない。その原因もよくわからないのに、行き当たりばったりに資産の買い取りや資本注入を行ない、ヘリコプター・マネーをばらまくのは、かえって問題を複雑にするおそれがある。政府がすべての経済活動に介入はできないのだから、根本的な解決策は市場メカニズムの機能を回復することしかない。それには一元化された電子決済システムが必要だ。
私は「今回の問題の本質は、CDOやCDSに値がつかなくなったことだ」というシュワルツの意見に基本的に賛成だ。決済機能が健全なのにこんなパニックが起こるのは、派生証券市場のmicrostructureに原因があるのではないか。航空機の路線で、ハブというのがよく知られている。普通に2つの空港の最短距離を結ぶと、nヶ所の空港を結ぶにはnC2=n(n-1)/2路線が必要だから、nが大きくなると組み合わせの爆発が起こって採算がとれなくなる。これに対して図のように、たとえばデンバーをハブにすると、路線の数は最小n-1ですむ。
株式や債券に取引所があるのは、このようなハブをつくることによって社会的コストを減らすためだ。外為市場には物理的なハブはないが、全世界の為替ディーラーがロイターのモニターを見て売買するので、ほぼ一物一価になっている。ところがCDOやCDSには、こういうハブがない。AIGが事実上そういう役割を果たしていたともいわれるが、仕組債は複雑にカスタマイズされているため、契約ベースの相対取引が普通だ。
このようにtight-couplingされたスパゲティ状の決済ネットワークは危険である。ふだんはCDOなどの流動性が高いので、それを組み合わせた仕組債の価格も要素価格を集計して決まるが、モジュールの取引が一つでも止まると、仕組債全体が決済できなくなる。そして1ヶ所で決済できなくなると連鎖的に債務不履行が発生し、これによるrenegotiationの数も爆発するため、システムが破綻してしまう。だから問題は、よくいわれるように金融技術が過度に発達したことではなく、それが構造的には未発達だったことにある。
こういう問題はコンピュータ・ネットワークでもよく知られており、バラバシの本などでおなじみだ。ところが金融工学の教科書を読んでも、こうしたマイクロストラクチャについての記述がまったく出てこない。流動性は無限大と仮定する効率的市場仮説にもとづいているからだ。今ごろNY連銀がcentral counterpartyを創設しようとしているが、文字どおり泥縄である。
経済を集計量でしかとらえない伝統的なマクロ経済学は(新古典派もケインズ派も)、今のようにマイクロストラクチャが崩壊したときは役に立たない。その原因もよくわからないのに、行き当たりばったりに資産の買い取りや資本注入を行ない、ヘリコプター・マネーをばらまくのは、かえって問題を複雑にするおそれがある。政府がすべての経済活動に介入はできないのだから、根本的な解決策は市場メカニズムの機能を回復することしかない。それには一元化された電子決済システムが必要だ。
右の図でもわかるように、企業のITコストのうち、ハードウェアの比率は年々下がる一方、増えているのが管理費と冷房費だ。したがって人件費・電気代を節約してマシンを浪費することが合理的になる。このサーバは国内にある必要はなく、インドや中国などに分散したほうがはるかに安い。このように国際競争が起こる点が電力会社と違うので、utility computingといっても電力のような停滞産業にはならないだろう。
Web2.0の次のWeb3.0があるとすれば、このようにインターネットを分散計算環境にすることだろうが、これも発想としては新しいものではない。インターネットは、もともとリモート・コンピューティングを安上がりに行なうためのコンピュータの共同利用システムであり、「インターネット全体を並列コンピュータにする」というのは初期からの夢だった。
ITゼネコンにとって深刻なのは、最大の収益源であるITサービスの分野でも新興国との競争が始まることだ。今まで彼らはレガシーシステムで無知な役所や企業を囲い込んできたが、これからはインドのデータセンターが顧客に「うちなら1/20のコストでやれますよ」と売り込んでくるかもしれない。これに対抗する上でハンディキャップになるのは人件費とともに、世界最高水準の電気代だ。少しでも冷房費を節約するには、北海道にチャンスがあるかもしれない。
グリーンスパンが議会証言で追及を受け、「このようなツナミは予想できなかった」とのべたが、自身の責任は認めなかった。Bloombergは、ITバブル崩壊後の2002年から04年まで「非正統的」な金融緩和を進め、「ヘリコプター・ベン」というニックネームをつけられたバーナンキ(当時FRB理事)にも疑惑の目を向けている。
バーナンキは、日銀の90年代の金融政策を"the conventional wisdom attributes much of Japan's current dilemma to exceptionally poor monetary policymaking over the past 15 years"と酷評した手前、その轍を踏むまいとしたのだろうが、結果的にはITバブルよりはるかに深刻な事態をまねいてしまった。このように金融緩和は両刃の剣であって、緩和すればするほどいいというものではない。
「デフレを止めろ」の大合唱に押されて、日銀は90年代末からゼロ金利と量的緩和を進めたが、「その一つの副作用として円キャリートレードのようなものを生み出し、それが何がしか海外市場に影響を与えたのではないか」と日銀の山口理事は国会でのべた。FRBも2週間で1360億ドルも通貨を供給するなど、量的緩和モードに入っているが、日本の経験からみても、その効果は限定的だ。
白川総裁も、いろいろな角度から量的緩和の効果を検証した結論として、その効果は主として2003年から始まった本格的な不良債権処理にともなう金融システムの動揺を防ぐ補助的なものだったとしている(p.360)。要するに、中央銀行がジャブジャブに通貨を供給すればデフレが解決するという単純な因果関係はなく、本質的な問題は金融システムの正常化なのだ。
これは今後のアメリカの金融政策を考える上でも重要だ。シュワルツも指摘するように、通貨供給や資本注入だけでは金融システムは立ち直らない。金融機関がみずから不良債権を償却せざるをえないところに追い込むことが重要だ。日本の最大の失敗は、大蔵省が銀行の資産評価や引き当てに大きな裁量を認めたため、彼らが損失の表面化を恐れて「飛ばし」などで問題を先送りしたことにある。
この点でアメリカが時価会計の適用を停止したのは逆で、むしろ積極的に資産を時価評価して減損を表に出し、不良資産を隠すインセンティブをなくすべきだ。その償却で資本不足になる場合には資本注入が必要だが、この場合も資産査定を厳格にし、insolventな銀行は破綻処理しなければならない。今回のように資産査定もしないで2500億ドルも注入するのは、10年前の日本の「佐々波委員会」の轍を踏むおそれがある。無差別にヘリコプター・マネーをばらまくことはゾンビ銀行への非効率な所得移転になり、かえって危機を長期化させるというのが日本の教訓である。
バーナンキは、日銀の90年代の金融政策を"the conventional wisdom attributes much of Japan's current dilemma to exceptionally poor monetary policymaking over the past 15 years"と酷評した手前、その轍を踏むまいとしたのだろうが、結果的にはITバブルよりはるかに深刻な事態をまねいてしまった。このように金融緩和は両刃の剣であって、緩和すればするほどいいというものではない。
「デフレを止めろ」の大合唱に押されて、日銀は90年代末からゼロ金利と量的緩和を進めたが、「その一つの副作用として円キャリートレードのようなものを生み出し、それが何がしか海外市場に影響を与えたのではないか」と日銀の山口理事は国会でのべた。FRBも2週間で1360億ドルも通貨を供給するなど、量的緩和モードに入っているが、日本の経験からみても、その効果は限定的だ。
白川総裁も、いろいろな角度から量的緩和の効果を検証した結論として、その効果は主として2003年から始まった本格的な不良債権処理にともなう金融システムの動揺を防ぐ補助的なものだったとしている(p.360)。要するに、中央銀行がジャブジャブに通貨を供給すればデフレが解決するという単純な因果関係はなく、本質的な問題は金融システムの正常化なのだ。
これは今後のアメリカの金融政策を考える上でも重要だ。シュワルツも指摘するように、通貨供給や資本注入だけでは金融システムは立ち直らない。金融機関がみずから不良債権を償却せざるをえないところに追い込むことが重要だ。日本の最大の失敗は、大蔵省が銀行の資産評価や引き当てに大きな裁量を認めたため、彼らが損失の表面化を恐れて「飛ばし」などで問題を先送りしたことにある。
この点でアメリカが時価会計の適用を停止したのは逆で、むしろ積極的に資産を時価評価して減損を表に出し、不良資産を隠すインセンティブをなくすべきだ。その償却で資本不足になる場合には資本注入が必要だが、この場合も資産査定を厳格にし、insolventな銀行は破綻処理しなければならない。今回のように資産査定もしないで2500億ドルも注入するのは、10年前の日本の「佐々波委員会」の轍を踏むおそれがある。無差別にヘリコプター・マネーをばらまくことはゾンビ銀行への非効率な所得移転になり、かえって危機を長期化させるというのが日本の教訓である。
著作権法30条を改正して「私的複製」から違法コンテンツを除外する、いわゆるダウンロード違法化が、次の国会に提出される見通しになったようだが、あきらめるのは早い。総選挙では民主党の勢力が増えると予想されているので、参議院で否決すれば葬れる。
これについては以前の記事でも書いたように、侵害による権利者の損失と宣伝効果による利益は、ほぼプラスマイナスゼロだというのが、多くの実証研究の結果だ。Oberholzer-Gee and Strumpf(O-S)論文については、その後も論争が続いているが、この論争で双方ともに前提としているのは、この論文は金銭的利益だけを測定したものだということだ。つまりファイル共有によるレコード会社の損失をC、宣伝によって売り上げが増える効果をBとすると
B≒C・・・(1)
というのがO-Sの結論だが、消費者は音楽を聞くことで効用を得るので、本来の問題はダウンロード違法化によって生産者余剰と消費者余剰を合計した総余剰が社会的にプラスになるかどうかである。これを大学1年生の教科書でおなじみの図で考えてみよう:

競争的な価格(有料・無料コンテンツの平均)をp*とすると、消費者余剰は図の需要曲線とp*の間の色つきの三角形の部分全体で、生産者余剰はゼロだ(これが効率的)。ところがレコード会社がダウンロードを違法化して価格をpmに引き上げたとすると、生産者余剰はπ(黄色の四角形の部分)増えるが、消費者余剰はU(黄色+黒の部分)減り、両者を合計した総余剰は黒の部分だけ減る。この死荷重をDとすると明らかに、
D=π-U≦0・・・(2)
他方、違法化によってファイル共有がなくなるとすると、「ダウンロード違法化で総余剰は増える」という命題は次のように書ける:
π-B+C-U>0・・・(3)
(1)式よりB=Cとすると、この命題は
π-U>0
となるが、これは(2)式によって成り立たない。つまりダウンロード違法化による金銭的利益がプラスマイナスゼロだとしても、消費者の効用を考えると、文化庁が(暗黙のうちに)主張している(3)式は成り立たないのだ。その理由は、独占によって総余剰は必ず減るからである。一般に死荷重はかなり大きいので、かりに(1)式でB<Cになっているとしても、その効果を上回ると考えられる。
ここまでは1年生の夏学期の試験ぐらいの問題だが、文化庁が考えているのは、独占による投資のインセンティブが死荷重よりも大きいということだろう。これは先験的にはどちらともいえず、需要の価格弾力性に依存する。P2Pによって大量の音楽ファイルが流通している現状をみると、需要曲線はきわめて価格弾力的(ロングテール型になっている)と推定できるので、死荷重は大きい。2002年のPaul Romerの計算によれば、米国内のCDの独占価格によって生じている死荷重は360億ドルで、これは全世界のレコード産業の売り上げ370億ドルにほぼ等しい。
つまり少なくとも音楽産業では、ダウンロード違法化の社会的な効果はマイナスになる可能性が高い。この損失は負の外部効果を考えるともっと大きく、P2Pなどの効率的なネットワーク利用に萎縮効果をもたらし、cloud computingのようなイノベーションを阻害する。Romerが証明したように、経済成長の最大のエンジンはイノベーションなので、衰退するレコード産業の(GDPの誤差以下の)利益を守るために情報技術のイノベーションを殺すのは愚かな政策である。
民主党はこの著作権法改正案に反対し、総選挙で「レコード会社の既得権を守るのかITイノベーションを守るのか」と訴えるべきだ。そうすれば若い有権者が投票に行って、民主党を応援するだろう。
これについては以前の記事でも書いたように、侵害による権利者の損失と宣伝効果による利益は、ほぼプラスマイナスゼロだというのが、多くの実証研究の結果だ。Oberholzer-Gee and Strumpf(O-S)論文については、その後も論争が続いているが、この論争で双方ともに前提としているのは、この論文は金銭的利益だけを測定したものだということだ。つまりファイル共有によるレコード会社の損失をC、宣伝によって売り上げが増える効果をBとすると
B≒C・・・(1)
というのがO-Sの結論だが、消費者は音楽を聞くことで効用を得るので、本来の問題はダウンロード違法化によって生産者余剰と消費者余剰を合計した総余剰が社会的にプラスになるかどうかである。これを大学1年生の教科書でおなじみの図で考えてみよう:
競争的な価格(有料・無料コンテンツの平均)をp*とすると、消費者余剰は図の需要曲線とp*の間の色つきの三角形の部分全体で、生産者余剰はゼロだ(これが効率的)。ところがレコード会社がダウンロードを違法化して価格をpmに引き上げたとすると、生産者余剰はπ(黄色の四角形の部分)増えるが、消費者余剰はU(黄色+黒の部分)減り、両者を合計した総余剰は黒の部分だけ減る。この死荷重をDとすると明らかに、
D=π-U≦0・・・(2)
他方、違法化によってファイル共有がなくなるとすると、「ダウンロード違法化で総余剰は増える」という命題は次のように書ける:
π-B+C-U>0・・・(3)
(1)式よりB=Cとすると、この命題は
π-U>0
となるが、これは(2)式によって成り立たない。つまりダウンロード違法化による金銭的利益がプラスマイナスゼロだとしても、消費者の効用を考えると、文化庁が(暗黙のうちに)主張している(3)式は成り立たないのだ。その理由は、独占によって総余剰は必ず減るからである。一般に死荷重はかなり大きいので、かりに(1)式でB<Cになっているとしても、その効果を上回ると考えられる。
ここまでは1年生の夏学期の試験ぐらいの問題だが、文化庁が考えているのは、独占による投資のインセンティブが死荷重よりも大きいということだろう。これは先験的にはどちらともいえず、需要の価格弾力性に依存する。P2Pによって大量の音楽ファイルが流通している現状をみると、需要曲線はきわめて価格弾力的(ロングテール型になっている)と推定できるので、死荷重は大きい。2002年のPaul Romerの計算によれば、米国内のCDの独占価格によって生じている死荷重は360億ドルで、これは全世界のレコード産業の売り上げ370億ドルにほぼ等しい。
つまり少なくとも音楽産業では、ダウンロード違法化の社会的な効果はマイナスになる可能性が高い。この損失は負の外部効果を考えるともっと大きく、P2Pなどの効率的なネットワーク利用に萎縮効果をもたらし、cloud computingのようなイノベーションを阻害する。Romerが証明したように、経済成長の最大のエンジンはイノベーションなので、衰退するレコード産業の(GDPの誤差以下の)利益を守るために情報技術のイノベーションを殺すのは愚かな政策である。
民主党はこの著作権法改正案に反対し、総選挙で「レコード会社の既得権を守るのかITイノベーションを守るのか」と訴えるべきだ。そうすれば若い有権者が投票に行って、民主党を応援するだろう。
Newsweekに6人のスウェーデン銀行賞受賞者の提言が出ている:
- Paul Krugman
- Michael Spence
- Joseph Stiglitz
- Edward Prescott
- Eric Maskin
- Edmund Phelps
ミネアポリス連銀のワーキングペーパーによれば、今回の危機について広く信じられている次の4つの話は、事実ではない。
- 銀行の一般企業への融資は急速に減っている。
- インターバンク取引はほとんどなくなった(図)。
- 企業の発行するCPは激減し、金利は急上昇した。
- 銀行は貯蓄主体と借り手を仲介する主要なチャンネルである。