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【写真の説明】竹童氏へと引き継がれた『竹山最終モデル』の三味線。一般のものを基準にすると、実に120箇所あまりの改良点があると言う。
【写真の説明】「良い音を研究する一方でよく言われたのが“汚い音を抑えろ”ということ。余計な音を出さない、引き算の美学がそこにありました」(竹童氏)
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今なお進化し続ける音。
さて、いよいよ肝心の竹山の“三味線”である。竹山が晩年にとった最後の内弟子、高橋竹童氏が語る。
「ボサマとして生きていくための芸の道具だった三味線が、時を経て次第に奏者として評価されていくうちに、聴き手が求める音、自分が納得できる音を求める楽器へと変わっていった。私が先生の傍にいた頃には“どうしたらより良い音を出せるか”を日々追求していました」。
演奏時に懐で三味線の胴が落ち着くようにと、水に沈むくらいの重い木を使ったり、弦となる糸のサンプルを取り寄せて弾き比べたり。特にコマ(ギターで言うブリッジ部)は、市販品をそのまま使うことに抵抗があり、竹童氏が竹から削り出したものを何度も試した。そうして重ねられた改良は120箇所にも及んだと言う。
「最初は必ず“竹童やってみろ”と私の三味線で実験するんです。それで良い結果が出ると自分のも直すという(笑)。でも音そのものには何の影響もない、言い換えれば、ただ単に豪華な装飾が施されている三味線は絶対に手にしませんでした。要は“音”なんです。良い三味線は棹に耳を当てるだけでわかる。しかし、なぜ良いのかを研究することが大切というのが先生の持論でした」。
最晩年になると、演奏会に竹童氏が同行する際には、竹童氏の三味線を借りて演奏していたという竹山。“三味線は所詮、消耗品”と言い切り、それまで使ってきた三味線はダメにしたり、歴代の内弟子たちに譲ったりしたが、竹山が竹童氏と共につくり上げた、いわば『竹山最終モデル』は今、竹童氏の手元にある。
「この三味線を弾くと竹山の雰囲気は出せますが、先生は常に“おまえ自身の音を出せ”と言っていた。では、今の自分の音はどうなのか。先生がまだ生きていたら、それを伺ってみたいですね」。
不世出の天才が最後に手にした三味線。その音色は、持ち手が代わっても永遠に進化し続ける。

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