【写真の説明】ラジオ畑にいた頃、収録でステージにいる竹山の背中を叩くことで“キュー出し”をしていたという木村氏。「局に新人で入ると必ずみんなが経験する役でした」。 写真 【写真の説明】「津軽三味線の名手と言えば、白川軍八郎や木田林松栄(りんしょうえい)。でも竹山師のレコードを聴いた瞬間、この人は津軽三味線のジャンルを超えてしまったと思いました」(木村氏) 写真 【写真の説明】『寒撥』が芸術祭優秀賞を受賞した記念に作られたパンフレット。モノクロならではの強さと、現在の印刷物とは異なる分厚い質感が伝わってくる。タイトルを付けたのは木村氏。写真は葛西氏。 |
津軽から全国、そして世界へ。ようやく独奏者として歩み始めた竹山。レコードと共にその名を全国へととどろかせるきっかけとなったのが、1971年(昭和46年)に青森放送が制作した番組『津軽竹山節』民放連のコンクールでテレビ娯楽部門の金賞を受賞したこの番組を下地に、翌年には、芸術祭参加のためのスタジオドキュメンタリー『寒撥(かんばち)』が制作された。 |
【写真の説明】「演奏する姿を捉えようとファインダーを覗いていても、シャッターを切れないことがよくありました。撮る以前に聴き惚れてしまうんですね」(葛西氏) 写真 【写真の説明】東京でカメラマンとして活躍する葛西氏のご子息が、仕事で竹童氏を撮影したという世代を越えた縁のエピソードも。竹山が引き合わせた奇遇なのか。 |
【写真の説明】津軽民謡の神様、成田雲竹に尺八で伴奏をつける竹山。他に横笛や太鼓の演奏も秀逸だった。貴重なツーショット写真。 |
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