午後11時20分ごろ、激戦を制し初当選を果たした保坂氏は、「ホサカ、ホサカ」のコールを受けて、事務所に登場。拳を突き上げた支持者と喜びを分かち合った。
社民党の衆院議員を3期務めた保坂氏は、「国会の質問王」の異名を取った。東日本大震災発生前は、国政の舞台への再挑戦をあきらめる気持ちはなく、出馬の打診を固辞していたという。しかし、震災発生後の3月26日に被災地となった福島県南相馬市を訪問し、桜井勝延市長と面会したことが転機となった。災害で基礎的自治体の長の担う役割の重要性を再認識し、「すぐにでも仕事がしたい」と出馬に踏み切った。
保坂氏は、「一人一人の住民が参加してまちをつくり直したい。災害への備えは一番大事だと思う」と抱負を述べた。
福島第1原発事故の収束が見えない中での選挙。電力の大消費地にあって、防災の必要性とともに脱原発を果敢に訴えた。当選後のインタビューでも「やはり一番危険な原発から停止を求めていくことは必要」と話した。
当面は「区内のエネルギーの消費状況を総点検して、エネルギーシフトを先導する区としてほかの地域がやっていないことに大胆に取り組んでいく知恵を集めたい」と意気込みを語り、大きな拍手を浴びた。
区長選には、都議会の民主会派を離脱し、自民都連の支援を受けて出馬した花輪智史氏(44)、自民の地元総支部が推した川上和彦氏(52)、民主の独自候補である菅谷康子氏(36)らも出馬し、混戦となった。民主、自民ともに一枚岩ではなかったことも保坂氏には追い風となり、原発を容認する4選を果たしたばかりの石原慎太郎知事も応援に駆けつけた花輪氏に、5500票余の差で競り勝った。
勝因について保坂氏は「原発依存から自然再生エネルギーへと訴えたことや、心ある被災地支援を徹底しようと呼びかけたことが評価された」と分析した。【神足俊輔、長野宏美、石川隆宣】
毎日新聞 2011年4月25日 1時53分(最終更新 4月25日 3時49分)