2011年04月23日 15:37
法/政治

大江健三郎氏の犯罪

沖縄の集団自決をめぐって争われた名誉毀損訴訟の最高裁判決で、被告の大江健三郎氏と岩波書店が勝訴した。これまでの経緯を知らない人が、大江氏が正しかったと誤解するのもよくないので、少しコメントしておく。

問題の訴訟は、2007年の記事でも書いたように、赤松嘉次大尉らを集団自決を命じた屠殺者だと罵倒した大江氏の『沖縄ノート』の記述が事実かどうかをめぐって赤松大尉の遺族などが起こしたものだ。これについては曾野綾子氏が現地調査をした上で「事実ではない」と指摘し、大江氏側も問題の記述が伝聞で確認できないことは認めた。

一審の大阪地裁は「軍の命令があったと証拠上は断定できないが、関与はあった」という理由で原告の申し立てを退けた。これは「ノーベル賞作家」に配慮した問題のすり替えである。原告は赤松大尉が集団自決を命令したかどうかを問うているのであって、軍の関与の有無を争ってはいない。軍の関与なしに手榴弾を入手することは不可能である。

二審判決も事実関係を曖昧にし、命令があったかどうかはわからないが大江氏が命令を「真実と信じる相当の理由があった」という理由で、出版を差し止めるほどの事由はないとして控訴を棄却した。たしかに出版差し止めというのは、民主主義国では軽々に認めてはならないが、原告が差し止め訴訟を起こしたのは、大江氏側が記述の修正をしなかったからだ。

裁判を通じて明らかになったのは、赤松大尉は住民を「屠殺」するどころか、集団自決を思いとどまるよう伝えていたということだった。裁判では思わぬ事実も出てきた。大江氏を支援する先頭に立っていた金城重明牧師(元沖縄キリスト教短大学長)が、渡嘉敷島でゴボウ剣で数十人を刺殺したことを法廷で認めたのだ。こうした集団的な狂気が、どうして生まれたのかを追究するのが作家の仕事だろう。

戦争は軍部が暴走して起こしたもので、国民は無垢な被害者だという大江氏の幼稚な歴史観は、軍はすべて悪だという「平和憲法」的な思い込みでしかない。集団自決をもたらしたのは軍ではなく、人々を駆り立てる空気だったのだ。旗を振って戦勝を祝ったのは国民であり、それを積極的に煽動したのは新聞だった。彼らは戦後も解散させられることなく、責任を軍に押しつけてみずからの戦争犯罪に口をぬぐってきた。

大江氏を5年間の訴訟でサポートし、『沖縄ノート』を重版してきた岩波書店も共犯者である。彼らが戦後60年あまり振りまいてきた「非武装中立」の幻想は、きわめて有害なものだった。国民の短絡的な正義感に迎合して結果に責任を負わない万年野党と、既得権を無条件に擁護する与党との不毛な対決の中で政策の対立軸ができず、優先順位をつけて政策を取捨選択しなかった結果が、莫大な政府債務と迷走する危機管理である。

大江氏も岩波書店もわかっているように、彼らは裁判には勝ったが真実の法廷では敗れた。『沖縄ノート』の大部分は、現地紙の切り抜きを文学的に加工したでっち上げだ。それは彼の願望とは逆に、事実を直視できない「進歩的知識人」の知的不誠実の証拠として歴史に残るだろう。

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コメント一覧

  1. 1.
    • nhatlivedr
    • 2011年04月23日 17:40

    1 >集団自決をもたらしたのは軍ではなく、人々を駆り立てる空気だったのだ。

    もうひとついうと、事件が起きて責任を追及しなければいけないときに、「空気」のせいだ、というような知識人たちが戦後の無責任社会の根源じゃないのか。

    集団心理を研究・検証するのは文学者の仕事じゃない。事実がどうであったかを調べるのも歴史家の仕事だとしても、それも文学者の仕事ではない。

    文学者の仕事は人々の中のストーリーを文字にしていくことだ。沖縄の人々にとっては、自決は日本軍の強制で行われたというストーリが根深い、その事実が重要だ。沖縄のひとは、本来自分たちを守るはずの日本軍が、沖縄の村民の自決に「関与した」ことに、日本軍に裏切られたという思いが強いのだ。

    そういう意味では大江は歴史家としてはミスを犯しているが、文学者としては仕事をきちんとしている。

  2. 2.
    • Dr. OK
    • 2011年04月23日 21:30

    原発以外のお話になって少しホッとしました。

    大江健三郎は、小説家としてはノーベル賞に正にふさわしい凄い作家だ。作品は非常に複雑で繊細だが、本人のその根は純朴であり、虚実混沌とする大人のいがみ合いの太平洋戦争史は扱わない方がよい。言い換えれば文筆家ではあるがあくまで純文学者だ。沖縄ノートも、小説と言ってしまえばそれまでだ。

    日本人が戦中に集団暴走し、戦後は一億総懺悔をしたのは、軍部の独走ではなく日本人の個性の核と言える「和」の論理だ。井沢元彦氏が彼の作品中で非常に詳しく繰り返し述べているが、「和」の論理は恐らく弥生時代くらいには根付き、聖徳太子が有史の中で初めて明文化し、実は非常に濃厚に近現代に受け継がれ、そして敗戦と戦後の「進歩的文化人」と呼ばれる陳腐な自称(というか村社会的)知識人を産んだ。

    反自民のあと一億総反民主の流れを見てもまだそれは続いていると言えよう。

    「和」の論理は戦時中に国民と新聞が双方に煽り続け、勝ち目が僅かな総力戦をやって300万人の国民が死んだ。200万人は前途ある若い男児だった。空気だけで人を特攻隊に追いやれる日本人の最も根深い恐ろしい愚かな性質だ。

    新聞は「和」を土着文化だと理解せずに声高らかに振りかざし不幸を煽った。だが未だに新聞は自分たちの懺悔を明らかにしない。今でも彼らは「和」そのものだ。
    記者クラブの殻に閉じこもり外部に対して異常な排他意識を持ち、おかげで日本人は何時までも無知で無垢で近代哲学を持つ事が出来ない。この粗悪で陳腐なマスコミ複合体を解体しなくては、成熟した政治の対立軸は今後も出来ない。

  3. 3.
    • rityabou5
    • 2011年04月23日 22:16

    > 集団自決をもたらしたのは軍ではなく、人々を駆り立てる空気だったのだ。

    空気は何によって作られるのか。

    第二次世界大戦の時、ヒットラーはマスメディアの影響力に注目しラジオやテレビ、映画などを使用してプロパガンダを広めた。つまり空気をコントロールした。空気はマスメディアをコントロールしている人に操られる存在だ。

  4. 4.
    • zodiaclifesystem
    • 2011年04月23日 22:43

    タイトルを含めて、大変意義ある記事を書かれたと思います。
    本件について特別詳しくありませんので、この記事を読まなければ無知なままでした。

    「ノーベル賞作家」様が日本の癌でおられることが良く分かりました。
    『ゆすり屋』沖縄の病理はいつになったら消えるんだろう。

  5. 5.
    • bobbob1978
    • 2011年04月23日 22:46

    彼等畜群たちは永遠に現実と向かい合うことはしません。彼等は「人間は純粋無垢な尊い存在である」という幻想の中でしか生きられないのです。人間の思考がニューロンの発火の集合でしかなく、人間は動物の延長線上の存在に過ぎず、感情なども進化ゲーム理論的に説明可能であるという現実が受け入れられないのです。誰かに「悪」を押し付け、「自分は彼らとは違うのだ」と思い込むことでしか自尊心を保てないのです。

  6. 6.
    • ibukuro333
    • 2011年04月23日 22:59

    私は大江健三郎氏のような不誠実が横行するのは「戦後民主主義」が原因だと長く思ってきましたが、今ではそうではないと思っています。実は、私たち日本人は「進歩的文化人」の主義主張を自ら積極的に受け入れてきたのです。
    私たち日本人は戦争の全責任を「軍」に押しつけ自分たちを被害者側に定義することで、戦争に積極的に協力したことに目をつむり、自分たちの責任を棚に上げました。
    つまり、分かりやすい「悪人」(ここでは軍)を仕立てて、それを攻撃する側に回ることで自己を防衛(正当化)するという、人間なら誰もが行う自然な行動をとっただけだったのです。
    そう考えると、進歩的文化人など取るに足らない存在であることが分かると同時に、人間とは身勝手この上ない生き物であり、私たちが人間である以上、この種の「不誠実さ」はこれからも横行し続けると思っています。

  7. 7.
    • ikedf
    • 2011年04月24日 00:46

    裁判の詳細は知らないが、おそらく被告側は赤松大尉など一部の軍人の関与の問題でなく日本軍全般の関与性に焦点を拡大させて、言論と表現の自由を擁護する作戦をとったのだろう。(慰安婦の強制連行問題のときも最初は悪質なデマから始まったが、最後は日本軍全体の犯罪性の告発に話題が広がっていった。世界中の反日情報網を相手に日本は悪質なレッテルに抗議もしたが、結局情報戦で敗北した)。今回は裁判で敗北しても、赤松氏などの名誉は基本的に回復されたと思われる。それにしても沖縄タイムスの「鉄の暴風」をヒントに大江健三郎がいびつな想像力で増幅した記述はあまりにおぞましく(命をかけて沖縄県民を守ろうとした守備隊長に対して「ペテン」「屠殺者」「戦争犯罪人」「ユダヤ人大量殺戮で知られるナチスのアイヒマンと同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべき」等々)、戦中の狂気もあったのだろうが、これは戦後の狂気のようなものを感じる。過去の日本を異常な執念で告発しながら、一方で大江は中国や北朝鮮には長年に渡って媚びていた。何年も前に大江は中国の大学で講演し、現在の日本は国家主義的であると日本を非難し、もっと日本は過去の侵略や残虐行為を謝罪すべきとと語り、石原新太郎が都知事に当選したことを東京都民の恥と講演で喋った。中国で異様な反日教育が吹き荒れている時期にこう言って中国人をけしかけた。大江の扇動に乗らなかった日本人は賢明であったと感じ、このような自由主義者と見せかけて実はただの妄想左翼でしかない偏狭な知識人がデマゴーグとして幅をきかせた時代が終わって良かったとつくづく思う。

  8. 8.
    • marcgrn
    • 2011年04月24日 01:11

    ついでに、日本の司法の質の低さも明らかになりそうですね。
    この裁判ではとても後世の歴史評価には耐えられないでしょう。
    戦中も戦後も熱中するものが愛国が反日になっただけで、本質的にはなにも変わっいない。
    事実はうやむやにされ先導した者は責任をとらない。
    今の民主党政権も同じ。
    全く変わらない日本。どこかで変えなければ。

  9. 9.

    軍部の暴走が戦争を起こしたという"幼稚"な歴史観を持つ老人達が、自治労や日教組の行政府の労組が立法府に関与して三権分立を犯しても何とも思わないのが不思議な限り。

  10. 10.
    • koshidame
    • 2011年04月24日 03:42

    マスコミの報道ではまったくわかりませんでしたが池田さんの解説でよくわかりました。軍による強制連行はなかったが軍の関与はあった、という従軍慰安婦の手法とまったく同じですね。
    軍の関与をすべて否定するなら自衛隊による東北の震災の復興なんて不可能です。危険な仕事は全部、大江さんたち非武装中立を主張する人たちにやってもらいましょうか?

  11. 11.
    • kensan_m
    • 2011年04月24日 06:34

    私は東條英機を軍国主義の権化で、日本を戦争に駆り立てた張本人だという教育を受けて育った世代ですが(昭和30年代生まれ)、今では日本の戦争突入はみんなが責任逃れをしたあげくの「成り行きで」というのが真相だとわかってきました。東條は、逃げそびれて貧乏くじを引いたと(責任者の一人だった事には変わりありませんが・・・)。
    「狂信的な軍人」が、あらゆる悲劇を引き起こした、という単細胞な歴史の見方から、そろそろ脱却しなければならないのでしょうね。その意味で、このブログは有益です。最近の「原発論争」には異論も多いのですが、こういう「物事を斜め135°から見る」視点は好きです。

  12. 12.
    • decosu
    • 2011年04月24日 08:36

    5  「私たちは被害者。関係ない。悪人はお上だから。」
     大江氏を含めた進歩的知識人の罪は、日本人の責任回避の心理的防衛機制を助長し、クリティカルな事象に対する長期の思考停止に陥らせたことでしょう。
     原発危機の「想定外」という思考停止も、その延長上にあるのだと思います。

     しかし、日本人の生来の性格を数百年で修正することは不可能です。もしこれからの日本ができることがあるなら、そういう欠点を所与ものとして常に意識して、想定外と思われる事象に対しても考えておく癖をつけることくらいかもしれません。

  13. 13.
    • turezure53
    • 2011年04月24日 08:39

    そして”空気”ほどに頑強なものはないです。正確な理論で動かそうとしても、ビクともしない。

  14. 14.
    • srx600_2
    • 2011年04月24日 12:13

    皆さんは当然ご存知かと思いますが、1994年のノーベル文学賞は安部工房の受賞が確実視されていました。しかし氏は前年に急逝され、「代わり」に大江氏が受賞されたわけです。(大江氏自身もこの事を認めている)
    時代が望んだといえ、なぜ日本人は4半世紀この感傷的な作家を担ぎ続けたのか、全くもって解せない。


    >> こうした集団的な狂気が、どうして生まれたのかを追究するのが作家の仕事だろう。

    これは作家の能力では不可能でしょう、大脳生理学、分子生物学、動物行動学、言語学など、人間に関わるすべての領域を理解しなければならない。
    http://www2.odn.ne.jp/~cbl82640/why/why4.htm


    本意気でファシズムや群集心理の理解を試みるには、エリアス・カネッティ『群集と権力』をお薦めします。

  15. 15.
    • tanukou
    • 2011年04月24日 13:41

    戦国時代、落城寸前の城の中で自害した姫は、その姫に懐刀を渡した親によって強制された自害だったのだろうか?
    確かに懐刀を渡したのは親だろうが、自害したのは、「そういう状況になったら、そうするべき」という時代の共通認識によってではなかったのか?

    沖縄住民に手榴弾を渡したのは日本軍だろう。しかし、それは嫌がる住民に手榴弾を押し付け、震える住民を爆殺同然に死に追いやったのだろうか?

    もし、時代の共通認識が「軍の強制」によるものだとしたら、サイパン島におけるバンザイクリフの悲劇も軍の強制によるものだということか?

    「空気」とはその時代の共通認識であり、それは過去から脈々と続く価値観である。敗戦によってその価値観は崩壊したとしても、その価値観を無視して歴史は語れない。
    空気が

  16. 16.
    • minourat
    • 2011年04月24日 14:11

    沖縄戦終了後の赤松隊について次の記述をみつけました。

    On Tokashiki teams of Nisei and Japanese offcer prisoners negotiated with the Japanese commander, who refused to surrender his
    garrison of 300 offcers and men. He offered, however, to allow Americans to swim on Tokashiki beaches provided they kept away from the Japanese camp in the hills. Only after many months, when he was given a copy of the Imperial rescript announcing the end of hostilities, did the Japanese commander surrender, claiming that he could have held
    out for ten more years (16).

    16. 77th Div Qpn Rpt, pp. 33, 35; 870th AAA A W Bn Actn Rpt Kerama Retto. これは、米軍の正式の戦闘記録です。 原本からコピーしました。 沖縄戦の終了から終戦までは、 2ヶ月ほどです。

    なお、 赤松隊が降伏する当日、 米軍の捕虜であった沖縄住民4名が赤松隊に投稿勧告に行き殺害されています。 それまでにも、 赤松隊のよって殺害された沖縄の少年や女性もいます。

  17. 17.
    • ibukuro333
    • 2011年04月24日 15:42

    こういった類の責任逃れは日本だけではありません。同じ敗戦国のドイツもそうです。第一次世界大戦に敗れたのは「背後からの一撃」があったから(ヒンデンブルク元帥)というものがそれで、ドイツは左翼やユダヤ人がドイツ革命を起こしたから敗れたというものです。これは戦後ナチスなど右翼が主に主張したことが知られています。確かに左翼がドイツ革命を起こしたのは事実ですが、それ以前にドイツが負けていることは明白でした。つまり、左翼やユダヤ人を悪人にしたてることで、軍部は自らの責任を彼らに転嫁し、ヒトラー(ナチス)はこれをプロパガンダに用い、ドイツ国民はこの主張を支持して、ナチスは政権を獲得することになりました。
    そして、第二次世界大戦に敗れるとドイツ国民はヒトラー(ナチス)にその責任の全てを押しつけました。これはドイツ国民はヒトラーの巧みな陰謀に欺かれていたのであり、被害者であったとするものです。しかし、実際はどうだったでしょうか?ナチスはドイツ国民の支持を得て政権を合法的に獲得し、ドイツ国民はドイツが勝ち続けている間はヒトラーを救世主として熱狂的に支持していました。
    日本やドイツのこういった歴史を振り返ると、こういった責任逃れの身勝手な主義主張は、左翼だから、右翼だから、日本人だから行われたのではなく、人間がもつ自然な自己防衛(正当化)行動に基づいているのです。
    それゆえ、このような身勝手さはこれからも永久になくならないので、これを批判したところで残念ながら何も得られないと思います。

  18. 18.
    • minourat
    • 2011年04月24日 16:43

    ドストエフスキーの芸術論は次のようなものだそうです。

     それは労して功なき仕事で、 美しい形式に欠けています。 のみならず、 これらの典型はいずれにしても、 まだ流動せる現在の現象であり、 したがって芸術的完成みを有しえないのです。 重大な誤謬もありうることですし、 誇張も見落としも十分にありうるのです。 とまれかくまれ、 多くの事柄を洞察しなければなりません。 とはいうものの、 ただ歴史体の小説のみを書くことを欲しないで、 流動せる現在に対する悩みにとらわれた作家は、 いったいどうしたらよいか? それはただ推察することです……そして誤ることです。 (米川正夫・訳)

    《あいつは臆病者だが三十分間も汗を流し涙をにじませて恐怖のトンネルの暗闇を匍匐前進しつづけ、 すこしずつ忍耐のあげくの立ちなおりをかちえた。 ああいうやりかたで生きている青年もいるのだ、 現実の恐怖から眼をそらさず、 現実の汚辱から跳びたって逃れず、 豚みたいに現実の醜く臭い泥に密着した腹をひきずり匍匐前進する。 ところがおれは現実の恐怖から全速力で逃げさり、天皇崇拝の薔薇色の輝きの谷間へ跳びおりたのだ! もしかしたら、 あいつのほうが正しいのではないか?》  (「政治少年死す」 より) とのことです。

  19. 19.
    • cwbbq088
    • 2011年04月24日 22:11

    皆さんのコメントを読みつつ,「空気」を巡る見解の違いがポイントだとわかりました。僭越ながら対立軸を立ててみます。

    (1)戦争を肯定する「空気」は存在したのか
    (2)(1)がYesの場合に「空気」を作った張本人は誰か,(2)がNoの場合国民を戦争被害に導いた張本人は誰か

    池田さんは「(1)存在する(2)新聞」の立場,大江さんはおそらく「(1)存在せず(2)国家」の立場ではないかと思われます。私のポジションは2番の方が引用された井沢さんと近く,「(1)存在する(2)日本人の身内重視的『和』の論理」に一票入れたいと思います。

  20. 20.
    • minourat
    • 2011年04月24日 23:41

    > 命をかけて沖縄県民を守ろうとした守備隊長

    赤松隊は予定された特攻出動もせず、 特攻艇は米軍の上陸部隊にまたたくまに破壊され、 集団自決に失敗し生き残った沖縄の住民の救助もしませんでした。 生き残った住民の救助は、 集団自決の翌朝、 米軍の兵士と衛生兵によって行われました。

    さらに、 沖縄本島での戦闘終了後は、 米軍と休戦協定を結びました。 夏の沖縄ですから米軍兵士が海水浴をさせろと要求し、 裸の兵士が攻撃されてはかなわないし、 戦闘能力をなくした赤松隊をつぶす価値もないということで、 米軍もこの休戦協定に合意したものとおもわれます。

    それでも、 赤松隊は米軍の使いとして投降勧告にきた沖縄住民を殺害しています。 そして終戦となり、 赤松隊長自身は、 まだ10年は戦えると豪語して投降し、 日本に帰っています。 

    米軍は、 沖縄戦のためにハワイを出航する時点において、 多数の沖縄住民が避難民となることを予想し、 そのための食糧を積んだ輸送船と沖縄方言の話せる通訳を同行しています。

    当時は若かった赤松氏がこういう行動をとってしまったということは、 ある程度理解できます。 しかし、 それを今ごろ正当化しようというのが、 私には理解できません。



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