2011年4月24日 2時13分 更新:4月24日 9時9分
3月11日午後2時46分。東日本大震災の発生時刻に、津波で被害を受けた岩手県宮古市のJR津軽石駅をダイヤ通り発車しようとした列車があった。乗客・乗務員は運行管理センターからの指示と住民の協力でいち早く安全な場所に避難し、間一髪、津波から逃れた。住民らは「客を乗せたまま発車していたら津波にのまれた」と胸をなでおろしている。
JR盛岡支社によると、激しい揺れがあったのは花巻発宮古行きの下り普通列車(2両編成)が津軽石駅を発車しようとした時だった。運転士には宮古駅にある運行管理センターから無線で直ちに大津波警報の発令が知らされ、発車の緊急中止と乗客の避難指示が出た。ダイヤでは列車の発車時刻は午後2時46分15秒。地震の発生時間と同じだった。
運転士と車掌、駅にいたJRの委託社員がホームに飛び出した乗客20人を近くの市立津軽石小学校に誘導した。乗客の中にはお年寄りもいたという。津波はその時、津軽石川河口の水門から国道45号の土手を越え、あっという間に小学校の校庭付近まで迫った。
動揺する乗客らに「裏山に逃げろ」と声を上げたのが、水門閉鎖から戻った地元の消防団員で宮古浄化センター職員の高橋宏行さん(31)。乗客らは高橋さんの指示に従い走って逃げた。校庭は津波で浸水。津軽石地区では、逃げ遅れた何人かの住民が犠牲となった。
列車は2両とも約70メートル釜石寄りまで押し流されて脱線し、線路をふさいだ。列車が走るはずだった線路は流されるなどした。高橋さんは「運転士は津軽石の地理に明るくない様子だった。どこに逃げたらいいかと聞かれたので、とっさに答えた。全員助かり、ほっとしている」と話した。【鬼山親芳】