嘘を書かぬは帝日(現やまと新聞の前身)
帝都日日新聞のタイトルの両側には、キャッチフレーズが並んでいました。
「何ものをも恐れぬ帝日・金力では作れぬ帝日・嘘を書かぬは帝日・日本一の特殊帝日」
これが「現やまと新聞の前身」である帝都日日新聞です。
実にすばらしい。
今、まさに求められている新聞です。
社長は野依秀市氏=”戦後ジャーナリズム史が消した奇才”と言われるこの人は、今時では想像もできない“ムチャクチャぶりというか、うさん臭さや面白さ満載”の人らしく、ネットを検索しても、ほとんど行き当たりません。右翼国粋主義者でもあり、熱心な仏教徒(真宗)でもあったので、宗教関係の本と思想・政治・経済関係の著書があるようです。
野依氏は個人経営の会社で新聞を発行していました。だから、誰の干渉も受けず、自由に書きたいことが書けました。
その自負が「金力ではない」「嘘は書かぬ」「何ものも恐れぬ」「特殊」の文字に踊っています。
明治時代から「実業之世界」という経済雑誌を発行していた野依氏が「日刊新聞」を出そう!と一念発起したのには、わけがありました。
大手新聞が「広告主」に負けて「金力」にころび「報道を捻じ曲げる」ことに気付いたからです。
パチンコなどの広告主に負けて「報道すべきを隠し、真実を故意に脚色し、論点をずらす昨今のマスコミ・・・
この構図を我が国で最初に実現したのは「有田ドラッグ事件」であったと言われています。
次回は、誇大広告(詐欺商法)事件=有田ドラッグを詳細し、
野依秀市氏がペンを持って「嘘つき詐欺師の金もうけ主義」と果敢に戦った
なつかしい昭和初期・戦前の物語をいたします。
”スポンサーにこびる大手新聞”の正体を見た野依氏は、大手マスコミ相手に敢然と討ってでます。その実践が「帝都日日新聞」の発行です。
その歩みは「大手マスコミ・既成マスコミ」を相手取った「ペンの闘争」の歴史でした。
復刊後も勢いは止まらず「風流夢譚を掲載した中央公論」を非難する集会を開くなど、嶋中事件 - Wikipediaを煽ったともいえる過激さでした。(GHQの呪縛はおろか・・・!在特会・チャンネル桜もまっさお)
かくてGHQによって消され、戦後マスコミによって消された”野依秀市”という人物は、なんと!今回は、後身のやまと新聞によって社史をすりかえられ、消されたわけです。
やまと新聞の”誇るべき歩み”に思える帝都日日を消さなければならない事情っていったい何でしょう?
野依氏が帝都日日新聞を発行する以前に出していた雑誌の表紙です。
右サイドに「真に新聞雑誌の本領を発揮するものハ日本國中本誌あるのみ」とあります。
古書の森日記 by Hisakoさんのブログより借りてきました。
やまと新聞関連の記事です。
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「やまと新聞」の足跡 6
昭和44年7月7日(月) ・・・編集部コラムは6日になっているが 日曜休刊なので 誤り
そこから 引用する
『昭和20年でピリオド 明治、大正、昭和の三代を風靡』
『勝つための提案を
昭和十八年夏、惜しくも岩田急逝、その遺言によって社長に児玉誉士夫、副社長に吉田彦太郎(のち裕彦と改む)が推され、岩田の遺志を継いだ。』
『「やまと新聞」は二十年五月二十五日の大空襲のため新聞設備全部灰燼に帰し、日刊新聞としてピリオドを打った。(完)』
さて、やまと新聞の書いているのとすごく矛盾するように思うのですがいかがでしょうか?
2010/11/30(火) 午後 8:45 [ 傍観者 ]
本当の社歴が立派なだけに・・・惜しいことです。
2010/11/30(火) 午後 9:50 [ かぐやひめ ]
今のマスコミは百害あって一利なし
傑作
ランクリ
2010/12/1(水) 午前 8:15
昭和44年7月1日 やまと新聞(第7583号)より
東風西風
『曲がり角に立つ日本』
『「帝都日日」から「やまと新聞」へ』
『 「帝都日日新聞」が「やまと新聞」と名称を変え、新日本を創り出す真正ジャーナリズムの一翼たろうとする真意もここにある。
「やまと新聞」はもともと日出国の新聞としてその歴史は古く、日本民族の新しい精神、文化を創み、かつ結集するのにもっともふさわしい新聞の使命をもっている。』
2010/12/1(水) 午後 9:11 [ 傍観者 ]
昭和44年7月1日 やまと新聞(第7583号)より
筆剣より
『 はじめまして。「帝都日日」から「やまと」に改称第一号
◇
昏冥の世に、立昇る火炎の中から、いまフェニックス「やまと」甦る。
◇
「帝都日日」を踏み越えたところに「やまと」は、民族の良心として国を愛する国民と共にあろうとする。
◇
略
2010/12/1(水) 午後 9:18 [ 傍観者 ]
要するに 昭和44年7月1日 改称時点で
やまと新聞は 昭和20年に 終わっていたが
今回 名前を変えて 復活したよと言っているのです。
どこぞの HP なんか おかしいと思いませんか?
2010/12/1(水) 午後 9:21 [ 傍観者 ]
あれ読むと、明治以来いっぺんも休刊せずに、GHQがいるのに、国会にこもって、なんかやってたみたいでしたよね。
あんな芝居がかった「歴史」をでっちあげるなんて・・・
2010/12/1(水) 午後 10:14 [ かぐやひめ ]
山崎証人の話では、岩田氏が亡くなって児玉氏が引き継いだのは昭和15年ではなかったでしょうか。。
とにかく、
44年に「やまと」と改名した時に、「帝都」は「踏み越え」てやまと新聞として明治から続いてた炎が甦ったよ
というわけですか。ねずきちの説明と似ているところもあるようだ。
どちらも「帝都日日新聞(野依氏の活躍)」が消されている。
「帝都」の歴史:昭和7年〜19年・30年〜44年
2010/12/2(木) 午後 0:07 [ 確かに ]
まず消されたのが「帝都日日新聞」の野依先生です。
マスコミにとれば敵だったのでしょうか。すてきな人みたいですよ。
そのあと、隠されたのが児玉先生みたいですね。
これは、野依先生とは違う理由でしょう・・・
2010/12/2(木) 午後 0:49 [ かぐやひめ ]