「最高裁が原告の上告を退けました」。待ちわびた結果を慶良間諸島の体験者に電話で伝えた。「本当によかった」「みんな頑張ったよ」。元気な声に安心したが、最も若い体験者でも既に七十代。朗報を伝えられず、既に亡くなった体験者もいる。
この知らせを最も伝えたかったのは66年前に「集団自決」で亡くなった人々だ。私たちは無残な死を通して、「集団自決」の真実を知った。一人一人の命を思いながら、裁判が終わったことを心の中で語りかけた。
2005年に提起された「集団自決」訴訟。元隊長と遺族の名誉棄損訴訟は、歴史修正主義者らと連携し、法廷で沖縄戦を審判する場になった。2007年には高校歴史教科書の軍命削除の根拠となった。
提起から6年。沖縄戦の真実を法廷で認めさせ、実態を本土に伝えていくため、「集団自決」の体験者をはじめ、平和に心を寄せる人々の努力が重ねられ、膨大な時間が費やされた。
沖縄の人々が生きてきた歴史を、なぜ自ら立証しなければならないのか。なぜ法廷という土俵で、沖縄戦を審判する闘いに引きずりこまれなければならないのか。この裁判に、沖縄の人々が意義を見いだすとすれば、「集団自決」の記憶を再び生き直すきっかけになったということだ。
「集団自決」の体験者は自らの胸中に閉じ込めてきた記憶を、語ることで傷つきながら伝えてくれた。渡嘉敷島の金城重明さん、北村登美さん、吉川勇助さん・嘉勝さん兄弟、新崎直恒さん。座間味島の宮平春子さん・宮村トキ子さん姉妹、山城美枝子さん、宮城恒彦さん。ここで名前を挙げることができない大勢の人々が死者の記憶と共に、戦後を生きてきたことを私たちに語ってくれた。
全身が悲しみでいっぱいになりながら、とぎれるようにして語られる言葉たち。その一つ一つから私たちは死者の命に触れた。生き残った人々の苦しみを知った。その悲しみの中にともされた勇気が、私たちの心をうった。共感はやがて静かなうねりとなり、沖縄へ、そして外へ広がった。
裁判の勝利は、実は仕掛けられた闘いの中での勝利にすぎない。その勝利を真に意義のあるものにするためには、むしろこれからが問われている。私たちは死者と共に生きる体験者の記憶を手渡された。私たちはその記憶と共にこれからも沖縄で生きていくのだから。(謝花直美)