現在の若者、将来の若者は、老いた後、青春という言葉で自らの過去を振り返れない。もし仮に、今の若者たちに語の正しい意味における青春がないとすれば、おそらく、その代わりに彼らにあるのは、母親の子宮羊水的環境と、そしてネットの右翼暴力的環境の二つだろう。草食動物の内面は、実は棘々しく荒んでいる。キャンディーズは、例えば、今のKARAのように、不必要に商品的に手足が長くない。身長155cmの彼女たちのプロポーション・バランスは抜群で、これこそ盛田昭夫の説くMADE IN JAPANなのだと私は思う。例えば、CanonやEpsonのプリンタの梱包を開けるとき、われわれは日本の製造業と工業製品というものを思い知る瞬間がある。発泡スチロールに囲われたビニルに丁寧に包装された製品は、Dellから届いたPCの梱包とは全く異なる品質と属性のものだ。日本製品の梱包の、あのスキッとした厳かで清冽な感覚は、作り手がどれほどユーザーに配慮しているかを存分に証明している。梱包を解くだけで購入の満足を覚える。今の若い日本人の身体は、不必要に欧米化して手足が長くなったが、キャンディーズの華奢で可憐なスタイリングは、戦後日本の女性たちの憧れが到達した姿で、無理に作られたものではなく自然であり、精神が身体に宿ったMADE IN JAPANの理想型である。彼女たちのスタイルと、無理な個性の主張をしない抑制されたコンサバな振り付けに、日本製品の工業美の真髄を象徴的に感じる。ユーザーインターフェースの思想が同じ。
思うこととして、もう一つ、台湾のことがある。キャンディーズは、間違いなく台湾で大人気を博していたに違いないという確信だ。直感でわかる。台湾の人々は、キャンディーズ的なキャラクターが大好きなのである。酒井法子は日本以上に台湾でブレイクして国際的スターとなったが、だったとすれば、キャンディーズにはもっと爆発的な人気が集まっただろう。なぜ台湾でキャンディーズがハプンしなかったのか。それは時代だ。キャンディーズが活躍した1974年から1978年、台湾は未だ自由な国ではなかった。台湾の民主化は1988年に総統になった李登輝の手で行われる。前に、日本における「エマニエル夫人」体験のことを書いたが、日本の高校生の男女が映画館に殺到した青春の体験を、台湾や韓国の人々は同時代の体験として共有していない。1970年代半ばは、まだ冷戦の緊張が残った時代であり、台湾や韓国は軍政下にあった。もし、もう少し早く蒋介石が死に、李登輝が登場して台湾の自由化を進めていれば、キャンディーズ体験は日本と台湾で共通のものになり、キャンディーズの人気はアジアで沸騰していたのではないかと、その後の経過を見ながら考えさせられる。MADE IN JAPANのキュートでコンパクトなキャンディーズの文化を、台湾の若者たちは日本の若者以上に熱愛したに違いなく、それは伝説として残っただろう。キャンディーズは娯楽として完璧で最高だった。キャンディーズだけで十分満足だった。今から思えば、テレビのコントだけでなく、新曲の練習やコンサートも含めて、どれほどの激務だったことだろう。