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田中好子の死を悼む - 合宿生活とMADE IN JAPAN
キャンディーズについて語ろうとすると、やはり、青春とか青春時代という言葉で冒頭を言い表そうとする。「キャンディーズは私の青春そのものだった」とか。しかし、そこで小さな抵抗感が起こり、やがて思考の迷路に嵌って立ち往生をしてしまう。青春という言葉は、今、その意味が一般に通用する言葉なのか、青春という日本語はあるのか、そう思い始めると、この言葉を容易に使えなくなる。安っぽくなると言うか、リアリティがなく、言葉の響きへの共通感覚を期待できず、文章で言い挙げて納得できる自信を持てないのだ。辺見庸が、言葉から見離されているとか、言葉が縒れて意味を剥がれていると言っているが、青春という言葉は、もう今の日本では簡単に使うのは躊躇わされる言葉なのだ。今の日本の若者に青春はあるのだろうか。30代の人たちに、青春という語にふさわしい質量を伴った体験と記憶はあるのだろうか。否、50代や60代の者たちは、青春という言葉の当時の意味を覚えているだろうか。自分自身の青春時代を、何のコード変換もなく、編集処理もなく、自己欺瞞なく、ありのまま思い出すことができるだろうか。青春という語がすでに瑞々しさを失い、干涸びて、意味から剥離されて形骸化していることに気づくことがなければ、無前提に「キャンディーズは私の青春だった」と人に言い伝えるのは無意味なのだ。青春という言葉は古典語になっている。


現在の若者、将来の若者は、老いた後、青春という言葉で自らの過去を振り返れない。もし仮に、今の若者たちに語の正しい意味における青春がないとすれば、おそらく、その代わりに彼らにあるのは、母親の子宮羊水的環境と、そしてネットの右翼暴力的環境の二つだろう。草食動物の内面は、実は棘々しく荒んでいる。キャンディーズは、例えば、今のKARAのように、不必要に商品的に手足が長くない。身長155cmの彼女たちのプロポーション・バランスは抜群で、これこそ盛田昭夫の説くMADE IN JAPANなのだと私は思う。例えば、CanonやEpsonのプリンタの梱包を開けるとき、われわれは日本の製造業と工業製品というものを思い知る瞬間がある。発泡スチロールに囲われたビニルに丁寧に包装された製品は、Dellから届いたPCの梱包とは全く異なる品質と属性のものだ。日本製品の梱包の、あのスキッとした厳かで清冽な感覚は、作り手がどれほどユーザーに配慮しているかを存分に証明している。梱包を解くだけで購入の満足を覚える。今の若い日本人の身体は、不必要に欧米化して手足が長くなったが、キャンディーズの華奢で可憐なスタイリングは、戦後日本の女性たちの憧れが到達した姿で、無理に作られたものではなく自然であり、精神が身体に宿ったMADE IN JAPANの理想型である。彼女たちのスタイルと、無理な個性の主張をしない抑制されたコンサバな振り付けに、日本製品の工業美の真髄を象徴的に感じる。ユーザーインターフェースの思想が同じ。

キャンディーズの場合、国民的人気というのではなく、同世代の特に大学生の男の子に圧倒的な人気があった。私はそのど真ん中の世代で、受験から解放されると同時にキャンディーズとの合宿生活が始まった。当時の大学入試は3/3から3/5まで3日間だったが、1日目が終わった3/3の夜、「夜ヒット」にキャンディーズが出演して「春一番」を歌うのを宿舎の部屋で見ていた。フジ系列で放送していた「夜ヒット」を見た最初だった。娯楽のない時代、娯楽のない環境で、テレビのキャンディーズは最大の娯楽であり、キャンディーズを中心に下宿学生の生活が回っていた。月曜の「見ごろ食べごろ笑いごろ」、土曜の「8時だョ 全員集合」、日曜の「レッツゴーヤング」。そして、水曜の「夜ヒット」と木曜の「ベストテン」。1年生の男たちが6人、テレビを持っている者の部屋に集まって団欒していた。キャンディーズで仲良くなった。ランのお気に入りが3人、ミキが2人、スーが1人。だが、お気に入りの度合が半端ではなく、キャンディーズへの熱狂も半端ではなかった。6人とも、大きなポスターを部屋に貼っていた。まるで同好会の合宿生活。ラン・スー・ミキのフェボライトについては、どうやら一つの法則がある。東京や大阪の都会出身の子はラン、東日本の田舎の子はスー、西日本の田舎の子はミキ。比較して、ランは都会っぽく、スーとミキは田舎のテイストだった。けれども、「娯楽がない時代」と書きながら、私はその一般論の言い捨てに反省する思いでいる。違うよね。あれだけの素晴らしい娯楽はなかったと感謝すべきなのだ。

その楽しい合宿生活は2年で終わった。キャンディーズが解散した後、キャンディーズに代わるコンテンツは現れず、結局、キャンディーズの面影を恋い慕う長い年月が始まる。キャンディーズがネットのYoutubeで再生されるまで、ほぼ30年間、われわれは長い時間を耐えて待っていた。Youtubeは、まるでキャンディーズの専用ビュワーデバイスのように、これでもかと執念深くマニアの手で映像が採掘され、凝った編集の秀逸なソフトが蓄積されている。NHKのBSがキャンディーズの特集を放送したのが2006年で、不思議なことに、それまでまともな特集番組は一つも制作されなかった。しかし、誰もが気づいている点だが、民放局が浅薄ななつメロ番組を組むとき、必ず新聞のテレビ欄に「キャンディーズ」と入れるのである。使う映像は20秒か30秒のコマ切れなのに、この情報を入れると視聴率が上がるのを知っていて、局は宣伝目的で巧妙にそうしていた。鰻の匂いを嗅がせて客を釣った。Youtubeにラッシュされた情熱を見ていると、われわれの世代の30年間のキャンディーズ・ハングリーの実相がよく伝わる。この世代は、上の世代が学生運動に没頭する代わりにキャンディーズに夢中になっていた。そして、この世代は社会に出て情報処理の方面に進んだ者が多く、最初からPCに慣れていて、だから映像のキャプチャーやハンドリングに苦労しない。PC周りで新しい技術が提供されると同時に、それを使いこなして親しんで行く。Youtubeは、まさにキャンディーズ世代がキャンディーズを復活させるための情報装置だ。

思うこととして、もう一つ、台湾のことがある。キャンディーズは、間違いなく台湾で大人気を博していたに違いないという確信だ。直感でわかる。台湾の人々は、キャンディーズ的なキャラクターが大好きなのである。酒井法子は日本以上に台湾でブレイクして国際的スターとなったが、だったとすれば、キャンディーズにはもっと爆発的な人気が集まっただろう。なぜ台湾でキャンディーズがハプンしなかったのか。それは時代だ。キャンディーズが活躍した1974年から1978年、台湾は未だ自由な国ではなかった。台湾の民主化は1988年に総統になった李登輝の手で行われる。前に、日本における「エマニエル夫人」体験のことを書いたが、日本の高校生の男女が映画館に殺到した青春の体験を、台湾や韓国の人々は同時代の体験として共有していない。1970年代半ばは、まだ冷戦の緊張が残った時代であり、台湾や韓国は軍政下にあった。もし、もう少し早く蒋介石が死に、李登輝が登場して台湾の自由化を進めていれば、キャンディーズ体験は日本と台湾で共通のものになり、キャンディーズの人気はアジアで沸騰していたのではないかと、その後の経過を見ながら考えさせられる。MADE IN JAPANのキュートでコンパクトなキャンディーズの文化を、台湾の若者たちは日本の若者以上に熱愛したに違いなく、それは伝説として残っただろう。キャンディーズは娯楽として完璧で最高だった。キャンディーズだけで十分満足だった。今から思えば、テレビのコントだけでなく、新曲の練習やコンサートも含めて、どれほどの激務だったことだろう。

キャンディーズの楽曲について、当時より現在、高い評価が言われている。いい歌だとか、歌がうまいとか、ネットやマスコミでそう言われている。キャンディーズには独特のキャンディーズ・サウンドがあった。様々な様式を試みつつ、帰ってくる原型の音楽世界があった。その完成型が「微笑みがえし」で、穂口雄右が作曲している。この作曲家の名前は、キャンディーズの曲目のクレジット以外ではあまり目立たない。穂口雄右がキャンディーズに送った渾身の快作の「微笑みがえし」。キャンディーズ・サウンドは、穂口雄右とスクールメイツの文化だと言える。70年代の音楽について、ようやく一般がその普遍的価値を認めるようになり、あの腐った右翼掲示板ですら、そうしたことを言い連ねている。時代が歌謡曲の文化と創造性を媒介していたのだとすれば、その時代の日本人が素晴らしい感性と精神を持っていたのだ。ひと頃、バブル崩壊後、脱構築主義と新自由主義が手を携えて日本の精神文化を破壊し汚染していた時期、何で飛雄馬の目が燃えているんだとか、低脳なお笑いタレントたちが70年代の文化を揶揄し罵倒し、ギャハハと笑って貶める時代があった。中島みゆきや井上陽水の初期の作品を侮辱して、クラいだのダサいだの石を投げる時代があった。今でもそれは基層で続いていて、現代人はその70年代否定の自己の価値観を否定できないはずだ。ビートたけしの番組や右翼掲示板などは、そうした70年代否定のイデオロギー発信の拠点であり、そこで感化され洗脳された者たちが、現在の日本のマジョリティを構成している。

70年代の音楽がそれほどいいのか。作品性がすぐれているのか。ならば、そう言って群れている右翼掲示板の面々に問おうではないか。そのとき、君はどの政党に投票していたのだ。30年前、当時は選挙の投票率が70%の時代だが、当時、10代や20代の若者だった者は、どの政党を支持していたのだ。東京や大阪の知事選で当選していた者は誰だ。そうした政治状況と、当時の音楽性とは無縁なのか。明らかに、80年代以降、日本の音楽の想像力は萎んで衰え、名作を世に送れる音楽家は絶えたが、そのことと、80年代以降の右傾化や新自由主義化や脱構築主義化は無縁ではないのか。日本人の精神の退廃として一つの現象ではないのか。「政治改革」で小選挙区制と二大政党制を導入し、今の窮極まで政治を堕落させてきたことと、感動できる音楽を作れなくなったこととは、同じ一つの問題なのではないのか。キャンディーズの溌剌とした目の輝きは、心の純白さや健全さを現していて、それは現在の日本人が失ったものだ。もし、日本人の心が70年代的な真面目さを取り戻すなら、政治についても当時の判断や選択に戻るべきだろう。テレビでその後の田中好子の姿が紹介され、パーティーでの挨拶とか、「徹子の部屋」での言葉を聞いていると、そこに本当に素敵な大人の日本人がいる。素直で良識のある日本人がいて感銘を受ける。きちんと教育がされた日本人がいて、賢くて強くしっかりした内面を持っていることを感じる。彼女はあのまま成長した。われわれは歪み、軽くなり弱くなった。母親役を演じられる女優は、ますます希少になるだろう。

田中好子は、生きていれば、吉永小百合を追いかける女優になっていたのだろう。残念だ。

by thessalonike5 | 2011-04-23 23:30 | その他 | Trackback | Comments(2)
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Commented by とらよし at 2011-04-23 23:31 x
【四人兄姉】

青春を経た後は、朱夏→白秋→玄冬と続きます。「青春」以外の美しい響きを持った兄姉は、死語となってしまいました。
末弟の「青春」だけが、形骸化されても踏みとどまっているような気がします。兄姉を蘇らせんためだけのために。
80年代のイメージは、コンビニ、ファーストフード、派遣労働等が劇的に増えましたね。芸能界で言うと、人材育成というより、短期プロジェクトに移行していったように思います。おにゃんこクラブとか。世の中が軽薄になっていった感じ。
Commented at 2011-04-24 08:47 x
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