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この街・あの人・どんな顔       2004/06/05掲載

竹山流津軽三味線教授
  高橋 竹音
たかはし ちくね 1965年生まれ
北海道根室市出身/相模原市在住
津軽三味線の名手・初代高橋竹山の数少ない内弟子のひとり。9歳から端唄・小唄・民謡三味線を始め、16歳で竹山に入門を許される。19歳から25歳までは内弟子として修行を積み、21歳の時『高橋竹音』を襲名、国内各地で演奏活動を行う。29歳で結婚。現在は、演奏活動のかたわら後進の育成にも尽力。6月には自身初のCDを発売。2人の小学生の優しいお母さんでもある。

「継続は力なり」と語る父を信じて稽古をした。


師匠、高橋竹山の手をひいて
(青森 高橋邸前)

津軽三味線『竹山流』について

津軽三味線には、大きく分けて2つの演奏法があります。バチを叩く様に弾く「叩き三味線」ともうひとつは、津軽三味線の名手として謳われた『初代・高橋竹山』が奏でた「弾き三味線」。弦の余韻を演奏に生かし、時には強く、またある時には優しく謳うように弾くのが特徴。

 

 

 『弾きの津軽三味線』の音色が 「杜のホール」に響く、高橋竹音・30周年記念公演。10年ぶりの舞台で、目を閉じて三味線を奏でる彼女には、今は亡き師匠と父の姿が見えたという。「初心に戻れた」と呟く安堵の表情が印象的だ。


 昭和40年代の北海道根室。周囲には1軒の家もない。オホーツク海と山に囲まれ電気もなく夜になるとランプを灯し、水は沢から汲んでいた。浜でウニや魚を取り、ハマナスや野苺をおやつにした。竹音さんは遥かに見える国後島を眺め、豊かな自然の中、温かい家族の元で育った。

父の想い
 竹音さんは父親が大好きだった。津軽出身の父は故郷の津軽三味線を極めたかったが、生業としていた狩猟中の事故で片手を喪失。その想いを妻に託そうとしたが、興味を示さない。それではと、まだ9歳だった長女の竹音さんにその想いを委ねた。
 「嫌だなあ、と思いながらも毎日稽古をしたの。父の喜ぶ顔が見たかったから」
 三味線には、細棹・中棹・太棹とあり、種類も形も持ち方も違う。初めは細棹で端唄や小唄の三味線を近所で習った。一通り会得すると、父親は次に大きな三味線を買い、竹音さんの手を引き別の師匠の門を叩いた。不器用だがひたむきに三味線を弾く竹音さん。その姿を見て、本気で娘に三味線を修得させようと決意した父親は、道内中の名師匠の元に通わせた。厳しい稽古を嫌がらずに頑張ることができたのは、父親が常に竹音さんの傍らにいて、どんな悩みや迷いも受け止めてくれたからだろう。

師・高橋竹山の元へ
 16歳の時、親子連れ立ち、弦の余韻を演奏に生かす、繊細な「語りの三味線」として名高い『高橋竹山』の門を叩くが、習うことすらできなかった。しばらくの間、津軽で一人暮らしをしながら、いわゆる「叩きの津軽三味線」を別の師匠について習った。
 「青森では、歩いてるとどこからともなく三味線の音が聞こえてきたりする。だから、音を出すのを気にするなんてことはないの」。民謡が育った土地ならではのことで、一層稽古に精を出した。
 翌年、竹山師匠作の「鯵ヶ沢甚句」を弾いていたことが縁で、通い弟子としてやっと入門を許され津軽に居を移す。内弟子となった19歳からは、家事のかたわら稽古の毎日。竹音さんの三味線を聞いた師匠は「強い音だ。漁師の音だな」とだけ言い、稽古をつける時も叱ることはしなかった。しかし、家の中ですれ違いざまに「まいね(ダメ)」と繰り返し言った。なんとか誉めてもらいたくて、さらに稽古に励んだ。ある時師匠が「うん。竹音がいい…。面倒だからさ、高橋も付けてしまえ」とポツンと呟いた。『高橋竹音』を拝名したのだ。異例のことだった。この世界では、まず『名』を貰い、その後本当に認められた者だけが師匠の『氏』を名乗ることができるのだ。

父の死、そして師匠の死
 師匠が大病を患い、看病に明け暮れていた最中に父の訃報が届く。父は死に直面してなお、修行中だから竹音を呼び寄せるな、と頼んだ。竹音さんは3日間だけ根室に帰り葬式を済ませ、父の思いを胸に、津軽の師匠の元へ戻った。
 その後、師匠は回復。25歳で師匠の元から巣立ち、29歳で結婚。2人の男の子に恵まれる。師匠からは「今度はお母さんの音だぞ」と励まされた。子育ての間は演奏活動はできなかったものの、稽古だけは毎日欠かさなかった。
 竹山師匠は6年前に他界。気がつけば、弟子の指導をするだけになっていた三味線。子育てがひと段落した頃、「人に聴いてもらうことを忘れてないか?」… 師匠の声が聞こえた気がした。それからは機会あるごとに「三味線を弾かせてください」と、積極的に働きかけるようにした。縁あって、祝企画がマネージメントを引き受けてくれたので、三味線だけに集中できるようになった。先月4日の30周年記念公演は満席。弟子たちとも合奏。小学5年の息子との二重奏も披露した。
 舞台の竹音さんは力強い。見事なバチさばきと繊細な音色で観客を魅了する。ところが、素顔は普通の人。「ポスターの前に私がいても誰も気づかないの」と津軽訛りをまじえコロコロと笑う。何のてらいもない柔和な笑顔に戸惑いさえする。その2つの顔は、師と仰ぐ人や家族の愛に育まれたものだ。そして、その愛に応えようと努めるひたむきさが『高橋竹音』の芯になっている。

 

高橋竹音インフォメーション

◆6月20日(日) CD発売 
 『 高橋竹音・三味線生活30周年記念公演ライブ版 』
 ※店頭にてCDを販売していただけるお店を募集しています。

◆地域の夏祭りなどのイベントにも出演致します。
 《 問合せ先 》 祝企画 (代表 祝 桃太郎)
  相模原市上矢部3-3-8 TEL 042-753-6872

《 高橋竹音のホームページアドレス 》
 http://jns.ixla.jp/users/jtokita2290027016/

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