写真 生きるための三味線。高橋竹山は1910年(明治43年)、青森県東津軽郡中平内村小湊で農家を営む高橋家の次男として誕生。生家はもちろん、当時は世の中自体が貧しく生活環境も悪かったため、2歳の頃にこじらせた麻疹がきっかけで半失明となった。次男である以上、将来は家を出なければならない。しかし目が見えなくては仕事が制限される。こうして竹山は三味線と出会うことになる。つまり、生きていくために稼ぐ芸の手段が三味線だったのだ。 |
【写真の説明】三味線を弾く絶頂期の竹山。「仕事の道具と割り切っていたのか、家ではほとんど三味線を弾きませんでした。それよりも、好きで吹く笛の方が印象的。何よりじっちゃの嬉しそうな顔が記憶に残っています」(哲子氏) |
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