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東日本大震災:豊かさ与え、故郷奪った…原発に思い複雑

避難所で孫の萌さん(左)と過ごす黒沢ヨシ子さん。孫のために自宅を再建したいが、原発事故が収まらないと戻ることはできない=福島県南相馬市の原町第一小で2011年4月20日、前谷宏撮影
避難所で孫の萌さん(左)と過ごす黒沢ヨシ子さん。孫のために自宅を再建したいが、原発事故が収まらないと戻ることはできない=福島県南相馬市の原町第一小で2011年4月20日、前谷宏撮影

 東日本大震災の津波で大きな被害が出た福島県南相馬市小高区。農業を営む黒沢ヨシ子さん(70)は、夫剛さん(72)を津波で失い、長女まゆみさん(44)は行方不明になった。自宅跡地と田んぼは海水に沈んだままだ。福島第1原子力発電所から20キロ圏の警戒区域にあり、捜索も進まない。原発建設に従事した夫の背中を見ながら「原発のおかげで生活が楽になった」と思ってきたヨシ子さん。今は原発に故郷や思い出を奪われたような複雑な感情がわいている。

 ◇夫失った南相馬の70歳女性

 市内の避難所にいるヨシ子さんに、剛さんの免許証を持った遺体が見つかったと警察から連絡があったのは今月11日。「生きている」と信じてきたヨシ子さんは、遺体の顔を直視することはできなかった。「苦労して作り上げてきたものをすべて失った」と思った。

 ヨシ子さんが嫁いできたのは21歳。地元の人たちは腰まで泥につかり、水田に浮かべた小舟に刈り取った稲を積んでいた。貧しい集落で、貧困から抜け出すためか、男たちは出稼ぎに出た。剛さんも北海道から九州まで工事現場を渡り歩き、自宅にほとんどいない。ヨシ子さんも泥まみれになって田を耕した。

 だが、まゆみさんが生まれた67年ごろ、変化が生じた。ちょうど第1原発の建設工事が始まり、地元に仕事が次々舞い込むようになった。剛さんは幼いまゆみさんと遊ぶ時間ができたことを心から喜んだ。土地改良も進み、泥の海だった田んぼは農業機械を使える美田に生まれ変わった。わらぶきの自宅も改築した。夫婦で「旅行でもしながら余生を楽しもう」と思えるようになった、そんな時に起きた震災。続く原発事故が自宅周辺への立ち入りを阻んでいる。

 避難所で朝を迎え、天井を見る度、涙が流れる。夫と娘と作り上げた我が家を失った現実がのしかかる。「原発には複雑な気持ちだ。地元のみんな、そう思ってっべ」【前谷宏】

毎日新聞 2011年4月23日 21時17分(最終更新 4月23日 23時08分)

 

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