#人が祝賀ムードに包まれているときに冷水を浴びせるような、ブサヨじみた真似はできれば避けたいものですが…

NHKが全国ニュースで流していたものの、国内の報道はそれほどなかったようですね(朝日共同通信長崎新聞)。
 式典で白柳誠一枢機卿は「日本での迫害は長期にわたり、残酷さは類を見ない。殉教者は人生の意味や苦しみなど根本的な問題を考えさせてくれる」と述べ、サライバ枢機卿は「188人がいつの日か聖人に列せられることを望んでいます」とあいさつした。(共同)

当然というべきか、欧米メディアのほうが扱いが大きかったようです。
Japan looks back on 17th-Century persecutions (BBC)
Japan's Catholic martyrs honored in mass ceremony (Reuters)
Japanese Christian martyrs to be beatified (AP)

ブログ界隈では「なぜこの時期に?」と政治的意図を探る人も。信者の高齢化も一因なのでしょうか。
列福式があったらしい - あんとに庵◆備忘録
グロ〜ぉぉおおぉぉぉリア♪ - finalventの日記
「中国と関係か」どうですかね? ずいぶん回りくどいような。だいたい教会だって自分たちの利益のために独裁者とも手を組んできたのではないのか、と適当な知識でいってみる。
「右傾化する日本への懸念」そちらのほうがあるかもしれませんね。見えない敵と戦ってる感じはしますが。

高見三明というのも、この「列福式」実行委員長のカトリック長崎大司教はこのような人物です。
長崎新聞 今、9条を語る 憲法論議の中で(2005年4月27日)
高見三明さん   飾りではなく現実的に
ひと:高見三明さん=日本初の「列福式」実行委員長(11/21 毎日)
 弾圧を乗り越え、250年以上信仰を受け継いだ長崎の信徒は「宗教史の奇跡」と呼ばれる。その一方で、長崎は原爆による壊滅も経験した。故郷の歴史は、自身の生い立ちとも重なる。隠れキリシタンの末裔(まつえい)で、妊娠中の母のおなかで被爆した胎内被爆者だからだ。祖母や叔母らは原爆症で命を落とした。

 「母は最後まで被爆体験を語りたがらなかった。戦争の傷跡が、まだ周囲に色濃く残っていました」。母への思いは平和運動につながった。03年のカトリック長崎大司教就任後は、被爆者団体代表や仏教関係者らと共に「長崎県九条の会」の呼び掛け人にもなり、護憲の発言を続ける。

共産党機関紙にもたびたび登場してきました。
「宗教者九条の和」が平和の巡礼 2005年11月6日(日)「しんぶん赤旗」
国家・宗教の距離保たねば、信教の自由は守れない 高見大司教が講演 「しんぶん赤旗」2008/1/20(日本共産党長崎県委員会)
こうした上層部の「左傾化」には内部からも批判があるところです。
思考の断片(18) 正平協全国集会と九条の会 野村勝美
つまり、「九条の会」活動は日本共産党が“その一翼を担って”いるのであり、“日本共産党の真価を発揮する歴史的な時期”と位置づけているのです。これはもうスポンサーというよりオーナーであります。実際日本共産党は九条の会と連携しためざましい活動を、全国で展開しています。
更に、2005年4月16日付「しんぶん赤旗」によれば、
“全国の宗教者に「九条の会」アピールへの賛同を呼びかける「宗教者九条の和」の呼びかけ人”
として、4月15日現在55名、の名が発表されています。
◎印は呼びかけ人世話役とあります。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-04-16/03_02.html
カトリック聖職者のみをピックアップすれば、

白柳誠一(カトリック 枢機卿)
池長 潤 (カトリック 大阪教区・大司教)
大倉一美(カトリック 東京教区・司祭)
大塚喜直(カトリック 京都教区・司教)
岡田武夫(カトリック 東京教区・大司教)
菊地 功 (カトリック 新潟教区・司教)
高見三明(カトリック 長崎教区・大司教)
谷 大二 (カトリック 埼玉教区・司教)
野村純一(カトリック 名古屋教区・司教)
松浦悟郎(カトリック 大阪教区・補佐司教)◎
三末篤實(カトリック 広島教区・司教)
宮原良治(カトリック 大分教区・司教)
溝部 脩 (カトリック 高松教区・司教)

55名のうちの13名ですから、ほとんど中核メンバーと言えます。と思いつつインターネットで検索しますと、“「宗教者九条の和」事務所”は、

〒135-8585 東京都江東区潮見2−10−10
日本カトリック会館内

にあり、何のことはない、カトリックに本拠があるのです。

http://www.shukyosha9jonowa.org/yobikake.html
この「正平協」のサイトでは溝部脩司教のお名前がありません。「赤旗」の発表しているものとどういう関係にあるのか分かりません。それにしてもこれだけ多くの高位聖職者が、日本共産党の政治戦略を分かった上で賛同なさったのでしょうか。分かった上でなら暗澹たる気持ちになります。分かっておられないなら、やはり暗澹たる気持ちになります。

ダライラマ法王 北九州 講演会 11/4  ★ 東京 講演会 11/6-★おつるの秘密日記 酒と薔薇と愛の日々★
ところで、この秋 カトリック正平協 大阪教区の
松浦補佐司教が呼びかけて

9/26(土)第4回シンポジウムと平和巡礼 inおおさか のお知らせ
テーマ:
「宗教者九条の和」 輝かせたい憲法第九条

大阪カテドラル聖マリア大聖堂という カトリックの聖なる場を
政治集会で 汚すのです。
わたしちと 信徒は悲しんでいます。

おつる、チベット国旗 持って
大阪カテドラル聖マリア大聖堂で暴れようかしら。

松浦補佐司教は、日本カトリックを国にたとえたら
金正日みたいなもんです。 選挙で選ばれたわけでもないのに
国民を洗脳して 独裁政権でお金は 使い放題です。


呼びかけ人として 宗教者がおもいきり参加
この方たちは チベット問題スルーなんですよね

まあ信者じゃないのでどうでもいいのですが。沢田研二のほうがよほど社会的影響力がありそう(笑)

しかしもう一つ看過できない論点があります。
国内初「列福式」まで1ヵ月 長崎に信者2万7000人(10/24 西日本新聞)
 折しも同県は、世界遺産の国内候補となった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の本登録へ向けた正念場。「行政は宗教行事に直接かかわれないが、世界遺産登録を後押しする好機」(嶋田孝弘県企画監)と期待し、登録への支援を求める冊子を全参列者に配る方向で準備を進めている。

長崎で国内初の「列福式」、ひも解かれる隠れキリシタン史(11/20 AFP)
 今回の隠れキリシタンたちの列福は、書類の提出から25年以上を経て前年、現ローマ法王ベネディクト16世(Benedict XVI)が決定した。式は平和を象徴して、1945年8月9日に原爆が投下された長崎平和公園で行われる。法王庁の前列聖省長官ホセ・サライバ・マルチンス(Jose Saraiva Martins)枢機卿が出席するが、政府関係者は、カトリック教徒である麻生太郎(Taro Aso)首相さえも招待されていない。
 キリシタンの迫害についてはある程度は知られているが、関心は総じて薄いと、歴史家らは口をそろえる。日本におけるキリスト教徒の数は100-200万人、うち約50万人がカトリック教徒と推定される。

政教分離の問題ですね。左派系キリスト教徒たちが、神道を攻撃対象にした政教分離訴訟を主導してきたことは以前にも書きました。
相次ぐ神社放火と政教分離訴訟のいかがわしさ

高見氏はこの分野でも厳格な分離を説きますが、その主張の矛盾をめぐり内外から批判を浴びています。
信教の自由と政教分離に関する司教団メッセージに対する疑問 河野定男(夙川教会信徒)
教会がもし「靖国神社参拝は問題あり」と考えるなら、その理由をはっきり説明すべきである。祖国のために命を捧げた人々に尊敬と感謝の念を表し、慰霊する行為が、キリスト教の倫理的立場からみて、是とすることができないのか?そして、このような人々のみを(英霊のみを)祀る靖国神社の存在は好ましいことではないのか?言葉を換えて云えば、「いかなる国民にも、祖国のために身命を賭した人びとに対して、尊敬を表し、感謝を捧げることは、大切な義務であり、また権利でもあります。・・いま靖国神社は神道の単なる霊廟ではなく国民的尊敬のモヌメントである・・。したがって、このようなものを廃止するのは、国民の大切な義務と権利を否定することになりはしないでしょうか?」(志村辰弥「教会秘話」P204)とマッカーサーに進言し、靖国神社の存続を守ったイエズス会のビッター神父の見解が、現在では妥当性を失っているのかどうかを、その根拠を示して明確にする義務があるのではなかろうか。この問題を正面から捉えることをしないで、社会的儀礼の範囲で国や公共団体の行う宗教的行為(首相の靖国神社参拝)を許すことになれば、かつての強制的な靖国神社参拝を想起させ、これは基本的人権である信教の自由を侵害することになるから、政教分離を定めた憲法20条は厳格に守られねばならないとする07メッセージの主張には、明らかに論理の飛躍がある。

斎藤吉久メールマガジンNo.392「神社行事の祝辞が違憲ならカトリックは?」
 しかも長崎教区の高見三明大司教は名にし負う政教分離論の伝道師で、厳格主義を以前から布教しています。たとえば、「信教の自由と国家」(『信教の自由と政教分離』カトリック中央協議会、所収)では、「憲法20条の諸規定は、できるだけ厳格に解釈されるべきです。なお、憲法89条では、公金が宗教団体の青、便益または維持のために支出されることが禁じられています」と述べられています。

 であれば、もし本気で絶対主義を唱えるなら、高見大司教は県主導による登録運動を辞退すべきです。白山比め神社を含む石川県の世界遺産登録運動が地元経済団体に事務局をおいて推進されているように、行政主体で進めなければならない理由はどこにもないからです。

 逆に、たとえば今年の3月、長崎県教育委員会が主催し、大浦天主堂を会場に開かれた世界遺産シンポジウムに高見大司教がパネリストとして参加しているように、行政の支援を求めたいのであれば、厳格主義が判例とならないように、高見大司教は白山市長の上告審を応援すべきです。

 大司教のとるべき道は2つに1つです。そうでなければ、ご都合主義もしくは二枚舌のそしりを免れず、真理を語る宗教者としての資格性を問われます。

そして今回の列福式は長崎県営野球場で行われました。まぎれもない宗教行事に公金が支出されているわけですよね。
同球場の行事予定によれば、今年10月から来年2月までのスポーツ以外の利用は列福式以外は「長崎県警察年頭視閲式」の一日だけ。しかも17日から23日まで列福式設営、25日から27日まで撤収作業と11日連続もの利用は他に例がない。

長崎で行うためには他に場所がなかったということかもしれません。しかし殉教者は必ずしも長崎ばかりではなく、人数的には京都や米沢の人が多い。
特集:ペトロ岐部と187殉教者」列福関連情報
「李下に冠を正さず」という言葉もあります。他の都市で公共の施設を使わずに行うという選択肢はなかったのでしょうか。

仮にこれが保守に近い宗教団体の行事だったら―あまり現実的ではない想定ですが―左翼系のカトリック団体は静観したでしょうか? マスコミは今回のように好意的に報道したでしょうか? 「一宗教団体が公共施設を長期間占有することに市民からは批判の声が上がっている」とか、きっと否定的な記事が続出しそうです。
<12/12 追記>
「列福式に麻生首相は出席しない」と書いたAFPの地元フランスは厳格な政教分離をとるそうですが、こんなこともあったらしい。
マザー・テレサ - 防衛省OB太田述正アングロサクソン文明と軍事研究ブログ(2003.10.23)
先だって行われたこのマザーテレサの列福式(於バチカン)には、30万人の群衆のほか、(彼女の「出身」をめぐって争っている(太田))マケドニアとアルバニアのそれぞれの大統領、そしてフランスの首相が列席しました(http://www.guardian.co.uk/pope/story/0,12272,1066691,00.html。10月20日アクセス)(注3)。

(注3)フランス大統領夫人もフランス首相夫妻と一緒にこの列福式に列席したが、彼らは40人余りのお供を引き連れて仏空軍機二機でローマに乗り込み、無料で泊まれるフランス政府施設ではなく高級ホテルに宿泊し、ホテル代だけで10万ユーロ(約1300万円)も散財した、しかもフランス人でもない人物の列福式に列席すること自体がフランスが堅持する政教分離の原則に反する、との批判を浴びたhttp://www.asahi.com/international/update/1023/003.html。10月23日アクセス)。

当時の大統領はシラク、首相はラファランか。批判を浴びたとはいえ首が飛んだわけでもないし。それだけ特別な存在だったのかもしれませんが…

カトリック(欧米のメディアも?)のいう政教分離は「自分たちに甘く他人に厳しい」ものだという印象を拭えませんね。