日心会発足時の記憶をたどる
「会を立ち上げたいと思います。」 というメールをもらったのは、8月20日か21日の朝だった。
その時点では、かぐやひめ一人に相談を持ち掛けているという。
相談の眼目は「会の名称」だった。
当初、“さくら”とか“たんぽぽ”のような素朴なものにしたいと言っていたものが、27日に送られてきた企画書では「日本の心をつたえる会」に決定していた。
「これだけのものを立ち上げ、大勢をまきこむのに、どれだけの準備期間があったのですか?」と、ある人に尋ねられた。
原案が形になるまでに一週間。
8月28日に「名称は日本の心を伝える会(日心会)でいきます。」
「姓名判断的に画数がよろしい」とねずきち氏からメールで解説。
「9月に発足させて、資金を集めるが、思うような額が集まらなければ、お金を返却して、解散する」という。
このことに、かぐやひめは異を唱えた。
「お金が集まらなければ解散するだなんて、その程度の根性なら、最初からやらない方がいい。」
かぐやひめ 「資金はあるのですか?何をするにも、お金が必要です。」
ねずきち 「商売をしてきているから、いくらかの蓄えはあるが、限りがあ る。」
ひめ 「お金をかけないようにするべきです。ホームページを作成するた めに何十万も投入するなんて馬鹿げている。」
ひめ 「ねずきちさんが、このことに入れあげて本業が疎かになるのでは ないかと心配する人がいますよ。」
ねず 「これを、本業にしたい気持ちです。」
企画書を見て、私は驚いた。
9月中に1000名の会員を獲得し、10月から活動を開始する。
準備期間がわずか2週間だったのにふさわしい、電光石火の計画だった。
企画通りに進めるのは不可能に近いと思えた。
「知人に打ち明けると、会長の器ではないと言われた」、
名称を検討している時に「こういう会は名称を見ただけで、何をする会なのか、一目で解るのが良いというアドバイスを受けた」という2回、他にも相談する人があるような口振りだった。
内容に関しては、かぐやひめを相談相手にするというよりは、自分だけで構想を練ったように見えた。
『金属加工業のおやじ』という横顔は、ほとんど、うかがえなかった。
後日「職業は食品加工業」だと、本人の口から聞いた人があった。
「普及するためには、会長のプロフィールがはっきりしていないと、入会を勧めても人は話を聞いてくれない」・・・そう言ってプロフィールを尋ねたが、最後まで、職業は、はっきりしないまま。
夜も寝ないでブログを更新し(そのためには膨大な検索が必要でしょう)日清戦争の記事を書くために13時間かけたと聞いたことがある。
家業をほったらかして、そんなことしてて大丈夫なのかと心配した。
いろいろな断片はあっても、ねずきち氏の実像が結べない。
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