日心会のリーダーシップ
指導力(リーダーシップ)あるいはカリスマ性。
属性としては「経済力と人事権」
これを備えていないと、群れはついてこない。
「カリスマ性」の正体はなんだろうと考えてみた。
揺るぎない自己愛・完璧な自信ーそれがカリスマだと思う。
凡人にはもてない感覚であり、孤高。あとから獲得できない天性のもの。自分を神だと自覚できるほどのナルシズム。
いずれにせよ、顔を出して、姿を見せていなければ群れは「彼」をリーダーと認めることが出来ない。
だれについていったらいいのか、わからず迷子になってちりじりになる。
だから、
「ブログの表紙に顔写真を出して下さい。簡単なプロフィールをつけてください」と、11月の終わりにねずきちさんに頼んだ。
「でないと、群れはついていく対象が見分けられない」
「なんのことか、わかりません」それが返事だった。
人を集めて、人々を率いる・・・そのためには、かかせない条件がいくつかある。
リーダーシップとフォローシップ
リーダーは「上とか偉いとか」言うのではなく、きっちりと群れに顔をみせて、嵐が来ても立っていなければいけない。
その姿に感動して、人は従う。
ついていく側には、組織としての仕組みがあり、個々の立ち位置があり、立ち位置にふさわしいマナーがある。
それらを整備して、組織は成長する。
最初が肝心だ。誕生して、最初の3カ月。
ここを、はずしては、そこで折れる。
これらの私の意見は他の3人の幹部と対立し、私は、もう、存在できなくなった。
機械じゃないのだから「感情がともなう」
「こんなはずじゃなかった!なぜ、こんなことに・・・」
気持ちの整理と、状況分析を終えるのに、同じぐらいの時間がかかった。
最近、彼が「顔を出せなかった理由」とおぼしき情報が、あちこちのコメント欄に断片的に揶揄されている。
よほどの理由がなければ、こんな大切なことをスルーする意味が判らない。
金融(信販会社?)が、だめになって、消臭効果があるという飴をネット販売(5年間)どうやら、それが立ちいかなくなった時期に、日心会の立ち上げ。
のぼりを上げておけば「人が訪ねて来る」と、彼の口から聞いたことがある。いつなのか、誰なのか、そんなことは、わからない。でも、彼の後ろに「資本家がついた」のではないか?
ならば、その資本家の意志に従って仕事をすることになった。
だから、ある時期から、私にとってねずきち氏は、かつての彼とは違ってしまったのではないだろうか?
私に「危険だ!」と警告してくれる人々は「このうしろにある資本家」を警戒しているのだ。
でも、こういうことは、珍しいことではないと思う。
私が、無知だっただけのこと。
資本金なしでできることなどないのだから、なんらかの運動をしている人は、誰でも金づるを持っているに違いない。政治家だって同じだ。
ただし、ねずきちさんは、顔を出して熱く大衆をひっぱる時期を失ったと思う。もしも、群れを率いるつもりなら。
そうではなく、本当に文化活動に徹するなら、そういう指導力は必要ない。
今の姿勢は、あまりに中途半端。
だから、いらぬ疑心暗鬼に襲われる。
痛くもない腹を探られる・・・それとも、本当に痛い?のかな・・・
|
日心会のリーダー、操り人形になっているのですね。
2010/6/5(土) 午前 0:38 [ NICK ]
もしも、操り人形でなければ、言うべき言葉も、するべき動きも、ほかにやりようがあるはずだと考えます。
同じ土俵での真摯な反論があれば、こういうことにはならなかった。なぜ?いくらなんでも、違うでしょう?
2010/6/5(土) 午前 4:15 [ かぐやひめ ]
連載記事、参考になりました。
いろいろなことが想像できる組織ですね。
傑作・くり
2010/6/5(土) 午後 3:37 [ 敬天愛人 ]
随所にブラックボックスが、あるから、その虫食いを埋める用語によっては、恐怖に引きつるし、違う用語をはめれば「あほちゃうん?」という・・・いろんなことが想像できる組織であり、人物です。
飽きませんね。
2010/6/5(土) 午後 4:00 [ かぐやひめ ]