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[26941] 【習作・長編】天遣将軍記【真・恋姫無双二次・オリ主】
Name: 宮崎県民◆c439a1df ID:c036fe00
Date: 2011/04/23 00:58
まえがき
これは、真・恋姫無双の二次創作です。
わりと気楽な気持ちで書いているので、地理的なものや史実なんかのこと、人の呼び方や役職名とかは気にせず書いてます。
皆さんも軽い、気分転換的な気持ちで読んでやってください。
一部オリキャラが登場します。←真っ赤なウソでした。バンバン出てきます。というか四話でやっと原作キャラが登場するザマです。
更に主人公がオリ主でチートです。
また、一部環境依存文字を使用しております。

そうした物が苦手、嫌いな方は、読むのは避けた方がよいかもしれません。
それでも読んでみようかな、と思われた方は、どうぞお進みください。




作品についてとか
あと一人、あと一人でオリキャラは出そろうんだぜ……。
あと、二話と三話を加筆修正したんだぜ……ぜ……。
次の更新は、ちょっと先になるかもしれないんだぜ……。




[26941] 一話 運命と出会った日
Name: 宮崎県民◆c439a1df ID:c036fe00
Date: 2011/04/12 22:28
俺は今、生まれ変わりというものを体験している。ある朝目覚めると、赤ん坊になっていたのだ。生まれ変わった前日の記憶が無いため、案外死んでしまったのかもしれない。
勿論最初は混乱したが、今は不思議と落ち着いている。親は勿論、周囲の友人の顔ぶれも前世(という表現で良いのだろうか?)と変わらなかったためかもしれない。
だから今は、これからの人生を頑張って生きていこうと思っている。そのために、勉学に武道に励む毎日だ。
そう、武道だ。どういうわけか分からないが、今俺は現代日本とは比べるべくもないほど過酷な、古代中国に生きているのだ。正確に言えば、古代中国に酷似した世界、なのだが。
普通、生まれ変わったなら前世より未来に生まれるのではないかと勝手に思っていたのだが、どうやら必ずしもそうではないらしい。

「雷、刺史様にご挨拶に行くよ。支度なさい」

ああ、すぐ行くよ父さん。




城に向かう道中で、龐会は自分に付き従う我が子について考えた。

まだ十に満たぬ歳だが、自ら進んで書を読み武を修め、日々修練を積んでいる。親の贔屓目を抜きにして、将来に期待させてくれる子であるように思う。
その証拠に、師として招いた知者達からは学問に取り組む熱心さと歳に似合わぬ礼儀正しさを称えられ、武の手解きをお願いした武芸者には何れ史書に名を残すことは間違いないと手放しで褒められた。
今回城に連れていくのも、評判を聞きつけた我が主に一度連れてこいと命ぜられたが故のことだ。
乱れ切ったこの時代において、このような良き息子に恵まれたことは望外の幸せなのだろう。どうかこのまま、正しく育ってくれれば良いのだが。




父さんに連れられ、城内に入る。
父さんはこの辺りを治める刺史様に仕える文官で、そこそこ上の地位にいるらしい。自慢をするような人ではないから詳しくは知らないが、家に使用人が何人もいたり、近所の人に敬われたりしているから、結構凄い人なんだろう。
ちなみに、母さんも同じく勅史様に仕えていた武官だった。
母さんが武官だということに驚いたが、どうやらこの世界では女性の武官というのも多くはないが珍しくもないくらいにはいる、らしい。
父さんは酔っぱらうとよく、母さんとの出会いからこれまでの日々のラブラブぶりを語ってくれる。曰く、殴られたときに電流が走ったらしい。
その語りから分かったことは二つ。父さんは母さんを心底愛していたということと、父さんはマゾだということだ。
そんな母さんは、俺が生まれてすぐに亡くなってしまった。産後の肥立ちが悪く、体力が衰えている間に病にかかってしまったらしい。
残念ながら幼かった俺は母さんのことが記憶に無いのだが、父さんに「雷の武は母さん譲りだね」と褒められた時は、自分でも不思議なくらい誇らしかったのを覚えている。
だから母さんの分まで父さんを支え、勅史様に仕えたいと思っている。それが、死んでしまった母さんに俺が出来る親孝行だろう。

謁見の間で父さんと共に待ちながら、勅史様に思いを馳せる。
涼州刺史、馬騰様。そう、三国志に登場する馬超の父親として知られる方だ。俺は多少三国志の知識があるのだが、どうやらこの世界の馬騰様は元の世界の馬騰様とは異なる経歴の方らしい。
馬家は代々涼州の統治を任されているとか、漢王朝に絶対の忠誠を誓っているとか……まあその程度の差異、そもそも馬騰様が女性であるという事実に比べれば大したことではないが。
馬騰様のお姿は、これまでに幾度か目にしたことがある。戦装束に身を包み、背筋を伸ばし凛々しく馬を進められる馬騰様を見て、子ども心(といっても、中身はもう三十路なのだが)に憧れたものだ。
その馬騰様と、言葉を交わせる。胸が熱くなるな。
警備の兵が、馬騰様の到着を告げる。頭を下げているため見えないが、正面の刺史の椅子に誰かが座ったのが気配で分かる。

「面を上げよ、龐会」
想像よりハスキーな声だ。威厳は感じたが、威圧的な響きは無かった。

「よく来た龐会。休暇中だと言うのに、呼びつけて悪いな。しかし、その様子はどうしたのだ。少々畏まり過ぎではないか」
「御言葉はありがたく。ですが、今日の私は公人の龐会ではなく、私人の龐会として参っております。民が勅史様を敬うのは当然でございます」
「ふふ、まあよいだろう。そなたのその真っ直ぐな心根は好ましく思っている。そなたの息子は、父に恵まれているな」
父さんが頭を下げたのが分かる。礼儀としてのものだろうが、それ以上に恥ずかしかったからだろう。父さんは照れ屋なのだ。

「龐会の息子、そなたも面を上げよ。私に顔を見せてくれ」
言葉に従い、顔を上げる。
栗色の長い髪、穏やかなのに不敵さ感じさせる表情。纏っている雰囲気も、何と言うか鋭い。更に眼つきも鋭い上にウルフヘアーのせいで、どこか獣を連想させるものがある。そのくせ、その双眸には知性の煌めきが宿っている。
 以前から美しい方だとは思っていたが、こうして間近で見るとやはりどきりとするほど美しい方だ。

「良い目をしている。曇りの無い、澄んだ目だ」
俺は黙って、頭を下げた。発言を許されていなかったこともあるが、それ以上に面映ゆい思いに駆られたからだ。そう、俺も照れ屋なのだ。

「幾つか聞きたい。良いか」
「なんなりと」
「故事や古典をよく学んでいると聞く。何故だ」
「私はまだ幼く、知識も無ければ経験もございません。その私にとって、先人の残したものはまさに金銀を超える宝そのもの。学ばずにはおられません」
「童らしからぬことを言う。では先日、牛を引きずって歩くほどの力自慢と武を競って勝ったと聞いた。事実か」
「はい」
嘘のような事実を俺が肯定すると、馬騰様はにやりと笑った。

「では、私と武を競った場合、私に勝てると思うか」
「勝てるかどうかは分かりません。馬騰様の武勇は聞き及んでおりますから。ですが」
そこで言葉を切り、面白そうに俺を見つめる瞳を見据えて言葉を続けた。

「少なくともそれ以後、馬騰様は成長なさるでしょう。容貌や年齢に気を取られ、人を侮る心を捨てることが出来るのですから」
誰かの息をのむ音が聞こえた。俺の視線の先で、馬騰様が虚を突かれたような顔をしている。だがそれも一瞬、馬騰様は少女のように破顔した。

「勅史である私によく如才無いことを言えたものだ。頭が回り、度胸がある。大した童だ」
「ありがとうございます」
「だが、お前の言葉にはまだ信憑性というものがない」
「当然の事です。私にはまだ、馬騰様を納得させるだけの実績がございませんから」
「その通りだ」
淀みなく、俺と馬騰様の間で言葉が交わされる。隣に控えている父さんが驚いているのが分かる。俺も驚いている。何と表現すればよいか。
とても自然なことのように思えるのだ。馬騰様と言葉を交わすのが。馬騰様も楽しげに見えるのは、決して気のせいではないだろう。
そうだ、きっとこれは。

「では、最後の問いだ。龐会の息子よ。私の元で、そなたの言葉が嘘ではないと証明してくれるか」
俺は姿勢をただした。臣民が勅史にするものから、家臣が主にするものへと。迷いも躊躇いも無い。本懐を遂げるのだ。なんと幸せなことだろう。
そう、きっと俺は、この日初めて―――

「姓は龐、名は徳、字は令明、真名は雷。この一命、馬騰様に捧げましょう」


―――この世界に来た所以、運命と出会ったのだ。






現在にまで伝えられ、愛されている忠勇の士、龐徳はこうして生まれた。
今日において、三国時代の忠臣として魏の夏侯惇、呉の周瑜(書物によっては黄蓋)、蜀の関羽に、西涼の龐徳の名が挙げられ、三国志の四忠臣と称せられている。
厳密には、三国の成立前に西涼は曹操によって討伐されている。それでもなお西涼の将として龐徳を加えることに誰も異論を挟まないのはやはり、その忠義故のことだろう。
後に、この日のことを振り返り馬騰は手記に次のような記述をしている。
『あの日ほど強く、天意を感じたことは無い。雷を得られたことは、我が人生の中で無上の幸せであった』と。


―――『天遣将軍龐徳』より抜粋






[26941] 二話 風
Name: 宮崎県民◆c439a1df ID:c036fe00
Date: 2011/04/23 00:57
「本当に大丈夫かい、雷。お前が思っている以上に、仕官するということは大変なことなんだよ」
このようなことを言って、龐会は我が子を心配した。だがやがて、息子の決意が固いことを知ると諦めたようにため息をついた。
「その眼、母さんそっくりだよ。分かった、もう何も言うまい。しっかり馬騰様に仕えるんだよ、龐徳」
父の言葉に、龐徳は力強くうなずいた。





「よく来たな龐徳。待ちわびたぞ」
初出仕の日、謁見の間に通された俺を出迎えた馬騰様は、興味深そうに俺を観察しだした。俺はと言えば、ただひたすら直立不動でいた。
馬騰様と会うのは構わないのだが、父さんが仕官に合わせて買ってくれた上等の服が着なれないのだ。そんな自分をじろじろと見られて、非常に恥ずかしかった。以前も言ったが、俺は照れ屋なのだ。
そんな俺の内心を読み取ったかのように、馬騰様は口元を歪めた。

「馬子にも衣装だな」
あんまりだ。

「さて、では本題だ」
地味にダメージを受けた俺を知ってか知らずか、いや、あのにやにや笑いは確実に気付いている。なんて上司だ。
ともかく、にやにやとお笑いあそばせながら、馬騰様は口を開かれた。
「今日は一日、兵たちに混ざって訓練を受けてもらう。明日は文官達と一緒に事務仕事、そして明後日以降は……」
そこで言葉を止めた馬騰様は、微笑んだ。その顔を見たら急に、背筋が冷えた。

「訓練、事務、両方をこなしてもらう。朝から晩まで、毎日だ。馬車馬の如く働いてもらおう」
「……わかりました」
この勅史、容赦ねぇ。いや、勿論働くことは問題ないのだが、中身は立派な大人でも一応外見はまだ子どもの俺に対して、馬車馬の如くとか言うなんて普通じゃ考えられない。
先行きに関して微妙に不安を抱いた俺だったが、それも束の間のことだった。
「期待しているぞ、雷」
自分が今、なんと呼ばれたかを理解するまでにたっぷり数秒かけた後、俺はすぐに頷いた。

「お任せを」
いや、何と言うか、ははは。俺は照れ屋である。それと言い忘れていたが、俺は素直なのだ。





「ではひとまず、練兵場に案内しよう。付いて来るがいい」
「そんな、わざわざ馬騰様を煩わせるわけには」
なんてお堅い奴だ、と言いかけたが、良く考えればこの少年の父はあの龐会なのだ。真面目なのもある意味当然かもしれぬ。

「気にするな。散歩のついでだ」
思い直してそう言うと、龐徳が何かを言う前にさっさと歩きだす。慌てて、龐徳は私の後を付いてきた。
謁見の間を出て少し歩いてから、ちらりと背後の龐徳を窺う。その顔にはやはり、あまり表情がない。
先日の謁見の際にも感じたことだが、龐徳はこの歳頃の子どもにしては感情があまり顔に出ない。無表情、というわけではないのだが、感情の発露が薄いのだ。

(気に入らぬな)
利発なのは良いが、子どもはもっと、鬱陶しいくらい感情を表に出すものではないだろうか。そうでなければ、大人になってからが困る。感情の制御が出来ないだろう。
何より、子どもには笑顔が似合うのだ。娘を見ていると特にそう思う。
一言言ってやろうと思い、私は足は止めずに首だけを向けた。すると、考え事をしていた間に思ったより距離が開いてしまっていたのだが、龐徳は私に置いていかれぬようちょこちょこと、やや速足で歩いていた。
そう、ちょこちょこと、だ。考えてみれば、戦場に慣れたせいか私は早歩きだとよく言われる。娘にもよく叱られる。そして龐徳は、まだ娘と同じ子どもだ。当然歩幅も小さいだろう。かと言って走ることも出来ない。
その結果が、あの歩き方というわけか。よく見ると、龐徳の表情も真剣というか、一生懸命に見えないことも無い。これは……ふむ。
気が付けば、私は立ち止っていた。
不意に立ち止まった私を不思議に思ったのだろう。追いついた龐徳は不思議そうに首をかしげつつ、私を見上げてくる。
「どうかしましたか、馬騰様。私が何か粗相でも……?」
今度はやや不安げに見える。なるほど、これは良い。観察眼を磨く事が出来る。何より、この者なりに感情を表現しているようで安心した。
「いいや、そなたはそのままで良い。無垢は嫌いではない」
「はあ……?」
「戯言だ。気にすることはない」
私は話を切り上げ、練兵場への歩みを再開した。そういえば、これは散歩を兼ねていたのだった。散歩はのんびりと行うものだ。急くものではない。
だから、先程より歩みを遅くしたのは散歩を楽しむためだ。それ以外の理由は存在しない。存在しないのだ。





「紹介しよう。と言っても、知っているとは思うがな。この者は戎茂(かいむ)。我が軍が誇る知勇兼備の勇者だ。少々無口なのが玉に瑕だがな。もう少しお喋りというものを学んではどうだ?」
「……」
「御覧の通りだ。まあ、悪い奴ではない。安心してくれ」
いや、無口がどうとか、そこじゃないでしょ。注意すべき点は。
馬騰様に紹介された武官、戎茂さんは何と言うか、うん。本当に人間?
二メートルはありそうな背丈に、はち切れんばかりに筋肉の詰まった体つき。頭には髭も髪も無いが、それを補うように大小無数の傷があった。僅かに見える手や首にも傷があった。服で見えないが、きっと体中傷だらけなんだろう。
しかも、顔は極めて無表情。紫の瞳からも、何の感情も読み取れない。冗談抜きで、俺以外の子どもだったら顔見ただけで泣き出すぞ、マジで。

「暫くはこの戎茂が、軍事におけるそなたの上司だ。この者の言葉を私の言葉と思え……滅多に話さないがな」
ではな、と紹介を済ませると、馬騰様はさっさと城内へ戻ってしまった。
残されたのは俺と、眼の前のゴリラを片手で捻れそうな戎茂さんだけだ。

「……」
……訂正だ。なんか、屈強な皆さんが大勢いた。
戎茂さんが片手をあげると、練兵場のあちらこちらからぞろぞろと兵士の方々が現れた。
ぞろぞろとぞろぞろと……ちょ、多過ぎではないだろうか? 二百人くらいいるんじゃない?
瞬く間に、俺は周囲を兵士の方々に囲まれた。ある程度の距離を取ってくれているけど、圧迫感が半端ないんですが。ご丁寧なことに、皆がそれぞれ鎧を身につけ、手に槍や剣を持っているし。

「あの……」
何とか平静を装いながら戎茂さんに話しかけようとした俺に向けて、何かが放られる。
兵士の方々が持っているものと同じ、剣と槍だった。訓練用らしく、どうやら刃引きされているらしい。

「選べ」
え、あの、ちょっと。
俺が戸惑っていると、周囲の屈強な兵士の中から一人、剣を持った男が出てきた。

「倒してみろ」
ああ、なるほど。うん、分かりやすい。つまり、戎茂さん達は俺が気に入らないわけだ。
それはそうだろう。彼らは彼らの職務に誇りを持っている筈だ。その中に、訳の分からないガキが紛れ込んでくれば、
不愉快に思うのは当然だ。これくらいのことはしたくなるだろう。誰だってそうする。俺だってそうする。
しかし。

「安心しました」
槍を拾いあげながら、俺は心底ほっとしていた。俺の言葉の意味が分からず、周囲が戸惑っているのが分かる。
いや、戎茂さんは無表情のままだけど。

「荒事は予想していましたが、最悪素手でやりあうのを覚悟していましたから。武器を与えられるのはありがたい」
正面で剣を構える男が明らかに怒気を抱いたようだが無視し、槍の調子を確かめる。少しばかり、俺の手には太すぎるな。まあ、子どもが振るうことは考えられていないのだから当然だけど。材質は鉄か。ふむ。
軽く、槍を振ってみる。微妙な感じだ。まあ、贅沢は言えないだろう。だけどやっぱり。

「ゴ・・・・カァ!?」
「軽すぎる」
この体は、歴史に名を残す龐徳のものだけあって、超人的なのだ。恐らく、この世界と元の世界の人間の身体能力の差もあるのだろう。この程度の重量の武器では、イマイチ振るった気がしない。
男を殴り飛ばした一瞬だけ、良い感じの重量になったのだが。まあ、すぐに慣れるだろう。改めて槍を構えなおして、茫然としている周囲の兵士と違って無表情を保っている戎茂さんに問いかける。

「それで、倒すのは一人で良いのですか。なんなら、複数で来られても構いませんが」
「良いだろう」
戎茂さんの言葉を合図に、今度は十人以上の兵士達が一度に飛びかかって来た。
俺はその場で動かず、彼らを待ち受ける。力を溜めながら。背後から来ている兵士たちだけ、タイミングを少し遅らせている。正面の相手に注意を惹かせている間に、時間差で不意を突く心算らしい。単純だが効果的だ。だが、対処もしやすい。
視界に入っている兵士、八人。皆槍ではなく剣を持っている。せめてものハンデのつもりだろうか。今更過ぎる。
その余裕、叩き伏せてやる。
兵士が槍の間合いの半ばまで来た瞬間、溜めていた力を爆発させる。正面右側から一気に纏めて薙ぎ払い、三人ほど引っかけたまま勢いを乗せて半回転。背後の兵士を巻き込んで吹き飛ばす。気配は読んでいた。狙いはばっちりだ。
即座に次が襲いかかってくる。今度はばらばらだが、問題無い。最小の動きで槍を回し、突き、薙ぎ、叩き、弾く。一度に来るのは精々十数人。数はあっちが十数倍だが、強さはこっちが千倍だ。負ける道理は存在しない。
ただ戦いの最中、ちらりと見た戎茂さんが相変わらず無表情なのが気になった。



「負傷者を兵舎に運ぶぞ! 何人か手伝え!」
「なんてガキだ。化け物かよ……」
部下の驚きを通り越して呆れが混じった感想を聞きながら、戎茂は静かに龐徳を見つめていた。
部下の言葉通り、凄まじい戦いぶりだった。途中、武器である鉄槍が折れ曲がったので止めてやろうかと思ったら、兵士から新たに槍を奪い取り平然と戦い始めたので今はもうやれるだけやらせている。しかし、あれでまだ十に満たぬと言うのだから、末恐ろしい。
だが、それだけだ。
確かに龐徳は強い。それはもうかなりのものだ。ただ、生涯の殆どを戦いに費やしてきた戎茂からすれば、その強さも「珍しい」程度でしかない。事実、戎茂には龐徳をサシで退ける自信もあった。強いといっても子どもが相手なので、誇れはしないが。
とはいえ、やはり龐徳の強さは破格である。先程のやり取りを見たところ、度胸もありそうだ。兵士としては、既に十分すぎる程の力を龐徳は見せ付けている。この戦いも、止めてしまっても構わないのだが。

『あの子は風だ。天を覆う暗雲を払うほど強く、清い風だ。戎茂、我が股肱の臣よ。どうか、あの子の力になってくれ』
主君の言葉が、妙に戎茂は引っ掛かっていた。命令とあらば、戎茂は子どもであろうと龐徳に付くことに否やは無い。しかし、馬騰は命令しなかった。ただ、これまで見たことも無い澄みきった顔で頭を下げてきた。
臣下に対して、主が頭を下げる。それも、会ったばかりの少年のために。その可能性を信じたと、ただそれだけの理由で。

「おい」
「はっ」
「第三隊を」
「了解しました」
部下に指示を出した後、改めて龐徳を見やる。倒した兵の数は、少し前に百を越した。大した膂力と体力だが、それでももう暫くすれば勢いも衰えるだろう。
戎茂には、馬騰の心情が分からない。主が見出だした希望、感じた風が理解できない。この戦いを続けることで、それが見られるかは分からないが……。

「見てみたいものだ」
先駆けとなる新しい風を。






百人倒したときは、まだ余裕があった。百五十人を超えたあたりで、少し拙いと思い始めた。
それでも、当初に比べれば格段に周囲の兵士の数が少なくなっているのが見て取れたから頑張れたが、先程またどこからか大勢の兵士が現れたことで、少しだけ弱気な思いが胸中に浮かんだ。

(もつのか……?)
浮かんだ言葉を慌てて取り消す。
確かに疲労してきている。体を鍛えてはいても、これだけ酷使したことは無い。酷く熱を持った四肢は動かす度に鈍く痛み、力が抜けそうになる。軽すぎて頼りなく感じた槍も、今は重量を感じられる。全身から滴る汗のせいで、上手く操れない。
それでも、新たに増えた分も含めた全ての兵士を相手取れる自信はある。しかし。

(畜生、嫌な眼つきだ)
兵士達と戦い始めてから全く表情を動かすこと無くこちらを見つめている戎茂さん。
戎茂さんの眼つきは、最初のものとは異なる。今は明らかに、敵の動きを観察する戦士のそれだ。間違いなく最後に出てくるつもりなのだろう。
そうなれば終わりだ。万全の状態でも勝つのは容易ではないのに、今より更に疲労した状態で挑めば結果は火を見るより明らかだ。それほど甘い人物ではないのだ、あの戎茂という武人は。

涼州の人間なら誰もが知っている。勇者戎茂の名前を。
まだ少年と呼ばれるような頃から戦働きをし、潜り抜けた戦場の数は数え切れぬほど。
どのような大軍が相手であろうと、誰より先に斬りかかり、誰よりも戦い、誰よりも傷ついても、誰よりも凄まじい戦果を築いて生還する。
俺が生まれる前、馬騰様のお父上が異民族との戦いの中で没した時も、数多の傷を負いながらその遺体を持ちかえったという忠節の士。彼への馬騰様の信頼は篤く、身重で暫く軍務につけなくなったとき、軍務の全てを馬騰様は戎茂に委ねた。それほどの人物なのだ。

それほどの人物と、手合わせ出来る。本来ならそれだけで光栄なことなのだろう。実際、そうした気持ちも俺の中にはある。だがそれ以上に、戎茂さんからすればちゃんちゃらおかしいことだろうが、俺は対抗心も持っていた。
涼州では異民族との争いが多いという土地柄、尚武の気風がある。勿論馬騰様は文官も重用されるが、やはり人々の中では馬騰様の一番の部下は武官である戎茂さんと目されている。
そして俺も、今は馬騰様の臣下なのだ。おこがましいと思われようが、馬騰様の第一の臣下は俺である、俺になるというのは、俺の中では決定事項なのだ。
そこまで思いを巡らしたところで、なんだか可笑しくなって思わず笑ってしまった。だってそうだろう。今のままでは勝てない、などと少し弱音を吐いておきながら、しかしどうやら俺は心の奥底では、負けることなどあり得ないと思っているようなのだから。
ならば、やることをやるだけだ。今までどおりに。これからもそうするように。
最後の兵士の突撃を、渾身の一撃で跳ね返す。後はただ一人、戎茂さんを残すのみ。

「オオオオォォ!!」
叫びながら、こちらから突撃。ボロボロの槍を戎茂さん目がけて投擲し、即座に落ちていた新たな槍を拾いあげる。戎茂さんが強いのは分かる。だが、それがどれほどの物かは分からない。だから最初の一撃を、最大の一撃として叩き込む。
投げた槍を、戎茂さんはあっさりと槍で弾いた。ゆっくりとした動きだったのに、振られた槍はぶれて見えた。想像以上にやばそうだが、今更怯んではいられない。
力の限り槍を引き絞り、速度を乗せた最速の突きを放つ。狙いは人体の急所の一つ、咽喉!
俺の突きは何に遮られることもなく真っ直ぐに伸び、瞬く間に戎茂さんの咽喉へと迫り―――

「良い一撃だ」
―――無表情のままの戎茂さんに、あっさりと躱された。
拙い、と思う間も無いまま、強烈な衝撃を感じ、俺の体はふきとばされた。





終わってしまっただろうか。加減はしたつもりだったが。
地に伏せた龐徳を見やりながら、戎茂は内心驚いていた。それほど、龐徳の突きは素晴らしかった。槍での迎撃が間に合わぬほど。まさに閃光のようだった。
狙いも悪くは無い。龐徳の体力を考えれば、長引くほど不利になるのは必定。初撃に注力し、一撃で戦闘力を奪える急所を狙うのは理に適っている。実際、龐徳が疲労していなければ自分は躱せなかったやもしれぬ。
恐るべき才だった。このまま成長すれば或いは、伝説の武人項羽の再来となるのではないか。戎茂をしてそう思わせるものがあったのは確かだった。だが……。

「風は感じなかったな」
「確かに、今日は吹いておりませんが。風が何か?」
戎茂の独白に、軽傷だった兵士が答える。周りを見れば、どうにか立ち直った兵たちがそれぞれに動き出していた。

「いや……なんでもない。それより」
負傷者を、と言葉を続けようとした戎茂は、その言葉を飲み込んだ。
いつ、立ち上がったのか。しっかりと槍を構えた龐徳が、こちらに刺すような視線を向けていた。
今度は向かってくる様子は無い。見れば、脚ががくがくと震えている。あれでは走れまい。踏み込み一つさえ、出来るかどうか。

「まだやるか」
答えは、苛烈な眼差し。傍らにいた兵士が、怯んだのが分かった。
戎茂は一つ頷いた。

「良いだろう」
一瞬、武器を槍から腰に挿してある剣に変えてやるべきかと考えたが、止めた。それは龐徳への侮辱となると考えたからだ。槍を無造作に持ったまま歩みを進める戎茂。あの様子では龐徳は動けまい。こちらから出向く必要があった。
周囲の兵士達も、固唾を飲んで見守っていた。皆、龐徳の強さに驚愕していたし、その不屈そのものの立ち姿に敬意すら覚えていた。
戎茂が、槍の間合いに入る。驚くべきことに、先に動いたのは龐徳だった。何故動けるのか不思議なくらいのその体で、正確に突いてきた。無論、その一撃は戎茂にあっさりと弾かれたが。
周囲の兵たちは気付かなかったが、常に無表情な戎茂がわずかに眉を上げた。信じられぬほど、重い一撃であったからだ。
だがその驚きも一瞬。戎茂は容赦なく槍を振るう。振るった槍は龐徳の槍に受け止められたが、気にせずそのまま力を加える。
戎茂は無表情のままであったが、やがて瞠目した。

(押しきれぬ)
最早、加減はしていない。剛腕に物を言わせ、このまま終わらせるつもりで力を込めている。だというのに、眼の前の少年は抗っていた。いや、それどころか。

(押されている!)
戎茂の目に、明らかな驚きの光が宿った。周囲の兵達もざわめき始める。戎茂は埒が開かぬと龐徳の槍をいなすと、暴風雨の如く槍を振るった。容赦も何もない。攻めに攻めていく。龐徳はただ、嵐が過ぎ去るのを待つように防御に徹していた。
しかし―――龐徳に対する真の驚愕が場に満ちたのは、それからだった。
戦いが、終わらないのである。疲弊し尽くしているはずの龐徳は未だ衰えることなく戎茂の槍を受け、それどころか時折反撃さえするようになっていた。しかも、その迅速さは増すばかり。

(何だこれは)
理解できぬ物を見る目で、戎茂は龐徳を見ていた。龐徳は限界だ。限界だった筈だ。その筈なのに、一撃ごとにその威力は増し、思わず退いてしまいそうになる。
口の中が渇き、息が速くなる。先程から、体が重い。これ以上先に進めぬ。眼の前の小さな少年に、戎茂は圧力を感じていた。

(何だこれは!)
龐徳の一撃が、更に迅る。恐るべき鋭利さと剛さである。遂に、攻守が入れ替わった。常軌を逸した龐徳の槍捌きを、戎茂は必死に受けるのみだ。
一歩、たった一歩だけ、龐徳が前に進む。しかしその分増した圧力に耐え切れず、戎茂は一歩後退した。まるで、そう。強い風を受けたかのように。

「オオオオオ!!」
びりびりと、空気が震える。戎茂が吠えた。無表情であるはずの顔には、冷たい汗が浮かび酷く歪んでいる。吠えながら、戎茂は槍を振るった。戎茂らしからぬ、闇雲な一撃であった。その一撃を龐徳は冷静に見極め、自らの槍を跳ね上げた。
戎茂の手に握られていたはずの槍は、上へ跳ね飛んだ。咄嗟に、戎茂は腰の剣を抜き、続く龐徳の槍を逸らした。轟と音を立てて、耳元を槍が掠めていく。

(風が……! 風が強く吹いている!)
即座に振るった剣はしかし、龐徳の槍に防がれた。戻すのが速過ぎる。尋常のものではない。
いつからか、戎茂は全身に風を受けていた。強い、あまりに強い風は―――龐徳から吹いていた。
龐徳が、雷光のような突きを繰り出す。右腕一本で放たれたそれを受けた戎茂の体勢が崩れる。だがそれは、龐徳も同じこと。渾身の一撃を放った龐徳も、すぐには槍を戻せない。
だが、次に目にした光景に、戎茂は嘗てないほど驚愕した。
まるでそうなることが当然であるように、先程宙に舞った戎茂の槍が、吸い寄せられたように龐徳の左手に収まっていた。

(これが、そうなのですか、馬騰様……! この強い風が!)
龐徳が、左の槍を繰り出した。躱すことも防ぐことも出来ないそれは、真っ直ぐに戎茂に迫り、戎茂の心身を打ち抜いた。





馬騰の執務室に、一人の男が訪れていた。
濃い茶の髪に、濃い口髭。顔に刻まれた皺の数に似合わぬ鋭い目つき。
名を馬朗。馬一族に連なるものであり、文官の中でも特に力を持つ者の一人であった。

「本気でございますか、馬騰様。あのような子どもを召抱えるというのは」
婉曲な物言いはせず、馬朗ははっきりとした口調で言った。

「不服か、馬朗」
 馬騰の言葉に、馬朗は頷く。口はきつく結ばれており、目には断固たる意思が宿っている。

「はい。確かに、龐徳に類稀な才があることは聞き及んでおりますし、あの真面目一辺倒な龐会の息子となれば、人柄も問題ない筈。将来に期待するのも理解出来ます。
 しかしだからといって、いきなり取り立てるのは……聡明であることと政治に関われることは違います。武勇の方も、我らが精兵の中に入ればどこまで通用するものやら。何より、幼すぎる」
「なるほど。確かに、馬朗の懸念も最もだ。あの者は利発だが、やはり子どもであるから」
「分かっておいでなら、今すぐ取りやめを! 龐徳を召抱えること自体には賛成です。ですが、それは今ではない! あと数年だけ、待てばよいのです!」
「全く持って正論だな、馬朗。そなたは私が幼いころから、そうしてよく私の過ちを正してくれた。そなたの言は道理に適ったものばかりで、幼い頃はよく言い負かされたものだ。
 だが今回ばかりは、無理を通させてもらうぞ。無理を通せば、道理は引っ込むのだ。すまぬな」
苦笑しながら、馬騰は告げた。その様子は穏やかであったが、馬朗の言を聞き入れるつもりがないことは明らかであった。それも、自分の行いを過ちと認めて尚、のことである。
馬騰の縁戚であり、幼少の馬騰に学問を教えたこともある馬朗は、馬騰の常ならぬ様子に黙り込んだ。

「散歩に行く」
「は?」
「散歩だ、馬朗。そなたも共に来い」
不意に、そんなことを馬騰は言いだした。突然の事に戸惑う馬朗を気にすることなく、馬騰はさっさと部屋を後にする。慌てて、馬朗もその後を追った。
無言のまま、馬騰は廊下を歩く。暫く馬朗も黙って従っていたが、やがて痺れを切らし口を開いた。

「姫様、一体何をお考えか」
馬朗は幼少の頃の呼び方で、馬騰を呼んだ。馬騰の縁者であり、嘗ては師でもあった馬朗と言えども、現在の馬騰の地位を考えれば礼を失した行いである。罰せられてもおかしくはない。
「馬朗よ、今の世をどう思う」
しかし馬騰は馬朗の非礼を咎めることなく、言葉を投げた。
「……乱れておりましょう。言葉に出すのも憚られますが、洛陽はもはや魑魅魍魎が跋扈する魔都。
 帝の威光はその者達に遮られ、腐敗は地方にまで及び、民たちは圧政と蔓延る賊に苦しめられ日々の糧にも困窮していると聞きます。幸い、我らが涼州はそうしたことはありませんが」
「それは何の慰めにもならない。涼州は漢の最果てだ。漢を大樹とするなら、我らは枝葉に過ぎない。枝葉が幾ら茂っても、幹が腐り落ちては意味が無い。意味が無いのだ。
 だがどうにかしたくとも、我らは中央に対する影響力を持たない。あるのは武の力のみ。だがその力は、幹を傷つけ、腐らせるのを早めるだけだ」
代々異民族から漢土を守ってきた誇り。父祖から受け継がれ、育まれた漢王朝への忠義。それらを胸に宿す馬騰はしかし、祖国が静かに滅んでいくのをただ見ていることしかできない。
馬騰の苦しみは想像を絶しよう。そうした馬騰の思いを知る馬朗は馬騰を不憫に思った。だが、それと龐徳とどんな関係があるのか理解できず、続く馬騰の言葉を待った。
そうしている内に、建物の出口が見え、薄らとその先の練兵所が見えた。同時に、鍛練に励む兵たちの声も聞こえてくる。ここにきて、馬朗は訝しげに眉を寄せた。兵たちの声が、常とは異なる。悲鳴じみているのだ。その声は外に近付くにつれ大きくなっていく。

「ふふふ」
「姫様?」
聞きなれぬ兵の声に困惑する馬朗を尻目に、屋外に出てすぐに練兵場を見ていた馬騰は堪え切れぬ、といった様子で笑い出した。
馬騰の様子に首をかしげつつ練兵場を見下ろした馬朗は、驚愕した。
何の冗談か。人間が空を舞っていた。それも、戦鎧に身を包んだ涼州の精鋭の男達が、一度に何人も、だ。それもその一度に限らず、馬朗が茫然としている間にもぽんぽん人が飛ぶ。
のろのろと、悪い夢を見ているかのような表情で、馬朗は兵士達を飛ばしている張本人に目を向けた。
そこにいたのは、龐徳であった。顔に疲労の色を濃く滲ませ、手にはぐにゃりと曲がった鉄棒を持ち、足元に水たまりを作るほどの汗を滴らせながら、しかしその瞳に宿るは不屈の意思。
よく見れば、龐徳が手にしていたのは訓練用の鉄槍だった。龐徳の足元近くには似たような状態の槍が幾つか転がっている。尋常な事ではない。
それは兵士達も分かっているのだろう。龐徳に突撃を仕掛けている兵士達の顔が引きつっている。凶悪な五胡を相手取って尚ひるまぬ涼州の精兵達が、恐れているのだ。信じられぬほどの武を持つとはいえ、自らの胸ほどの背丈しかない子どもを。

「風を感じたのだ、馬朗。新しき時代を呼びこむ風を」
何も言えず佇んでいる馬朗に対し、馬騰は静かな笑みを浮かべていた。

「風、ですか」
「そうだ、風だ。吹き飛ばされてしまいそうになるほどの、強い風だ。あれは恐らく、天意というものだ。天から吹く風が、あの子を通して私達に吹いて来ているのだ。
 そう考えると……身震いがして、待つことなど出来はしなかった」
「その風が、大樹を救うと?」
「それは分からぬ。穢れを吹き飛ばすどころか、或いは大樹そのものを吹き倒してしまうやもしれぬ」
馬朗は思わず目を剥いた。馬騰の言葉の内容そのものではなく、その言葉を言い放った馬騰の顔に晴れ晴れとした表情が浮かんでいたからだ。恐らく現在の漢王朝の将の中で、最も忠心溢れる臣であろう馬騰が、漢王朝が倒れるのも已む無しと認めているのだ!

「例え倒れたとしても、大樹はやがて肥やしとなり、その身に新たな芽を宿し、何れ雄々しい大樹となるだろう。それをあの子が成すかはわからぬ。
 或いは、ほんの切っ掛けを生み出すに過ぎないのかもしれぬ。それでも私は、あの子に賭けてみたくなったのだ」
馬朗の目の前で、龐徳は丁度三百人目の兵―――それも、信じがたいことに武官筆頭であるあの戎茂―――を吹き飛ばすと、力尽きた。驚くべきことに、立ったまま気を失ったようである。
その姿を目にした馬朗は一瞬、吹き飛ばされそうになるほどの強い風を感じた。はっとして周囲を見回すが、そのような風は吹いていない。
信じられぬ思いで馬騰に目を向けると、馬騰は笑みを浮かべたまま馬朗を見ていた。思わず、視線をそらしてしまう。
奇妙な敗北感が馬朗の胸中にはあった。苦くはない、いっそ清々しささえ含んだその感覚を、馬朗は以前も感じたことがあった。

(そうだ……この感覚は確か、初めて私が馬騰様に言い負かされた時に味わった気がする)
酷く懐かしい記憶が蘇り、馬朗は思わず口元を緩めた。その様子を不思議そうに馬騰は眺めていたが、やがて口を開いた。

「私はあの子に可能性を感じた。だが、あの子が幼いのは事実だ。知っているか、あの子はちょこちょこと歩くのだぞ」
何かを思い出したのか、楽しげな笑みを一瞬浮かべた馬騰だったが、馬朗の視線に気付くとすぐに笑みを消した。

「支える者が必要だ。武官については、既に手を打った。残るは文官だけだ。本来なら面倒見の良い龐会が適任なのだが、あの子に限ってはそれは出来ん」
「だから私に後ろ盾になれと、そう命じられるのか」
「これは命令ではない。個人的な頼みごと、単なるわがままだよ、爺や」
「やれやれ……」
敵わないとでも言いたげに、馬朗は頭を振った。
昔から、眼の前の娘のような存在に対し口うるさく言ってきた自覚があるが、それ以上にわがままを聞いてしまっていた自覚もあったからだ。

「わがままに付き合うのは、これっきりですぞ」
その言葉に対する返答は、童子のような笑みだけであった。
馬朗はまた、頭を振った。







龐徳には、これと挙げられる武術の師がいなかったとされる。最初に僅かな手ほどきを受けただけで、彼は瞬く間に人並み外れた武勇を身に付けるに至った。学問においても、それは同様だったとされる。それほど、文武に優れた才を彼は持っていた。
そのような彼が「師」と仰いだ人物が、馬騰に仕える武官筆頭であった戎茂、そして文官筆頭の馬朗であったという。馬騰に仕え始めたばかりの時、周りと衝突する龐徳を影に日向に支えていたのは、他ならぬ彼らであったことを、龐徳もよく分かっていたのだ。
戎茂と馬朗の二人がいなかったならば、或いは龐徳は歴史に名を残す事無く、歴史の闇に消えていたかもしれない。
龐徳や馬騰ばかり注目されがちであるが、戎茂と馬朗が成した功績も計り知れない。彼らなくして、驍将龐徳は生まれなかったのである。

―――『天遣将軍庖徳』より抜粋



[26941] 三話 揺れる心
Name: 宮崎県民◆c439a1df ID:c036fe00
Date: 2011/04/23 00:51

人々の営みを支えるというのは、とてつもなく大変な仕事なのだ。俺はそのことを、この数日で思い知った。

「龐徳、こちらも頼む」
「わかりました」
新たに追加された竹簡の山に内心青ざめながらも、俺はそれを表面には出さずに頷いた。
何故って、俺の周りで一緒に働いている文官さん達は、それ以上の量の仕事をこなしているからだ。
税の徴収、それによって生まれる予算の分配、治安維持、街の保全・改善、未開墾の土地の開発計画の作成、流民への対処、これらの仕事に取り組む役人の内務鑑査など……仕事の内容は多岐にわたる。勿論、その仕事を適性ごとに割り振るわけだが、どの仕事にも共通しているのが、ミスが直接民の生活に響くという所だ。非常に重い責任が付きまとう。
更にはこの時代、パソコンは当然、鉛筆と消しゴムのような高度な筆記具も無い。筆を使い、竹簡という竹で作った札のようなものに文を墨で書きこむのが主流だ。そして公式の文章では修正が出来ないのだ。履歴書と同じである。一ヶ所間違えれば、最初からやり直さなければならない。
そういう理由があるから、非常に気を遣うし集中力もいる。軍務とはまた違った苦労があるのだ。新入りということで、ほとんど雑務しかこなしていない俺でこれなのだから、父さんや俺の上司にあたる馬朗さんの処理している案件の難度とその処理に伴う苦労は推して知るべしだ。

「龐徳、そろそろ時間ではないのか」
「あ、はい。そうですね」
 馬朗さんのに言われ、席を立つ。俺は軍部の仕事として朝の訓練の他に、戎茂さんや他の歴戦の武官の方々が行っている士官教育も受けている。過去の戦の紹介及び研究、基本的な戦術や部隊運用の方法、五胡から取り入れた格闘術、他にも兵站の重要性や斥候の効果的な使用方法などを叩き込まれている。
先の戎茂さん達との戦いで勝利したからか、どの人も子どもと侮ること無く知識を伝えてくれる。期待してくれているのだろう。その期待に応えられるようになりたいものだ。

「すいません。戻り次第、残りの仕事を片付けます」
「無理はしなくて良いのだぞ。お前はただでさえ掛け持ちで仕事をしているのだ。先日の訓練での疲労も、まだ十分には抜けきっておらぬだろう。
 元々が、馬騰様の無茶なのだ。なんなら、私から馬騰様に掛け合っても構わぬのだぞ」
「その必要はありません。私は無理などしていませんし、馬騰様は無茶など申されていません。では、失礼します」
頭を下げ、部屋を出る。
……随分、刺々しい物言いになってしまった。馬騰様に仕えるようになってからというもの、表現し辛い感情が湧き出てくるようになった。不快感、などに近いように思うが、はっきりとは分からない。ただそうした際の俺は、思い返すと自分でも驚くほど攻撃的になっている。
一瞬疑念と後悔に駆られるが、頭を振ってそうした弱気を思考から追い出す。この衝動が何なのかは分からない。分からない以上、今はどうする事も出来ないのだ。ならばその分今やれることを、軍務を、政務を精一杯やっていくしかない。
言い訳染みた事を自身に言い聞かせながら、俺は歩み続けた。





部屋を出ていく小さな後ろ姿を見送った馬朗は、自らの椅子に座りながらため息をついた。
龐徳は、馬朗の目から見ても良くやっていた。新入りであることと年齢を考えれば、馬朗が長い文官生活の中で見てきた文官達の中でも非常に優秀な部類に入ると言えよう。龐徳本人は口には出さないが、龐会から政務について学んでいるのだろう。分からない点があれば、積極的に聞いて来る姿勢も素晴らしい。
また、仕事振りも誠実だ。龐徳に任せている仕事はあまり重要度の高くない案件ばかりだが、その分面倒な物が多い。そうした物を龐徳は黙々とこなしている。軍務との掛け持ちで他の文官達に劣らぬ仕事をこなしているのだ。実際大したものと言えるだろう。
しかしながら。そうした龐徳への評価が高いかと言えば、そうとも言えぬ。

「先程の馬朗殿への物言いはなんだ」
「許せぬ!」
「まだ、彼は子どもだ。大人の中に混じって慣れぬ仕事をしているのだ。気が張ってしまっているのだろう」
「馬騰様からの期待もある。少々神経質になるのも已む無しでは?」
「だが、だからと言って……」
また始まった。馬朗はこの数日の間に起きるようになったこの龐徳議論に内心うんざりとしていたが、それを表には決して出さず言った。

「職務中だぞ。過度な私語は慎め」
「しかし馬朗殿」
「良いのだ。私は気にしていない。さぁ、仕事に戻るぞ。子どもに負けてなどいられぬ」
そうぴしゃりと言って机に向かう馬朗の姿を見て、周りの文官達も渋々ながら仕事に戻る。
どうしたものか、と馬朗は手を止めぬまま龐徳の扱いについて考えていた。龐徳は真面目である。仕事振りも誠実だ。気性も基本的には穏やかと言えよう。しかし、時折妙な攻撃性を発揮する。それも妙に不自然というか、奇妙な点があった。そしてその奇妙な攻撃性の発揮が一部から反発を呼んでいるのだ。その反発はこちらほどではないが、軍部にも存在する。
馬騰から後ろ盾を頼まれた自分と戎茂がそれぞれ抑えてはいるが、このままでは職務に重大な支障をきたすようになるやもしれぬ。龐徳の今後を考えても、解決すべき問題であった。

(とは言え……それも難しい。何せ、龐徳自身が戸惑っている様子があるのだから。あれでは、口で言うだけでは不十分だろう)
奇妙な点とはそれであった。龐徳自身が、自分の思わぬ一面の発露に戸惑い、不審がっている様子が見て取れた。龐徳の戸惑いは、馬朗にも分かった。それほど、龐徳が時折見せる攻撃的な様子は不自然であった。釈然としない、違和感があった。
龐徳が処理し提出してきた竹簡に目を通す。処理した人物の人柄が窺える、丁寧な仕事振りであった。字も見やすく、誤りも見受けられない。正確で、仕事に対し誠実に取り組んでいることが察せられる内容であった。だからこそ、こうした仕事振りから分かる龐徳の人物像との差異が気にかかる。
龐徳が仕事を完璧に処理していることを確認し終えた馬朗は、龐徳が攻撃性を発揮する場面を分析してみることにした。

(龐徳が威圧的な一面を見せるのは、自身の能力に疑いを持たれた時、そして馬騰様に関わる事柄の時……か)
思い浮かべて、馬朗は顔を顰めた。内容から考えれば、龐徳が威圧的になったり攻撃的になったりするのは、自分の能力への絶対的な自信が故のことのように思える。馬騰が関わる件については、馬騰への忠義は誰にも負けぬというある種子どもじみた自負が原因と判断出来なくもない。
しかし……。

(どうにも、それだけとは思えぬのだが……)
とは言え、悩んでばかりもいられない。これ以上龐徳と周囲の関係が悪化する前に、何らかの手を打たねば……。


だが馬朗の努力も空しく、それから更に数日が経過しても龐徳と周囲の関係を改善させる手立ては浮かぶことはなく、
馬朗と戎茂に対処を任せていた馬騰も、流石に見過ごせぬと対応に動き出すのであった。




軍務の一環として、俺は夜間の街の警邏に加わるようになった。
本来なら二人、もしくは三人一組になって警邏を行うのだが、俺の場合は武勇を見込まれて単独で行っている。
……実際は、それだけではないのだろう。戎茂さんや馬朗さんが俺の対応に苦慮しているのは、俺の耳にも当然入ってきている。

「このままじゃいけないんだろうな……」
ため息を付き、槍を片手に空を見上げる。空は俺の心中を表したように、どんよりと曇っていた。風が無いせいだろう。天を覆う雲が動く様子は無い。
仕事は、一生懸命にこなしている。事実、仕事振りに関して助言は受けるが注意を受けると言うことは殆ど皆無と言って良いくらいだ。
だから問題は、俺自身の内面に関するものだ。時折現れる自身の子ども染みた対応や言動には、愕然とさせられる。内容そのものにではない。そうした行動を取っている間、自分の行動に疑問を持たない、俺自身にとっても不可解な心の動きにだ。
戎茂さん達と訓練で戦っていた際も、今思えば異様に気が高ぶっていた。終盤に至っては、記憶が無い。寝台の上で目覚めた後で、俺が戎茂さんを倒したと聞かされた時はそれはもう驚いたものだ。と言っても、気絶した俺を家に担いで行ってくれたのは他ならぬ戎茂さんであり、破ったと言っても、一本取ったというだけで戎茂さんはぴんぴんしていたらしいが。

「俺個人の意識としては、前世の分も足して今年で三十って思ってたんだが、体の年齢に心がひっぱられてるのか……?」
実際、そんなことが起きるのかはさっぱり分からないが、そうした理由でも無ければ不可解な行動や言動をしてしまう理由が思い浮かばない。
首を捻りながら警邏を続けていた俺は、奇妙な気配を感じて歩みを止めた。

「そこのお方」
俺が立ち止ったのと、その声が聞こえたのは殆ど同時だった。
俺は声のした方に目を向けた。建物と建物の間。暗闇を孕んだ路地の入口。そこにいたのは、白い布を目深に被った誰か、だった。

「私は占いを生業としている者でございます。あなたが余りに特異な相を持ってらしたので、思わず声をかけてしまいました」
「特異……? 俺の相がですか」
「はい。宜しければ、占いを聞いていかれませんか? 勿論、お代は結構でございます」
今が夜であり、光源も周囲の民家から漏れる光以外に無いせいか。その占い師を名乗った者の顔は、辛うじて口元が見えるだけであった。そしてその口元には、笑みが浮かんでいる。
気が付けば、俺は占い師に対し警戒の念を抱いていた。占い師の持つ何かを感じ取ったのか、俺の脳裏で警鐘がなっているのだ。無視して、警邏に戻るべきだと。

「……お願いしよう」
しかし俺の口から出た言葉は、その警鐘を無視したものだった。益々、占い師の笑みが深くなる。

「これは、とても珍しい……。驚くほど、強い相です。優れた知性と、野生を感じます。まだ幼いというのにさぞや、お強いのでしょう。史書に名を残すことは間違いありません。それだけの能力があります」
「同じようなことを、既に何度か言われたことがある。誰もが感じるのでは、それは占いと言えないのでは?」
「これは手厳しい」
口元を掌で隠し、占い師はころころと笑った。
得体の知れない人物であった。先程から意識を集中して相対しているというのに、年齢はおろか性別すらつかめない。僅かに見える肌の様子から若い人物であるように思えるのに、女にも男にも聞こえる声には、長い年月を過ごした者が持つ深さがあった。
……自分が、少しずつ昂っているのが分かる。拙い、抑えなければ。

「お聞きしても?」
占い師の問いかけに、突如湧き出した感情を抑えるのに手一杯になっていた俺は無言で答えた。それを了承と取ったらしく、占い師は続けて口を開いた。

「何を恥じているのですか? それとも、恐れていると言うべきでしょうか? いいえ、嫌悪と言うべき? 或いはそれら全てが近い?」
「……何を」
何を言っているんだ、こいつは。

「いいえ、言わずとも分かります。借り物の体に、借り物の力。それに頼っている自分……あなたは随分真面目で不器用な方のようですから、そうした自分が嫌なのでしょう?」
黙らせなければ。
そう思っているのに、体は凍りついてしまったかのように動かない。

「そもそも、おかしいとは思わないのですか? あなたが抱くその忠義。明らかに苛烈に過ぎます。それは本当にあなたのものなのですか? 誰か別の、他人が抱いた忠義では? いいえ、この表現では今のあなたに失礼ですね。言葉を換えましょう。あなたが抱く、その忠心は」
言葉を紡ごうと口を開くが、失敗する。出てくるのは、いつの間にか荒くなっていた息ばかり。
そんな俺を嘲笑うように―――

「本当に、今の主に捧げるべきなのですか?」
―――決定的な一言を口にした。
瞬間、体が動いた。手にしていた槍は狙い通り占い師の眉間を貫きかけ、その直前で停止した。

「おや、我慢されましたか。素晴らしい自制心です」
少々驚きました、と全く驚いた様子の無い平静そのものの言葉を吐く占い師。対する俺は、滴り落ちるほどの冷や汗をかいていた。
……おかしい。何を動揺することがあるのだ。尋常ならざる気配を感じるが、所詮は占い師。その言葉は戯言と変わりない。
言葉に出し、示してやればよいのだ。俺の忠心の在処を。

「貴様が何者かは知らない。目的にも興味が無い。俺が貴様に言えることはただ一つ。俺の馬騰様への忠心は揺るぎないものだということだ。後にも先にも、我が主は―――」
不意に、何故か。
言葉の途中で、見たことの無い、金髪の少女を幻視した。

「迷いが、おありのようですね」
黙り込んだ俺に相変わらずの笑みを向けながら、占い師は少しずつ路地の奥へと消えてゆく。

「迷いとは、即ち可能性です。私もあなたからは、強い風を感じます。それが何処へと吹いていくのか、流石の私も分かりません。
 色々と惑わすようなことを口にしてしまいましたが、最後に助言をしておきましょう」
白い布に覆われた姿が、暗闇に溶け込む間際。

「これはあなたが開いた外史です。どのような選択をしようとも、誰もあなたを責めはしない。くれぐれも、後悔の無いよう」
その言葉を最後に、占い師の気配は消えうせた。
いつの間にか、風が吹いていた。俺は何をするでもなく、ただその場で佇んでいた。






古今東西、英傑と呼ばれる人物の前に預言者や占い師が現れる話は枚挙に遑が無い。
無論それは中国においても例外ではなく、所謂三国時代と呼ばれる頃にも、彼らはその姿を現したとされる。
彼らは天の御使いとして知られる北郷一刀、そして涼州の英傑龐徳の前に現れ、その未来を語ったという。
龐徳がどのような予言を受けたかは、詳しい記述が残っていないため不明であるが、『忠節に迷いが生まれた』といったような彼らしからぬ発言をこの時期に行っていることから、良くないことを聞かされたのだろう。
彼はその時、どのような気持ちで予言を聞いたのだろうか。そして何を思ったのだろうか。そして最期の時、彼の胸に去来したものは何だったのだろうか。

―――『天遣将軍龐徳』より抜粋




[26941] 四話 馬家の姫君
Name: 宮崎県民◆c439a1df ID:c036fe00
Date: 2011/04/23 00:28
「昔から、あの子は手のかからない子どもでした。それこそ、赤子の頃からです。夜泣きも無く、勝手に動き回る事も無い。子育ての大変さを話に聞いていた私が、拍子抜けするくらいでした。
 今のあの子の成長ぶりを見ると、やはりあの子は特別だったのでしょう。ですが当時の私にとって、あの子の手のかからなさは救いでした。妻の看病に日々の仕事にと多忙な毎日。そこに話に聞くほどの子育てがあったならば、どうなっていたか。
 ……妻が亡くなった後、私は妻の分まであの子に愛情を注いできたつもりです。そしてあの子は、それに応えてくれた。感心するほどにあの子は学を修め、武を磨いてくれた。
 私は嬉しかった。妻を亡くした私にとって、あの子の成長は何よりの喜びでした。今思えば、私はあの子に甘えていたのかもしれません。いや、あの子が私を甘えさせてくれていたのか。
 私はあの子に、父親らしいことを何もしてやれなかった。子どもらしいことを何もさせてやれなかった。そんなあの子が、初めて私に対して我を通して来た。馬騰様に仕えたいと頭を下げてきたのです。
 あの子の評判が芳しくないのは、私も耳にしております。馬騰様にもご迷惑をおかけしているのも重々承知しております。それを承知した上でお願いしたい。どうか、あの子に今暫くの時間をお与えくださいませ。
 あの子は今迷い、そして変わろうとしているのです。私はそれを、助けてやりたい。私情を挟むのは過ちと分かっております。ですがどうか、私のこれまでの忠節を少しでも評価してくださっているならば、私の我儘を聞いていただきたい」




龐徳への周囲の評価は、悪化の一途を辿っていた。
以前までのような威圧的な物言いや攻撃的な一面は見られなくなったが、これまでの有能さが嘘のように仕事での失敗が増えたためだ。

「やはり賢いとは言え、子どもだったのだ」
「能力はあった。だが、やはり早過ぎたのではないか」
このような意見があちこちで聞かれるようになった。周囲の人々が抱く思いが、怒りなどから同情や憐憫の情に変わっていたことだけが、唯一の救いかもしれぬ。
馬朗と戎茂の動きに加え、龐徳の父であり文武両官から高い支持を受けている龐会の復帰によりそうした声は一時的に小さくなったが、それもやがて限界が訪れることは明白であった。

「どうしたものかな」
馬騰は決断を迫られていた。
とは言え、馬騰の中に龐徳を手放すという選択肢は無い。それに、龐会のこともあった。龐徳を手元に置いておくのは決定事項だが、
今のまま放っておくことも出来ないのは事実であった。少なくとも、落ち着くまでは今の仕事は辞めさせるべきだと思うのだが、ではその間何をさせれば良いかと考えると、

「妙案が浮かばぬな……」
龐徳に未だ変わらぬ信頼を示しつつ、今の龐徳に任せても問題の無い仕事。そう簡単に思いつくものではなかった。

「しかし、奇妙なものだ。このような状況になって尚、私の龐徳への信頼は小揺るぎもしない。やはり、縁があるのだろう」
今現在、迷いの渦中にある子どもを信頼している、というのもおかしな話であったが。

「待てよ、子ども、子どもか」
顎に手を添え、思い浮かんだ案を吟味する。案外、今の龐徳に必要なものを与えられるやもしれぬ。それが何かは分からなかったが、不思議とそう思えた。一つ頷くと、馬騰は人を呼んだ。

「龐徳を呼んで来い。それから……」
命令を聞いた者は戸惑ったような表情を一瞬したが、直ぐに駆け出して行った。
馬騰は椅子に深く腰掛けると、楽しげに笑った。

「さて、どうなるものか」





馬騰様の元へ向かう俺の足取りは、信じられないほど重かった。これまでは、どれほど疲れきっていたとしても自然と軽やかになっていたと言うのに。
原因は分かっている。恐れているのだ、俺は。近頃の俺の腑抜け振りは、我が事ながら呆れるほどだ。職務に復帰した父さんがフォローしてくれなければ、大きな失敗を仕出かしていただろうということも一度や二度ではない。叱責は当然、放逐されてもおかしくはない。俺はそれが恐ろしかった。

(いや、違うな……それだけじゃない)
そっと、自分の胸に手を当てる。そこには今まで、馬騰様への忠心しか存在しなかった。だが、今ではそこにもう一つ揺れ動きながら存在する物がある。
疑念である。
自分の忠心は本物なのか。何故あの時自分は黙り込んでしまったのか。あの金髪の少女は一体……。
悩んでいる内に、馬騰様の執務室の前まで辿りついていた。扉の正面に立ち、無理やり疑念を振り払う。今だけは、考えないようにしなければ。

「よく来た龐徳。突然呼び出してすまぬな」
「いえ……」
部屋に入った俺にかけられた馬騰様の言葉は、予想に反して温かかった。そうした驚きと後ろめたさもあって、曖昧な返事を返してしまう。

「最近、あまり調子が良くないようだな」
「申し訳ございません」
「謝るな。責めているわけではない。ただ、あまりにも急だったのでな。何かあったのか?」
馬騰様の問いを受けて、白装束の占い師と、その占い師に投げかけられた言葉が脳裏をよぎる。
俺は心中に渦巻くものを押し殺し、努めて平静を装うことしか出来なかった。

「いいえ、何もございません」
「……そうか。そなたがそう言うのならば良い」
丁度会話が途切れたところで、図ったようなタイミングでノックの音が室内に響いた。馬騰様が入るよう声をかけると、直ぐに扉が開かれた。

(子ども?)
入ってきたのは、女の子だった。俺よりも更に幼い。恐らく、五つくらいだろう。栗色の髪を短めのポニーにし、意思の強そうな瞳には無邪気な光が宿っている。その印象は太めの眉によって更に強められていた。
女の子を連れてきた人は馬騰様に対し一度頭を下げると、静かに扉を閉め退室していった。
室内にいるのは馬騰様に俺、そして見知らぬ女の子のみ。戸惑う俺とは違い、女の子は不思議そうに俺と馬騰様を交互に見ている。
女の子の風貌の端々には馬騰様に似通ったものがある。とするならばこの女の子は、恐らく。

「紹介しよう。この子の名前は馬超。字は孟起。私の娘だ」
やはり、錦馬超。後に蜀の五虎大将となる猛将だが、今はただ愛らしいという印象を受けるばかりだ。
などと考えていた俺だが、慌てて臣下の礼を取った。あまりに唐突な登場だったので、呆けてしまっていた。

「お初にお目にかかります。私は龐徳。字は令明でございます」
「おお! お前がほうとくか! 話は聞いてるぞ。あたしとそう変わらないのに、すごく強いんだってな!」
俺が名乗った途端、馬超様はぱっと表情を明るい物に変えると、きゃっきゃと騒ぎ始めた。俺のすぐ傍までやってきて、その眼差しを真っ直ぐに俺に向けてくる。
その真っ直ぐさに耐え切れず、俺は失礼と思いながら視線を逸らした。

「い、いえ、それほどでは」
「そうけんそんするな! あの戎茂に勝ったんだろう? すごいことじゃないか!」
「勝ったというか、譲ってもらったというか……結局気絶してしまいましたし」
「そう、それだ! 立ったままきぜつしたんだってな! まさに武人だ!」
「いや、あの……」
うおう、瞳のきらきら具合が凄い……。何と言うか、天真爛漫というのは馬超様のためにある言葉なんだろうな。
きっと本心から褒めてくださっているのだろうが、今の不甲斐ない自分を思うと申し訳ない気持ちで一杯だ。
俺は思わず縋るような眼を馬騰様に向けてしまった。馬騰様は、苦笑されていた。

「その辺にしておけ、翠。龐徳が困っているだろう」
翠。馬超様の真名だろう。勿論、許されていない俺が呼ぶことは出来ないが。

「えぇー、だけど母さま」
「心配せずとも時間はあるのだ。じゃれつくのは後にしろ」
「~~~!!」
急に真っ赤になったかと思えば、ばっと俺から離れてうーうー唸りながら俺を睨む馬超様。何故。

「ふふふ。龐徳。そなたを呼んだのは、そなたに任せたい仕事があったからだ」
「仕事ですか……」
以前の俺ならば、迷いなくなんなりとと言えたのだろうが、今の俺には到底言えない。
そのような俺の様子を気にした様子も無く、馬騰様は続けた。

「ああ。実は、そなたに猫の世話を頼みたい」
「猫?」
「うん。そこでうーうー言っている猫だ」
くいっと馬騰様が指し示したのは、先程から真っ赤になっていた馬超様。なるほど、確かに威嚇中の猫のようにも……。

「って、馬超様ですか!?」
「そうだ。そろそろ、馬の乗り方も教えてやりたいのだが、私は多忙なのでな。護衛も兼ねて、そなたに頼みたい。良ければ、武の手解きもしてやってくれ。翠、お前普段から暴れたがっていただろう? 龐徳相手ならいくら暴れても良いぞ」
「ほんとうか母さま!」
「ああ。だが、物は壊すなよ」
「わかってる!」
「ちょ、お待ちを!」
何やら茫然としている間にトントン拍子に事が進もうとしている!?
いや、あり得ないだろう! 確かに俺はそれなりの武勇を持ち合わせているが、それでも所詮は新入りの子どもだ! それを次代を担う馬超様の側仕えに付けるなんて流石に無茶が過ぎる!

「何だ、不服なのか」
「そういうわけではありませんが、私はまだ経験浅く、未熟でございます。そのような私を側仕えにするなど」
俺は懇切丁寧、理路整然そのものといった感じで意見した。

「なるほど、確かに一理あるな。だがすまん、もう決めたのだ」
しかし一蹴された。あれ、馬騰様って何気に傍若無人?

「しかし、他の仕事もございますし」
「安心しろ。龐会がお前の政務を片付けるそうだ。軍務の方も私がどうにかしろと言ったら、戎茂が無言で頷いてくれた。ああ、だが士官教育は翠と共に受けてもらうぞ」
「で、では、馬術は? 馬術は武門では代々、親が子に伝えるのでしょう? 武術だってそうです!」
「私はどちらも戎茂から教わった。問題あるまい」
「歴戦の戎茂さんと私とでは全然違うでしょう!」
「大丈夫だ、問題無い。どちらも戎茂が手伝う。お前は四苦八苦しながら悪戦苦闘すればいい」
いや、それなら素直に戎茂さんに任せればいいじゃん。
俺は何とか馬騰様の決定を覆せないものかと知恵を絞っていたのだが、

「よろしくたのむぞ、ほうとく!」
無邪気な笑みを見せる馬超様を前にして、とうとう俺は白旗を上げてしまった。







龐徳の懸念とは裏腹に、この決定に対し不満の声は驚くほど少なかった。
護衛として十分な実力を龐徳は備えていたし、荒削りながらその忠心は誰もが認めていたことに加え、周囲が近頃の龐徳の失調を同情的な目で見ていたことが大きかった。
そして何より馬騰の「馬超にも歳の近い友人を与えてやりたいのだ」という言葉に、誰もが否定の言を持たなかったことがあった。
それが非難を逸らすためのものか、はたまた本心からのものかは分からないが、こうして、龐徳は馬超の側仕えとなった。







馬超と龐徳の親密さを示すエピソードは、今尚多く伝わっている。それほど、仲が良かったのだろう。
幼少の頃から共に学び、鍛えあって育った両者の仲は良く、しばしば魏の夏侯姉妹や呉の孫策と周瑜と比べられることがある。(※1)
ただ、馬超の従妹で龐徳とも親しかった馬岱の残した手記に、興味深い一文があるので紹介しておこう。
『私が兄と慕う龐徳と、姉と呼ぶ馬超の親密さを、兄妹に例える者がいるが、私はそうは思わない。馬超が時折浮かべる表情は、妹のそれとは異なるように思うのだ』(※2)
なんとも、気になる発言である。……乙女座の私としては、ロマンチックな考えを抱かずにはいられない。

※1 書物によっては、龐徳、馬超の二人に馬岱を加え西涼の三義兄妹とするものもある。その場合、孫家の三姉妹や蜀の三義姉妹と比べられる場合が多い。
※2 実際にはもっと砕けた表現が用いられていたが、あまりにざっくばらん過ぎたので、分かりやすさを重視しこのように訳させていただいた。



―――『天遣将軍龐徳』より抜粋




[26941] 五話 歩くような速さで
Name: 宮崎県民◆c439a1df ID:c036fe00
Date: 2011/04/23 00:28
「ふぁ~……ん。いい天気だ」
窓から見える空は、青一色だ。気持ちがいい。
見かけをきれいにして、部屋を出る。

「おはようございます、馬超様」
「ああ、おはようほうとく」
部屋の外でアタシを待っていたほうとくに、あいさつを返す。あてもなく歩きだしたアタシの後ろから、静かについてくるほうとく。
母さまにしょうかいされた日から、ほうとくがアタシの側仕え(?)というものになった。
母さまが言うには、

「子分のようなものだ。精々こき使ってやるが良い」
ということらしい。なので、こき使ってやることにした。
前から、話をきいていたからきょうみはあった。あのバケモノ戎茂に勝ったり、がんこな馬朗に仕事でほめられたりしているらしい。
アタシと同じ子どもなのに、ほうとくはすごい。そういえば、

「ほうとく」
「はい、馬超様」
「おまえ、何才?」
「今年で十になります」
体はですが、とかなにかよくわからないことを言っているが、とりあえずもうすぐ十才らしい。アタシは今年で五才だ。
……五年たてば、アタシもほうとくのように強くてすごいやつになっているのだろうか。楽しみだ。

「馬超様」
「?」
「私の真名は雷といいます。馬超様にお預けします」
「え! い、いいのか!?」
真名と言うのは、とても、とても大切な名前だ。大切な名前だから、大切な人にしか教えない。アタシもかんたんに人に教えてはいけないと、母さまから言われている。
そこまで考えて、はっとした。そして困った。ほうとくはすごいやつだし、母さまも「あの子は風だ」とかなんとか、よくいみはわからなかったけど、すごくほめてた。なにより、ほうとくはアタシの初めての子分だ。だから、アタシの真名を教えても良いとおもう。
だけど母さまから、母さまの許しなく真名を教えてはいけないと言われている。一体どうすれば……。

「気になさないでください、馬超様」
うんうんアタシがうなっていると、ほうとくはアタシの心をよんだようにそう言った。

「真名は特別なもの。特に女性が異性に真名を教えるというのは生半な気持ちでは出来ないのは当然のことです」
「だけど、ほうとくはアタシに真名をあずけてくれたのに」
「臣下が主に真名を預けるのは当然です。馬超様が気に病むことはありません」
……なんだろう。なんだか急に、悲しくなった。
ほうとくがアタシに真名をあずけてくれたのは、アタシのことが大切なわけじゃなくて、アタシが母さまの子どもだからなんだ。
そうおもうと、今度はすごく、腹が立ってきた。

「決めた。アタシ、真名でほうとくを呼ばない。ほうとくが、心からアタシに真名をあずけたいって思えるようになるまで、呼ばない」
アタシの言葉に、ほうとくは驚いた顔をした。ちょっといい気分。

「しかし、馬超様」
「子分は親分のいうことをきくものだぞ!」
「……御意のままに」
アタシがえへん、と胸を張って言うと、ほうとくはこまったような顔でうなずいた。
母さまは、「龐徳は感情を表に出すのがあまり上手くないが、それが分かるようになると楽しいのだ」と言っていたけど、たしかにちょっと困った顔をしたほうとくは、すこしかわいくておかしかった。





「むむむ、ほうとく、このときはどうすればいいとおもう?」
「そうですね、私なら……」
「なるほどなー」
馬超様は明るく、とてもよく喋る方だった。

「そりゃ! たー!」
「お美しい」
「そ、そうか?」
「その動き、カポエイラを学ばれましたか」
「へえ、五胡の武術は、かぽえいらというのか」
「……冗談でございます」
「? おまえのじょうだん、わかりにくいな」
裏表がなく、思ったことははっきりと口に出される方だった。

「よっ、ほっと。どうだ、ほうとく!」
「お上手です、馬超様。馬術の才能がおありですね。戎茂さんもそう思いますよね?」
「……」
「戎茂! おまえ、うなずくだけじゃなくてすこしはしゃべったらどうだ!」
表情をころころ変え、よく怒り、そしてそれ以上によく笑う方だった。

「むにゃ? アタシ、寝ちゃってたのか?」
「お目覚めですか、馬超様」
「ほうとく……? まさかおまえ、ずっとそこにいたのか?」
「側仕えですから」
「そっか、わるかったな……まてよ、ひょっとして、寝顔見たか? ……こら、あっちを向くな! 見てたんだなコノヤロー!」
本当に、よく笑う方で……その溌剌さが、今の俺には妙に眩しく思えた。


馬超様との騒がしいながらも穏やかな日々が暫く続いたある日、その報せはやってきた。
俺が馬騰様に仕えるようになってから初めての天敵の襲来、五胡がその脅威を振るってきたのである。





「状況は」
「国境の守備隊からの連絡によれば、敵の数は一万ほどと」
「……多いな。守備隊だけでは対応しきれまい」
「はっ。報告によれば、どうやらある程度我らが領土に居座るつもりのように思えると。また、守備隊長から足止めに徹するという連絡が来ております」
確かに、いつもの挑発に近い襲撃とは数が段違いだ。五胡の中で何かあったのか……頭が変わったか? そのような情報は入っていないが。考えても栓無き事か。

「それで良い。奴らを自由に暴れさせないことが肝要だ。すぐに準備できる兵数はどれほどか。騎兵の数だけで良い」
「一万五千です。明日まで時間を頂ければ近隣からも兵を集めれますので、倍以上に出来ますが」
「その一万五千、私が率いてすぐに出る。私達がこうしている間にも、民達は危険にさらされているのだ。今は拙速をこそ尊ぶ。
 韓遂らも兵を出すだろうから心配無かろうが、念の為後詰を戎茂に任せよう。編成は戎茂の指示に従え。食料は勿論、物資も用意しろと伝えておけ。被害を受けた村々には必要だろう」
「御意」
「急げよ。風のように速やかにな」
「はっ」
駆け去る部下の足音を耳にしながら、執務室に置いてある自らの武具を身に付ける。もう何度となく繰り返した動作だ。すぐに終えると、部屋を出ようとしたところで。

「母さま!」
「翠、それに龐徳か」
翠、それに続いて龐徳が駆け込んできた。よほど慌てて来たのだろう、翠は大きく息を乱していたし、龐徳の顔にも見たことがないほど厳しい表情が浮かんでいた。

「母さま、五胡が攻めて来たというのは、ほんとですか!」
「本当だとも。嘘などつく意味がなかろう。なに、心配するな。私がすぐに蹴散らしてくる故。それとも、翠は母が五胡如きに後れを取ると思うのか」
「そんなことはない! ないけど……今回は敵が多いんだろ? だから……」
俯き、言葉を震わせる翠の姿は、それはそれで可愛らしくあったが……不安がらせるのは本意ではない。
何より、ぐずる娘を放っておいては母親失格であろう。私は翠を抱きしめた。

「案ずるな、翠。すぐに済ませて戻って来よう。そうだな、帰ったら翠がどれだけ馬に乗れるようになったか見てやろう。もし翠が私を驚かせるほど上手くなっていたら、一緒に遠乗りへ行こう」
「ほ、ほんとうだな! 約束だからな! 絶対おどろかせるから、おどろいてくれよ!」
「ふふ、何だそれは。まあ良い。楽しみにしているぞ」
笑顔が戻った翠に私は頷く。では出発と行きたいところだが、まだ私の言葉を待つ子が一人いる。

「何か言いたげだな、龐徳」
「お願いしたき事がございます」
「聞こう」
叶えるとは限らんが。

「この度の戦に、私もお連れください」
「だめだ」
「っ! 何故ですか!」
「何故だと? それは此方の台詞だな。特定の部隊に所属しているわけでもない。兵との連携も未熟、実戦も未経験の子どものそなたを、何故連れて行けようか」
龐徳も、予想はしていたのだろう。悔しげに顔を歪め、俯いてしまう。握りしめられた拳は、注意せねば分からぬほど微かにだが、震えていた。

「そなたの思いは嬉しく思う。それに、私もそなたと馬首を共にしたいと思っているのだ。だが、それは今日ではない。城で翠と共に私の帰りを待て」
龐徳の返事を聞かぬまま、私は歩きだした。





兵達がいないことで寂れた空気漂う練兵場で、俺はただひたすら槍を振るっていた。
型も何も無い。片手で一本ずつ持ったそれらを、闇雲に振り回すだけだ。こうしている間は、少しは気がまぎれるような気がした。

『借り物の体に、借り物の力』
いつかの占い師の言葉が脳裏をよぎったが、槍を振るうことで振り払う。

『あなたが抱くその忠義。それは本当にあなたのものなのですか?』
振り払う。

『その忠心は、本当に、今の主に捧げるべきなのですか?』
振り払う。
占い師の言葉は、全て戯言だ。元は自分の物でなかろうが、今この体は、この強さは俺の物だ。その俺が抱く忠義も、俺の物以外の何物でもない。

不意に、いつかと同じ、金髪の少女を幻視した。振り払おうと、槍を突きだす。
だが槍は少女を貫くこと無く、その前でぴたりと止まってしまっていた。
幾ら力を込めても、ぶるぶると手が震えるばかりで、槍は先には進まない。

(何故だ……! 何故俺は……!)
気付けば槍を握った両手は、力無く下がっていた。

「気はすんだか」
かけられた言葉で、正気に戻る。

「……申し訳ありません、馬超様。側仕えの身でありながら」
「いいよ。アタシは気にしてないからな。それより、すごい汗だぞ。ほら、手ぬぐいもってきてもらったから」
「ありがとうございます」
練兵場の一角に設けられた椅子に座って俺を見ていた馬超様は、ひらひらと片手を振った。
馬超様の言葉で初めて気付いたが、俺は相当な量の汗をかいていた。馬超様に断りを入れ、同じように椅子に腰かけ汗を拭う。
本当は上着も脱いでしまいたかったが、馬超様の目もあるためそれは諦めた。

「お恥ずかしい所をお見せしました」
「いいや、すごかったよ。戎茂のようだった」
「ただ、闇雲に振るっていただけでございます。とても戎茂さんとは比べ物になりません」
「そんなことはないとおもうけどな。はやかったし、するどかった。でもたしかに―――」

―――きれいではなかったな。

言葉とともに、真っ直ぐな視線を馬超様は投げかけて来た。妙な居心地の悪さを感じて、俺は目を逸らしてしまった。

「なあ、ほうとく。なにをなやんでるんだ?」
そうした俺の様子に構わず、馬超様は切り込んできた。

「おまえが昼間、母さまに戦にいくのを断られて、おちこんだのはわかる。でも、それだけじゃないんだろう?」
「……何故そう思われるのですか」
「おまえがアタシの子分になってから、おまえはアタシのそばにずっといたんだぞ?」
心外だ、とでも言いたげに頬を膨らます馬超様。
どうやら、俺は馬超様を見くびっていたらしい。俺は俺自身の迷いを馬超様に気取られていないつもりだったが、すっかり筒抜けだったらしい。
子どもだというのに、いや、子どもだからこそか。馬超様は俺が思っている以上に鋭く、また聡い方だった。
図星を突かれた俺が、何も言い返せなくなるほどに。
無言のままの俺に、馬超様は真摯な視線を向け続けている。

「……身を清めてまいります」
気が付けば、俺は逃げるようにして身を翻していた。
側仕えとして、いやそれ以前に臣下として最低の振る舞い。それを理解していながらなお、駆け去る足を止められなかった。
振り向くことはしなかったが、振り向かずとも分かった。馬超様は無様に逃げ出す俺を、じっと見つめ続けていた。





馬超は城壁の上で一人佇んでいた。
日の暮れた空には雲一つなく、輝く大きな月と星々が煌めくのみであった。そうした光のおかげで足元はしっかりと分かったが、馬超の視線の先、馬騰が軍を率い進んだ荒野の先は流石に見ることが出来なかった。
幾らか目を凝らした後、落胆のため息をつく。馬超の口からもれた息は白く、周囲の空気の冷たさは、厚着をしていてもやはり幼い体には堪えた。

「馬超様」
不意にかけられた声に、しかし馬超は驚かなかった。
声の方に目をやれば、外套を手にかけた龐徳が立っていた。馬超と目が合った途端、龐徳は頭を下げる。

「先程は無礼な振る舞いをしてしまい、申し訳ございませんでした。処分は、如何様にでも」
「いいよ。アタシはきにしてない。アタシも、いきなりすぎたしな」
「しかし……」
「だから、もういいって。それに、ほうとくは今こうしてアタシをさがしにきてくれた。だから、許す」
「……ありがとうございます」
会話が途切れると、馬超はまた視線を荒野へと向けた。龐徳は何も言わずに、持ってきた外套を馬超に着せてやる。毛皮を使われたそれは、とても温かく馬超を包んでくれた。

「随分冷えてまいりました。それに、随分と遅い時間です。部屋に戻られては?」
「いや、もうすこしここにいる。母さまを待ちたい」
「左様でございますか」
それっきり会話は途切れた。馬超は相変わらず荒野の先を見据え、龐徳も黙って傍らで佇んでいた。
今日出て行ったばかりの馬騰が帰ってくる筈がない事は馬超も龐徳も分かっていたが、それでも二人は待ち続けた。
この奇妙な時間は、幼さゆえに馬超が睡魔に耐え切れなくなった所で終わった。
倒れかかる馬超を抱きとめた龐徳は、馬超を起こさぬよう慎重に慎重を重ねながら、その場を後にした。


この日のやり取りはこれで終わったが、同じようなやり取りはこの後も繰り返された。
三日が経ち、五日が経ち、七日が経ち。それでも、馬騰は未だ帰らぬままとうとう九日の日が過ぎた。
その日の夜もまた、馬超と龐徳は城壁の上にいた。

夜空に浮かぶ月は、満月となっていた。大きく強く輝く月の光があってなお、星々の明かりも尚強く感じるのは、それだけ空気が澄んでいるためだろう。
龐徳は見上げていた夜空から視線を外すと、傍らに経つ馬超に目を向けた。
足りない背丈を補うためにどこからか持ってきた台の上に立った馬超の眼差しは、飽きることなく荒野へと向けられている。馬騰や戎茂の出立からもう十日が過ぎようとしているが、何の音沙汰も無い。だが、馬超の瞳には何ら不安の影は無く、ただ一途な光が宿るのみであった。

「私が、馬騰様に仕えてすぐの頃です。警邏の途中で、妙な占い師に出会いました」
前触れもなく、龐徳は語り出した。それは以前馬超に問われたことへの、彼なりの答えであった。
龐徳にも不思議であったが、驚くほど自然な気持ちで話す事が出来た。

「占い師は、私の忠心は本物であるか、本心から馬騰様に忠誠を誓っているのかと、惑わすような言葉を投げて来たのです」
「言い返したのか?」
「無論。我が忠心は間違いなく馬騰様に捧げていると、そう返そうとしました。ですが……そこで、幻を見たのです」
「幻?」
そこで初めて、馬超は視線を荒野から龐徳へと向けた。

「はい。顔までは、はっきりとは分かりませんでしたが、金髪の見たことの無い少女でした」
「金髪……わからないな。ほうとくは、こころあたりあるのか?」
「いいえ」
龐徳は首を振ったが、嘘であった。自らの出自、そして占い師の言葉を考えれば、確信には至らないものの少女の正体を予想することは出来ていた。

龐徳。史実では涼州の馬騰、馬騰の死後はその息子馬超に仕えた猛将。だが戦乱の中馬超と袂を分かち、樊城での関羽との激闘の末忠烈無比な最期を遂げる。
龐徳が忠義を捧げ、その龐徳の忠義に涙しその死を悼んだ者。名を曹操。三国時代屈指の傑物である。
馬騰、馬超が女性だったのだ。ならば曹操もこの世界では女性であるというのも、あり得ない話ではない。

「私は、少女の正体は分かりませんでした。そして私は、彼女の幻を振り払う事が出来ませんでした。
 ……迷いを抱いてしまったのです。自らの、忠誠の在処に」
龐徳は己の罪を告白した。自分の忠節が不確かなものであると、他ならぬ忠誠を捧げるべき馬超に正直に告げていた。
龐徳はその場に跪いた。どのような叱責も、如何なる罰も受ける気でいた。恐らくこの時死ねと言われれば、龐徳は黙って城壁の上から身を投げたであろう。

「そうか」
だが、龐徳がかけられた言葉は、龐徳の予想の何れとも違った。

「それは、苦しかったな」
龐徳の耳朶に響いた声は、どこまでも穏やかだった。
顔を俯かせたままの龐徳の頭を、馬超は優しい手つきで撫でる。何故だか無性に、龐徳は泣きたくなった。

「おまえは、ぶきようだし、まじめだからな。つらかっただろう」
「……おやめください。私は、そのようなお言葉をかけていただけるような者では……」
「いいんだ。アタシがしたいんだから。それに、ここにはアタシしかいない。だから、むりをしなくてもいいんだ」
「無理などしておりません」
「うそをつくな」
まるで、母親が子どもを叱りつけるような響きが、その言葉にはあった。

「いや、ごめん。おまえがむりをしているのは、母さまのせいだな。母さまは、おまえにずいぶんきたいしているから。
 だからおまえは、こどもだけど、いっしょうけんめい仕事をして、強くなろうとしてたんだろう」
龐徳は何も言えなかった。否定したかったが、それが否定できない事実であることに気付いてしまっていたからだ。
龐徳の精神は、子どものものではない。だが、それでも無理をしていたのは事実であった。龐徳となっている彼は、本来は平凡な男なのだ。
歴史に名を残す英傑達と肩を並べられるようにするのは、並大抵のことではなかった。
それ以前に、突如見知らぬ世界に迷い込んでしまったのだ。普段は心の奥底に沈んでいても、そこには確かに不安が存在していた。
彼は、見知らぬ場所に迷い込み心細さに震える子どもそのものだった。そんな彼を慈しむように、馬超は彼の髪を梳き、頭を撫で続けた。

「おまえの、そういう気持ちは、アタシもわかる。アタシもまだ、こどもだからな。母さまといっしょに戦いたいけど、それはできない。
 どれだけべんきょうしても、どれだけきたえても、どれだけごはんをたべても、アタシはこどものままだ。おとなにはなれない。
 だから、アタシはどりょくはしてもむりはしないことにしたんだ。むりをしてもつらいだけで、いいことはないからな。だから」
馬超は小刻みに体を震わしていた龐徳の手を取った。思わず顔を上げた龐徳の目の前に、木漏れ日のように暖かな顔をした馬超の顔があった。

「だから、ほうとく。おまえも、むりはしなくていい。
 アタシといっしょに、どりょくをしていこう。いそがなくても、いいじゃないか。
 すこしずつ、おとなになっていこう。そうしながら、考えればいい。自分の気持ちがどうなのか。自分のこころが、どこにあるのか。
 走るんじゃなくて、ゆっくり、歩くようなはやさで」
馬超の言葉に、龐徳は短くこう答えた。

「雷と、そうお呼びください」
彼の言葉に、彼女はにっこり笑ってこう答えた。

「アタシの真名は翠。あらためて、よろしくな、雷」






龐徳は、英雄豪傑揃いの三国時代の人物の中でも、人気の高い人物の一人である。
史書に残されるその武勇、誠実な人柄。何より忠義そのものだったその生涯に、人々は惹きつけられてやまない。
筆者も、そうした人々の一人である。歴史に「if」は無く、そのようなことを語るのは本来私自身好まないのだが、それでも考えずにはいられない。


もしも彼が、馬超と共に歩み続ける道を選んでいたのなら、歴史はどのように変わっていたのだろうと。


―――『天遣将軍龐徳』より抜粋





[26941] 六話 はじめの一歩
Name: 宮崎県民◆c439a1df ID:c036fe00
Date: 2011/04/23 06:51
「はてさて」
領内を荒らす五胡の者共を一蹴し城に帰ってみれば、我が娘、翠がいないと大騒ぎの真っ最中。
慌てて部下ともども捜索に加わり、城中をくまなく探しまわってみれば。

「一体どうしたことだこれは」
「眠っておられますな」
「そんなことは見れば分かる」
淡々と事実を述べる馬朗の言葉通り、私の目の前で、翠は城壁に背を預けてすやすやと眠っていた。
龐徳と身を寄せ合い、一つの外套に包まって。

「……顔に落書きしたいな」
「やめなさい、大人げない。しかし、随分仲がよろしいのですな」
「うむ。私も少々驚いた。上手くやっているとは思っていたが……というか、龐会。そなたは何故少しうるうるしているのだ」
「いえ……雷が、このように子どもらしく眠っている様を久しぶりに見られたことで思わず感動してしまい」
「どれだけ涙腺緩いんだそなたは」
しかも、この光景を絵に残したいとまで言う始末だ。困った奴だ。
だが確かに、龐会の言うとおり、龐徳の顔はどこか安らいでいるように思えた。以前より、ずっと柔らかな顔をしている。それは何も、眠っているからというだけではないだろう。
やはり、龐徳を翠に付かせた私の目に狂いはなかった。恐らく、目覚めた龐徳は、私に以前より成長した顔をみせてくれることだろう。

「楽しみな事だ」





それからすぐに、龐徳は明らかに変わった。

「馬騰様」
「む、どうした龐徳。気合いが漲った様子だが」
「政務と軍務に復帰させていただきたい」
「え、いや、しかしだな……」
「復帰させていただきたい」
「あー……龐徳?」
「復帰させていただきたい」
「……ま、まあ良かろう」
と、馬騰に申し入れ仕事に復帰するや否や、

「龐徳、例の案件は」
「仕上げて用意しております。ご確認ください」
「そ、そうか」
「龐徳、さっき頼んだ警備計画だが……」
「用意出来ております。こちらをどうぞ」
「ははは、幾らなんでもそんなに早く……って本当に終わってる!?」
それまでの不調は何だったのか、というほどにばりばりと政務をこなし、

「はっ! はっ!」
「気合が入っていますな、龐徳の奴。部隊の一員として、動きにも付いていけてますし、馬術も見事なものです」
「確かに。ただ、あやつはどちらかと言えば隊員よりは隊長向きかと。部隊運用も新米にしちゃかなりのものですし、なにより武勇があります」
「……大したものだ」
((すげぇ、戎茂さんが口に出して褒めたよ!))
兵達と共に切磋琢磨し、更に先人達が蓄積した戦いの技術・知識を蓄え、更には、

「うう、また負けた……やっぱり、雷は強いな」
「ありがとうございます。ですが、お嬢様も日々確実に強くなっておられます。素晴らしい才をお持ちです」
「そ、そうか……ところで、その、その呼び方はなんなんだ? はずかしいぞ。それに、せっかくアタシの真名をおしえたのに……」
「……申し訳ございません。少々、照れくさいもので……。もう暫し、お時間をください」
「わ、わかった。まったく、しかたのないやつだな、雷は」
(お、おのれー!)
馬騰から命じられた馬超の側仕えも、きっちりとこなし馬超と友好的な関係を築いていた。
尤も、この件に関しては一部の馬超親衛隊(自称)が怨嗟の声を上げていたとかいないとか。

とにかく、龐徳は懸命に働いた。それも、以前のように妙に尖った面も見せることなく、無理をすることなく自然な姿で日々励んでいた。
ここに至って、ようやく龐徳は周囲の人々に認められ始めていた。





「近頃龐徳の評価が随分良くなってきたと聞くが、どうだ」
執務室の中、私の目の前に立つ馬朗と戎茂に私は気になった話を聞いていた。
この頃、龐徳は随分丸くなり政務に軍務にと取り組んでいるらしい。遠目から私も見たが、兵達とも随分打ち解けていたようだ。
そうした私の考えを裏付けるように、眼の前に立つ二人は揃って頷いた。

「……問題無いかと」
「政務の方もです。特に、こちらは龐会がいますからな。一度なじんでしまえば、後はあっという間でしたな。それに、まるで乾いた砂が水を吸い込むように、どんどん知識を吸収しております。
 実際、大したものですな。少々素直すぎるのが玉に瑕ですが、弁舌を鍛え腹芸も学ばせれば……そうですな、十年もあれば政務の基幹を任せても良いと思わせてくれるほどです」
「ほう、辛口の馬朗がそこまで褒めるか」
「……軍才もあります。訓練を続け慣熟が進めば、すぐにでも一隊を任せられましょう」
「それほどのものか」
「最良の行動を自然に行います。武勇の事も含めれば、前線を任せられる良将となりましょう」
「いつになく多弁ではないか。これはよほどのことだな」
「……」
おや、黙ってしまった。ふふ、仕方の無い奴だ。
そうして戎茂の様子に思わず笑みをこぼしていた私に、馬朗が一つの竹簡を差し出して来た。
受け取り、目を通す。ふむ、これは……。

「目下の問題である流民対策の案でございます」
「この、街の清掃活動がか」
「はい。主要な部分も勿論含めますが、浮浪者や無頼の者が集う裏街道を重点的に行う予定です」
馬朗の言葉に、思わず眉をひそめる。治安維持に努めているが、やはり多少治安の悪い地域というものは存在していたし、そこを根城にする痴れ者もやはり存在する。
そのような場所の存在は個人的に許せんのだが、こうしたものは完全に失くすことは出来ぬ。様々な力関係が存在しておるし、また必要悪と言えなくもない部分もある。
そんな場所に、手を出すのか。

「大丈夫なのか」
「手は打っております。兵も多少ですが動員します。ですが、あくまで目的は路面や壁面の清掃です。やれないことはないでしょう」
「それはそうかもしれん。流民達も金を貰えるのならばこのような仕事でも喜んでやるだろう。だが……それだけの手間をかける価値が、この案にあるのか」
「この案は流民対策もありますが、治安の向上も兼ねております。この案の真の狙いはそれでございます」
治安向上だと? 掃除がか? どうにも話が見えない。私は黙って馬朗に先を促した。

「劣悪な環境は、その環境に身を置く者の心を荒ませます。この清掃計画で、その環境を健全な物にすることが目的でございます。そうすれば自ずと、そこに住む者達の心も健全な方向へと進むでしょう」
「……そなたの言い分は分からんでもないが、果たしてそう上手くいくものか」
「はっきりと申しますと、確信は私も持っておりません。ですが、可能性はあるように思われたため、採用致しました」
「その言い様だと、どうやらそなたの案ではないようだが」
「はい。龐徳の案を元にした物です」
「龐徳の?」
予想外の名前の登場に、私は無意識に瞬いた。む、馬朗め笑いおったな。失礼な奴だ。
きっ、と睨みつけると、馬朗は笑った事など一度もございません、とでも言いたげな涼しい顔で言葉を続けた。

「原案は龐徳が出し、それを若い者達に検討、改善させました。実行も、そやつらに任せます。まあ、多少は手伝うつもりではありますが」
「ふむ。若手の経験値稼ぎというわけか」
「はい。上手くいけば御の字、程度に考えております。最低でも流民対策という目的は達成できるでしょう」
「失敗も織り込み済みか」
「失敗も、若い彼らには糧となりましょう。勿論、上手くいくにこしたことはございませんが、仮に治安の向上に失敗しても、大きな損害は生まれません。多少金を余計にばらまくことになるかもしれませぬが、許容できる範囲ですし、それはそれで民草に金が落ちるので構わないかと」
「ふふ、確かに龐徳達のような者達にやらせるには手頃な案、か。よろしい、好きにしろ」
「ありがとうございます」
しかし……。

「なかなか、あの子は面白いことを考えるのだな」
「おや、あの子には可能性を感じると仰っていたのは、馬騰様ではありませんでしたかな」
こやつめ、言ってくれる。私は苦笑しつつ、竹簡に認可の判を押した。
竹簡を恭しい態度で受け取った馬朗は、一礼すると退出していった。早速、案を実行に動かすつもりなのだろう。
私は一人残った戎茂に視線を向ける。戎茂は私が話を聞く態勢に入ったことを確認した後、口を開き始めた。

「……龐徳の今後のことです」
「ふむ、それは私も考えていた。私は暫く戦場には立たせず、訓練に専念させたく思うのだが。如何に龐徳に才覚があろうと、学ぶべきことはまだ山ほどある」
「仰せの通りかと。何より、若すぎます」
戎茂の言葉に、私は頷いた。
龐徳の将来には期待している。また、馬首を共にしたいという気持ちにも嘘はない。
だが、龐徳がまだまだ幼いと言って良い年齢である事は事実であり、私も好き好んで子どもを戦場に駆り出したいとは思わぬ。
……これが龐徳を迎え入れた私が言えたことではない、自己満足以外の何物でもない考えであることは分かっていた。まったく、自分が思っていた以上に、どうやら私は勝手な人間であるらしい。

「龐徳に、部下を付けようと考えています」
自嘲的な思考に陥りかけた私の意思を掬い上げたのは、淡々とした戎茂の普段通りの言葉だった。

「部下を?」
「はい。兵との連携、部隊運用などの士官として必要な教育は既に始めています。後は」
「実際に部下を持ち、部下を持つということがどういうことかを学ばせるということか。意図は分かるし必要性も理解しよう。だが、些か早すぎるのではないか」
龐徳が有能なのは私も理解している。単純な武勇ならば恐らく私と同等かそれ以上はあろうし、近頃の取り組みを見れば兵法もすぐに血肉とするだろう。
だが、ここでもまた龐徳の年齢が壁になる。兵達から徐々に認められていると聞くが、だからと言って幼い龐徳の下に付くことを是とする者が果たしてどれだけいるものか。

「何も、一度に一隊を任せるわけではありません。一人か二人、その程度の数です」
「ふむ……だが、適材はいるのか。部下に対する妙な遠慮が生まれぬよう、出来るならばそれほど歳が離れていない者が望ましいが、若い者に幼い龐徳の下に付く度量と素直さがあるかと言えば難しい所だろう。若さとはそういうものだ」
「一人、心当たりがあります。若く忠心溢れる、将来有望な者が」
「ほう」
戎茂がそこまで言うのなら、龐徳並みに期待の持てる若者なのだろう。だが、そうした者がいれば、当然私も気付くと思うのだが……。

「いたか、そのような者が」
「はい。先日入ったばかりの新兵です」
「……大丈夫か」
「才豊かであり、才ある若者特有の勇み足や横柄さもありません。むしろ、落ち着きがあり過ぎるほどです」
「そなたがそれほど言うのなら、問題ないのだろうが……」
戎茂を疑う訳ではないが中々頷けずにいる私に、戎茂は静かな、しかし断固たる意思を言葉に込めてこう言った。

「大丈夫です。私を、龐徳を信じてください」
信頼する臣下に、ここまで言われて否やを言える主君はおるまい。
しかし……。

「分かった。そなたの言を信じよう。しかし、そなたは龐徳の事となると、随分と多弁になるのだな」
そこまで言った後しまった、と思ったが、最早手遅れだった。

「……」
心なしか常の無表情が仏頂面になっているように見える顔で、戎茂はむっつりと押し黙ってしまった。





城内の一角にある広い庭で、俺はお嬢様と共に馬に乗っていた。
ああ、やはり馬は良いなぁ。この世界に来てからは色々と苦労が多いが、馬に乗る機会が多いという一点だけで何もかも許せる気がする。
この馬の体温の温かさ、優しげな瞳に、この毛並みの手触りときたらもう……ふぅ。

「雷は、馬に乗ってる時とても楽しそうだな」
「それはもう。私は馬こそが、最も美しい動物だと考えております。ちなみに最も優れた動物は犬、憧れる動物は鳥、賢い動物はハツカネズミだと個人的には考えております」
「はっはっは。雷ってけっこう変なところがあるよな」
何やらお嬢様は楽しそうだ。面白いことを言った覚えはないのだが。
そのお嬢様は、見事に馬を操っておられる。幼いお嬢様でも乗れるようにと賢く気性穏やかな馬を選んだのは確かであるが、実際見事なものだ。現在でも軽く走らせるくらいならば問題なく行える。流石に全力疾走などは、未だに危険なのでやらせられないが。
最初は俺達が馬に乗る様子を見守っていた戎茂さんも、一先ず目を離しても問題ないレベルだと判断したらしく、先程どこかに歩み去っていた。

「ところで、雷。アタシは馬になれてきたようにおもうんだけど、おまえはどうおもう?」
「同感でございます。本当にお上手になられました」
「そうか。母さまも、おどろいてくれるかな」
「驚かれるでしょう」
「そうかぁ。はやく、母さまと遠乗りにいきたいな」
お嬢様は楽しみでならない、といった笑顔をこぼれさせている。
馬騰様は先日の五胡との戦いの事後処理に追われている。国境守備隊の再編、被害を受けた村々への援助など、忙しく働いておられる。
お嬢様が楽しみにする遠乗りは、もう少し先の話になるだろう。俺に出来るのは政務を頑張りそれを少しでも早めることと、お嬢様の馬術を少しでも上達させることだけだ。
不意に、お嬢様が馬を軽く走らせ始めた。俺も追いつくべく、自分の馬を走らせる。

「ふふふ」
「お嬢様、どうかなさいましたか」
「こうやって走るのは、きもちがいいな。風がほっぺたをなでてきて、すこしくすぐったいぞ」
「……左様でございますね、お嬢様」
先程お嬢様は俺が馬に乗っていると楽しそうだと言っていたが、それはお嬢様にも言えることだろう。
風を受けた栗色の髪をなびかせながら穏やかに微笑まれるお嬢様の姿は、本当に絵になる。心なしか、お嬢様を乗せている馬も楽しそうに見える。
気が付くと、そうして馬を走らせる俺達を見つめる人影が幾つかあった。

「母さま!」
人影の一つ、馬騰様の姿に気付いたお嬢様が、馬をそちらにむけて走らせる。俺も後に続いた。
馬から降り柵を超えたお嬢様は、走る勢いそのままに、馬騰様に飛びついた。馬騰様は優しく笑いながら、お嬢様を抱きとめた。

「母さま! アタシが馬に乗っているところ、見ていてくれたか?」
「ああ、見ていたとも。上手になったな。驚いたよ。それに、随分龐徳とも仲良くなったようだな。それにも随分驚いた」
「な、べつに、雷はアタシの子分なんだから、だから、えっと……」
「おや、早速真名で呼んでいるのか」
「!!!」
馬騰様の言葉に、お嬢様は嬉しがったり恥ずかしがったりで大忙しだ。
それにしても……馬騰様が、ひどく穏やかな表情をされている。微笑みながらお嬢様を、そして俺を見つめてくる。なんだか少し照れくさい。
気恥かしさに耐え切れなくなった俺は、視線を馬騰様からその側に控える戎茂さん、そして、もう一人の見知らぬ女性に向ける。

「馬騰様。そちらの方は?」
「ああ、そうだった。翠があまりに可愛すぎて、本題を忘れるところだった」
「母さま!!」
「ふふふ、照れるな照れるな」
ガー! と吠えるお嬢様の頭を撫でてやる馬騰様。本当に仲が良いのだなぁ。とても和む光景だ。いつも無表情な戎茂さんも注意して見れば少し目尻が下がっているし、もう一人の女の人も見た目はクールなのだが、口元がやはり緩んでいる。少なくとも、悪い人ではないらしい。

「と、また本題を忘れていた。許せ」
「いいえ、気にしていませんから」
「そうか、すまんな。龐徳、そなたに紹介しよう」
馬騰様の言葉に、先程までの柔らかな表情を消し凛とした顔で答える女性。
彼女は馬騰様の目線に促されるように前に出ると、俺の正面に立ち俺を見つめて来た。

歳の頃は、恐らく十五、六かそこらだろう。女性だが、随分と背が高い。俺が子どもで低身長だからというのもあるが、ミニスカートから伸びる足がすらりと細く長いのも、背が高く見える要因だろう。全体的に細身で、肌が白い。着ている黒無地の長袖のせいで肌はほとんど隠れていたが、そのためにわずかに見える肌の白さが更に際立って見える。また、細身に似合わぬ豊かな胸がぴったりとした造りをしている服の効果で更に強調されていて、俺は礼儀としてそこから目を離すために、少なからず意識を割かねばならぬほどだった。
真っ直ぐと俺を見つめる彼女の瞳は黒曜石のように黒く澄んでいる。眼つきが悪いわけではないのに妙な鋭さがあり、凛とした空気漂う彼女に、短く切り揃えられた濡れ羽色の髪は酷く似合っていた。
背の低い俺を見つめる彼女の視線は当然ながら見下ろしたものになるのだが、全く嫌な感じがしないのはそれこそ彼女の心根の表れだろう。結論を言えば、驚くほど美しい女性であった。

「この者の名は、高順。今日付けでそなたの部下になる」
「え、部下?」
なにそれ、どういうことなの?
戸惑う俺を尻目に、女性……高順は目線を俺に合わせるために跪き、手を顔の前で組むと、頭を下げて礼をした。

「高順、字は子顔。これからよろしくお願いします、龐徳様」






高順は龐徳と最も近しかった人物の一人である。
龐徳と出会ったのは馬超よりも後だが、共に過ごした時間は馬超どころか龐徳の父親である龐会をも超えるとさえ言われている。
義に篤く清廉な人柄で、類稀な武勇を持ち、特に騎兵を率いらせれば敗北は無かったという。そのような彼女を、龐徳もよく頼りにしていた。
そんな高順の書いた日記が近年発見され、話題となった。この本を書くにあたって日記の写しを読む機会が合った私は、何よりも先に彼女と龐徳が出会った日の記述を探した。
そして目的の物を見つけた時、私は思わず笑ってしまった。その記述から感じられる彼女の人柄が、私の思い描いた通りだったためだ。以下に、その一部を紹介しよう。
『私の上司となった龐徳は、幼く、しかし凛々しく才豊かな、そして何より可愛らしい人だった』

―――『天遣将軍龐徳』より抜粋




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