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東日本大震災:被災60歳医師再起 仮設診療所準備進める

建設中の仮設医院で白衣に袖を通してみる鵜浦章さん=岩手県陸前高田市で2011年4月21日午後1時34分、西本勝撮影
建設中の仮設医院で白衣に袖を通してみる鵜浦章さん=岩手県陸前高田市で2011年4月21日午後1時34分、西本勝撮影
診療所再開に向けてプレハブで作業を進める鵜浦章院長(中央)=岩手県陸前高田市で2011年4月19日、野口由紀撮影
診療所再開に向けてプレハブで作業を進める鵜浦章院長(中央)=岩手県陸前高田市で2011年4月19日、野口由紀撮影

 津波で自宅と診療所を失った岩手県陸前高田市の「鵜浦(うのうら)医院」院長、鵜浦章さん(60)は26日に開設する仮設診療所の準備を進めている。親子2代で53年にわたって地域医療を担ってきた。「医療のない所から人は離れる」。再起のきっかけは、やはり被災した県立高田病院の石木幹人院長(63)の言葉だった。

 地震時、高齢の女性患者に聴診器を当てていて揺れを感じた。「9メートルの津波が来るって」。職員の声で患者約10人は避難したが、鵜浦さんはたじろいだ。「早く避難してください」という消防車の呼び掛けで、白衣にスリッパ姿で車で高台へ逃げた。間もなく自宅と診療所は津波にのまれた。市内6カ所の民間診療所はすべて津波の被害を受け、開業医2人が亡くなった。唯一の総合病院の高田病院も最上階の4階まで津波に襲われ、地域医療は壊滅状態になった。

 市の求めで鵜浦さんは数日後から、避難所に設けられた高田病院の臨時診療所を手伝った。多くの患者が薬を流され、一日でも薬を欠かすと命にかかわる患者もいた。失ったデータを取り寄せ、何とか薬を処方した。

 2週間ほどたった日の昼休み、石木院長から言われた。

 「医療のない場所から人は離れていく。医療が立ち上がる兆しが見えれば、人々は安心する。そろそろ診療を再開してほしい」

 高田病院では、入院患者15人と職員3人が亡くなり、職員3人の安否が不明だ。石木院長らも屋上で一晩明かし、3月12日にヘリコプターで救出されたが、15日から患者らの診療を再開していた。

 鵜浦さんはしばらく高田病院を手伝おうと考えていたが、石木院長の言葉に共感し「医師としてもう一頑張りしなければ」と決意した。高台に所有する土地にプレハブを建てるためその日のうちに建設業者に発注した。

 通常の診察はすぐにできないかもしれない。不安はあるが「医師としてもう一踏ん張りして地域を支えたい。頑張れる人から元気を出していかないと」と話し、生まれ育った街の復興の一助になればと願っている。【野口由紀】

毎日新聞 2011年4月21日 18時38分(最終更新 4月21日 23時32分)

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