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老兵は黙って去りゆくのみ

2011-04-08

じじぃの「人の生きざま_60_伊藤・みどり」

06:04

伊藤みどり - あのひと検索 SPYSEE

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Midori Ito 1990 Worlds LP (UKTV) 動画 YouTube

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Midori Ito 1988 Olys FS 動画 YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=k48L9JTx_oE&feature=related

伊藤みどり フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)

伊藤みどり1969年8月13日 - )は、愛知県名古屋市出身のフィギュアスケート選手(女子シングル)。東海女子高等学校(現、東海学園高等学校)、東海学園女子短期大学卒業。

1992年アルベールビルオリンピックフィギュアスケート女子シングル銀メダリスト。1989年世界選手権優勝。1985年から1992年まで全日本選手権8連覇。女子選手として世界初の3回転アクセルや3回転-3回転連続ジャンプに成功した。

1989年に「もっとも高得点をとったフィギュアスケーター」としてギネスブックに掲載。2004年には、日本人として初めて世界フィギュアスケート殿堂入り。2007年、国際スケート連盟 (ISU) は「伊藤はたった一人の力で女子フィギュアスケートを21世紀へと導いた」との声明を発表した。

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文藝春秋 2010年8月号

的中した予言50 伊藤みどり 【執筆者】吉井妙子(ジャーナリスト) (一部抜粋しています)

大根足だって勝てるんです!

いつから日本人はこれほどまでにフィギュアスケート好きになったのか? 浅田真央が銀、高橋大輔銅メダルを獲得したバンクーバー五輪直後は、日本国民が1億総評論家と化し、そこかしこで、「真央ちゃんの採点は低すぎる」、「トリプルアクセルはもっと評価されるべきだ」などという議論が交わされた。しかも、ルッツだのフリップだの専門用語も飛び出す。今やフィギュアスケートは、日本の人気競技になった感さえする。

人気だけではない。実力も世界一と言っていい。バンクーバー五輪金メダルは獲れなかったものの、女子3男子3の出場枠を手にしたのは日本だけ。スケート王国の米国は男女合わせて5、開催国のカナダは4だった。

名実共に日本がフィギュアスケートの頂点に立っているのだ。私たちが熱くなっても当然だろう。

それにしても、芸術性や優雅な美しさを求められ、日本人には縁遠かったフィギュアスケートが、なぜこれほどまでに身近なスポーツとして定着したのか。その起爆剤になったのが、1992年アルベールビル五輪銀メダルを獲得した伊藤みどりの出現だった。

「私が世界で活躍し始めた80年代半ば、外国メディアには"大根足のスケーター"と揶揄されていましたからね。技術を高めれば、大根足だって勝てるんです!」

"大根足"は、伊藤というより日本人特有の短躯短足を譬えるものだが、気品と格式を重んじるフィギュアスケート界で、145センチの伊藤は鬼子のような存在だった。当時、女王に君臨していたカタリナ・ビットに代表されるように、容姿の美しさや優雅さが評価を左右する大事な要素になっていたのだ。

「芸術点を高めようと思っても、私の容姿では限界がある。髪を伸ばしてリボンをつけ、コスチュームを派手にしたところで、ビットの美しさには近づけない。誰もやっていない技を取り入れ、精度を高めるしかなかった」

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カルガリー五輪直後、優勝したビットは、フィギュアの採点が芸術点重視から技術点重視に移行しつつあるのを警戒し、「観客はゴム鞠がは寝るのを見に来るわけではない」と発言、「フィギュアは芸術か、スポーツか」と論争騒ぎになったこともあるが、伊藤が見せた技術力の高さは、多くの人々の心を掴んだのである。山が大きく動いた。

アルベールビル五輪では女子選手では五輪で初めて、トリプルアクセルにも成功。

「このときの私の銀が、今の日本選手の実力を底上げしたんじゃないんですか」

逆説的な言い方で自分の言葉を補足する。

金メダルを期待されていた私が銀に終わった。このときからスケート連盟はジュニアからしっかり育成すべきと気づき、野辺山合宿(全国有望新人発掘合宿)に本腰を入れ始めましたからね」

その第1期生がトリノ五輪金メダルを獲得した荒川静香である。

一方、伊藤の最大の功績は、フィギュア界を芸術性重視からアスリート性も求められる競技に変えたことよりはむしろ、日本では高嶺の花だったフィギュアを庶民のお稽古事に根付かせたことだという。そう語るのは、伊藤以降、浅田や村上佳菜子まで数々のトップ選手を育て上げた山田満知子さんだ。

フィギュアはお金持ちのお嬢さんがやるものと相場が決まっていたけど、家庭に恵まれないみどりが活躍したことで、身近なスポーツになった。それにあんなに小さな子がトリプルアクセルを決めれば、私だって出来ると誰もが思う。フィギュアに親しむ子どもが増えれば、日本が強くなって当然」

フィギュア界の革命児となった伊藤が茶目っ気たっぷりに言った。

「私が活躍し出すと海外メディアの形容も『東洋の真珠』とか『ジャンピング・ドール』に変わってきましたからね。強さは感動を得て、美に変わるんです」

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伊藤みどり Google 検索

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