才能を開花させた、韓国でも群を抜く恵まれた練習環境。
果川のクラブは環境面でも恵まれた場所だった。1日3時間、週に6回、フィギュアだけでリンクを占有し、練習に打ち込めた。
ヨナの出現前までフィギュアの認知度がかなり低かった当時の韓国では、ここは群を抜いた好環境だった。実現させたのは、現在の韓国のフィギュア指導者の多くと師弟関係のある「韓国スケートの母」、イ・インスク(元韓国女子フィギュア代表)。ヨナを直接指導したわけではないが、果川のクラブで、ヨナのコーチの師匠として練習を見守った。当時のヨナについて「顔の小さい、かわいい子が来たな」と見ていた。イはかつての韓国フィギュア界の練習環境をこう振り返る。
「劣悪そのものでした。スケート場の一般利用が終わると、まずはスピード系の競技の選手がリンクを使う。フィギュアに充てられる時間は、夜の10時から12時まで。幼い選手にとっては、あまりに過酷な環境でしょう?」
イが「改革」に着手できたのは、自らが「韓国生活体育スケート協会」の会長に就任し、果川市からリンクの管理委託権を獲得したからだった。スピード系の登録選手を減らし、フィギュア優先の環境を整えていった。
ヨナは、家がここに通いやすい環境にあったという幸運にも恵まれたのだった。
週6日、1日5時間に及ぶ厳しい練習にも弱音を吐かず。
そこで、リュらに基礎を叩き込まれる日々が始まった。週6日、午後4時から1時間ほど氷上で練習をやり、その後2時間ほど、リンク外で走りこみなどの体力トレーニング。さらに再びリンクに戻って2時間近く滑った。
リュが当時教えていたクラスは、12人で構成されていた。そのほとんどが、フィギュアやアイスダンスの中学生や高校生の代表選手たち。ヨナは、一番年下の選手としてクラスに加わることになった。
リュは練習中にはあくまで厳しく、練習後は父親のように優しく選手に接した。特にヨナに対しては、負けん気を刺激する言葉で、年上の選手についていくよう、叱咤した。
「おまえは最高だ。100年に一度、出るか出ないかの選手だ」
「つねにプライドを持て。おまえは成功できる選手だ。スケートのこと以外考えるな」
「オリンピックで金メダルを獲れるぞ」
ランニングのような明らかに年齢による体力差が出るトレーニングでも、リュはヨナに同じことを吹き込んだ。ヨナは時に子供らしく「がんばったら、ご褒美ね」などと言いつつ、従順に従いトレーニングに励んだ。
<次ページへ続く>
Sports Graphic Number バックナンバー
- <三浦知良とD・ジェイムズの往復書簡> ドーハで命名されたKING KAZUの由来。 2011年4月20日
- <文武両道のススメ> 久木田紳吾 ~史上初の東大出身Jリーガー~ 2011年4月19日
- <プロ野球・円熟の最年長世代> 木田優夫 「150kmはあきらめない」 2011年4月18日
その他スポーツ ニュース
スエマエは準々決勝敗退 バドミントンのアジア選手権
2011年4月23日(土)0時33分 - 共同通信
バドミントンのアジア選手権は22日、中国の成都で行われ、女子ダブルス準々決勝で前田美順、末綱聡子組(ルネサスSKY)は韓国ペアに敗れた。男子シングルス準々決勝で佐々木翔(トナミ運輸)は2008年北京…記事全文
その他スポーツ コラム
-
[フィギュアスケート特報]
チャン、高橋、ヨナ、安藤、浅田……。世界フィギュアは前代未聞の大混戦!? -
[Number on Number]
驚愕の新人、渡嘉敷来夢。~女子バスケ期待の万能型選手~ -
[NumberEYES]
開催中止に日程変更でどうなる? 春のクラシック。~3歳牡馬は大混戦のまま皐月賞へ~