今日は死のうと思い遺書を書いていました。
何の役にも立たない私が、唯一他人の役に立ったのことを
挙げるとしたら・・・子供を産んだことだと思った。
子供は母に差し上げよう この年齢なら母をママだと思い
生きていけるのではないかと、期待した。
しょうさんは新しい女性と素敵な毎日を送ってほしい
まりちゃんへは結婚式へ行けなくてごめんなさい
まゆちゃんにはまた友達になってほしい
父には血のつながりがないにも関わらずこんなにも信頼でき
愛のある人はいないと思わせてくれた 感謝でいっぱいです
14階じゃ死なないだろうと思った。
下の景色を見て思った。
マンションの住居者の中に、かわいらしい赤ちゃんがいることを
思い出し、飛び降りるのはやめようと思い直した。
最近どうでも良くなった。恐ろしかったものが全く恐ろしくなく
安定剤を飲んでいるかように、何も響かず動じず
まるで自分が無敵になった気分になった。
常にこうだとどれほどに幸せだろう・・そんな風に思った。
死にたい死にたいは口癖だったけど
この5年そんなことは思いつきもしなかった。
こんなにも本気で死んでしまおうと思ったこともなかった。
私は小学生のころからリストカッターだった
それでも精神科なんて一度も行ったこともなく
ただなぜ切るのか自身でもわからず
ただばれないように、ばれても理解を求めていた
趣味なのか、悲しいのか、なぜ切るのかわからず
思春期は???でいっぱいだった。
大人になると、なんで切ったんだろう・・10代は不思議だ・・とか
まったくもって他人事だった。精神が幼かったのね
不安定だったのかな? そんなふうに思った。
だけどそれは自身に対してそう思っただけで、
どれほど周りに迷惑をかけただろうか・・とか
傷ついただろうか・・と思うと、他人事ではなく
申し訳なくていたたまれなかった。
リストカットという単語すら知らず、他にリストカットを
している人を見たこともなく、私はただひたすら切り続け
誰に言われたわけでもなく写真を撮り続けた。
なぜ人は情報がない中でも、自発的に自虐行為に走るのか
その行為の中にどんな意味があるのか
未だ私にはわからない
そもそも私の問題はリストカットではなかったし
他の問題に比べると、リストカットはほんの些細なことだった。
私は中身が腐っていた
なぜ忘れ物をするのか、なぜ約束が守れないのか、
なぜどうでもよくなるのか、とにかくこのあたりをひどく悩み葛藤していた。
でもそんな私にも人並みにやれば何でもできた。
興味さえ湧けば、10人いる中で2~3番を獲得することは容易だった。
ただ単にわたしを馬鹿だから と言う人がたくさんいると思う
わたしを天才だと言ってくれる人もちょっとはいた
そんな風に言ってくれる人のためだけにしか頑張らない性格だった。
それが27歳になって、初めてADHDという単語を聞いた時に
かなり救われた。病気だから変なときがあったんだ!と。
でも、今その解決方法が見つからず、ただの馬鹿でしかなく
治るものではないと知った。
だから死のうと思ったわけでもない それなのにもうなんだか最近
つねづねここ数カ月どうなってもかまわないという思いが
ひしひしと自分を埋めていった。
夏場半そでにはなれない どうしようにもない消えない傷が
見えてしまうと、優しい人は心を痛めてしまうので申し訳ない。
変な人だと思われても昔は良かったのに
今は子供まで巻き込まれてしまうので、申し訳ない。
危険人物っぽいと思われてしまうのではないかと不安で仕方がない
私にとってリストカットはたいしたことではないのに
悪ノリ扱いにならなくなってしまったのは、年齢のせいもあると思う
年を重ねても消えないので、なんだか恥ずかしい年々と恥ずかしい
深刻に考えないで軽く流していただけると有難いけれど
子を持つ親としては、そうはいかないだろうと思う
刺青も同じくそれでは済まされない
刺青を入れて堂々としている母親が私には理解できない
恥ずかしいと思わないその感性にはついていけそうにもない
が、何もない人の輪にも入れそうにもない
いづれも些細なことでどうでもいいことだけど
なんとなく申し訳なくて仕方がないんです。
すべての人生や存在が申し訳ないから死ぬんです。
申し訳ないなら死なずに更生するべきですが
正しい答えが、笑ってしまうほどもうぼんやりとしか見えないんです。
可能な限りのお金を使い込みました。
それを旦那に押しつけて死ぬつもりです。
子供はわたしの母が絶対に幸せにするでしょう間違いなく。
その確信がなければ死にませんから。
ここにこれを残すのは、私がもう7年近くもネットでしか
他人と交流していないからです。
最後の夏に親友と離れた後、わたしはネットに依存しました。
それは今まで以上の異常な執着と依存です。
ネットに依存し買い物を重ねいつも借金を作っては途方に暮れました。
その延長上に結婚があったと言っても過言ではなく
ネットをやめずネットを毎日見てネットの人間と口を開く
子供はすくすく大きくなり、毎日の手料理は楽しかったです。
でもその料理はブログにアップするためかのように見えると指摘され
延長上にあると思うと恥ずかしく申し訳なく何もかもが偽物のように感じた
私がどれだけ依存しようが何も応えてはくれない
無機質な世界観がわたしは大変好きでした
応えてくれようがない応えようがない 最初からあきらめた気持ちで
最初から期待せずに接しられるその世界が好きでした。
わたしは旦那に借金を押しつけて死んでしまおうと思いました。
昨夜、バイオノートで2発頭を殴られ、顔を3発、頭を3発
ひざで2発 殴られました。
恐ろしい形相で同じ人間とは思えないほどに、怒っている旦那に
よくこんな人と一緒にいたなと思いました。
殴られることはお互いある夫婦間ですが、私が丈夫で頑丈な女じゃ
なかったら、死んでしまうのでは?と思うほど力が強い。
よくニュースで夫婦間のいざこざで殺人が起きるけど、
きっと境界線はないんだろうなぁといつも思う。
失敗したら死ぬのでは と思いました。
私は非常に頑丈なので死なないけど、痛いもんは痛い。
その後、はだしで走って逃げました
旦那は当たり前だけど、子供には手を上げない
旦那の理屈は手をあげてくるからあげる だけのこと。
ただ力が強いだけ。では・・済まない気もするけれど
とにかく、人種が違う恐ろしさ 本当にDNAを分析できるならしたい
多分人を殺せる人だと思った。犯罪者が子孫にいるに違いない。
あの目の奥の芯から黒いのは間違いない
そうぶつぶつ言う私に、赤く黒くなっていく旦那の顔色が愉快で仕方がない。
わたしはこんなつまらない男を殺そうなんて全く思わない。
勝手にぽっくりいってしまえばいいとだけ、いつもいつも思う。
だけど旦那はわたしを殺してしまうんじゃないかと思うほど強い。
しつこくてクドくて男のくせにヘビのような上げ足ばかり取り
醜い顔で迫ってくるその姿は、私に生きる活力を与える。
わたしのほうがマシやんと思うと、元気になる心理が働く。
離婚には絶対に応じない 離婚するつもりで突貫してくるわけではない
甘えるのもいい加減にしろとは私が言いたい。
心から気持ち悪い人間が目の前にいる。
絶対に許さない 今日帰ってきたらまた喧嘩をする。
喧嘩をするのは全くかまわない私はそんな人間なので
いくらでもやってやるぞという気持ちになる。
でも、もう最近疲れたわ ばからしいていうかどうでもいいです
あぁでも文句を書くと元気になる
死んでしまおうという気持ちが、どうでもいい が
あのくっそったれ ってなり、台所に立ってお米を炊きそうになる
昨日は飛び降りようとしたベランダが、少しすっきりして見えるのは
なんでだか不思議な感情だなぁと思う。
私は多分ネットに書き込まなかったら、自制を保てなくなって
しまったのかもしれない でもそんな大層な話しでもなく
なんとかお米を炊こうと思いなおしたので、大丈夫そう
これを見た方々は何を思うだろう
それを気にしていたはずなのに、もう気にしなくなってきています
どうも糸が切れてしまっているような気がするんです
私は自分を不幸だと一度も言ったことも思ったこともない
それなのに悲劇のヒロインでいつもくだらないばかな悩みしかなくて
頭が悪い ともう何年言われ続けてきただろう
私の悩みはアフリカの難民に比べようもないぐらい、ぬるいものであって
おいおいなことばかり。 それは承知している。
それなのに、30前になってから、おいおいそれとこれとは違うでしょうに。と
開き直りを覚え始めた。おばさん思考の始まりだと言われたので
おそらくそうなのかもしれない。
この図太い神経は自身には有難い。 でもまだ完全ではないので
早く完全になりたい。私はいつもまぁいいけど相談しても
かわいそうなんて誰も言わない 当たり前にかわいそうじゃないから。
でも、私はもし私みたいな人がいたら、かわいそうにと思う。
悩まなくてもいいよもうありのままで大丈夫って言ってあげたい
がんばれも言ってほしいから言う がんばれにはたくさんの愛が詰まっている。
がんばれは酷だというのは、がんばることを続けてきた人間に対して。
私は悩むだけで頑張らないので、がんばれが全くなんでもない。
うぜーしねよて思うさっさと死になさいともう一人の自分がずっと言う
死んじゃいたいので、もうひと押しくださいともう一人の自分に
問いかける。もう一人の自分はいつも大事なところで答えやしない
わたしは掃除中、ソファーでごろごろしている自分の姿を見る
こんなふうに鳴りだしたら終わりだと思ってたのに
なんか終わりなような気がする
これがもし個人で勝手に輸入して服用している安定剤の副作用だと
したら、これほどばかなことはないでしょうに
でもそちらのせいにして、罪を逃れるのか
そちらのせいにして、私の異常を流してしまうのか
いづれも不本意だなぁと思う。
だってもう何十年もこうなのに、過去をなかったことにするのでしょうか
私の過去はそんなにだめなものだったのかどうか
私は普通が良い
平坦な普通のなだらかな毎日こそ平和で幸せ
死ぬのは難しいストッパーがある。でも絶望は素晴らしいほどに
そのストッパーを壊すものだと昨日知った。
何にも感じないそれは死ぬ方にはとても有難いことだった
人間の脳は優しく出来ているんだと思った。
サンポールで死にたい迷惑か 点滴がほしい
絶対とか確実とかなかなかないなぁと思っていたのが
死ぬ方法には確実や絶対があって、ほっとした。・
明日は化粧をして目黒川の公園を歩きたい
あさっては何もしたいことが浮かばないのでどうしよう
今日はこれから寝てしまうナルコプシーになりたいリタリンとやらを
飲んでみたかった。多幸感と活力と頭の回転が非常に良くなるそうで
そのようなものの存在を知らなかった私にはうらやましい限りです
甘えと見られようが、どうでもいいと思った途端
甘えではなくなってしまったんだと思った
コメントは予想がつくので入りません
だってわたしはうそつきだから
だけど忘れないでほしかった ネットの私はなかなか上出来だった
たまに不安定だけど、なかなか素敵だったとこれでもこの程度でも満足
もう更新しないほうがある意味立派だ
でもわたしはどうせ更新するだろうな 何もなかったことにして
それができる
今日の私は本物だけど、明日の私も昨日の私もうそ
今日の私はうそだけど、明日は本当かもしれないから
なにがなんだかもうわけわからんですよ