2011年3月5日更新
西小倉駅前交差点から見た小倉D.C.タワー 2010年7月
勝山通りの現場前から見上げた小倉D.C.タワー 2010年7月
長崎街道の起点、木の橋(常盤橋)から見た小倉D.C.タワー 2010年7月
ともに和の意匠 極彩色のリバーウォークと、モノトーンの小倉D.C.タワー 2010年7月
ともに和の意匠 地面に埋まった松本清張記念館(真正面)と、背伸びした小倉D.C.タワー 2010年7月
清張通りから小倉城内越しに見上げた小倉D.C.タワーの高層部 2010年7月
紫川船溜越しに見た小倉D.C.タワー 2010年7月
西小倉駅前第一地区 下と同じ構図 2010年7月
西小倉駅前第一地区 上と同じ構図 2006年12月
小倉D.C.タワーは、西小倉駅前第一地区市街地再開発事業による超高層の分譲共同住宅。事業主は西小倉駅前第一地区市街地再開発組合。売主は大和ハウス工業。名称のD.C.は「District of Culture (文化地区)」「Development of Community (地域社会の発展)」「Daiwa house Created (大和ハウス製)」の頭文字という。
室町二丁目はかつて国鉄小倉駅前の一等地として栄えたが、1958年の小倉駅移転により寂れた。西小倉駅前第一地区の再開発は1980年に準備組合が設立され、1989年に都市計画決定がなされた。地区の場末化により商業開発は難しく、当初から住宅開発の計画だったが、当時タワーマンションは奢侈であり、バブル崩壊により事業化のめどがつかなかった。2003年には組合設立申請が取り下げられた。
しかし、地権者は諦めなかった。北九州がバブル景気以来の好景気に沸いた2006年、大林組・大和ハウス工業グループが特定業務代行者として名乗りを上げ、再開発事業はより大型化して再始動した。着工はリーマン・ショック直後の2008年12月。その後景気は未曾有の落ち込みを見せるが、この事業までが滑り込みセーフだった。これ以降の事業は小倉駅南口東地区を含め、軒並み中止に追い込まれた。
建物は2011年3月5日に竣工式。同年11月に再開発組合が解散して、30年来の再開発が完了する。
大和ハウス工業が「九州最高層タワーマンション」と誇らしげに謳うように、小倉D.C.タワーはその高さが注目を集めている。当初、西日本最高峰となる棟高150m(最高160m)を目指したが、計画変更により棟高145.777mとなった。西日本では宮崎のシェラトン・グランデ・オーシャンリゾート(154m)、広島のリーガロイヤルホテル広島(150m)、アーバンビューグランドタワー(149m)に次いで4番目の高さになる。
棟高が低くなったのは、駐車場を4層から3層に圧縮して機械式を入れたからだ。機械式は月に何度か使う程度の行楽用自動車を格納する場所であって、毎日出し入れする自動車を止めるところではない。自家用車の交通手段分担率が45%(2000)に達する北九州では、駅前立地であっても自動車は必須だ。出庫・入庫の容易さを犠牲にしたコスト削減はすべきでなかった。「最高層」を売りにするのならなおさらだ。
床の構成は、地階が機械室と駐輪場、1階の西小倉駅からリバーウォークへ至る動線側が貸店舗、反対側が共同住宅の表玄関とロビー、2~4階が197台(機械式118台、平置き79台)収容の駐車場、5~41階が総戸数195戸の分譲マンション。共同住宅の分譲価格は2220万円~1億3000万円。億ションは最上階にあり、広さ199㎡という。1階の店舗区画は延床1000㎡程度を8分割しており、個人商店向けとみられる。
超高層ビルは形状に工夫を凝らすとコストがかさむ。小倉D.C.タワーは駐車場をケチるくらいだからあっさりした形をしている。下層の駐車場を台座として、か細い住宅棟を空に積み上げる。土地に余裕のある北九州でこんな超高層は本来必要なく、象徴性を獲得するためにせいいっぱい背伸びした建物だ。超高層は買い手優位の北九州の新築住宅市場で、住宅購入者にアピールするための最新手段になっている。
2006年に公表された環境影響評価方法書の参考図(右)は、地元勢が手がけたトーマスタワー(2008)をのっぽにした感じだった。この垢抜けない建物は大林組の設計事務所によって洗練され、工業都市に似合わしい硬質な外観になった。もっとも大林組は工業都市を意識したのではなく、北九州市の有識者で構成する景観アドバイザーからの意見をもとに「小倉城や長崎街道のイメージを表す瓦の黒と漆喰の白、日本の伝統的なモノトーンを建物の基本色彩とした」という。
リバーウォーク北九州(2003)で極彩色を採用しながら、いまさらモノトーンもなにもないだろうと突っ込まれそうだが、リバーウォークはあれでいて「茶器と茶請け」に着想を得た和の意匠だ。小倉城下の新建築は、思えば、松本清張記念館(1998)、小倉城庭園(1998)を含め、すべて和の意匠を取り入れている。しかし街区の景観統括者がいないために、各々が和の意匠を独自解釈して、まったく統一感が感ぜられない街並みができあがった。
2010年7月25日作成
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Kokura D. C. Tower (Condo.)