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スーちゃんが…突然の訃報がんと20年闘う

2011年4月22日

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:04年2月1日、都内で行われたパーティーに出席した田中好子さん04年2月1日、都内で行われたパーティーに出席した田中好子さん

 1970年代に一世を風靡(ふうび)した人気アイドルグループ「キャンディーズ」のメンバーで、女優として活躍した田中好子(たなか・よしこ)さん(本名・小達=おだて=好子)が21日午後7時4分、乳がんのため、東京都港区の病院で亡くなった。55歳だった。約20年にわたってがんの再発と治療を繰り返したが、亡くなる直前まで「どんなことがあっても復活する」と女優復帰を強く望んでいたという。通夜は24日に都内で営まれる。告別式は未定。

 スーちゃんの愛称で親しまれた田中さんが、乳がんで急逝した。夫の小達一雄さん(56)が21日午後10時半から田中さんの入院先で会見を行い、発表した。小達さんが同日朝、田中さんに声を掛けても返答がなかったという。夜になって容体が急変した田中さんは、愛する夫ら家族にみとられ、静かに息を引き取った。

 田中さんは公表していなかったが、長年にわたってがんと闘っていた。結婚翌年の92年に左胸にがんが見つかったが、治療で克服。その後も右胸などにがんを患ったが、年に数回検診を受けていたことで早期発見され、そのつど克服してきた。だが、昨年10月に十二指腸潰瘍で入院。今年2月に退院し、2週間自宅療養後に再び入院したが、帰らぬ人となった。がんは肺と肝臓に転移していた。

 2月に入院した際は絶食状態と高熱が続いたが、最後まで仕事への意欲は衰えなかった。女優としての最後の作品は、主演した昨年10月放送のNHK特別ドラマ「てのひらのメモ」。3月7日に、入院先からフジテレビ系ミニ番組「森のささやき」のナレーション撮りに向かった。

 誕生日を迎えた今月8日には、公式HPで「毎年毎年温かいメッセージをたくさんありがとうございます。皆さんの言葉からたくさん元気をもらっています。皆さんも健康に気をつけて頑張ってください」とファンに対し、感謝の気持ちをつづっていた。小達さんは「『頑張って闘う。どんなことがあっても復活するんだ』と繰り返し言っていました」と明かした。

 田中さんは16歳で、3人組アイドルグループ、キャンディーズのメンバーとして芸能界入り。愛らしい衣装と振り付けで人気を呼び、一躍トップアイドルの座に上り詰めた。「年下の男の子」「春一番」などのヒット曲を連発。明るい健康美が売りの田中さんは、「スーちゃん」の愛称で親しまれた。

 一時代を築いたキャンディーズだが、77年7月の東京・日比谷野外音楽堂でのコンサートで「普通の女の子に戻りたいんです」と解散を宣言。翌78年4月4日、東京・後楽園球場(当時)で解散コンサートを行った。レコードデビューからわずか4年半だった。

 田中さんは80年に女優として芸能界復帰した。「今村昌平監督作の映画「黒い雨」(89年)では各映画賞の主演女優賞を総なめに。NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」(01年)では、子供たちを温かく見守る母親を好演した。コミカルからシリアスな役までこなす女優として、ドラマから映画まで幅広く活躍。存在感を示した。

 私生活では、故夏目雅子さんの実兄で実業家の小達さんと91年に結婚。子宝には恵まれなかったが、おしどり夫婦として知られていた。小達さんは妹の夏目さんを血液のがん、白血病で亡くしている。妹に続き、同じがんで最愛の妻を亡くした小達さんは「最高の妻でした。治してあげたかった」と声を詰まらせた。

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