◆同盟
「日米同盟の証し」とされる米軍の「トモダチ作戦」。その舞台裏では米軍独自の作戦が早くから進行していた。最新鋭の無人偵察機グローバルホークが太平洋の米領グアム・アンダーセン空軍基地を飛び立ったのは震災翌日の3月12日。福島第1原発で水素爆発が発生し、大量の放射性物質が放出されていた。
「日本政府からの情報を頼りにして対応が遅れれば、米兵の命に関わる」(在日米軍幹部)。米軍は日本からの情報不足に危機感を強め、独自の偵察活動に乗り出していた。
約4時間かけて三陸沖上空に入ったグローバルホークは上空18キロの高高度の原発上空を旋回。米カリフォルニア州のビール空軍基地から衛星通信を通じた遠隔操作で被災状況を撮影した。これまで被災地と原発周辺をほぼ連日旋回。すでに約1万5000枚を撮影し、大半を日本側に提供しているという。
しかし、写真の公開か非公開かを巡り、防衛省と在日米軍との認識のずれが表面化する。
「グローバルホークによる撮影を可能な限り実施して情報提供してほしい」
3月18日、防衛省を訪れたルース駐日米大使に北沢俊美防衛相が要請した。米軍が撮影した写真は震災直後の宮城県の惨状も記録しており、「UNCLASSIFIED」と機密情報ではないことが付されている。在日米軍関係者によると、グローバルホークの写真はすべて「公開可能」に分類されているという。
これに対し、3月30日の参院外交防衛委員会で北沢防衛相は「(米軍は)秘匿区分のない画像であったとしても、(公開に)極めて否定的」と答弁した。しかし、在日米軍司令部は毎日新聞の取材に、公開、非公開の権限は「日本政府にある」と回答した。
「菅政権が『米軍に危機管理を依存している』と見られるのを警戒したからではないか」。在日米軍関係者はこう分析する。飛行費用は1日約24万ドル(約2000万円)。予算承認を求める必要があり米軍は画像を米議会や米原子力規制委員会(NRC)などに配布している。
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「北沢防衛相のイニシアチブにより、政府と東京電力の統合連絡本部にNRCの専門家チームが入った。日米間で共通の認識を持ち、適切な対応が可能になるよう協力していきたい」
3月17日昼前、東京・市ケ谷の防衛省。北沢防衛相と向かい合ったNRC幹部のチャールズ・カスト氏らに対し、同席した高見沢将林防衛政策局長が強調した。会談は、情報不足にいら立つ米側が求めて実現した。
NRC「互いに連絡要員を決めよう」
北沢防衛相「まったく問題ない」
NRC「放射線量を計測し、データを公表してほしい」
北沢防衛相「もちろん協力する」
陸自ヘリが原発上空から放水した直後の会談は建設的な雰囲気に包まれた。18日午前には、高見沢局長が自室にNRC代表団と日本側関係者を招き極秘チーム「原子力災害連絡会議」の初会合を開催。これが22日発足の首相官邸の「日米連絡会議」へとつながる。仕掛けたのはルース大使。カスト氏らの派遣は「情報過疎にいら立つ米政府の懸念の表れ」(防衛省幹部)だった。ルース大使はNRCと日本政府をつなぐ役割を北沢防衛相に期待した。
派遣が決まった15日時点では首相官邸は米側と調整する余裕はなく、窓口も不在。NRCの技術者には米海軍をはじめ軍関係者が多い。海軍は原子力潜水艦や空母など「原子炉」を保有し、管理に精通しているためだ。ルース大使は北沢防衛相と頻繁に電話でやりとりし、NRCと引き合わせることにこぎつけた。
「1週間後には注水を海水から真水に替えないといけない」。連絡会議では米側から注文も付いたが、防衛省幹部は「これを機に日米がうまく回り始めた」と語った。「4号機の使用済み核燃料プールに水がない」としたヤツコNRC委員長は発言を修正し、ルース大使が発表した「80キロ退避」にも見直しの動きが始まる。日本側も注水を真水に切り替えたのはほぼ1週間後の25日だった。
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震災救援を目的に約1万6000人を投入した米軍の「トモダチ作戦」。かつてない規模の展開は自衛隊・米軍の統合運用と民間空港・港湾の米軍使用に踏み込んだ。実態は「有事対応シミュレーション」といえた。
米揚陸艦トーテュガは陸上自衛隊の隊員273人、車両93両を北海道・苫小牧港から青森・大湊港まで運んだ。米軍艦艇による自衛隊部隊の輸送は災害では初めて。山形空港は米軍が資機材を蓄える後方補給センターとしての使用を県知事が許可した。仙台空港には沖縄・嘉手納基地所属の353特殊部隊が先陣を切って到着。普天間飛行場所属の海兵隊ヘリ部隊も強襲揚陸艦エセックスで駆け付けた。
一時孤立状態となった宮城県気仙沼市の離島・大島に揚陸艇で米海兵隊約300人が「上陸」。港のがれき撤去を行った。在日米軍は一連の活動を逐一発表し、被災地復興に協力する姿を国民に印象付けた。有事の際に想定している自衛隊と米軍の活動を調整する「日米共同調整所」が現地の仙台市・陸自仙台駐屯地、防衛省、東京・横田基地の在日米軍司令部の3カ所に設置されたのも異例の措置だ。
仙台駐屯地には今回初めて陸海空の統合任務部隊(JTF東北)が置かれた。外務省幹部は「オペレーションの性質は違うが、民間施設利用や上陸など実態的には朝鮮半島有事を想定した訓練ともなった」と指摘する。
◆混乱
3月17日の陸自ヘリ放水で始まった「原発冷却作戦」は自衛隊、警察、消防と危機管理の実動部隊を総動員した大規模作戦へと拡大する。だが、足並みは乱れ、省庁間の主導権争いや政治の露骨な介入に翻弄(ほんろう)される。
「すぐに現場に行ってくれ」。細野豪志首相補佐官からの督促が茨城県の航空自衛隊百里基地で待機していた警視庁の機動隊員らに伝わったのは、ヘリ放水前夜の16日夜だった。
警察側は放射性物質の専門知識を持つ自衛隊の化学防護部隊を同行させるよう申し出た。しかし、防衛省が難色を示した。防衛省が「化学防護隊は警察部隊に同行」と指示したのは、機動隊が福島第1原発から約20キロの前線拠点・総合運動施設「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町)にバスで移動した後の17日未明。
自衛隊と警察の調整不足は、17日夜の地上放水の最終局面でも露呈する。警察の高圧放水車が放水地点へと向かう際、事前の打ち合わせでは正門待機とされた自衛隊車両が構内に進入して進路をふさぐ形となった。ようやく午後7時5分から約10分で44トンを放水するが、機動隊の放水はこれが最後になった。警察幹部は「警察は現場で判断するが、自衛隊は『指令を受けていない』という言い方をする」と指摘。指揮命令を巡る警察と自衛隊の「文化」の違いがあつれきの根底にあると示唆した。
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「指揮系統を明確化してほしい」。3月18日、原子力災害現地対策本部の松下忠洋副経済産業相が首相官邸に要請した。Jヴィレッジには自衛隊、警察、消防に東電、原子力安全・保安院が加わる寄り合い所帯だった。
20日には原子力災害対策本部長の菅直人首相名の「指示書」が出た。宛先は警察庁長官、総務省消防庁長官、防衛相、福島県知事、東電社長。放水などの実施要領は「自衛隊が中心となり、調整の上決定」し、作業実施も「自衛隊が一元的に管理する」とあった。限定された場所の活動とはいえ、自衛隊が警察や消防の指揮を執るよう首相が指示したのは史上初めてだった。
原発へのテロ攻撃の際、警察力で対応できない事態に自衛隊とどう連携するのかは長い間の課題でもあった。94年春、警察庁と陸自幹部が初めてこの件で極秘に会合を開いて協議したが何も決まらなかった経緯がある。
その後警察、陸自間で訓練は始まり、05年福井県で行われた国民保護法に基づく初の実動訓練では「美浜原発がテログループに攻撃され、放射性物質が放出される可能性が出た」という想定だった。陸幕幹部は振り返る。「今回、書面で首相の指示が出たことが大きい。自民党政権ではできなかったことを、民主党政権は軽々とやっている」
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しかし、政治が動き、「トップダウン」方式が徹底されたことで、新たな混乱が現場に生まれることになる。
「細部指示」(マイクロマネジメント)。現場隊員らがこう呼ぶ「政治介入」が始まったのは、3月19日からの東京消防庁などによる「連続放水」をめぐる調整からだった。Jヴィレッジでは毎晩9時、東電、保安院、自衛隊、消防、機動隊の担当者が出席する会議が開かれ、翌日の行動の細目が決められていた。
しかし、この計画が実施間際や実行中に変更を迫られる事態がしばしばあった。原子力災害対策本部からの専用電話が鳴る。「できない部隊は後ろに下がって、自衛隊にやらせろ」。複数の現地関係者によると、副本部長で実務責任者の海江田万里経産相の意向を受けた細かな指示だったという。現場からは「方針だけ決めたら、任せてほしい」と不満が噴出した。この問題は東京消防庁のハイパーレスキュー隊を出している石原慎太郎東京都知事が3月21日、菅首相に抗議したことで表面化。「早く放水しないと処分する」との発言もあったとされ、海江田経産相は陳謝した。作業にあたった隊員は帰京後に知ったという。
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3月21日午前6時10分、Jヴィレッジに、陸上自衛隊の74式戦車2両がこつ然と姿を現した。現地調整に当たる自衛隊幹部は驚いた。主力戦車の災害派遣は初めて。「汚染されたがれき除去のため」として統幕主導で派遣が決定。20日夜に北沢防衛相が公表した時には、出発してから4時間以上が過ぎていた。
しかし、無限軌道でホースや電線を破損させる危険があると判明。北沢防衛相は「使ってはいけない」と伝えた。震災対応では、自衛隊部隊運用を巡って背広組といわれる内局の関与は薄い。警察幹部は「シビリアンコントロール(文民統制)にかかわる問題だ」と懸念を示した。
◆葛藤
自衛隊は今回、災害派遣初の「10万人態勢」で臨んだ。しかし実情は「10万人を動員しても足りなかった」(防衛省幹部)。史上最大の被害規模は、「自衛隊がかかわるべきか否か」を問わず任務を果てしなく拡大させ、苦悩の連続だった。
「日ごろ、松島基地のブルーインパルスを見ても自衛隊が何をやっているかぴんとこなかった。こうした時のために存在していると肌で感じた」。4月6日午後、宮城県女川町総合運動公園内の仮設テント。一家7人で身を寄せる船員、山本幹雄さん(54)は語った。
山本さん一家は津波で自宅を流されたが避難所に入れず、車上生活を続けていた。被災者の窮状を見かねた陸上自衛隊第14旅団(香川県善通寺市)が、急きょ33張りを設置した。
自衛隊法83条に定められた災害派遣は本来、公共性▽緊急性▽非代替性--を当てはめ、任務は初動対応に限定する。しかし今回は被害が大きく、明確な線引きのないままなし崩し的に引き受ける仕事が増えた。本来市町村が行うべき遺体の移送や埋葬、自宅のがれきの撤去作業などだ。特に1万4000人近い行方不明者の捜索活動は、心身共に大きな負担となっている。「郷土部隊」を自負する陸自第22普通科連隊(宮城県多賀城市)のある隊員は「皆泣きながら捜索している」と話す。
しかし「人命救助」として行うためなかなか打ち切ることもできない。1日当たりの派遣人員10万6550人(19日現在)は、阪神大震災(95年)の4倍を超える規模だ。阪神大震災では発生12日で行方不明者の捜索を終えたが、今回は40日を過ぎても続けている。
ただこうした苦悩は他省庁からは理解されず、あつれきも生む。警察庁は4月2日、防衛省に対し、原発から半径20キロ圏内の捜索を一緒に行うことを提案した。だが自衛隊の回答は「遺体の捜索は警察の任務。自衛隊の任務は行方不明者の捜索だ」。警察は翌3日、福島県警だけで捜索を始めた。自衛隊が参加を決めたのは4日後だった。ある警察幹部は「地元の民間業者でさえリスクを背負って活動しているのに」と不満を示した。
防衛省は「10万人態勢」見直しに入っている。菅首相の主導で始まったことから、現場からは意見しにくいのが実情で「見直しについても首相のリーダーシップを発揮してもらいたい」との声もあがる。
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米国の「トモダチ作戦」は派遣規模を大幅縮小して最終局面に入り、残るのは原発対応だ。米国は真水注入を支援するバージ(はしけ)船の提供に続いて、海兵隊専門部隊「CBIRF」(シーバーフ)約150人を日本に派遣した。
米国が派遣を決めた3月30日、折木良一統合幕僚長と宮島俊信中央即応集団司令官が協議。「米軍の専門部隊を原発内に入れると『日本は自力での対処をあきらめた』という誤ったメッセージを発信してしまう」との認識で一致した。
しかしCBIRFが来日してみると、原発内はおろか、Jヴィレッジにすら足を踏み入れない。50マイル(約80キロ)圏内への立ち入りを禁じる厳格な基準のためだ。陸自郡山駐屯地(同県郡山市)を5人が視察した以外は、東京・米軍横田基地で待機状態。折木統幕長らの懸念は杞憂(きゆう)に終わった。
「トモダチ作戦」で米軍は存在感を示し、自衛隊との関係強化にもつながった。しかし、米国には懸念も深まる。震災発生直後、オバマ政権に近い米シンクタンク・新米国安全保障センター(CNAS)はリポートを発表。大震災による巨額の復興費用が防衛費を圧縮し、「日米同盟の能力低下につながる」との懸念を指摘した。アジア太平洋の「礎石」と位置付ける日本を支えることで同地域での指導力を維持する--。「トモダチ」は、米国の国益をかけた作戦でもあった。
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田中成之、犬飼直幸、坂口裕彦、吉永康朗、千代崎聖史、鮎川耕史、山本太一、滝野隆浩、会川晴之、大治朋子、及川正也、上野央絵が担当しました。
毎日新聞 2011年4月22日 東京朝刊