移植医療への理解を広め、命の大切さを知ってもらおうと、臓器移植を受けた人と一般ランナーがともに走る「2010 グリーンリボン・ランニング・フェスティバル」が先月24日、東京・国立競技場と神宮外苑周回コースで開催された。5回目を迎えた大会には10キロ、3キロ、1組4人で1キロずつ走る駅伝、新設の1キロ親子ペアランに総勢約3500人が参加。ボランティア約300人に支えられながら、快い汗を流した。
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スタンドの声援を受けながらスタートする10キロの部の参加者ら=10月24日、国立競技場で |
完走、健康を実感 移植者 定京洋二さん
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初出場で移植者の定京洋二さん |
「移植は命をつなぐ、とてもありがたい行為。移植で助かるケースがあるなら、国内にその輪を広げたい」。製薬会社アステラス製薬に勤める定京洋二さん(47)は駅伝の部で大会に初出場した。
過去二回、家族による生体腎移植を受け、命をつないできた。
五歳でネフローゼを患い、小学一年のときは三日しか登校できなかった。食事療法と安静、ステロイド剤の服用を強いられる日々。大学三年の時、病状が悪化し、東京医科大病院で一年間の透析を続け、母親の腎臓を移植した。
しかし、薬の副作用から次第に腎機能が悪化し、二〇〇〇年、兄から生体移植を受け、現在は元気を取り戻している。定京さんは「別の人生を送る兄に頼むのは、勇気が必要だった」と振り返る。
〇一年に神戸市で開催された世界移植者スポーツ大会に出場したことを契機に、ジムで水泳とランニングを始めた。「今の健康に感謝し、移植医療への理解を広げる一助になりたい」と、この大会に出場した。
妻の有里さん(43)が見守る中、移植者四人でたすきをつないで駅伝を完走。定京さんは「今の健康を実感した。家族に感謝したい」と話した。
天国の娘に届け ドナー家族 田中和行さん
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花束を受け取り笑顔を見せるドナーファミリーの田中和行さん(左) |
「天国の娘にも届いていると思う」。スタート前に参加者がドナーへの感謝を込めて放った赤、白、緑の風船が舞い上がるのを眺めながら、東京都文京区の自営業田中和行さん(69)は目を潤ませた。
ドナーになった次女の理恵さん=当時(27)=も走ることが好きだった。二〇〇〇年三月の朝、ランニング中に交通事故に遭い、脳死状態に。体は温かいのに、二度と目を開かないまな娘。悲しむ田中さんに長女が「理恵は臓器提供の意思表示カードを持っているよ」と語り掛けた。
「これは遺言状だ」。田中さんは臓器提供を決め、家族も同意した。理恵さんの心臓、肺、肝臓、腎臓が子どもを含む七人に移植された。脳死からの肝臓の分割移植と肺移植は全国初だった。
あれから十年が過ぎた。「理恵の臓器は七人の中で輝いている。わがままな娘だったけど、人のために考えていたなんて」と涙をぬぐった田中さん。「この大会は移植者の人たちと触れ合え、本当にうれしい」と笑顔をみせた。
『移植考える機会』一般参加者
三キロの部に会社の同僚たちと参加した横浜市の徳増祐子さん(44)と世田谷区の金子美奈さん(38)は「移植者の人たちと走る機会はなかなかない。移植医療について考えるいいきっかけにもなった」と声をそろえた。
「家族で走る機会はあまりないので、みんなをなんとか説得して参加した」と話したのは、駅伝の部に家族四人で出場した荒川区の中村秀和さん(42)。長女の友海(ゆみ)さん(11)は「走るのは得意じゃない。疲れた」というが、親子の会話は弾んでいた。
十キロの部に夫と初参加した港区の井上協子さん(48)はゴールしたときに谷川真理さんとハイタッチ。「触れ合いが多くて、すごく楽しい大会だった」
杉並区の石田浩和さん(41)は「最近、ちょうど移植関連のニュースが続いた。大会は移植のことを身近に考える機会になったし、久しぶりにさわやかな汗を流せた」と満足そうな様子だった。
小児救急医療の充実を 日本移植者協議会大久保理事長
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駅伝に出場した日本移植者協議会の大久保通方理事長(手前) |
意思表示カードを持たない人からも、家族の同意があれば臓器提供ができるようになってから三カ月余り。改正臓器移植法が施行され、十五歳未満の子供からの臓器提供も可能になった。今大会の駅伝に出場した日本移植者協議会の大久保通方理事長(63)に課題を聞いた。
(社会部・山内悠記子)
提供施設の体制が整うまで三カ月はかかると思っていたが、八月と九月は、脳死だけでなく心停止を含めた提供が計二十三例あり、順調だった。しかし、医師が臨床的に脳死と判断した場合、提供施設が新ガイドラインに従って臓器提供の機会などを患者側に説明しているかは疑問だ。提供した人と家族に尊敬の念を抱く社会になってほしい。
年間約千例の多臓器移植を実現するには約八百〜千人のコーディネーターが必要だ。都道府県コーディネーターの給与には約三百万円以上の格差があるなど、待遇改善が急務となっている。コーディネーターの公的養成機関や資格認定制度を創設する時期だ。
提供施設は臓器提供に至った経緯を家族の了解を得て学会などで公表する必要もある。それは移植医療への信頼につながっていく。
子供からの臓器提供を促すには、虐待かどうかを見分ける専門医療チームを都道府県ごとに設立しなければならないと思う。小児救急医療体制の充実も図ってほしい。
ドナー家族の喜びを励みに コーディネーター芦刈淳太郎さん
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「移植者と走るのは毎年の楽しみ」というコーディネーターの芦刈淳太郎さん |
三キロの部に出場した日本臓器移植ネットワークの芦刈淳太郎・コーディネーター部副部長(40)=東京都品川区=は「昨年よりも速く走れた」と笑顔だった。「移植者や医師と走れるのは毎年の楽しみであり、励みになる」と汗をぬぐった。
臓器移植法施行の一九九七年の前年、ネットワークに就職した。新聞報道でコーディネーターに関心を抱き、大学の農学部から大学院の医学部修士課程で臓器移植学を学んだ。九九年の国内初の脳死判定と臓器移植から携わっている。
今年七月からは、脳死状態になった人が生前に書面で意思表示をしていなくても、家族の同意で臓器提供が可能になり、ドナーが急増した。芦刈さんは「それでも脳死になった本人の意思を最優先したい。家族に結論を急がせず、生前の言動を思い出してもらう」と冷静に語る。
「一番の喜びは、ドナーの家族が『最愛の人が移植者のなかで生き続けている』と喜んでくれること」。ゴール後、芦刈さんは旧知のドナー家族との再会を喜んでいた。
ボランティア活躍
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ランナーに飲み物を手渡すボランティアの人たち |
大会を裏で支えたのは、そろいの緑色の帽子をかぶった約三百人のボランティアだ。
「いつもは走る側。でも、今回はその恩返しをしようと思って。ボランティアも楽しい」。東京都世田谷区の小谷義(ただし)さん(62)は給水所を担当。ひしゃくですくった水を次々とコップに注ぎながら「ファイト、ファイト」とランナーに声を掛けた。
大会には親子ペアランなどもあり、会場には大勢の親子連れも。「おまっとうさん、赤いのだよ」。千葉市の藤永義次さん(63)は空に放った風船の残りを子どもたちに仲間と配り“隠れた人気者”になっていた。
台湾のボランティア団体も。メンバーの王美玲さん(60)は「助け合いの気持ちが素晴らしい。来年も参加したい」と話した。万一に備えてコースに待機していたのは国士舘大の学生やOBで、救急救命士の「卵」や資格者たち。この日は転倒による軽傷者が数人いただけ。リーダーの喜熨斗(きのし)智也さん(28)は「何事もなく、良かった」と笑顔を見せた。
『私もドナー登録』
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メッセージボードを見つめる親子連れ |
「私もドナー登録しました」「私たちは仲間です」。会場内にはメッセージボードが設置され、参加者がそれぞれの思いを書きこんだシールを張った。3キロの部に参加した千葉県市川市の会社員岡田貴子さん(38)は「一緒にがんばりましょう」と書いていた。
ボードには「命のバトンを持って走り続けて」「応援しています」と1000枚近いメッセージが寄せられ「腎移植から11年です」と移植者が元気な様子を伝える文言もあった。
MDRT賞に小林さん親子
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親子ペアランで1位になり、MDRTエジソン会賞を受け取る参加者(右手前) |
新設された親子ペアランの入賞者には「MDRTエジソン会賞」が授与された。この賞は、ボランティア活動などに取り組む同会が大会の理念に共感し、贈呈している。
優勝したのは、東京都八王子市の会社員小林修さん(40)と長男の小学六年駿斗君(12)。駿斗君は「サッカーをしているので、走るのは得意。もっと速く走れた」と満足そうに話し、小林さんは「まともに走るのは久しぶりだったが、気持ちよかった」と語った。
谷川さんがアドバイス
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ランニング教室で指導する谷川真理さん |
第一回からこの大会に出場している谷川真理さんは、スタートの前に恒例となった「ランニング教室」を行った。適切なウオーミングアップ方法などを示し、多くの参加者が間近で指導を受けた。
谷川さんはゲストランナーとして十キロに参加し、ゴール後はほかのランナーにハイタッチをして応援した。親子のきずなを深めてもらおうと新設された親子ペアランには「家族間でコミュニケーションを図るよい機会と思う。毎年、この大会に参加してもらいたい」と語っていた。
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