帰ってきた、水池屋無呂具堂。

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help RSS アルプスの少女ハイジの場面設定、画面構成。

<<   作成日時 : 2011/04/17 00:13  

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 ハイジをちゃんと見てみました、ずいぶん前に・・・・・・・・・。
 すごく面白いアニメですね!皆、ハイジ見たほうがイイよ!
 ということで、ハイジを見ていて個人的に気になった事について少し書いておきます。


 まず、一番最初に気になったのは「ドアを開けたら閉める事」です。
 挨拶標語ではありません(苦笑)
 アニメの場合ドアを開ける、閉めるというのは、一連の動作の中でだいたいどこかが省略されていることが多いのですが、この作品ではそういう事がなかったのが印象的でした。
 そうして見ると、このアニメの1話目は山小屋に来るだけで終わっているし、食事の風景を長々と時間をかけて描写するし、時間を省略しないことに重点をおいているのかなあ?と途中まで見ていて思ったのですが、舞台がフランクフルトに移ってからの描写を見ていて、それは少し違うなあと思うようになっていきました。
 簡単に言うと、このアニメは「無い」と言う事を描くために、「有る」ということを時間をかけて描写しているような気がします。
 例えば、ハイジという作品を話題にするときによく出てくる食事シーン、山小屋での食事は用意から時間をかけて描かれるのですが、フランクフルトに来てからは食事を用意するシーンが一切無いとか。
 ハイジの造形でいうと、印象的なほっぺの色トレス、これが一回だけなくなる回があったりするんですが、そこまで必ずあったはずのものが、唐突になくなったからこそ「違和感」が生まれる描写になっていて興味深いです。
 「違和感」という感覚は、アニメで感じさせるにはなかなか難しいものの一つだと思います。
 それは アニメには確固とした物が無いから、でしょうか。
 こうした「違和感」というのは同時に、何かに気づいた瞬間でもあり、そうした「言葉にならないほどの発見をさせる」というのは実に巧みな表現だなあと思います。
 そして、時間がかかる。
 アニメの中の時間の使い方というものについて、この作品を見ることで改めて考えなさせられました。
 


 所で、この作品で良く話題になるのが「宮崎駿」さんがやっていた「場面設定」と「画面構成」という仕事です。
 折よく、「スタジオジブリレイアウト展図録」が手元にあったのでそれを参考にしながら見ていて面白いことに気づきました。
 まず、あの図録を見ていて一番最初に思った感想は、「色が付いている」なのですが、ハイジのレイアウトでどこに色が付いているのか?を意識して見ていて少し発見がありました。
 必ず、石と花に色が付いている点です。
 個人的な考えなのですが、この色が付いているのには、幾つかの理由があるのではないかと思います。
 一つは完成画面を伝えやすいこと。
 二つ目は素材が分かりやすいこと。
 三つ目は位置が分かりやすいこと。
 三つ目の、位置が分かりやすいという点なんですが、どうして石や花の位置を分かりやすくする必要が有るのか?どうしてそれが画面の中でその位置にあるのが重要なのか?を自分なりに考えてみたのですが、それはこれが「この画面の中で位置座標の基準」になっているからではないか?と思いました。
 というのも、画面を見ると、この「石」と「花」はだいたい画面の中の「近景」、「中景」、「遠景」の各位置に配置されており、基本的にそれがジグザクに置かれているように見えます。
 ハイジの山の風景というのは基本的にパースなどを補助する建築物などはないので、こうした距離感を意識させる位置に視点の基準になるものを配置することで空間を表現しているのではないでしょうか?
 ジグザクになっているのは、直線的なパースを作ってわざとらしさをなくすためとともに情報量を増やしている感じでしょうか、言い方を変えるといい感じにするための工夫、かも。
 ここ配置が奥行きのない画面などでもされているところを見ると、これは宮崎さんのレイアウト術の基本なのかなあと思ったりします。
 位置座標が三点に配置されていない画面の場合、望遠レンズを想定した視点なのかなあとか。
 意識して見なおしてみると色々考える事ができて興味深いです。
 ここまでは、おそらく「画面構成」に関してのお仕事の範疇についてになるでしょうか?続いて「場面設定」についても考えていきたいと思います。
 このアニメにはハイジを中心として、フィたりの対照的な生活をしている友人が出てきます。
 クララとペーターの二人なのですが、クララはお金持ち、ペーターは貧乏ということが作中なんども、象徴的に表現されています。
 そしてこれは、画面に絵としても表現されているのではないか?
 作品を見ていってそう思う部分がありました。
 ペーターの家の中は生活に必要な日常用品の全てが目に見えるように細部まで描かれているのに対して、クララの部屋は全く殺風景なのです。
 といってもクララは物を持っていないというわけではなく、ハイジやペーターよりもとうぜんのことながら色々と物に恵まれた生活をしているのですが、その部屋にはモノが置いておらず、わざわざ隠されて置いてあるんです。
 恣意的な言い方をするならば、ペーターは生活が目に見える画面になっており、クララは生活が目に見えない画面になっているのではないでしょうか?
 これは、上記の食事の用意についても同様のことが言えるような気がします。
 こうした描写の差異から生まれる、豊かさや違和感がこの作品の魅力の一つであり、アニメという表現への問いかけではないのか?
 と、「アルプスの少女ハイジ」を見ていて思いました。
 皆、ハイジ見たほうがイイよ!

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コメント(5件)

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コメントや反応が無い,と寂しがっていたので.

色付けについて図録で確認したけれど,石とか影付けしているだけにしか見えないんですがどうでしょうか.

>こうした描写の差異から生まれる、豊かさや違和感がこの作品の魅力の一つであり、アニメという表現への問いかけではないのか?
加えてこれについてですが,何を問いかけてるのかよくわからないのですが.
tokyo_sks
2011/04/18 23:28
tokyo_sksさんコメントありがとうございます、お陰様で最近はコメントも反応も合ってありがたい限りです。

>色付けについて図録で確認したけれど,石とか影付けしているだけにしか見えないんですがどうでしょうか.

これはあくまで自分の推論なので、参考程度に受け取ってください。

>加えてこれについてですが,何を問いかけてるのかよくわからないのですが.

これはアニメっていう表現に関してですねえ。
どこを省略して、何を描写するのかの著者選択自体がアニメ表現の可能性について試している感じがします。
レイアウトと言われる部分(この作品では、レイアウトという単語は使われていないわけですが)に関しても、この段階では存在しない工程だった事を考えると、アニメで何が出来るのかを考えながら作っていたんじゃないかなあと思いました。
ただしコレは私見です、念のため。
水池屋
2011/04/20 00:14
私は表現に問いかけると言うのは,具体的に次のようなことだと考えます.
火をアニメで見せるとき,火のアウトラインを取り,中を塗り,透過光スーパーにして撮影する.よくみるアニメにおける火の表現です.
恐竜2006で火を炊いているときにティラノサウルスに襲われる場面があります.
あの時の火は線を束ねてそれに濃淡をつけて表現していました.従来の火の表現にとらわれずに.
これがアニメの表現に問いかけることだと考えます.

取捨選択は演出論的文脈から発生する表現ではないでしょうか.
「取捨」≒省略,「選択」≒誇張はアニメにおける「核」と言ってもいいと思います.
髪の毛は簡単な線で描かれ,驚いたら目が飛び出す.そういったことです.
宮崎さんはその延長で表現していると考えます.
アニメだからこその省略=描かない,アニメだからこその誇張=書き込み.
つまり,アニメ表現に問いかけているわけではなく,アニメという表現を大いに利用しているとてもアニメ的な表現です.
tokyo_sks
2011/04/21 21:01
著者選択ってなに
てsぞ
2011/04/21 22:11
tokyo_sksさんコメントありがとうございます。

火に関する熱いコメントありがとうございます!

てsぞさんコメントありがとうございます。

誤変換ですねえ、tokyo_sksすみませんー。
水池屋
2011/04/21 22:54

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