IBMのスーパーコンピュータ「ワトソン」がTVのクイズ番組で人間のチャンピオンを破ったことは、日本でも大きく報道されたと聞いている。

ワトソンが出演した『Jeopardy!』は、初回放映が1964年と歴史が古く、クイズ番組の中でも一番格調が高い。日本でもフジテレビ系列が「クイズグランプリ」の題名で模倣番組を放送した時代があった(そこそこ人気があったようで、「クイズ知らんぷり」というパロディを描いた漫画家もいたほどだった)。

さて、「クイズに回答する」と聞くと、日本の受験問題式に「知識の量が問われるだけ」というイメージを抱く方も多いのではないかと思うが、『Jeopardy!』の問題は、語呂合わせ・隠喩・こじつけ等が多用されているので、ただ知識が豊富なだけでは正解に到達できない仕組みになっている。非常に高度な言語理解力を持つことがこの番組でチャンピオンになるための必須条件なのである。

IBMが「『Jeopardy!』に勝つためのスパコンを作る」プロジェクトを開始したのは4年前。「人工知能」開発という究極のゴールに向け、「高度な言語理解力を持つコンピュータを開発する」ことが目標だったのである。

『2001年宇宙の旅』の「HAL」の例をあげるまでもなく、これまで人工知能というと「SFの世界の話」と相場が決まっていた。今回IBM で「『Jeopardy!』制覇プロジェクト」の主任研究者を務め、ワトソンの「育ての親」となったデイビッド・フェルッチは、「僕が目指しているのは『スタートレック』に出てくるコンピュータ」と語り、SFの世界の話を現実の物とすることが目標であることを認める。

『スタートレック』では、カーク船長が「コンピュータ、何々はどうなっているか?」と口頭で質問すると、コンピュータが「あれがああで、これはこうなっています」と音声ですらすら答える設定になっていたが、ワトソンを『スタートレック』のレベルに持って行くことがIBM研究陣の目標だというのである。

『スタートレック』とは対照的に、同時代のSF番組『宇宙家族ロビンソン』では、「フライデー」というロボットが、ことあるごとに「計算できません」を連発、人工知能をギャグの材料とした。

ワトソンを育てるに当たって、IBM研究陣は、『Jeopardy!』の番組そっくりのセットを研究室内に作り、実際に番組で回答者を務めた経験のある人間とワトソンを競わせることを繰り返した。これまでのデータによると、番組でチャンピオンとなるためには、回答率(一番早くブザーのボタンを押す割合)50%、正解率90%を超さなければならないのだが、開発当初ワトソンの正解率は10%台にとどまり、目標とされた『スタートレック』にはるかに及ばなかったどころか、その実際は、『宇宙家族ロビンソン』のフライデーに近かった。

プログラムに改良に次ぐ改良が加えられて正解率は向上したものの、その過程では、フライデーもびっくりするような、珍答が連発されたのである。以下、いくつかワトソンの珍答を紹介しよう。

問題:この「頼りになる友達」は初めての非乳製品粉末クリームでした。

ワトソンの答え:ミルク

正解は「コーヒー・メイト」だったが、「メイト」と「友達」の語呂合わせが問題を解く鍵となっていることにワトソンはまったく気がつかなかったのである。しかも、「非乳製品」と断っているのに、「乳製品」の御本家「ミルク」と答える大ボケぶりだった。

問題:1698年、彗星の発見者でもあるこの人は、科学目的としては史上初めての航海に出る「パラモア・ピンク」という名の船に乗船しました。

ワトソンの答え:ピンクパンサー

正解はもちろん、エドムンド・ハレーだが、なぜ、ピンクパンサーと答えたかというと、その理由は、ワトソンのプログラムの基本が「キーワード検索」と「ワード連関度検定」にあるからだった。ワトソンのプログラムは、映画『ピンクパンサー』に「パラモア」という登場人物が出てきたことがあることを発見、その結果に基づいて「彗星発見者はピンクパンサー」という珍答にたどりついたのである。

問題:このファーストレディは、1912年3月16日、テルマ・キャセリン・ライアンとして、ネバダ州で生まれました。

ワトソンの答え:リチャード・ニクソン

正解はパット・ニクソンだが、夫の大統領の方をファーストレディにしてしまったのだから、その大ボケぶりは人智の及ぶ範囲を超えていた。

と、乗り越えるべき障害は多かったのだが、IBM研究陣は、わずか4年の間に、この「大ボケ」ワトソンを、人間のチャンピオンを大差で破るまでのクイズ名人に育て上げたのだから感嘆せざるを得ない。しかも、破った相手は、74連勝の大記録の持ち主であったり、賞金獲得額最多記録の持ち主であったり、番組の半世紀近くに及ぶ歴史の中でも、極めつけの大チャンピオン達だった。

しかし、人間の大チャンピオンを破ったとはいってもワトソンのプログラムにはまだまだ欠陥があるようで、先週CBSで放映された本番でも、開発当初の「ボケ」ぶりを彷彿とさせる珍答を発した。「合衆国の市」というカテゴリーの問題に対し、「(カナダの)トロント」(正解はシカゴ)と答えて、視聴者を爆笑させたのである。

さて、『Jeopardy!』制覇の偉業を達成した開発陣の次なる目標は、ワトソンの「実用化・商品化」であるという。

開発陣のチーフ、フェルッチによると、実用化する領域としてターゲットとしているのは「医療」。患者の診断には膨大な量の知識が必要とされるだけでなく、患者の言葉(主訴・病歴など)を理解した上で雑多なデータとの関連を探る操作が必要となるが、この操作はワトソンにうってつけだというのである。

フェルッチは「ワトソンを医師の助手にする」と控えめだが、『Jeopardy!』の場合、正解率10%の「フライデー状態」から大チャンピオンを破るまで4年しかかからなかったことを考えると、人間の名医が束になってもかなわない「人工知能名医」が登場するのは時間の問題ではないだろうか?

私を始めとして、藪医者が大量に失業する時代がすぐ目の前に来ているようである。

(2月17日、姉妹サイト「李啓充 MLBコラム」を更新、「『史上最高』のローテーション フィリーズのアキレス腱」をアップしました。なお、講演・原稿等のご依頼は本サイトのコメント機能をご利用下さい)