2011年04月19日
「原子の火」を決して絶やすことをしなかった宮崎アニメ「ハウルの動く城」のメッセージ
「原子力発電反対」と言えば、一見良い人のように思われがちだ。
「原子力発電賛成」と言えば、とても悪い人のように思われがちだ。
「Fukushima」原発事故の後だから、なおさらのことだ。
「原発反対か、原発推進か」といった二者択一の問題でもないことも、当たり前だ。
こういった不毛の争いは、1979年のアメリカTMI(スリーマイルアイランド)事故の後にも、80年代を通じて、しばらく続いたのだ。
1979年と言えば、今のイランでイスラム革命が起きて、当時も中東情勢が不安定になっていた。
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この1979年のイラン革命を境に、それまで1バーレル12ドルくらいだった原油価格が、一挙に1バーレル32ドル前後に急騰した。
アメリカ・スリーマイルアイランドの電力会社は、エネルギー価格急騰の中で、手持ちの原子力発電所をフル回転していた。
そして、起きたのが、アメリカスリーマイルアイランド事故だ・・・。
70年代は世界で初めて資源ナショナリズムが吹き荒れた時代だった。
2010年~2011年さながらに、資源エネルギー価格が急騰したのが、1970年代だった・・・。
そして、先進国経済が戦後初めて、グローバリゼーションの嵐にのみ込まれたのが、1970年代だ。
当時のアメリカ経済は、日本や台湾などの中進国の追い上げにあって、スタグフレーション(不況の中の物価高)に苦しんでいた。
なにやら、今の21世紀の世界経済にオーバーラップしているようにも思える。
そういった時代に、日本・台湾に追い上げられて不況にあえいでいたアメリカで起きてしまったのが、アメリカTMI(スリーマイルアイランド)事故なのだ。
2011・3・11の日本の「Fukushima原発」事故は、ある意味、起こるべくして起きた必然の事故だったのかもしれない。
スタジオ・ジブリの宮崎駿氏は、アニメの「ハウルの動く城」の中で、熱心に、「それでも原子の火を絶やしてはいけない」とのメッセージを強く、見る者に送っている。
人は生きてゆくためには、エネルギーが必要だ。
エネルギーが無くては人は生きてゆけないのだ。
さらには、よりよく生きてゆくためには、エネルギーが是非とも必要なのだ。
宮崎アニメの「ハウルの動く城」では、カルシファーという名の「原子の火」が、若い二人の主人公に、始終寄り添うように登場している。
実は、若い主人公:ハウルとソフィーの「世代間闘争」のアニメが、「ハウルの動く城」なのだ。
アニメでは、「原子の火:カルシファー」が、この若い二人に始終寄り添って、この二人の暮らし向きや、恋愛や、既得権との戦いに、大いに手助けしているのである。
宮崎アニメの「ハウルの動く城」の中で、「原子の火:カルシファー」も幾度も消されそうになる。
カルシファーは、最後の土壇場では、過去の人生で贅沢三昧を味わいつくした、余命いくばくもない老婆に、最後のアンチエージング目的のために、飲み込まれそうになったりもする。
けれども、「原子の火:カルシファー」はなんとかサバイバルして、平和を取り戻した世界で、再び、若い二人の再出発に静かに寄り添うのである。こうして物語は終わる。
1980年ごろと同じように、「原子の火を絶やせ」と唱えることは、たやすいことだ。
とくに、人生で既にやり残したことはほとんど残っていないような中高年や高齢者で、科学力のない人々が、原子力発電反対を唱えると、その人は、とても賢いように見られがちである。その人は、優れた判断力と暖かい魂を保有しているように勘違いされがちだ。
そして、いつの世も、アンチ・原発、アンチ・文明の急進派たちは存在していたりする。
そして、「アンチ・原発の急進派たち」と、「酸いも甘いも、この世の喜びも悲しみも贅沢も質素もすべてを味わいつくしたような中高年や高齢者たち」とは、いつの世も、親和性が高い。
中高年や高齢者たちは、アンチ・原発の急進派たちの頭の悪いアジテーションに、なぜかしら、いつの世も、いとも簡単になびいてしまう。
そして、いつの世も、原発肯定論者は、「原発を肯定する!」と大きな声では言えないような、そんな空気が存在している。
そんな空気の中で、「けれども、少なくとも、原子力の火を絶やそうとすることは、この上なく身勝手で傲慢であること」を、スタジオ・ジブリと宮崎駿は、「原子の火:カルシファー」というキャラクターにそっと暗号を忍ばせて、アニメの中に始終メッセージとして残している。
「ハウルの動く城」は、2004年の製作。
今から7年前の作品である。
人生の喜びも悲しみも幸せも不幸もほとんど味わい尽くしてしまったような年配の人間が、残りの人生を安心して暮らしたいと言う老婆心から、寄ってたかって集まって、「原子の火を絶やそうとすること」は、いつの世も、未来ある若者たちに対して、大変罪深いことなのである。
池田信夫Blogでも、原発推進派か反対派か」といった議論は不毛の議論であるとのお話が載っているので、ご紹介します。
「私は原発推進派か」
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51699243.html
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この記事へのコメント
エネルギーがなくても生きていけます!
が、水と食料が放射能で汚染されたら私達は死にます。
原発推進派の方には、原発の近くに住む勇気がありますか?私にはありません。別にいい人だからではありません。
だから、今こそ言うのです、原子力反対と。
未来の子供たちに放射性廃棄物という負の遺産を残すようなそんな罪深い技術、絶やさずにいようなんてそんなことがいえるのでしょう。
私には、この技術をこの先も推進していこうなどという考えのほうがずっと傲慢に思えます。
http://usio.feliseed.net/paetone/
でもそれ以前に、つまらないことで人様の作品を利用しないでください。
もはやそれだけでこの文章に議論の余地はありません。
今現在 人類は 原子炉を 制御しきれていません。
事故がおきなくても沢山の人が被曝しています。ガンになっています。
(作業者)
そして 膨大な核種(猛毒)を未来(100万年)に負の遺産として残すことになります。
それお前
そして私は、賢いから私の言うことを聞きなさい、と言いたいのかな?
偉そうな、経歴自慢してるけど、マンガの内容も自分勝手に、自分の都合良く解釈する、厚かましさには敬服します。
1980年云々なんて、関係ない。時代も、科学も、考え方も進歩しています
新しいエネルギーは必要で、それは決して原子力ではない。
そして、国民は、貴方が思うほどバカではない。
あなたこそ?????
個人的な解釈だとしたら、同じ監督のナウシカの世界はどう捉えられますか?
勝手に憂いてるけど回り気にせず大声で原発肯定をさけべばいいですよ。でも「ハウル」と「宮崎駿」名前は出さないで下さい。飛び火とはこの事ですから。
原子力発電を存続させるべきなのかどうか
火力や水力に比較して、原子力は決して
安価ではないことは、東電の過去二十年間の
監査報告書が示している。
また、火力・水力発電の稼働率を70%に上げれば原子力発電は停止しても不足はでない。
電力会社は総資産の大きさに比例して利益を
確保していいことになっている。
だから5千億も6千億もかけて炉を増設し
アメリカの3倍も高い電気料を国民に負担させている。こんなことが明らかになってくると、
さんざっぱら電気を使ってきたけど
人類には手が負えない原子力をあえて重用する
必要はないのか持って考えてしまいます。
仮に、原発が即刻停止されたとしても、現存の火力・水力発電のみでも、30%以上の余裕で現在の電力はまかなえるのです。問題は、周波数の違いから、電力会社間の余剰分が自由に融通し合えないということです。
では何故、50基以上もの原発が建設されたのか?貴方の経歴からあなた自身が知っていることです。にもかかわらず、客観的資料を踏まえぬインチキを公言しているということは、要するに先入見・悪意・利害がベースにあるということでしょうか?
原発を建設するだけで、電力各社には毎年膨大な国費がポンと与えられ、事故の際の責任は国家が引き受ける、原発の費用対効果は詐欺同然のデータ操作。
技術論以前に政策としてベースが与えられてしまえばそこに群がる無数のインチキ(御用)科学が成立してしまうのです。そして、あなたも、っ実から目をそらし、その甘い汁
に群がる酔狂な似非インテリでしかないのです。
見え透いた詭弁にあきれ果てるばかりです。
カルシファーがエネルギー一般のメタファーであったとしても、エネルギーのなかでも、原子力という特定のものであるとする根拠が示されていない。
ものを書く人として、ちょっと資格を欠くのでは。
監督の解釈を伺ってみたい。是非このコラム送ってください。知識者ならば。
あなたの根っこに有るのは経済的損失への
恐れだけでしょう。
新しい価値観(代替エネルギー含む)への転換期に一時的な混乱・経済的損失は避けられません。
それでも後世に続く命の火を大切にしたいという生き物の本質的な想いが、あなたには欠如しているように思います。
まぁ、原発の良し悪し以前に、ネタや情熱が枯渇しているのに、無理矢理なにかに結びつけて書かないほうがいいですよ。
資産形成も大事ですが、最終的な命のボタンを掛け違わないように。
その解釈はありえへんやろ~ワッハッハ
原始の火ならまだ理解はできるけど
原子て!
あの映画見て、カルシファー=原子力の
象徴ってアホけ~!電波け!
未来ある若者たちの為に真のクリーン
エネルギーである風力発電や・水力発電
太陽光発電を推進することこそが
素晴らしい大人やろ~?
自分の利権のために原子力推進するような
中高年や高齢者で科学力のないアホはおまえとちゃうんかい!
「自分勝手な曲解」をして
ブログを炎上させることは、とてもとても恥ずかしいことやで。
では貴方は率先して火を灯そうと
原発作業員の労働をし、
原発のある地で暮しますか?
制御不能になった際、故郷を捨てて
被ばく者として差別されるこをも
辞さないお覚悟ですか?
使用済み核燃料問題はどうしますか?
貴方の家の庭先へ埋められますか?
原子の火を灯す労働をする人は
漏れなく被ばくします。
健康を蝕まれ、遺伝子は破壊され、
子子孫孫に及ぶまで苦しみます。
住んだ地を生涯離れねばならず、
病気に怯えながら過ごします。
宮崎駿氏へ物語の真意を尋ねました?
独自の解釈をされるのは自由ですが、
他人の編み出した物語を借り、
もっともらしく原発推進をするのは
賛成も感心もできません。
人はエネルギーなしで生きられない、ですがそれは、この地球という生きていける場所があってのことです。
今こそ、人間の英知を、「どうやって原子力に頼らない未来を作り出せるか」問題に立ち向かう時と考えます。今すぐに原子力をなくすことができるなどとは思いません。ですが、わたしたちには子どもたちに残さなくてはならない未来に対する責任があるのです。
宮崎監督のストーリーはいつも子どもたちへの愛情に溢れていますよ。
映画の内容をどう解釈するかはあなたの自由かもしれませんが、それを作品の意図であるかのように紹介するようなことは間違っていると思います。しかも、アゴラにまで掲載されてますよね。社会的立場もある方のようですので、削除や訂正をされた方がよろしいのでは?
何の根拠も示せないくせに。
むしろそれなら原発推進だって、年配にも多いのではないだろうか。
後先考えないで、利権を追求できるし。
そもそもカルシファーを原子力とすること自体が勝手な解釈であり妄想だ。
そしてハウルの世界での真実が、この現実でも真実になると考えること自体も、妄想であり依存だ。
仮にハウルの世界を正しいとして、ハウルはカルシファーの力に手を出して身を滅ぼしたのではないか?
そして結局はカルシファーを手放したのではないか?
だとしたら原子の火は原子の火としてそこにある。
けれどそれに手を出すべきではないという解釈の方がずっと説得力を持つ。
またジブリの物語で正当性を主張するのなら言うのなら、ナウシカはどうなる。
安易な文明化よりも、自然エネルギーと共に身の丈に合った暮らしを肯定しているのではないか?
あなたの文章には何の説得力も見られないし、結局は主観や感情で物を行っているに過ぎない。
それこそとてもとても恥ずかしいことだと思う。
すれ賞賛するようなタマじゃ無い気がする
のですがね。私は原発を肯定も否定もしませんが。
紅の豚、風の谷のナウシカ、魔女の宅急便など
の一連の作品を見て書いたのですかね??
よく調べて書いてないで良く物書きが務まる
ものですな┐(´д`)┌ヤレヤレ
貴方の様な文章を世間では「陰謀論」と言って
嘲笑されるのですよ。
そして、いつの世も、アンチ・原発、アンチ・文明の急進派たちは存在していたりする。
そして、「アンチ・原発の急進派たち」と、「酸いも甘いも、この世の喜びも悲しみも贅沢も質素もすべてを味わいつくしたような中高年や高齢者たち」とは、いつの世も、親和性が高い。
中高年や高齢者たちは、アンチ・原発の急進派たちの頭の悪いアジテーションに、なぜかしら、いつの世も、いとも簡単になびいてしまう。)
ここを訂正してください
反対している人は、”安全だ””放射能もれはない”を信じていないだけ、
原子力発電を反対しているのではない
原発推進をしようと画策しているの
なら尚更問題ですな┐(´д`)┌ヤレヤレ
ヘタすればジブリから名誉毀損で
訴えられるかもしれませんぜ。旦那ぁ。
私の政治思想や価値観から原発反対派
の内、所謂サヨクには決して与しませんが
だからと言って原発推進に積極的には
なれません。
貴方の言い分は双方から攻撃されますな。
論理的にモノを考えてるとは到底思えない
相手の立場を考えてモノを言うように。
カルシファーは、元は流れ星という設定なのですが何故原発になるんでしょう?
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ氏はファンタジー小説家であり作中に原発のようにSF的なものが登場することはありません。
宮崎監督は決して原子力を肯定する人ではないと思うのですがね・・・。
「未来少年コナン」や「風の谷のナウシカ」は見ましたか?
あれは、核戦争による荒廃した世界を描いた作品なのですけど。
カルシファーはどう見ても火力です。
原子力の火で料理をしますか?
ブログ主さんが本当にハウルを見られたのか少し疑問になってしまいます。
意見を述べられるのはかまいませんが、あなたの誤った解釈をブログに掲載するのは、ジブリの名前に傷をつける行為です。
以後、控えていただけるといいのですがね。
母乳から放射性物質が検出され、子供におっぱいを飲ませるのも心配しなければいけないエネルギーとはなんでしょう?
たかがタービンを回すのに、これほどの犠牲をはらう必要があるのでしょうか?
ナウシカを見れば、ハウルのメッセージがそのようなものではないのが、すぐわかると思います。
浅はかすぎます。
どうか1年福島の20K圏内で暮らしてください。
チェルブノイリ事故の2年後に書かれた漫画。
『パエトーン』山岸凉子 http://usio.feliseed.net/paetone/
と言ってますから、宮崎駿の意図をねつ造してますね。この人。
>そして、いつの世も、原発肯定論者は、「原発を肯定する!」と大きな声では言えないような、そんな空気が存在している。
???
むしろ、311までは(いや、福島第一原発の事故の深刻さが認知されるまでは)「原発反対」と大きい声で言えない雰囲気だったと思いますけど。
勝間さんなどの知識人がこぞって原発推進の意見を広めていましたからね。
反原発は高齢者のエゴ?
なんでそんな大雑把な自説を、客観的なデータを示すことなく主張できるのか理解に苦しみます。
原発推進派はなぜこのように「上から目線」の方が多いんでしょうか・・・。これでは議論になりません。
が出てきてしまったら
もう議論は終了ですね。
聡明なあなたには
自分の馬鹿さ加減がよく分かると思います。
原発推進をいいずらい空気?
それどころかTV見てると、そのままなあなあで推進していくぞ!って空気しかないんですけど。
あなたのメッセージは金を絶やすな。みんなとにかく懐に金をたくわえていこーぜ。と聞こえます。
私はあなたと同じ大学の医学部を卒業した中高年ですが(自分が科学力がないとは思っていません)、広瀬氏が言うように、子供たちにこのような危険なものを残そうとしていることこそがとても罪深いことに思えます。
しかし、感想や印象は主観的なものです。客観性や説得力を持たせるためには、物語を解釈するという作業が必要になります。
物語を解釈したというためには、なぜそのように解釈したのかという根拠が必要です。
根拠を示すためには、たとえば、物語の中で使われている言葉の辞書的な意味の確認と物語上の意味・趣旨の比較、登場人物の個性や存在意義、登場人物相互の関係性、物語の構成や時代・空間設定、物語の発表された時代背景や発表手段、同じ作家の他の作品との比較など、必要に応じてさまざまな観点からの検討が必要になります。
これは、解釈に客観性や説得力を持たせるためには欠かせない作業だと思います。
物語を発表した以上、作家の意図とは異なる解釈が生まれることもあるでしょう。
それに対して反論する作家はいたとしても、許さない作家はほとんどいないのではないでしょうか(文芸誌や文学研究に対して批判的な作家がどれだけいるのでしょうか)。
しかし、第三者が自らの主張のために物語の解釈を利用するのであれば、説得的な解釈を尽くす必要があると思います。
作家や作品への礼儀でもありますし、なにより説得力のない解釈を根拠にした主張は、やはり説得力に欠けるからです(続く)。
しかし、ジブリの映画は物語です。
ご自分の主張の根拠として作品を利用されるのであれば、そしてその主張を公開して説得力を持たせたいのであれば、説得的な物語の解釈を示す必要があるのではないでしょうか。
「原子の火:カルシファー」であるという意味の登場人物の発言や比喩、暗喩があったのでしょうか。
あるいは、物語全体から「原子の火:カルシファー」と解釈できるような要素が、物語の中にあったのでしょうか。
他の方のコメントにもありますが、宮崎駿氏の他の作品から原子力の火を絶やすなというメッセージは読み取れるのでしょうか。
そういった点を解釈としてお示しになった上で、それを根拠に主張なさるのであれば説得的かと思います。
以下、蛇足かもしれません。
私は原子力の是非について判断をしかねており、議論を注視しておりますが、こちらの記事は私のような立場の人が推進派に傾く要因となるとは思えません。
しかし、ブログの存在が知られるきっかけになったという点で、こちらの記事は成功しているようにも思われます。
高い専門知識をお持ちの方とお見受けいたしますので、また改めてご意見を発表してくださることを期待しております。
いったい何を根拠にこの作品から原子力肯定のメッセージを受け取ったのか?
宮崎駿の他の作品観たことあるのか?その世界観や思想を掘り下げた結果がこのくだらない文章なのか?
自分の主張は自分の言葉でしろ、恥を知れ。
あなたは、幸せな人なのでしょうね
宮崎駿を引っ張り出し、
しかもカルシファー=原子の火などと都合のいいように解釈したものを
あたかも事実であるかのように言うのは極めて悪質ですね。
それともその解釈が正しいと言うソースでもあるのですか?
この期に及んで原発擁護のために、宮崎氏及びジブリファンに対して勝手な捏造で侮辱するとは最悪です。
原発は安全安心だと言うのと同じく
言葉に責任を感じません。
御自分のブログなら他人の威を借りずに
御自分の言葉で語ったらいかがですか?
電力会社が住民の反対を押し切って勝手に原子炉建てておいて、それで勝手に家庭に電気を送りつけておいて、しかも世界的に見ても高い月々の使用量まで払わせておいて、これで何の恩恵か?
今のほとんどの日本国民は電力会社や供給源を選べないことを知っててわざと言ってのか?
ずいぶん押し付けがましい恩恵だな。
今は太陽光発電というすばらしい技術があるので、あなたのような電力会社の回し者からの妨害が無ければそのうち普及出来るだろうから今から太陽光発電の今後が楽しみです!
最後に・・・
50にもなって”アンチ原発”なんて恥ずかしい単語をこのブログに書くのはすごく目立つので、レモンはあんた自身だよ。
へたくそ!