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センスいい市長を選ぼう 〜感動した掛川市長の話〜(4月20日掲載)
■ センスがいい人に出会えると楽しくなる。会話であったり、考え方であったり、生き方そのものにセンスの良さを感じる。私の周囲にもたくさんセンスのいい人がいる。(株)みうら会長の三浦義孝さんなどもその一人だ。旧新南陽市で文化を高める会の活動を長くしていたが、お上には一切頼らず、すばらしい講師を毎回呼んで、多くの市民に感動を配ってきた。社内報にはそのほかたくさんの人の出会いを紹介していたが、いずれも感動する話ばかりで、よくもこんなにたくさんの感動する人に出会えるなと感心するばかりだ。
■ 今、周南市長選真っ最中だが、三浦さんが紹介した静岡県掛川市の市長さんの話が頭から離れない。確か三浦さんが同市を訪れた時、ある街の食堂で地元のお客さんに聞いた話だ。「この街の自慢は何ですか?」聞いたらどの人も「うちの市の市長さんじゃ」と答えたという。その当時、同市のお城を建て替える話が出たそうだ。あまり裕福な市ではなかったのか市長は悩んだ揚げ句、市民と一緒に建てよう、とまずは市長を先頭に市の職員たちに呼びかけ、市の職員が寄付を始めたそうだ。その話を聞いた市民も立ち上がり、多くの寄付が寄せられるようになり、見事に市民全員の城としてお城は立派になった、という話だ。
■ 昔の話で正確さには欠けるが、大筋はこんな話だった。三浦さんの話はいつも心を豊かにする話だ。ぎすぎすした世の中に心を和ませてくれる人はたくさんいる。選挙はどうしても生ぐさい。戦いだから仕方ないが、市民が自慢できる市長というのはいかにもうらやましい話だ。
■ 市民の意識を変えるためにはまずは職員が変わらないとだめだ。職員の意識を変えるのは市長の姿勢だ。姿勢というかセンスの持ちようだ。どうやら事前の予想を超えて激しい戦いになりそうだ。どちらがセンスいいか見極めて投票してほしいものだ。センスのいい人は心地よい。(中島 進)

何でもありの周南市?〜先送り議会に講義する〜(4月15日掲載)
■ この時期、島津周南市長を応援する人たちになんと言われようが書かなくては、と思った。選挙を理由に議会制民主主義と、政治倫理が大きくゆがめられたからだ。周南市議会にとっては最大の汚点になる。そもそも議会と執行部は全く立場の違う存在だ。執行権者の立場を思い計り、議会の決定事項をないがしろにすることは、議会人としての最低限のモラルと、プライドを捨てたに等しい。存在意義を放棄した議会に市民の一人としても厳重に抗議したい。
■ 先の議場での島津市長の暴言は、議会として一致してその暴言の理由を聞いたのではないか。ありもしない会合に出席もしてなかった民間人の名前まで口に出して、虚偽の内容で証人喚問の宣誓を拒否した理由は、当然、議会として問いただすべきだ。それが時期が時期だけに「選挙妨害になる」と議長が市長の立場を考慮するなどあってはなるまい。
■ 百条委は議会の議決で設置された。議会で議決したことはそんなに軽いものなのか。市長は解散権を持っている。議会の議決に承服できないなら解散で信を問うべきだ。選挙妨害だとの脅しに屈したとしか思えない議会人は猛省すべきだ。ましてや各会派ごとに決めればいい、などの発言もあったが、もう一度、議会が一度議決したことの重さを感じるべきだ。
■ 公職選挙法のどこに議会が決めたことをそのまま要求して選挙妨害と解釈できる条項があるのか。議長が市長への声明を拒否した理由が「家族を守るため」とは笑い話にもならない。潔癖なら市長もすみやかに先の発言の理由を述べればすむことだ。
■ もう一つ、より大切なのは、政治倫理審査会の開催を先送りにしたことだ。これは市長が工事落札業者に下請業者の選定をめぐり「私は市内の優良な会社を知っている。相談があればアドバイスしますよ」と話していたメモが市議会の特別委員会に出されたのを受けて、市民が市政治倫理条例違反に該当するとして調査を請求したものた。
■ 条例では「すみやかに開催すべし」と明記され、60日以内に結論も出すことになっている。市長はかねがね一点の曇りもない、と明言している。ならば早く結論を求め、身の潔白を知らしめるほうが選挙には有利だろう。選挙を応援する人、反対側に立つ人でその扱いを変えてはならないのが政治倫理審査会だ。力のない市民にとって疑問に答えてもらえる最後の手段だ。同審査会を形骸化させることは許されない。
■ 選挙があろうがなかろうが、法律に従って決めたことを中断するのは、天変地異の時だけだ。選挙を理由に先延ばしは、市民への冒とくであることを市長も議長も肝に銘じるべきだ。市長を応援したい議員も自信を持って粛々と進めばいい。選挙が終わってからの結論では有権者に失礼だ。これで本当に清く正しい市政が続くのか、市民の一人として今後が怖くてたまらない。何でもありの周南市になりそうだ。(中島 進)

どんな周南市を作るのか?〜市長選いよいよ、島津市政の評価は?〜(4月13日掲載)
■ 日刊新周南を始めて27年間、周南地区で実に多くの市長を見てきた。さまざまなタイプがいて面白かった。旧新南陽市は政変が激しく1期で市長が変わったり、それぞれのやり方も変化してネタには困らなかった。強引に引っ張っていくタイプ、ゆっくりのっそりやっていくタイプ、外面はいいが、職員にはからっきし人気のないタイプ、アイデアが次から次と出てくるタイプといろいろだ。やはり温厚なタイプが長く続いた。それだけ政敵を作ることがなかったのだろう。
■ さて、いよいよ周南市長選が17日に告示される。4年前と同じ2人の争いになりそうだ。よく「どうですか」と聞かれるが「わかりませんね」と答える以外ない。前回と違うのは島津市長がなんと言っても現職だということ。体制派として戦うが、木村氏は仲間だけの支援者で戦うことになる。彼のそばに前回ずらりと並んでいた企業関係者や、市議会議員の姿を見ることはないだろう。一方、現職の強さは4年間すべてが選挙運動となることだ。どこにでも顔を出すことができ、親しく話ができる。これは現職には最も優位なことだ。しかも大手企業は現職優先が基本だ。
■ しかし現職にとっては4年間の実績を評価される選挙でもある。島津市政のどこを評価するか、有権者にとっても難しい選択を迫られる。「周南再生」を掲げた島津市長が果たして「周南再生」をしたのか、どこを持って「周南再生」と言うのか、現職だけに厳しく問われることになろう。またあれだけ個人や特定の民間企業を取り上げ攻撃してきた市長は、過去、私の知る限り初めてのことだ。議会と報酬などで対立した市長は全国で多々いるが、民間人相手は初めて聞く。
■ 圧倒的な島津市長ファンに囲まれて、優位な戦いをすることは間違いないだろうが、その軽妙な語り口と、親しみやすい言動が果たしてファンを増やしたのか。役所の中も、強引さに反発する声も高い。一方、木村氏は4年間、何をしてきたのかという、街の声も大きい。前回は双方が新人で、何かを期待する選挙だったが、今回はかなり違う。どちらの方が市長にふさわしくないか、といった消去法的な側面もある。
■ 一番心配なのは、どちらもどっちと選挙に行かない人が増えることだ。市長によって自治体の有り様はがらりと変わる。自分にとってどちらが市長にふさわしいか判断して、投票で意思を示してほしいものだ。現職優位のまま選挙戦に突入する様相だが、先日の光市の県議選のようなことも起こりうる。選挙は最後の最後までわからない。両陣営の奮闘を心からお願いするばかりだ。他陣営の批判より、どんな市を作るのかが、両候補へのお願いだ。(中島 進)

チェック機関としての県議会を 〜悲惨な投票率にがっかり〜(4月12日掲載)
■ 投票率の低下を震災のせいにしてはならない。地方議会のあり方に多くの人が疑問を持ったからだ。身近な地方議会で51・70%。50%ほどの投票率では、議会そのものにノーを突きつけられたのと同じ意味を持つのではないか。県政のチェック機関としての機能を持っているとは到底思えない県議会に素直に反応しただけではないか。1兆2千億円もの赤字を垂れ流してきた県政のどこを見直すのか、明確なメッセージを掲げた候補者はほとんどいなかった。
■ 山口県はIT産業に力を入れると言っていたが、果たしてそうなのか。以前、我が社は「出前王」というモデルを考え、県へ助成金の審査をお願いした。聞くと助成は県内で年間1社だけという。審査の結果、外れたから言うのではない、そのていどかと驚いたのだ。きらら博では高速道路まで作った県が、企業を育てるのになんと貧困なことか、とがっかりした。ちなみに「出前王」モデルは数年後、東京で誰かが全く同じモデルで大きな成功を収めた。
■ 今回、議席を得た人たちには素直に拍手を送りたいが、これからが議員としての正念場だ。県民のために何ができるか、県政をどう変えていくか、チェックするためにはさらなる精進が必要だろう。周南市区では「私は新聞なんか読まない」と豪語していた現職は最下位だった。かわいそうだが議員としての自覚は足りなかった。選挙結果はそれなりに4年間の活動を反映する。
■ 光市の結果はみな驚いただろう。敗れたとはいえ上関原発の白紙撤回を求めた新人にこれほどの得票が集まった。この結果を受け、市は即座に原発交付金を返上すべきだ。14億円ごときで物が言えないようでは困る。お金で安全を売ってはいけない。世の中は常に予期せぬ出来事が起こるものだ。人間が作るもので絶対は絶対にない。奇想天外な話だが、北朝鮮がミサイル攻撃するなら原発を狙うかもしれない。1発のミサイルが1つの県を壊滅状態にできることを、今回の事故は示した。テロなら1番、簡単かもしれない。下松市は情けないの一言だ。無投票なら次回は定数を1つ減らせばよい。
■ 全国的に民主党は大苦戦した。山口県議会でも一議席減らした。当然だ。連合の組織票頼りの選挙をしていたのでは勝てるわけがない。周南市の例が最たるものだ。国政選挙では自民とほぼ互角の票が出るのに、地方選挙はこのていたらくだ。地方自治に明確な方針を持たない政権与党では、地方選挙は戦えないだろう。国政では事業仕分けだとか無駄をなくすと豪語していたが、地方では県政にしても、周南市でも権力にべったりで、仕分けどころではない。旧来の保守的陣営とどこが政策的に違うのか、皆目、一般庶民にはわからない。
■ いずれにしても日本は大戦以後、最大の危機にある。従来の発想を大きく変える政治家を待ち望んでいる。お役人中心から、民間人の発想で地方政治が展開できるかどうかが、今、最も問われている。4年後、さらに投票率が下がるようでは、県議会議員不要論が噴出するだろう。今回当選した議員諸侯の奮闘を期待してやまない。(中島 進)

防災無線問題に終止符が〜権力者には厳しい日刊新周南を〜(4月7日掲載)
■ 前代未聞の周南市防災無線工事の百条委員会が終わった。ここらで私もこの問題には決着を着ける時だろう。議会としては異例の百条委だったが、お陰でいろんな人間模様も見させてもらった。島津市長の言い分を100%信じきっている議員、真っ向から反対する議員、あまり理解しようとしない消極的な議員、島津市長は好きだがこの問題だけは駄目という議員、実に様々だった。しかしこれはこれでよかったのではないか。議会の多数決では百条委は開くべきが圧倒的に多かったし、執行部に問題があったし、日本無線にも足りないところがあった、という結論に大方が賛成した。
■ この問題を取り上げてから、島津市長派からは新周南は市長の仇敵と見られるようになった。他の政策ではほとんど批判的なことは書いていないし、島津市長の宣伝新聞のように多くの紙面を割いて、周南市の行政ネタを取り上げている。反島津市長派からは持ち上げすぎと言われることもあるぐらいだ。人間の常で、好きな人のことはどんな批判も許せないのだろう。何度も書くが、権力者には必要以上の倫理観と公正さを求めるのは新周南の使命だ。一点の曇りも許さないというスタンスは今までもそうだが、これからもそうだ。
■ 公共の取引においてはよほどのことがない限り随意契約は避けるべきだ。今回の設計はどう見ても不必要に随意契約ありきだった。またその設計者と市長は一体になりすぎた。契約案件にはできうる限りタッチしないよう、最高権力者たる市長は気を使うべきだ。日本無線の対応も稚拙だったが、もっと開かれたところで議論すべきだった。民間の発注者の感覚が抜け切れていない、と多くの議員は思った。だから異例の百条委まで開かれたことを真しに受け止めてほしいだけだ。市長は業者の好き嫌いを決して口に出してはならないのだ。それが公共に対する基本的な立場だ。
■ 市長選挙は無投票と思われていたが、木村健一郎氏が出馬を表明して、一転、選挙になる様相だ。ある市長派の市議が、私が木村氏を擁立したと吹聴して回っている。あほらしくて話にならないが、市議は公人だ。一般の人が話すのとは違うと自覚したほうがよい。今回のことがそうさせたのだろうが、もし木村氏が市長になったら、よく知っているだけにもっと厳しく批判の対象になることだけは宣言しておこう。
■ 個人的には私は島津市長を嫌いではない。面白い人だ。公人としての施策には批判することがある。市議にも求めたいのは、好き嫌いではなく、冷静に市民のためになる施策かどうか見極める目を養ってほしいのだ。好きで選挙を応援するのは大いにすればよい。しかし、施策に関してはチェック機関であることを忘れてはならない。無条件に何でもいいというのは、市民からの付託を放棄したことにつながる。ともに勉強しよう。(中島 進)

気になる県議選投票率〜「何を変えるか」もう一度問う〜(4月6日掲載)
■ 震災を気にしてか県議選の運動期間中とは思えない静けさだ。しかし、気になるのは一般の人の関心のなさだ。「何の選挙?」という声を聞くとがっかりする。政治に関心がないのはわかるが、地方政治は惨憺(さんたん)たる有り様だ。政治好きといわれる、ここ、長州でこの体たらくだ。いったい今回の投票率はどのくらいになるのだろうか。
■ 4年前は58%足らずだったが、今回はもっと下がるのではないか。国政選挙よりぐんと下回りそうだ。地方選挙なのになぜだろうか。原因はいろいろ考えられるが、オール与党化した県政にあるのは間違いない。県議会から政党政治になる。私にはなぜ政党政治になるのか理解できない。各政党の綱領の中に地方政治に対する確固たる指針はあまり見受けられない。中で共産党だけは一貫している。
■ 選挙の最中なので具体的にどの政党がどうのとは書けないが、地方自治のあり方への基本的な考え方が確立できていないのは確かだ。福祉や安全な街、雇用促進、県とのパイプ役など、抽象的な公約の羅列しか見えない。これからの地方政治のあり方、どこを大きく変革していくのか、各候補の識見が聞きたいのだ。
■ 補助金制度をできるだけ止め、一括交付金制度をもっと大胆に取り入れるとか、保健所や土木事務所などの業務を地域にあったように各市に任せられるものは任せるとか、国と地方の関係を見直すというが、県と各市の関係を見直してはどうか。県営住宅などを各市に移行するのは無理なのか。日本海側の県営住宅と瀬戸内海側では仕様が違って当然だろう。
■ 県議会では一般質問は事前通告し、事前調整が当たり前だ。こんな議会は開くだけ時間の無駄だ。なあなあ議会の象徴のような、緊迫感のない議会中継をどれだけの人が見ているのだろうか。基本は各会派、つまり政党の中で方針が決まるから、個性豊かな政治家が生まれない。個人力が培われないから、激しい議論を起こすような発言は少ない。だから全国最長老の議長が10年以上も続いていく。ただし、無所属だからいいといっているわけではない。
■ 愚痴を書いてせっかくの選挙を台なしにしそうだが、誰が当選してもどうせ変化は起こらない、と思わせたら地方政治は終わりだ。残り少ない選挙期間中にどうか「どこをこうして変える」と候補者すべてが語ってほしいものだ。高額の議員報酬はすべて税金だ。市長より高額なのだと自覚して語り、行動してほしいと切に願う。投票率を上げるのは、ひとえに候補者全員の自覚にかかっている。(中島 進)

心のケアは仏教界へ期待する〜理屈で心は救えない〜(4月1日掲載)
■ 今や被災地からの避難だけではすまなくなった。関東地方に住む人も故郷に一時避難する人が増えている。放射能の恐怖と計画停電による生活への不安が増加したからだ。無茶苦茶な情報の出し方に、誰も政府の情報を信用しなくなった。ひどい話だ。出荷規制までしながら「食べても安全です」という。幼児に「水道水は飲まさないように」と言いながら「安全です」と言う。一瞬にして関東地区からミネラル水が店頭から姿を消し、ここ山口県も関東地方に送るため買い占めが続発、一気に水がなくなった。まさにパニック状態だ。
■ 野菜がない、水がないといって買い占めに走っているニュース映像を見ると、60歳代、70歳代の女性が圧倒的に多いのには驚くが、キャベツを4つも5つも買い占めたり、重い水を5本も6本も抱えている姿には悲しくなってくる。生きてやろうという力は確かにその年代の女性は強いのかも知れない。それよりも乳児を抱えた女性たちの苦悩は大変だろう。
■ 当局は簡単に「水は飲ませないように」というが、母乳で育てている母親たちはそれだけですむわけがない。母乳に影響はないと言われても母乳の中にかけらでも放射能が含まれているかもしれない、と思うと自分も水は決して飲めないだろう。味噌汁一つ水道水は使えない。米も洗えない。ミネラル水なしでは生活できないのだ。「大人は大丈夫」といくら聞いても無理だ。母親たちは五感で危険を察知しようとしている。理屈ではない。なぜ当局はそんな母親たちの心理がわからないのか。女性の国会議員もたくさんいるはずだ。心の問題だ。
■ 以前、我が社は長野県知事の田中康夫氏を呼んで講演会を開いた。彼は阪神淡路大震災でも現場に駆けつけボランティア活動を熱心にしていたので有名だ。著書にも書いているが、当時、徳山市櫛ケ浜の原江寺の有馬実成住職に随分助けられたと話していた。有馬さんはいち早く被災地に駆けつけ、リーダー的に救援活動をしていた。来徳時、有馬さんは他界していたが、田中さんはどうしてもお墓参りがしたいと案内したことがあった。
■ 今回、ニュースを見る限り、日本の仏教界の姿が見えない。あれだけの人たちが被災地のガレキの中で埋葬されているのに、お坊さんが弔っている姿が見えない。一体、日本の仏教界はどんな活動をしているのだろうか。避難所のお年寄りを袈裟を来たお坊さんが励ますと、どんなに心が安らぐことか。古来、一般庶民の苦しさを救うためにお寺は最も大切な役割をしていた。今こそ日本の仏教界が、傷ついた人々の心を救う時ではないのか。
■ もちろん多くの僧職が頑張っている。有馬さんの活動を継承したシャンティ国際ボランティア会(SVA)は今回もいち早く被災者支援に入り、国内外でのこれまでの経験を生かしたきめ細やかな活動をしている。しかし映像を見る限り仏教界の動きがあまり見えない。葬式仏教と揶揄されたりしている今こそ、本来の宗教家としての活動を求められているのではないだろうか。心のケアが最も求められている。送る親族もいない中、大量に埋葬されていると聞くと、埋葬される人の数ほど僧職の方が現地に駆けつけてほしかった。変な宗教がはびこらないためにも。(中島 進)