チェルノブイリ原発事故当時の責任者、日本の危機対応を称賛

2011年 04月 20日 13:07 JST
 
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 [ウィーン 19日 ロイター] 25年前に史上最悪の放射能漏れを起こしたチェルノブイリ原発で、事故当時に責任者の1人だったアナトリー・トカチュク氏は19日、日本の原発危機への対応は迅速かつ責任ある態度だと称賛した。同氏は、チェルノブイリ原発4号機がコンクリート製の「石棺」と呼ばれるシェルターで覆われた後、内部に入った4人のうちの1人。

 ウィーンで記者会見を行ったトカチュク氏は「爆発や事故の後、核物質は放射線を出しており、近づくことさえできない。(近づけば)強い放射線で全員が死ぬだろう」と指摘。「中に入って調べることは、命を犠牲にすることを意味する。日本は最善の民族性を示したと思う。一致団結し、迅速に対応した。そのことが国をパニックから守ったと考えている」と述べ、福島原発の事故直後に十分な情報提供をしていないと非難するのは間違いだとの考えを示した。

 チェルノブイリ原発では、事故発生の8カ月後に「石棺」が完成すると、内部の状況を検査するよう指示が出たが、完全に崩壊して通路がないためロボットは使えず、トカチュク氏を含む4人が入るしかなかったという。

 石棺内部では、高濃度の放射線によってコンクリート壁がすでに崩れ始めており、トカチュク氏らは「すぐに喉の痛みを感じ、頭痛やひどい関節痛」も経験、放射能汚染で1人がすぐに死亡、2人が数日後に死亡したとしている。

 同氏は「危険であるのは分かっていたが、何をしているか本当には理解していなかった。初めのうち、放射性物質を手で動かしていた」と語った。

 当局はチェルノブイリ原発事故による死者を31人としているが、がんなど放射線に関連した健康被害で死亡した人も多く、最終的な死者数や長期的な健康面への影響については、今も激しい議論の対象となっている。

 
 
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