現在位置:
  1. asahi.com
  2. ライフ
  3. 教育
  4. 子育て
  5. 記事

全盲の両親支えた子どこに 母と行方分からず、待ち続ける父

2011年4月20日14時52分

印刷印刷用画面を開く

Check

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真:「硬いねぇ」と言葉を交わしながら患者をもみほぐす永沼靖浩さん(右)=気仙沼市三日町、伊藤写す拡大「硬いねぇ」と言葉を交わしながら患者をもみほぐす永沼靖浩さん(右)=気仙沼市三日町、伊藤写す

写真:学校近くの空き地で虫捕りをする永沼千尋君=2010年9月、気仙沼市、新沼玲奈さん提供拡大学校近くの空き地で虫捕りをする永沼千尋君=2010年9月、気仙沼市、新沼玲奈さん提供

 父の右手を左の肩に乗せ、散歩に出る。そんな少年の日常を震災が奪った。気仙沼市の永沼千尋(ちひろ)君(8)が母と共に行方不明になったままだ。全盲の両親が「目の代わり」と言う頼もしい息子だった。「どこかで生きていてくれ」。父は手がかりを待ち続ける。

 父靖浩さん(45)は市内の整形外科医院のマッサージ師だ。19歳で緑内障を発症し、視力を失った。26歳の時、仙台市の盲学校で知り合った千春さん(44)と結婚。千春さんは病弱だったが、10年後に待望の子どもを授かった。夫婦の名前の読みを一字ずつとって「千尋」と名付けた。

 3月11日、2年生だった千尋君は鹿折(ししおり)小学校の教室で震災に遭った。津波から逃れるため、職員や児童約300人は高台へ避難し、多くの親が子供を引き取りに来た。その中に千春さんもいた。坂道を下りていく親子が目撃されている。

 千尋君は毎週末、岩手県陸前高田市の祖母の家に泊まることになっていた。迎えの祖母は、いつも金曜日の午後2時15分にJR鹿折唐桑駅に着いていた。家で待っているだろう義母を案じ、妻は千尋君とともに帰宅したのかもしれない。靖浩さんは思う。

 家と学校は歩いて約15分。大きな津波が三陸海岸に達したのは、午後3時20分ごろだった。

 前日10日夜、千尋君が書道で初段を取ったお祝いに、家族3人で千尋君の大好きな回転ずしを食べた。「次、何食べる?」。両親の好みを聞いては注文していた。漢字の書き取りも得意で、昨春からは新聞を読み始め、分からない字があると辞書を引いたり、両親に尋ねたりしたという。

 テレビの天気予報では、気仙沼市は画面表示だけで読み上げられないことも多い。千尋君は「明日、午前中は雪か雨のマークが出ているから、傘を持って行った方がいいよ」と親に伝えた。「小さいのに。色々気がつく子になった」。靖浩さんは成長を喜んでいた。

 千尋君の担任だった新沼玲奈さん(36)は夕方、千尋君が家の近くで母の手を引き、買い物に出かける姿をよく見ていた。「まさに両親の目となり、手となっていたんでしょう」

 3学期、生活科の授業で自分の生い立ちを記すアルバムを作った。最後のページに千尋君はこう書いた。

 「野球選手になってメジャーリーグに入るのが夢。お父さんとお母さんを試合に招待したい」

 仕事中に被災した靖浩さんは、同僚や患者ら約20人とビル最上階の7階で一夜を明かした。同市中心部は津波で流れ出た油があちこちで炎上。建物が崩れる音と油の臭いが一晩中続いた。「妻と子は無事か。自分はこのまま焼け死ぬのか……」。翌日、自衛隊のヘリに救助されたが、千春さん、千尋君と義母の3人には会えないままだ。

 4月3日、靖浩さんは仕事に復帰した。「下を向いていてもしょうがない。患者さんと話せば、情報も得られる」。家族を捜しているなじみの患者もいた。「自分だけじゃない」と少しだけ前向きになれた。

 「どこかで無事でいる」。そう信じて、患者の体と心を丁寧にもみほぐしている。(伊藤宏樹)

検索フォーム

おすすめリンク

お料理好きのぐりとぐらが美味しいカステラをつくる楽しくて美味しい絵本。子どもに大人気

出版不況を抜け出すための鍵は、「本好き」を増やすことだ。作家による読み聞かせや読書会などの取り組みを見た。

常用漢字表やJIS漢字など、デジタル時代の「文字」や「表記」のありかたとその行方に、新聞づくりの現場の話題も盛り込みながら迫ります。


朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

[PR]注目情報

学校からのお知らせはこちらから

ジャンル別の最新情報はこちら
  • 大学
  • 中学・高校
  • 通信制高校