福島第1原発から高濃度の放射性物質を含む汚染水が海に流れ、今月上旬には茨城県沖の魚から暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された。県は14日の調査で規制値を下回ったと発表したが、魚介類への風評被害は深刻だ。海水汚染の健康への影響をどう考えればよいのだろう。
全国屈指の水揚げ量を誇る銚子漁港(千葉県)。イワシ漁が旬を迎える季節になっても、例年の活気はない。銚子市漁協の木村清一総括参事は「地震や津波の被害はさほどなかったのに、風評被害でこれほど苦しむとは」と頭を抱える。
イワシは震災後最初の漁で浜値1キロ40円だった。だが5日に茨城県沖のコウナゴから暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された後、20円まで落ち込んだ。同漁港に水揚げされた海産物で暫定規制値を超える放射性物質は検出されていないが、ブランド品のキンメダイも例年の半値に届かない。
東京・築地市場では地震直後、計画停電の影響で外食産業を中心に魚介類の需要が落ち込んだ。今も卸値は下げ気味だが「需要は多少戻りつつある」(水産農産品課)という。それでも原発事故の収束のめどが立たない現状で、木村さんたちの不安は尽きない。「国も漁協も安全と訴えるが、大手流通業者には『千葉の魚はいらない』と言われた。万が一放射能が検出されたらと思うと、普段のようには漁に出られない」
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海水汚染で懸念されるのは、水銀やPCB(ポリ塩化ビフェニール)のように有害な物質が食物連鎖を経て濃縮されていくことだ。
約8日で放射線量が半分に減るヨウ素と違い、セシウムの半減期は約30年。このため「プランクトンやコウナゴのような小魚から、カツオやサバなど大きな魚に移っていく可能性がある」と石丸隆・東京海洋大教授は指摘する。長く海底に沈み、海藻や貝類に取り込まれる可能性もある。
石丸教授によると、海水中の放射性物質が魚類に濃縮されていく割合(濃縮係数)は、海水の濃度を1とするとヨウ素で約10倍、セシウムで約5~100倍。水銀やPCB(約360~100万倍)に比べるとかなり小さい。放射性物質は魚のえらや尿から排せつされるためで、「魚肉中のセシウム濃度は約50日で半分程度に減る。現状程度の汚染であれば、蓄積していくとは考えにくい」という。
国立水俣病総合研究センター顧問の滝澤行雄・秋田大名誉教授も「魚は怖い、食べないなどといたずらに騒がず、正確な情報を得てほしい」と呼びかける。体内で代謝・排せつされる作用を考慮した半減期を「生物的半減期」という。滝澤さんによると、セシウムは1歳未満で9日、9歳で約40日、30歳以上だと約70~90日。「体内に摂取しても代謝や排せつにより約2~3カ月で半分になり、2~3年も経過すると無視できるレベルに下がる」と話す。
セシウムの人体への影響を知る上で参考になるのが、1986年の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故だ。広範囲に飛び散った放射性物質の量は広島に落とされた原爆の約500個分といわれるが、現地調査をした山下俊一・長崎大教授は「ヨウ素で子どもの甲状腺がんが増えた以外に、放射性物質の影響でがんが増えたというデータはない」と話す。
セシウムの規制値は日本とEU(欧州連合)で大きな差がある。4日に茨城県北部沖で水揚げされたコウナゴは暫定規制値(1キログラムあたり500ベクレル)を超える放射性セシウム137が検出され販売できなくなったが、EUならば流通していた。規制値が1キログラムあたり1250ベクレルと日本の倍以上に緩いためだ。
原子力安全委員会によると、チェルノブイリ事故で牛乳や小麦が放射性セシウムに汚染された西欧では、厳しくし過ぎると食べるものが少なくなってしまうことを考慮して規制値を策定したという。
日本の暫定規制値の根拠は、原子力安全委員会が98年に決めた「防災指針における飲食物摂取制限指標」だ。当時の報告書によると、指標は「飲食物中の放射性物質が健康に悪影響を及ぼすか否かを示す基準ではなく、緊急事態における防護対策の目安」とある。
指標の数値は国際機関にならいセシウムの摂取上限を年5ミリシーベルトとし、さまざまな食品を平均的に1年間食べ続けても超えないように設定。この際、骨にたまりやすい放射性ストロンチウムがセシウム降下物中に約1割あると仮定したという。策定にかかわった須賀新一・元日本原子力研究所課長は「ストロンチウムの危険性を考慮し、かなり安全性に余裕を持たせた」と振り返る。
ストロンチウムはヨウ素に比べ揮発しにくいが、チェルノブイリでは運転中の原子炉が爆発したため多く飛散した。日本では福島県内の土壌などから微量に検出されている。
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海水中の放射性物質濃度が希釈されるかどうかは今後原子炉がどうなっていくかにかかっているが、いずれにせよ十分な監視が必要だ。
政府や専門家は当初、汚染された海水は沖へ流れてすぐに規制値以下に希釈されると予測した。しかし、石丸教授が東京電力の公表データを解析した結果、放射性物質は潮流の影響で南方の岸沿いに移動。原発南約20キロ地点の海水中の放射性ヨウ素の濃度(4月1日)は放水口付近の20分の1程度にしか希釈されていなかった。
石丸教授は「東電は沖合で測定地点を増やしたが、魚や海の汚染レベルを知るには、岸沿いの測定地点を増やした方がいい」と提言。海水や魚をしっかりモニタリングし、正確な情報を提供すれば、風評被害も抑えられると指摘する。【小島正美、小川節子、田村佳子】=つづく
毎日新聞 2011年4月18日 東京朝刊