[文]神里達博(東京大特任准教授)
[掲載]2011年4月17日
■専門知と市民、どうつなぐ
絶え間なくメディアからもたらされる悲劇的な映像を見ていると、私たちが築いてきた文明がまるで張りぼてであったかのような無力感を覚える瞬間がある。だが、こういう時にこそ、理性の力が試される。それは結局のところ、言葉の、コミュニケーションの力をどこまで信じられるかに、かかっている。
一方でこの1カ月間、とりわけ原子力発電所の事故に伴うコミュニケーションは、うまくいったとは言いがたい。そこには発表の仕方やタイミングといった手続き的な問題もあるが、放射能の評価、避難指示の範囲や安全基準の根拠など、不確実性を含むリスク情報をめぐる混乱が、ことの本質であろう。とはいえ、これらを真正面から読み解くには、高度の専門知が必要で骨が折れる。ならば一般市民はどんな種類のリテラシーを身につけるべきなのだろうか。
■リスクを知る力
『リスクセンス』は人々が生活の中で出会う、さまざまなリスクとつきあっていく上での基本的な考え方を、豊富な事例で解説する。リスク概念の歴史的背景や、安全性の基準がどのような論理で作られているのかなど、読み物としても面白い。複雑化した現代においては、リスクセンスを磨くことで「大局的に見る力を養うべき」という指摘は、現在の我々に響く。
併せて紹介したいのは、災害時における人々の心理を扱った広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか』(集英社新書、735円)である。今回の震災でも「パニックに陥らないように」ということがしばしば言われた。だが最新の研究によれば、現代人は災害時にパニックを起こさず、むしろ逃げるべき時に逃げない「正常性バイアス」こそが危ういという。災害時のデマなども扱っており興味深い。
我々は短期的なリスクについてのみならず、今後、社会全体として原子力という技術にどう向き合うべきか、議論を避けるわけにはいかないだろう。そこでは客観的で公平な知識、とりわけ歴史的視座が重要となる。だが長い間、原子力発電を巡る議論は、推進と反対にほぼ完全に分極してきたこともあり、中立的で読みやすい本は少ない。そんな中『「核」論』は、我が国の原子力の歴史を努めて公平な立場から描いた良書である。
■協働の場確保を
また今回はっきりしたように、原子力という技術は社会的影響が大きく、その決定において専門家にすべてを委任するわけにはいかない問題である。実は近年、生命倫理や地球温暖化なども含め、このような「科学によって問うことはできるが、科学だけでは答えの出せない問題」が目立っている。『トランス・サイエンスの時代』は、この状況に対し、専門家と市民をつなぎ、協働の場を確保する仕組みを説く。「科学技術の成果に大幅に依存した社会を選択」した我々は、誰もが参加の権利と義務を持つのだ。
未曽有の大災害のなか、ネットのメディアとしての役割が一気に高まったことは、一つの希望でもあった。専門家が自発的に人々に「つぶやく」ことで、ライブのリスク・コミュニケーションを行うという状況は、過去に例がない。佐々木俊尚『キュレーションの時代』(ちくま新書、945円)は、このような全く新しい情報環境の姿を包括的に素描する。本書で示される電子民主主義的な信頼付与システムと、専門知の権威性とが、どのように「止揚」するのか――2010年代の大きな軸になるのではと感じた。
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かみさと・たつひろ 東京大特任准教授(科学史・科学論) 67年生まれ。著書に『食品リスク』。
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