■豆田観光化に貢献
日田市豆田町の名物となっているひな人形を最初に展示し、観光地として再生するきっかけをつくった草野覚(くさの・かく)さんが18日午後5時5分、老衰のため、日田市の病院で死去した。92歳。福岡市出身。自宅は日田市豆田町。葬儀・告別式は21日午後2時から、日田市玉川3丁目のこうだ玉川斎場で。喪主は次男の義輔(よしすけ)さん。
遺族は、本人の生前の考え方に基づき、死亡年齢は数え年の93歳とすることを希望している。
1940年、東京都の津田英学塾(現津田塾大学)を卒業。46年から日田市の昭和女子農業学校(現昭和学園高校)で英語教師を務めた。
退職後、84年に草野本家で、江戸、明治時代のひな人形の一般公開を開始。豆田町が天領の歴史を生かした町づくりを進めるきっかけになり、同様の取り組みは県内外に広まった。90年に市政功労者表彰を受けている。
日田市観光協会の石丸邦夫会長(67)は「律義だけど行動力があり、はっきりと物を言う人だった。怒られることもあったが、この人がいなければ今の豆田はなかった」と故人をしのんだ。
=2011/04/20付 西日本新聞朝刊=