私が3月7日に書いた手紙です。
さかのぼること3日前の3月4日に電話で創価学会を辞めるよう説得しました。その時の母の言い分に対する破折の書です。
前略 母上殿
昨日の電話で、いよいよ強情に創価の邪宗邪儀が身に染まって、謗法をやめる気が無い事が明確になりました。
大聖人の御書中、「御義口伝 上 序品七個の大事 阿闍世王の事」“子として父母を殺害するは逆なり。然りと雖も法華経(大御本尊様)不信の父母を殺しては順となるなり”との御指南があります。まったくこれに当てはまるのかと思います。(ここで言う殺すと言うのは、謗法に執着する心根を殺すと言う事で、実際に殺人することではありません。)この事は、謗法の母は、返りては私が仏道を極める為の師なのかも知りません。羅刹が母の身に入りて、私の仏道修行を成ぜんが為に、強く敢えて謗法をかたくなに信じているのかもしれません。その意味に於いては、深く母の慈悲に感謝いたします。
しかし、謗法には加担できません。なんと言われようと謗法には加担できません。創価学会は謗法の集団です。直ちに創価学会を脱会してください。過去の創価学会と現在の創価学会は明らかに違います。平成3年以降の学会は魔の集団です。
昨日の電話でのそちらの趣旨は、
1.多くの寺院を寄進したのは誰のおかげか?
2.学会が広宣流布したから大石寺の寺域が広がった、整備された?
3.私に信心を教えたのが母だろう?
4.昔の坊さんは信心が無い?
5.ご宗門は広宣流布していない?
6.南無妙法蓮華経は宇宙に遍満する法でしかない。
7.日蓮大聖人は、御本尊の書き方を習った?そのくせ末法の仏?
すべて破折させていただきます。
1.多くの寺院を寄進したのは誰のおかげ?
見返りをもって寄進したのであれば、それは三宝に供養する精神ではなくただの施し(ほどこし)、つまり布施という考え方。
日蓮正宗では、布施という考え方を大聖人以来否定してきた。
それは、身軽法重という信心の姿勢からは遠く、寺院僧侶を施主の支配化に置くという権力や財力に仏法を支配される事があってはならないからだ。身延の波木井はその故に日興上人をうとみ、日向の軟風に流され身延山久遠寺を寄進した施主を気取り、謗法に堕したではないか。
1.の主張をする学会は、寺院や僧坊を寄進したのだから、学会の支配下に宗門を入れようと言う本音の表れであり、三宝の恩に奉じる御供養ではない事が明白だ。だから、謗法の徒が寄進した僧坊、施設を御本山は取り壊した。当然である。謗法の布施供養を受けないのが当宗の、日興上人の遺戒だからです。御書の遺戒置文にもちゃんとある。
学会が供養した金や堂宇の方が尊く、御宗門に感謝せよ、と言うのなら、金や堂宇を拝む信心をすればいい。我が身の成仏をさせてもらう仏法の修行や御本尊、また三宝(宗門)に対しては感謝してもし切れない程の恩がある。御宗門の令法久住があったればこそ、我々は正しい成仏ができる仏法を実践できるのであり、その御慈悲で大御本尊様にお目通りさせていただける。そして我が身の成仏の御恩の前には、金や堂宇の寄進など糞みたいな物だ。その尊き仏祖三宝尊に感謝し供養する心が無くて、出した金を惜しむのなら永遠に成仏など出来ない。雪山童子は成仏のために身を供養し成仏した。命ほどの宝は無い。法を求める心はかくあるべきです。
だから、上記の如き言説をたれる創価学会は邪宗だと言うのです。御宗門へのお金や堂宇を寄進した恩の方が尊く、我らが成仏の本因である仏祖三宝尊から頂く恩の方が劣ると言うのなら、初めから信心などしてないのと同じだろう。まったく本末転倒もはなはだしい。とんだ信心だわ。所詮、創価学会は、日蓮正宗の信心利用、金払ったんだからありがたく思えという態度なんだろう。情けない。報恩を旨とする仏法の道理ではなく、中国、朝鮮のヤクザか山賊の心根だ。仏の集団を語る創価は、分裂後、一度でもその慈悲心から宗門を折伏に行ったのか?悪口、謀略、誹謗、中傷、憎悪、プロパガンダで会員を騙し、洗脳し、それがこの20年間、創価のやってきた事ではないか。まったく笑止千万、とんだ仏の集団だ。菩薩なら捨て身で宗門の間違いを、法義に照らし折伏するだろうよ、法華経の行者ならね。出来る訳がないか、信心利用のペテン師集団、題婆達多の集団だからね。日蓮正宗の法義は750年来、いささかも変わっていない。その信者団体が分離独立を図って、親である御宗門を法義で折伏できるわけない。勝てるわけがない。オリジナルは何を言おうが日蓮正宗なのだから。
2.学会のおかげで本山の寺域が広がった、整備された?
申し訳ないが、大石ヶ原を寄進したのは南条時光であり、もともと寺域は変わっていません。戸田先生が願主の大講堂は厳然とあります。正本堂、大客殿、大化城は、謗法の徒、池田を願主とした謗法の象徴だから取り壊し、建替えあるいは広場となりました。
学会が去った後の本山は、法華講員の厚い信仰心と御供養で整備が続き、塔中の僧坊もこの5年以内に建替えして新しい和風建築のお寺になっている。また、宇宙基地みたいで品の無い正本堂と違って、建替えられた奉安堂は、実にシンプルな造りで、参詣者の出入りがスムーズにできるし、なにしろ大御本尊様が良く見える。外観も和風の堂宇であり塔中の僧坊とミスマッチしない大仏法の殿堂でした。で、今現在は御影堂の解体修理再組み立て工事中であります。江戸時代には、大奥で有名な敬台院殿(御影堂)、天英院殿(三門、五重塔)などの方が寄進されている。学会が無くとも本山は昔も今も、法華講員の厚い信心で護られている。学会だけが特別ではない。
3.信心を教えたのは母ではないか。
その通り。母が教えてくれたのは、日蓮正宗創価学会の信心だった。大変感謝している。しかし、宗門に弓を引き誹謗中傷を重ね、ニセ本尊を造立し謗法と化した平成2年以降の池田マンセー(万歳)創価学会のニセ信心ではない。
母が教えてくれた御本尊は、正しい日蓮正宗の御本尊様だった。学会のニセ本尊の功徳で大学に行かせて貰ったわけではない。ニセ本尊は就職後だからだ。また分裂前に学んだ教学は日蓮正宗の教学であり、復帰した今も20数年前に学んだ教学と何も変わっていなかった。変わっているのは、邪宗・創価学会の方だ。
私が、母に言いたい事は、学会には日蓮正宗の信心は微塵も無く、ただの池田教だから早く正心を取り戻してほしいと言う事。母が教えてくれた日蓮正宗の信心の原点に返ってきてください。宗門の悪口はただの怨嫉、法義による正当性は学会には無い。
新燃岳の噴火と宮崎の口蹄疫、鳥インフルなどは、日向の国土を覆う総罰ではないか。それだけ宮崎は邪宗・創価学会が盛んだという証拠である。
東日本大震災の直前の母への手紙②へ続く・・・
さかのぼること3日前の3月4日に電話で創価学会を辞めるよう説得しました。その時の母の言い分に対する破折の書です。
前略 母上殿
昨日の電話で、いよいよ強情に創価の邪宗邪儀が身に染まって、謗法をやめる気が無い事が明確になりました。
大聖人の御書中、「御義口伝 上 序品七個の大事 阿闍世王の事」“子として父母を殺害するは逆なり。然りと雖も法華経(大御本尊様)不信の父母を殺しては順となるなり”との御指南があります。まったくこれに当てはまるのかと思います。(ここで言う殺すと言うのは、謗法に執着する心根を殺すと言う事で、実際に殺人することではありません。)この事は、謗法の母は、返りては私が仏道を極める為の師なのかも知りません。羅刹が母の身に入りて、私の仏道修行を成ぜんが為に、強く敢えて謗法をかたくなに信じているのかもしれません。その意味に於いては、深く母の慈悲に感謝いたします。
しかし、謗法には加担できません。なんと言われようと謗法には加担できません。創価学会は謗法の集団です。直ちに創価学会を脱会してください。過去の創価学会と現在の創価学会は明らかに違います。平成3年以降の学会は魔の集団です。
昨日の電話でのそちらの趣旨は、
1.多くの寺院を寄進したのは誰のおかげか?
2.学会が広宣流布したから大石寺の寺域が広がった、整備された?
3.私に信心を教えたのが母だろう?
4.昔の坊さんは信心が無い?
5.ご宗門は広宣流布していない?
6.南無妙法蓮華経は宇宙に遍満する法でしかない。
7.日蓮大聖人は、御本尊の書き方を習った?そのくせ末法の仏?
すべて破折させていただきます。
1.多くの寺院を寄進したのは誰のおかげ?
見返りをもって寄進したのであれば、それは三宝に供養する精神ではなくただの施し(ほどこし)、つまり布施という考え方。
日蓮正宗では、布施という考え方を大聖人以来否定してきた。
それは、身軽法重という信心の姿勢からは遠く、寺院僧侶を施主の支配化に置くという権力や財力に仏法を支配される事があってはならないからだ。身延の波木井はその故に日興上人をうとみ、日向の軟風に流され身延山久遠寺を寄進した施主を気取り、謗法に堕したではないか。
1.の主張をする学会は、寺院や僧坊を寄進したのだから、学会の支配下に宗門を入れようと言う本音の表れであり、三宝の恩に奉じる御供養ではない事が明白だ。だから、謗法の徒が寄進した僧坊、施設を御本山は取り壊した。当然である。謗法の布施供養を受けないのが当宗の、日興上人の遺戒だからです。御書の遺戒置文にもちゃんとある。
学会が供養した金や堂宇の方が尊く、御宗門に感謝せよ、と言うのなら、金や堂宇を拝む信心をすればいい。我が身の成仏をさせてもらう仏法の修行や御本尊、また三宝(宗門)に対しては感謝してもし切れない程の恩がある。御宗門の令法久住があったればこそ、我々は正しい成仏ができる仏法を実践できるのであり、その御慈悲で大御本尊様にお目通りさせていただける。そして我が身の成仏の御恩の前には、金や堂宇の寄進など糞みたいな物だ。その尊き仏祖三宝尊に感謝し供養する心が無くて、出した金を惜しむのなら永遠に成仏など出来ない。雪山童子は成仏のために身を供養し成仏した。命ほどの宝は無い。法を求める心はかくあるべきです。
だから、上記の如き言説をたれる創価学会は邪宗だと言うのです。御宗門へのお金や堂宇を寄進した恩の方が尊く、我らが成仏の本因である仏祖三宝尊から頂く恩の方が劣ると言うのなら、初めから信心などしてないのと同じだろう。まったく本末転倒もはなはだしい。とんだ信心だわ。所詮、創価学会は、日蓮正宗の信心利用、金払ったんだからありがたく思えという態度なんだろう。情けない。報恩を旨とする仏法の道理ではなく、中国、朝鮮のヤクザか山賊の心根だ。仏の集団を語る創価は、分裂後、一度でもその慈悲心から宗門を折伏に行ったのか?悪口、謀略、誹謗、中傷、憎悪、プロパガンダで会員を騙し、洗脳し、それがこの20年間、創価のやってきた事ではないか。まったく笑止千万、とんだ仏の集団だ。菩薩なら捨て身で宗門の間違いを、法義に照らし折伏するだろうよ、法華経の行者ならね。出来る訳がないか、信心利用のペテン師集団、題婆達多の集団だからね。日蓮正宗の法義は750年来、いささかも変わっていない。その信者団体が分離独立を図って、親である御宗門を法義で折伏できるわけない。勝てるわけがない。オリジナルは何を言おうが日蓮正宗なのだから。
2.学会のおかげで本山の寺域が広がった、整備された?
申し訳ないが、大石ヶ原を寄進したのは南条時光であり、もともと寺域は変わっていません。戸田先生が願主の大講堂は厳然とあります。正本堂、大客殿、大化城は、謗法の徒、池田を願主とした謗法の象徴だから取り壊し、建替えあるいは広場となりました。
学会が去った後の本山は、法華講員の厚い信仰心と御供養で整備が続き、塔中の僧坊もこの5年以内に建替えして新しい和風建築のお寺になっている。また、宇宙基地みたいで品の無い正本堂と違って、建替えられた奉安堂は、実にシンプルな造りで、参詣者の出入りがスムーズにできるし、なにしろ大御本尊様が良く見える。外観も和風の堂宇であり塔中の僧坊とミスマッチしない大仏法の殿堂でした。で、今現在は御影堂の解体修理再組み立て工事中であります。江戸時代には、大奥で有名な敬台院殿(御影堂)、天英院殿(三門、五重塔)などの方が寄進されている。学会が無くとも本山は昔も今も、法華講員の厚い信心で護られている。学会だけが特別ではない。
3.信心を教えたのは母ではないか。
その通り。母が教えてくれたのは、日蓮正宗創価学会の信心だった。大変感謝している。しかし、宗門に弓を引き誹謗中傷を重ね、ニセ本尊を造立し謗法と化した平成2年以降の池田マンセー(万歳)創価学会のニセ信心ではない。
母が教えてくれた御本尊は、正しい日蓮正宗の御本尊様だった。学会のニセ本尊の功徳で大学に行かせて貰ったわけではない。ニセ本尊は就職後だからだ。また分裂前に学んだ教学は日蓮正宗の教学であり、復帰した今も20数年前に学んだ教学と何も変わっていなかった。変わっているのは、邪宗・創価学会の方だ。
私が、母に言いたい事は、学会には日蓮正宗の信心は微塵も無く、ただの池田教だから早く正心を取り戻してほしいと言う事。母が教えてくれた日蓮正宗の信心の原点に返ってきてください。宗門の悪口はただの怨嫉、法義による正当性は学会には無い。
新燃岳の噴火と宮崎の口蹄疫、鳥インフルなどは、日向の国土を覆う総罰ではないか。それだけ宮崎は邪宗・創価学会が盛んだという証拠である。
東日本大震災の直前の母への手紙②へ続く・・・