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悲しみ抱え気丈に広報 石巻出身のJ2横浜FC・藤野さん

三浦知良選手(右)の取材を取り仕切る藤野さん=横浜市

 サッカーJ2横浜FCで広報を担当する宮城県石巻市雄勝町出身の藤野絵理香さん(29)は、津波で家族らを亡くしながら、一度も地元に戻らず仕事をこなしている。実家も流され、深い悲しみを抱えながらの務め。「一歩ずつ乗り越えていきたい」と気丈に話す。
 仙台大卒業後、J1神戸の広報などを経て横浜FCの広報になり、ことしで3年目。三浦知良選手(44)が所属し、横浜市内の練習場には連日、記者が詰め掛ける。取材の段取りやチームの携帯サイトの更新など、毎日が忙しい。
 報道陣の前では笑顔を絶やさないが、「『仕事をしていてもいいのかなあ…』と思うことは何度もあった」と明かす。
 地震直後、母親の洋美さん(55)からメールが届いた。「大変、津波で全滅」。以後、連絡が途絶えた。電話がつながったのは発生11日後。両親と祖母は逃げて助かったが、雄勝病院に入院していた祖父の金男さん(88)が犠牲になった。行方不明になった叔母の恒子さんも遺体で見つかった。海沿いの家は土台を残して流された。
 ショックは大きかった。交通手段は寸断され、帰りたくても帰れない。仕事中、泣きたい気持ちを必死で抑えた。両親も祖母も避難所暮らし。「暖かい部屋でご飯を食べることに罪悪感を感じた」とも言う。
 そんな藤野さんに、両親は気弱な面を見せなかった。「こっちは大丈夫。仕事をしてなさい」。洋美さんの電話の声はいつも元気。実は父親の泰一さん(58)が「(藤野さんが)心配するから泣くな」と言っていたと後で聞いた。くじけそうな心を、両親の強さに励まされた。
 「神様は乗り越えられない試練を与えない」。藤野さんはいま、苦しい時に洋美さんからよく聞かされた言葉を思い出すという。
 「時間は戻らない。やるべき仕事をやろう。生きたくても生きられなかった人の分まで一生懸命頑張らないと」。歯を食いしばり、広報活動を続ける。(大橋大介)


2011年04月20日水曜日


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