目次
はじめに
各報道記事から様々な事象や行動の発生時刻を抜き出し時系列にまとめたものです
同じ事象でも時刻が異なるのは各報道記事で時刻が違う場合や、ある記事では○○時○○分なのに対し、ある記事では○○時頃となっていたり、○○時○○分から一時間後などと時間表記がマチマチだからです。その場合は原則として○○時「頃」と頃を付けて表記しています。東電副社長のヘリコプター搭乗時間などがその例です。
3月11日
14:00
14:46 地震により外部からの送電が止まり非常用ディーゼル発電機が起動
0.3メートル
15:00
4.0メートル
「発電所を見てきます」と言い残してヘリコプターで福島原発へと飛んだのは午後3時半。
7.5メートル以上の計測で機器が故障
敷地南側の展望台で作業員が撮影した動画からは、押し寄せた津波が高さ約30メートルの崖にぶつかり、50メートルもの高さまで波しぶきが上がった様子が分かる。
3.3メートル
津波の影響で非常用ディーゼル発電機自身の冷却を行えなくなり、さらに燃料タンクが流出し、電源盤が水没したことなどが原因
電源が失われ、冷却のための残留熱除去系が使えなくなってしまいました。
1号機では、一次系の蒸気を非常用復水器に送る非常用復水系を用いてある時間は崩壊熱を除去しましたが、復水の補給ができないため原子炉容器内の燃料の冷却ができなくなってしまいました
15:42 2、3号機、隔離時冷却系および非常用の高圧注水系が作動
2号機、3号機は一次系の蒸気を利用してタービンを回して復水貯蔵タンクを水源とする隔離時冷却系および非常用の高圧注水系が作動しましたが、次第に一次系の圧力が下がったため停止しました。
15:42 津波で冷却機能喪失。格納容器の圧力上昇。容器ごと破裂する危険性が政府に伝わる
対処方針は冷却システムを再起動させるための電源車をバッテリーが切れる7~8時間以内に福島第1原発に集めることだった。電源喪失が午後3時42分。タイムリミットは午後11時前後から12日午前0時前後。時間との闘いだった。ひとまず東電が集めた6台が福島に向かったが、陸路の輸送は困難を極めた。
7.3メートル観測
15:55 防衛省中央指揮所に自動停止し問題ないとの連絡
「自動停止しており、今のところ問題はない」。東京・市ケ谷の防衛省メーンビルA棟地下3階にある中央指揮所(CCP)に駐屯地からの現地情報が伝わったのは地震発生から約1時間後の午後3時55分。
16:00
16:00頃 東電副社長が福島第一原発に向けてヘリコプターで出発
地震からほぼ1時間後。東京都千代田区の東電本店にいた原子力担当副社長の武藤栄は、「様子を見てくる」と、ヘリで飛び立った。
16:15 防衛省中央指揮所に放射能漏れはないとの連絡
駐屯地からの現地情報が伝わったのは地震発生から約1時間後の午後3時55分。その約20分後には「放射能漏れもない」との現地情報が新たに加わった。
タイムリミットは7~8時間。全国から53台の電源車が向かう
「早く電源車をかき集めろ」。武藤は現地対策本部で声を張り上げた。
16:36 1、2号機 非常用炉心冷却装置注水不能
さらに官邸を震撼(しんかん)させる緊急事態が起きたのは地震発生から約2時間後の午後4時36分。「炉心溶融」を防ぐための冷却システムがダウンした。
首相が「冷却機能不全」という事態急変を知ったのは、東日本大震災発生後、首相官邸で初めての記者会見に臨む直前だった。
17:00
18:00
18:35 自衛隊中央即応集団110名、化学防護車4両待機
18:35 自衛隊44普通科連隊80名がオフサイトセンターへ出発
19:00
20:00
20:30 2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明
2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明する。電源車を送り込み、復旧しなければならない。「電源車は何台あるのか」「自衛隊で運べないのか」。首相執務室にホワイトボードが持ち込まれ、自ら指揮を執った。
20:50 福島第一原子力発電所から半径2kmの住人に退避指示
21:00
事故発生から6時間で1号機の原子炉内の水位が核燃料棒の上端から45センチまで急激に低下
2号機は同3.4メートル、3号機は同4.2メートルの水位があったことから、1号機がかなり早い時期に危機的状況に
1号機は、電源が失われても、原子炉の水蒸気を水に戻して再び送り込む非常用冷却機能があり、本来は8時間程度は働くはずだった。
水位は11日夜に急激に低下した後、12日未明には一度同1.3メートルまで回復しており、東電は非常用冷却機能が当初十分に機能しなかった可能性があるとして詳しく調べている。
21:00頃 原子力安全委員長がベントの必要性と冷却の重要性を総理に具申
原子力安全委員長の班目(まだらめ)春樹は、背筋が凍り付く思いがした。水喪失が何を意味するのか。安全性にお墨付きを与えてきた班目は、知りすぎていた。「なんとしても燃料棒を冷やしてください。炉内の圧力を下げるための排気(ベント)も必要です」班目は本部長の首相、菅直人に繰り返し具申する。
待望の電源車が福島第1原発から約5キロ離れた、国の対応拠点「福島オフサイトセンター」(福島県大熊町)に到着したのは午後9時過ぎ。
各地から53台が福島に向かい、午後9時すぎに東北電力から2台が到着。12日午前0時すぎには、さらに2台も駆け付けた。
21:14 経済産業副大臣が現地対策本部に向かい出発
21:20頃 福島オフサイトセンターの非常用電源が切れる
電源車が高電圧だったため接続に必要な低圧ケーブルが用意されていなかったのだ。つなぎ口も津波で浸水していた。
東電社員を含む職員ら15人は隣接する福島県原子力センターに移動したが、ファクス1台。パソコンはなかった。
21:23 半径3kmの住人に退避指示、半径10kmに屋内退避指示
22:00
23:00
23:00頃 政府は原子力安全委員、保安院と早期のベントで一致 東電に連絡
一方、首相官邸では11日午後11時過ぎ、地下の危機管理センターで首相や海江田万里経産相、班目(まだらめ)春樹・原子力安全委員長、原子力安全・保安院幹部を交えて対応を協議。「早くベントをやるべきだ」との意見で一致し、東電側と連絡を取った。
電源車の到着から2時間以上たった午後11時20分からの保安院の記者会見で山田知穂原子力発電安全審査課長は「電源車は接続されず、電源は回復していない」と作業難航を認めざるを得なかった。
3月12日午前
00:00
各地から53台が福島に向かい、午後9時すぎに東北電力から2台が到着。12日午前0時すぎには、さらに2台も駆け付けた。
弁の開放には低電圧が必要だが、電源車は高電圧車で弁開放できず
低電圧に変圧したくとも、津波によるがれきがありケーブルの長さもたりず変圧できず
00:00 経済産業副大臣福島県原子力センター到着
00:50 保安院が現状の電源車では不足するとの認識
2号機の水位は安定し、このころはほかにも低電圧を含む2台の電源車が到着していたが、山田課長は午前0時50分過ぎの記者会見で心もとなげに語った。「今来ている電源車では、多分足りないと思う」
01:00
01:30 1号機 格納容器の圧力を下げるためのベントの実施を政府決定
01:30 1号機 官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示
翌12日午前1時30分、官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示を出した。だが、保安院は実際に行うかどうかについて「一義的には東電が決めること」という姿勢を変えない。
02:00
「東電はなぜ指示を聞かないのか」。官邸は困惑するばかりだった。首相は「東電の現地と直接、話をさせろ」といら立った。「ここにいても何も分からないじゃないか。行って原発の話ができるのは、おれ以外に誰がいるんだ」。午前2時、視察はこうして決まった。
02:20 保安院はベント実施の最終判断は東電と説明
それでも保安院の中村審議官は午前2時20分過ぎの会見で「最終的に開ける(ベントする)と判断したわけではない。過去にベントの経験はない。一義的には事業者判断だ」と説明した。
03:00
「なぜ東電はベントをやらないんだ」対策本部で経済産業相、海江田万里はいらだっていた。12日午前3時に会見までして指示を出したが、東電からは何の連絡もない。
「なぜ東電はベントをやらないんだ」対策本部で経済産業相、海江田万里はいらだっていた。12日午前3時に会見までして指示を出したが、東電からは何の連絡もない。
03:00頃 東電副社長は停電で思うように作業ができないとの報告を受ける
同じころ武藤は愕然(がくぜん)として部下の報告を聞いていた。「中央制御室の停電で準備が思うように進みません」。暗闇の中、手動による作業は難航した。
03:00頃 東電が官邸に2号機は冷却装置は働いていると報告
午前3時、東電は官邸に「2号機は冷却装置が働いている」と報告した。
04:00
05:00
午前5時、保安院審議官の中村幸一郎は会見で、「1号機でベントをやる。国内では例がない」と決意を示した。原子炉内の放射性物質(放射能)と一緒に蒸気を放出するベントは東電には重い決断だった。
05:25 電源車53台中9台到着 直近まで29台
05:44 総理指示により福島第一原子力発電所から半径10kmの住人に退避指示
06:00
ベント操作のバルブ開閉を電動でる計画。電源確保に手間取りベント遅れる
3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。
総理は現地入りしていた東電副社長に手動でも電動でもとにかくベントをするよう指示
副社長は返答せず、別の社員が東電側は手動でやるかどうか一時間後までに判断したいと返答
総理が叱責しとにかくベントをするよう指示
政府は東電任せをやめた
06:50 原子炉等規制法第64条第3項の規定に基づき1、2号機に圧力を抑制命令
07:00
東電には首相に放射能を浴びせないよう配慮するような余裕はなかった。電源喪失で東電は弁を開けたくても開けられなかったのだ。
07:30 電源車53台中14台到着 オフサイトセンター19台待機中 現場へ9台移動中
08:00
08:30 自衛隊中央特殊防護隊車両7両オフサイトセンター到着
09:00
09:04 1号機のベントを人手でベントする方針に変更
09:45 放射線医学総合研究所から専門医がオフサイトセンター到着
10:00
11:00
原子炉の空気弁の開閉を人力での実施、協力会社社員の安否、節電の呼びかけ、放射能の流出は無い
11:00 1号機の格納容器内圧が上昇しており圧力減少のために蒸気の放出作業中
3月12日午後
12:00
13:00
14:00
経済産業省の指示から10時間あまりが経過
15:00
15:04 電源車から1号機にケーブルを引き込み中
16:00
16:17 敷地境界放射線量上昇(敷地境界付近で500μSv/hを超える放射線量を測定
17:00
17:00 放射線量の値が制限値を超えたため、原子力災害対策特別措置法第15条通報
18:00
18:02 ハイパーレスキュー隊に派遣要請も、保安院により要請取り消しにより中止
18:25 半径20km以内の住民に対して退避指示
19:00
20:00
20:20 総理支持を踏まえ1号機への海水注入を法令に基づき命令
20:20 1号機へ消火系ラインを使用し原子炉へ海水およびホウ酸の注水を開始
21:00
22:00
23:00
2011年04月14日 (木) 11時37分15秒