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「津波」先人の警鐘生かされたか 東日本大震災

住民が明治時代から高台移住を続けた吉浜湾=6日、大船渡市

堤防を越え、住宅に押し寄せる津波=3月11日午後3時30分ごろ、宮古市田老(畠山昌彦さん提供)

 11日で発生から1カ月を迎える東日本大震災。東北の沿岸部を襲った津波は多くの家、人々をのみ込んだ。「人知を超えた災害」とも言われる一方で、先人は津波への警鐘を残している。歴史から何をくみ取り、教訓をどう継承するのか。再び同じ被害を繰り返さないためにも、過去の津波被災地を歩き、学ぶ。

◎大船渡・吉浜湾/「明治三陸」で被害、高台に集団移住

 大船渡市の吉浜湾は、ほかの三陸海岸の湾とは風景が異なる。中心集落があるはずの湾奥部の低地には家屋がなく、水田が広がる。中心となる集落の家屋約100世帯は海抜20〜30メートル前後の県道沿いに並ぶ。
 「吉浜では海辺の低地に家を建てないことが常識。親から言い伝えられて守った教訓というよりも常識なんだ」
 消防団員の新沼公晴さん(47)は県道に立ち、双眼鏡で潮位を観測しながら何度も強調した。
 今回の震災で、吉浜湾には10メートル前後の津波が襲来。戦後に低地に建った民宿など2軒が流され、海辺で作業をしていた男性1人が行方不明になった。ただ、津波は集落深くには達せず、県道で止まった。
 100年以上前、吉浜湾でも湾奥部の低地に中心集落があったが、1896年の明治三陸大津波で壊滅。死者、行方不明者は200人を超えた。当時の村長は高台へ家を再建するよう指示した。
 津波が到達しなかった地点には、村の下方を意味する「下通り(しもどおり)」という道が造られた。それが今に残る県道だ。
 家を再建する場所は下通りを目安とし、その周辺とされた。多くの住民が高台に移住したが、低地に住み続ける住民も少なくなかった。
 村を襲った1933年の昭和三陸津波で、下通り周辺の住民は助かったが、低地の住民が被害に遭い、17人の死者、行方不明者を出した。
 当時の吉浜村の柏崎丑太郎(うしたろう)村長は私財に加え、銀行から調達した資金で下通り周辺の土地を購入。村が移住先を用意すると、数年間で高台への集団移住が完了した。
 柏崎村長の孫のナカさん(97)は今でも、祖父の話を覚えている。
 「おじいさんは『ただ呼び掛けるだけでは移住しない住民が必ずいて、また同じことが起きる。村が強引にでも移住させる方法を考えた』と、昔話を聞かせてくれた」
 道沿いには高さ2.5メートルの巨大な石碑が立ち、明治三陸大津波の犠牲者の全氏名が彫られている。津波の恐ろしさが住民の心に刻まれ続け、ほとんどの住民は今でも下通り周辺の高台に住む。
 「おじいさんも苦労が少しは報われたと思っているはず」。ナカさんはそう語った。
(中村洋介、山口達也)


◎宮古・田老地区/防潮堤過信も 「経験次世代へ」誓う

 宮古市田老地区は44年の歳月をかけ「万里の長城」とも呼ばれた巨大防潮堤を築き、津波に備えてきた。だが今回、津波はその防潮堤を越えて田老地区を襲い、地区内の死者、行方不明者(4日現在)は合わせて230人を超えた。住民らは「防潮堤への過信もあった」と振り返る一方、教訓を次世代につなげようと誓っている。
 巨大防潮堤は、地区内で死者、行方不明者911人が出た昭和三陸津波(1933年)の教訓から、旧田老町の中心部を2重に守るように整備された。陸側は1934年に着工し、57年完成。海岸側は62年に着工し78年に完成した。
 いずれも高さ10メートル、総延長は2.4キロに達し、1960年のチリ地震津波から町を守ったことは田老住民の誇りだった。
 地区の山本麻美子さん(31)は地震発生時、母恵子さん(57)と自宅にいた。避難を促すと、恵子さんは「犬がいるから逃げられない」ととどまり、犠牲になった。山本さんは「防潮堤があるから地震もどこか人ごとだった。こんな悪夢が現実に起こるなんて」とつぶやく。
 旧田老町の消防団長を15年間務めた山崎勘一さん(76)も「この防潮堤なら大丈夫だと思っていた。ショックだ」とうなだれる。
 旧田老町で防災を担当した宮古市職員山崎正幸さん(45)によると、防潮堤は本来、津波を完全に食い止めるためではなく、中心部への直撃を避けるため、山あいを流れる2本の川に津波を誘導することを目的に設計されたという。
 防潮堤の整備と同時にまちづくりの発想も大きく転換。中心部の土地は津波からいち早く避難できるように、高台に向かって盛り土した。碁盤の目状に整備した道路の交差点も人が曲がりやすくするため、直角にならないように「隅切り」を施した。
 山崎さんは「明治三陸大津波は波高が最大15メートルに達した。先人たちは防潮堤を築いても、なお津波被害が発生することを想定し、避難の大切さに目を向けていた」と指摘する。
 初めに整備された防潮堤の外側にも住民が住むようになり、防潮堤は2重になった。コンクリートの壁と壁の間にできた新たな住宅地は、昭和三陸津波の直後に開発された中心部に比べ、避難しにくい構造となっていた。
 今回の津波は陸側の防潮堤も越え、被害は田老地区全体に及んだが、二つの防潮堤の間の地区は特に壊滅的な打撃を受けた。(野内貴史、古賀佑美)


◎宮古・姉吉地区/「此処より下に家を建てるな」 石碑の警告守る

 「此処(ここ)より下に家を建てるな」。先人の警告を刻んだ石碑が立つ宮古市重茂の姉吉地区(11世帯、約40人)。沿岸部の家々が津波で押し流された宮古市で、ここは建物被害が1軒もなかった。海抜約60メートルの地点に建立された石碑の教えを守り続けてきた住民は、あらためて教訓の重さを胸に刻んでいる。
 姉吉地区は、明治三陸大津波(1896年)で60人以上が死亡し、生存者は2人だけ。昭和三陸津波(1933年)では100人以上が犠牲になり、生き残ったのは4人。2度とも壊滅的な被害に遭った。石碑は昭和三陸津波の後、住民の浄財によって建てられた。
 津波は今回、漁港から坂道を約800メートル上った場所にある石碑の約70メートル手前まで迫ったという。海辺にいた住民らは地震後、坂を駆け上がって自宅に戻り、難を逃れた。
 海岸近くに船を浮かべ、ワカメ採りの準備をしていた姉石勇さん(69)は、山が崩れるのを見て地震を知り、すぐに自宅に帰った。
 「家まで上がれば、津波が来ても大丈夫という気持ちがある」と話す。
 津波は、湾の堤防を打ち壊し、コンクリートの巨大な塊が浜に打ち上げられた。樹木は根こそぎ倒され、岩肌が激しく削られた。
 自治会長の木村民茂さん(64)は「2度も津波で全滅に近い被害を受けており、姉吉の危機意識は強い」と説明する。住民らは昭和三陸津波から50年目に漁港に観音像も建立。毎年6月に供養の法会を営み、惨禍と教訓を継承してきたという。
 木村さんの気掛かりは現在の行方不明の親子4人だ。隣の地区の学校に子どもを迎えに行ったまま安否が分からない。
 「家は無事でも人が犠牲になっては…」と無念そうな木村さん。「人は自然に勝てない。これからも津波の恐ろしさを伝え続けないといけない」と話している。(東野滋)
 ◇
 姉吉地区に立つ「大津浪記念碑」の全文は次の通り。
 高き住居は児孫の和楽/想(おも)へ惨禍の大津浪/此処(ここ)より下に家を建てるな/明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て/部落は全滅し、生存者僅(わず)かに前に二人後に四人のみ/幾歳(いくとし)経るとも要心あれ

◎仙台・霞目/「浪分神社」の伝承途絶える

 仙台市若林区霞目の浪分神社は、津波の浸水域との境目に建てられたと伝わる。伝説は月日の経過とともに忘れ去られ、教訓として生かされることはなかった。
 海岸に近い若林区荒浜北丁の佐藤利幸さん(73)は津波で自宅を失った。佐藤さんは「神社の存在は知っていたが、津波が襲ったという話は聞いたことがなかった」と語る。荒浜地区に数百年前から先祖代々住んできた大学源七郎さん(69)も「津波の話は言い伝えられていない」と言う。
 神社は海岸から直線で約5.5キロ、海抜約5メートルに位置する。複数の歴史書などによると、建立は1702年とされ、慶長三陸津波(1611年)では、この周辺で津波が二手に分かれて引いていったと伝わる。津波は1835年にも地域を襲ったという。
 今回の東日本大震災の津波は、仙台東部道路にせき止められる格好で、神社の手前約2キロで止まった。
 神社近くに住む小島三郎さん(87)は「道路がなければ神社まで届いたかもしれない。でも、自分も『神社より海側に住むな』との話は聞いたことがない」と話す。
 一部の研究者から津波の危険性を指摘する声もあったが、注目されることはなかった。
 宮城野区蒲生の歴史研究家飯沼勇義さん(80)は「市内には津波を伝える歴史物が多く存在する。津波はここまで来ないとの思い込みが、言い伝えを途絶えさせたのかもしれない」と語る。(勅使河原奨治)

[明治三陸大津波]1896年6月15日午後7時31分、三陸沖の日本海溝付近でマグニチュード(M)8.5の巨大地震が発生。約30分後には津波が三陸沿岸に襲来した。最大到達点は海抜38.2メートルに達した。現在より人口が非常に少なかったにもかかわらず、死者、行方不明者は約2万2000人に上った。地震の揺れが震度2〜3程度と弱く、地震後も逃げなかった人が多かったためとされる。

[昭和三陸津波]明治三陸大津波から37年後の1933年3月3日午前2時21分、三陸沖の日本海溝付近でM8.1の巨大地震が起き、三陸沿岸部で震度5程度の揺れを記録。その30〜60分後に津波が到達。岩手県を中心に約3000人の死者、行方不明者を出した。


2011年04月10日日曜日


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