謹んでお見舞いを申し上げます。

長州力が自分のリングネームを初めて聞いたときの感想「あぁ、俺、もう終わった」

[2011年04月18日]


プロレスラー・長州力が、週刊誌の連載コラムで自身のリングネーム誕生秘話を明かしている。

それは、吉田光雄(本名)がプロレス界に入ってしばらくしたときのこと。新日本プロレス恒例の、若手が経験する海外修行から帰ってくると、すでに「長州力」というリングネームが用意されていたのだという。大阪のとある会場でリングに上げられ、「吉田光雄選手のリングネームが『長州力』に決定しましたーっ!」と、いきなり発表されたのだった。

そのときのことを長州は、「あぁ、俺、もう終わったな……、と思いましたよ(苦笑)」と回想する。

「当時いきなり“長州力”って聞いてカッコいいとは思わないだろう(笑)。ましてや、これから先の長い人生、それで自分自身が世に出て行かないといけないとなったら、気まずいったらないですよ。これから闘うぞってときに気合い入れてリングに上がって、『ちょ~~しゅ~~、りーきー!』って自分が呼ばれるんだぞ。力なんか出ないですよ」

山口県出身だから「長州」。これに対し長州は、「もし東京出身だったら『江戸力』、名古屋出身だったら『尾張力』ってつけられてたかもしれないと思うとゾッとする」と語っている。

さらに自分より1年早くプロレス入りしていたジャンボ鶴田を例に挙げ、「“ジャンボ”ってのはカッコいいと思わないか? ジャンボジェット機なんて、完全に時代をつかんでるなって感じがしましたよ」と、うらやましかったという。

とはいっても今となっては、この「長州力」という名前が生きる糧(かて)になっているとのこと。リングネームというのは、本人の意思とは関係ないところで決めたほうがうまくいくのかもしれない、と締めている。

もし、“革命戦士・吉田光雄”の「ミツオ・ラリアット」だったら……、名曲『パワー・ホール』も「名勝負数え唄」も誕生してなかったかもしれない。

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