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今の気持ち
被災地を見に行ったわけではない。まして写真を撮りに行ったのではない。
私は、自分が被災地支援の為にできる最大のことが何であるのかを見つけに行ったのだ。
本気で取り組むつもりである以上、被災地の現実をきちんと知ることは第一歩だから。
【岩手県南三陸町志津川にある巨大避難所ベイサイドアリーナの災害ボランティアセンター】

12日に原発30km圏内の南相馬に行き、地元被災者の方から切実な話を伺いました。
その後、ボランティアセンターの統括責任者の方からも2時間以上お話しを聞かせて頂きました。
翌13日、北から陸前高田・気仙沼・南三陸志津川と被害が甚大だった所を回ってきました。
志津川では大規模避難所となっているベイサイドアリーナを訪ね、
ボランティアセンターの方から現状がどうなっているか伺ってきました。
昨晩、「陸前高田」の写真をこのブログに5枚貼ったことをtwitterで報告しました。
現地を見てきた以上、それを伝えるのも大事なことですから。
今朝7時半に目を覚まして驚きました。
その段階で530人の方々がこのブログをご訪問下さっていました。
そのあと「南三陸志津川」の写真を5枚アップして、高速で東京に帰ってきました。
結局、本日(14日)は1403人もの方々がこのブログをご訪問下さりました。
いや、人数が何人かはどうでも良いんです。たとえ10人であっても私には報告する義務がある。
被災地で見てきたことを多くの人々に伝え、被災地支援の動きを少しでも大きくする、
それは被災地を訪ね被災者と言葉を交わした人間の義務だと私は考えています。
しかし、語ると言うことが息をすることと変わらぬほど口達者の私なのに、
どうしても語る気持ちになれません。
被災地の惨状に圧倒されたわけではありません。それは想像していた光景と同じでした。
ネットで見た写真と同じ光景を自分の目で見たというだけのことです。
「写真と現実は違う。実際に見ないと分からない」--- それは確かにその通りだと思います。
しかし、このめで現実を見ても、「ああ思っていた通りだ」と感じると分かっていました。
だから、私は被災地の壮絶な光景を見て、精神的にそれに圧倒されたのではないのです。
私がいま語る気になれない理由は、
被災者の方々の現状と今後があまりにも厳しいという動かしがたい現実、
しかも、すぐには状況を大きく改善し得ないほど厳しい現実を深く思い知ったためです。
状況を大きく変えていく展望があれば、どんなに厳しい状況でも言葉を吐くことが出来ます。
しかし、現実はとてもつもなく厳しいのです。だから言葉を吐く気になれないのです。
現実に打ちのめされているのではありません。
打ちのめされてなどはいないのですが、現実を穿つ方法が見つからない。
そんな状況で、言葉だけで何かを語ると言うことを慎みたいと言うことです。
私は本気で取り組むつもりでいます。だから現実の厳しさを前に立ち止まっています。
打ちのめされてもいないし、逡巡しているわけでもない。現実に向き合っているのです。
しかし、答えは全く見つかりません。かくなる上はもう一度被災地に行くしか無いです。
1度行ってちょこっと話を聞いてきたぐらいで代弁者ずらをしたくないから喋りたくない。
きちんと発言するためには、2度でも3度でも被災地に行って被災者の話を聞き、
そして、その中から自分に出来る最大限の行動を見つけ出すしかない。今はそう思っています。
自分はこれだけのことが出来る、そしてそれをやるだけやるという展望を持たずに、
ただ言葉で被災地を語ることをしたくないのです。
私は、自分が被災地支援の為にできる最大のことが何であるのかを見つけに行ったのだ。
本気で取り組むつもりである以上、被災地の現実をきちんと知ることは第一歩だから。
【岩手県南三陸町志津川にある巨大避難所ベイサイドアリーナの災害ボランティアセンター】
12日に原発30km圏内の南相馬に行き、地元被災者の方から切実な話を伺いました。
その後、ボランティアセンターの統括責任者の方からも2時間以上お話しを聞かせて頂きました。
翌13日、北から陸前高田・気仙沼・南三陸志津川と被害が甚大だった所を回ってきました。
志津川では大規模避難所となっているベイサイドアリーナを訪ね、
ボランティアセンターの方から現状がどうなっているか伺ってきました。
昨晩、「陸前高田」の写真をこのブログに5枚貼ったことをtwitterで報告しました。
現地を見てきた以上、それを伝えるのも大事なことですから。
今朝7時半に目を覚まして驚きました。
その段階で530人の方々がこのブログをご訪問下さっていました。
そのあと「南三陸志津川」の写真を5枚アップして、高速で東京に帰ってきました。
結局、本日(14日)は1403人もの方々がこのブログをご訪問下さりました。
いや、人数が何人かはどうでも良いんです。たとえ10人であっても私には報告する義務がある。
被災地で見てきたことを多くの人々に伝え、被災地支援の動きを少しでも大きくする、
それは被災地を訪ね被災者と言葉を交わした人間の義務だと私は考えています。
しかし、語ると言うことが息をすることと変わらぬほど口達者の私なのに、
どうしても語る気持ちになれません。
被災地の惨状に圧倒されたわけではありません。それは想像していた光景と同じでした。
ネットで見た写真と同じ光景を自分の目で見たというだけのことです。
「写真と現実は違う。実際に見ないと分からない」--- それは確かにその通りだと思います。
しかし、このめで現実を見ても、「ああ思っていた通りだ」と感じると分かっていました。
だから、私は被災地の壮絶な光景を見て、精神的にそれに圧倒されたのではないのです。
私がいま語る気になれない理由は、
被災者の方々の現状と今後があまりにも厳しいという動かしがたい現実、
しかも、すぐには状況を大きく改善し得ないほど厳しい現実を深く思い知ったためです。
状況を大きく変えていく展望があれば、どんなに厳しい状況でも言葉を吐くことが出来ます。
しかし、現実はとてもつもなく厳しいのです。だから言葉を吐く気になれないのです。
現実に打ちのめされているのではありません。
打ちのめされてなどはいないのですが、現実を穿つ方法が見つからない。
そんな状況で、言葉だけで何かを語ると言うことを慎みたいと言うことです。
私は本気で取り組むつもりでいます。だから現実の厳しさを前に立ち止まっています。
打ちのめされてもいないし、逡巡しているわけでもない。現実に向き合っているのです。
しかし、答えは全く見つかりません。かくなる上はもう一度被災地に行くしか無いです。
1度行ってちょこっと話を聞いてきたぐらいで代弁者ずらをしたくないから喋りたくない。
きちんと発言するためには、2度でも3度でも被災地に行って被災者の話を聞き、
そして、その中から自分に出来る最大限の行動を見つけ出すしかない。今はそう思っています。
自分はこれだけのことが出来る、そしてそれをやるだけやるという展望を持たずに、
ただ言葉で被災地を語ることをしたくないのです。