野馬追の主役、馬受難 飼い主被災し餌不足深刻 南相馬
河北新報 4月18日(月)14時19分配信
国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の開催地として知られる南相馬市で、東日本大震災による馬の苦難が続いている。津波に流されたり、飼い主が被災し世話が難しくなったため他県に預けられたり…。餌不足も深刻だ。それでもこの夏の野馬追を目指し、地元の人たちは全力で馬を守ろうと取り組んでいる。
福島第1原発の事故で、屋内退避圏(原発から20〜30キロ)に入った南相馬市原町区。乗馬クラブを経営する大滝康正さん(59)の厩舎(きゅうしゃ)にいる1頭の馬は、後右脚が腫れている。福島県双葉町の会社員稲田一哉さん(37)の愛馬「ダンツムソウ」だ。
稲田さんは震災翌日の3月12日、津波に襲われた南相馬市小高区の実家に向かった。ダンツムソウも、そこで飼っていた。実家は流されていた。馬は海水を大量に飲んだが、命は助かった。津波の泥からもがいて逃げようとした際に、けがをしたらしい。
「去年の甲冑(かっちゅう)競馬では1着だったんですよ」とダンツムソウをなでる稲田さん。自宅は避難圏(20キロ以内)にあり戻れず、友人の大滝さんに世話を頼んだ。南相馬市内では餌が入手できず、仕事の合間に市外から調達している。
毎年、野馬追に出場する馬は500頭近く。うち半数が相馬地方で飼われていたとみられるが、南相馬市観光交流課は「震災でどうなったかは把握できていない」という。大滝さんは「知人の馬だけで70頭近くいたが、津波に流されて死んだ馬も多い。避難圏の小高区には数多く残っていて、飼い主が避難先から餌を与えに通っている状態だ」と話す。
被災した馬を安全な場所に移すなど、餌不足を何とか解消しようという動きもある。相馬市のNPO「馬とあゆむSOMA」(相馬行胤代表)は、一時預かったり県内外の厩舎に送ったりして、これまで15頭を世話した。今後も馬主を支援していく考えだ。
毎年7月に開かれる野馬追は、雲雀ケ原祭場地(南相馬市原町区)の本祭りがピーク。立谷秀清相馬市長ら関係者はことしの開催に意欲を示しているが、祭場地は屋内退避圏に含まれており、どのような形を取れるかは未定だ。
「野馬追はことしも必ず行われるし、自分も参加する」と希望を込めて語る大滝さん。「ただ、餌の調達が難しい状態が続いては馬の世話も限界だ」と、屋内退避の解除などを願っている。(加藤敦)
福島第1原発の事故で、屋内退避圏(原発から20〜30キロ)に入った南相馬市原町区。乗馬クラブを経営する大滝康正さん(59)の厩舎(きゅうしゃ)にいる1頭の馬は、後右脚が腫れている。福島県双葉町の会社員稲田一哉さん(37)の愛馬「ダンツムソウ」だ。
稲田さんは震災翌日の3月12日、津波に襲われた南相馬市小高区の実家に向かった。ダンツムソウも、そこで飼っていた。実家は流されていた。馬は海水を大量に飲んだが、命は助かった。津波の泥からもがいて逃げようとした際に、けがをしたらしい。
「去年の甲冑(かっちゅう)競馬では1着だったんですよ」とダンツムソウをなでる稲田さん。自宅は避難圏(20キロ以内)にあり戻れず、友人の大滝さんに世話を頼んだ。南相馬市内では餌が入手できず、仕事の合間に市外から調達している。
毎年、野馬追に出場する馬は500頭近く。うち半数が相馬地方で飼われていたとみられるが、南相馬市観光交流課は「震災でどうなったかは把握できていない」という。大滝さんは「知人の馬だけで70頭近くいたが、津波に流されて死んだ馬も多い。避難圏の小高区には数多く残っていて、飼い主が避難先から餌を与えに通っている状態だ」と話す。
被災した馬を安全な場所に移すなど、餌不足を何とか解消しようという動きもある。相馬市のNPO「馬とあゆむSOMA」(相馬行胤代表)は、一時預かったり県内外の厩舎に送ったりして、これまで15頭を世話した。今後も馬主を支援していく考えだ。
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最終更新:4月18日(月)14時19分
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